Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

運動靴の買換え

2019年11月10日 21時58分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は雨が降るとの予報になっている。スケジュール帳には特に予定が記載されていないのだが、何かあったような気分で落ち着かない。妻と二人で首を傾げて先ほどから悩んでいるが、思い出せない。
 単なる思い違いなのかもしれない。夫婦二人そろって情けないことになっている。思い出そうとしても思いつかないので、あきらめることにした。

 毎日履いている運動靴がとうとうダメになってしまった。左右とも甲のところ、第5指の付け根のあたりで擦り切れている。この場所が擦り切れて穴が空くというのは初めての経験である。妻に言わせると歩き過ぎが原因だから、長持ちさせるにはウォーキングをもっと短くしてほしい、という。私はその気はない。いつもすれ違いである。
 明日はこの運動靴を買い換えるために出かける。いつものことながら2Eの広い靴を探すのに苦労をする。明け方までと夕方前に降るとの予報なので、昼前号に出かける予定。


講演会「沖縄からこの国を問うー平和、憲法、民主主義ー」

2019年11月10日 20時06分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 世界平和アピール7人委員会が2004年から毎年各地で開催してきた講演会を今年は那覇市で11月21日(木)に開催するとのことである。私は参加できないが、紹介はさせてもらうことにした。沖縄に行かれる方が日程に組み込まれてもらえるととても嬉しい。
 またこの講演会の報告書に期待をしている。

 11.21(木) 18時~21時
 琉球新報ホール(那覇市泉崎)
 講演 高村薫「沖縄と本土を隔てるもの」
    池辺晋一郎「平和を訴えるそれぞれの方法 」
    大石芳野「半世紀 沖縄を撮り続けて」
    本山仁志郎「民主主義を問う沖縄」
 討論 小沼通二、池内了、島薗進、(進行)松元剛琉球新報編集局長
                                             【⇒http://worldpeace7.jp/?p=1198


新しいメガネ

2019年11月10日 17時47分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 当面のメガネが出来上がった。単焦点レンズなので、近くはメガネを外さないと見えないが、1mから先の遠くはくっきりと明るく見える。信号も二重に見えることはないし、車の前照灯が眩しくて見えなくなることもほとんどなくなった。
 暗くなりかけの国道を歩いて帰宅した。それなりの明るさの道はとても楽に歩けた。しかしまだメガネに慣れていないこともあり、足元などをみると怖い。階段の下りが怖いと感じた。慣れるまではやむを得ないと思われる。
 左目の白内障の手術に早めにこぎつけて左の視力が安定すれば、遠近両用の多焦点レンズに変えたい。

 本日の夜のウォーキングはこのメガネをかけて様子見。夜の暗い道もあるくので、用心をしながら歩く必要がある。ゆっくりと歩くつもりである。


初冬(しょとう・はつふゆ)

2019年11月10日 10時15分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★暁紅の海が息づく冬はじめ       佐藤鬼房
★初冬の木をのぼりゆく水のかげ     長谷川双魚
★柔かな夜につゝまれて初冬かな     星野立子

 第1句、海に臨むちょっとした高いところからの海の眺め、太陽が東の海から登る地点なのだろう。佐藤鬼房だから塩竃市の高台辺りから太平洋を臨む場所であろうか。具体的な場所までは推定する必要はないが、詮索したくなるのも人の性。
 冬にも拘わらずやはり日の出は生命感溢れる景色である。さまざまな色彩が太陽と大気と海によって複雑に微妙に融合し、そして分離する。冬のはじめの引き締まった寒さが身に沁みる朝にことのほか惹かれる日の出である。
 山の頂上で眺める「ご来光」も真夏であっても朝の引き締まった寒さ故に好まれるのである。

 第2句、「しょとう」よりも「はつふゆ」という語感が暖かみをもたらす。こちらも少し高い場所から水面に反射した太陽光が時間とともに場所を移動し、木に昇って行く時間を詠んでいる。葉を落しかけた木の幹を暖めるように登っていく太陽の反射光、こちらは自然の景色でもいいが、公園などの池に太陽が当たる集合住宅やマンションなどを想定しても面白い。
 この句も具体的な場所にこだわらない感傷ができる。そしてやはり朝の句と思いたい。

 第3句、こちらは風景や目の位置とは切り離された句。そして夜の句である。初冬で寒さが迫ってきたものの、身にまとう服や布団、湯船の温みが愛おしくなる。暖房が効きすぎてもよくない。程よい温みが嬉しい。
 家族の団欒や、ひょっとしたら男女のしずかな語らいの場かもしれない。もっと艶やかな場面かもしれない。
 こちらは「しょとう」と読ませるが柔らかみがある用い方である。