Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

右目の疲労が激しい

2019年11月05日 23時23分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夜のウォーキングを約50分、6000歩ほど。久しぶりに少し長めのウォーキングであった。メガネをかけ忘れてしまった。やはり夜はメガネなしでは厳しい。車やバイクはいいのだが、やはり黒っぽい服を着た歩行者や無灯火の自転車は怖い。

 メガネは右が近視について過矯正になっている。現在は右目は白内障の手術の結果、0.5ほどに回復している。乱視がなければもう少し良いかもしれない。ただし50センチよりも近いところは右目では見えない。左目は今のところいじっていないので、これまでとは変わらず、メガネをかけないとやっと0.1。しかし乱視はない。
 問題は左右のバランスが崩れており、右目が非常に疲れる。また50年以上も右目が利き目であったので、それはすぐには左目に変更はできないようだ。メガネを掛けた場合は、左目で見た方が良く見えるはずだが、相変らず右目で見ている。メガネをかけない場合は、右目の方が見やすいが、乱視の影響があり、右目も緊張している。その為に右目がとても疲れるようになった。

 メガネがあっていない状況が、こんなにもつらいものだとは想像もしていなかった。


明日は我が家が印刷所‥

2019年11月05日 21時27分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は特に予定は立てていない。本日組合の会館から持ち帰ったラベルの印刷をする予定。A4で60枚、ラベルにして約1200枚のカラー印刷。黒での印刷ならばコピー機や輪転機での印刷の方が安いがカラーの場合は我が家のプリンターで印刷した方がランニングコストが安い。我が家が陰湿所になる日、ということである。特に時間はかからないので、午前中に終わらせたい。

 同時に横浜美術館での本日の感想の「その2」、ルノアールの静物画2作品についてアップしたい。はたしてまとまるか。いつものとおり自信はまったくない。


「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」展 その1

2019年11月05日 20時29分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

         

 「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」展の2回目。本日は前日までの混雑が信じられないほどゆったり見ることができた。
 今回は前回駆け足でまわっときに特に印象に残った3作品をじっくりと見てきた。



 まずは「布を纏う裸婦」(パブロ・ピカソ、1921-23)。解説では彫刻的な作品としるしている。私は今まで図録や本などで見たと記憶しており、実際に見るのは初めてだと思う。私はこの作品が昔からとても気に入っている。今回実際に作品とめぐりあってあらためて腕と足の太さとたくましさに驚いた。画面いっぱいではみ出しそうな体である。しかし首から下の逞しさとボリュームに比べて、顔と頭のこじんまりとした造形を意外と違和感なく見ることができる。
 さらに肌を描く筆致が大きい割に繊細な効果をもたらしていた。また髪の毛の黒っぽい色が、布・肌の色との3色のバランスが良く計算されていると感じた。髪の毛が面積的には小さいが、全体のボリュームとしては釣り合いが取れている。多分曲げた腕の影、向かって左の足の膝から下の影の部分と合わせて釣り合いが取れるのであろう。
 ピカソが1918年にオルガと結婚し息子パウロが生まれた年、1921年の作である。1917年から1925年、新古典主義の時代と呼ばれる時期である。この時期、妻オルガや息子をモデルにした作品が多いというが、このモデルはオルガなのだろうか。オルガの面影があるのだろうか。
 このどっしりとした存在感でピカソは人体の何にこだわったのだろうか。私は両手の手首から先と、向かって右の二の腕にこだわりを感じている。筆致も丹念である。だが、それが意味するところは残念ながら私にはわからない。女性のたおやかな顔つきと体躯の豊かさのアンバランスが、ピカソの女性に対する畏怖を表しているとも思える。