重要なことでも、こだわることでもないが、以下なおらない癖のひとつである。
いつも不思議に思うのは、多くの人は「午前・午後」「朝方・夕方」の区別をつけずに「5時、7時、12時」などと会話を重ねている。
多くの人にとっては、夜10時から明け方の4時位までは寝ている時間であろうし、起きていてもそれは家にいて、家族と過ごしている時間帯で、他人と接触する時間ではない、ということなのだろう。
だが、高齢者ともなると朝が早い人も多い。早起きの自慢話を聞いていると、朝4時には散歩に出て、近所の人と会話を楽しむ人も多いらしい。
それで通じ合っていて齟齬がなければ特に問題はないし、私の妻と私の親の会話もそれで平穏理に推移している。
しかし職場で災害時には徹夜での作業などもあり、混乱や勘違いを避けるためにいつも24時間制で話をしていた。経過の記録も当然24時間制で記載していた。午後何時などとはいわない。13時、17時と努めて発言し、文書化していた。
その癖が退職後の今も抜けない。妻も親も、16時とか20時などと私がいうと、とっさには理解できない時もあるようだ。子どもも小さい頃には、私が「15時だからおやつ」などというとキョトンとしていた。
私の頭の中では、19時、23時の方が理解しやすい。脳内で夜7時、深夜11時という変換はしていない。「情緒がない」と批判されたことがあるが、果たして「情緒」とつながる話なのかと思う。
そんなにこだわるような重要なことかといわれれば、どうでもいいことである。だが、いったん身についてしまうと簡単にはその癖がなおせない。