先ほど横浜美術館におもむいたおり、コレクション展も見てきた。6月16日までの会期で『「賛美小舎」-上田コレクション展』。
若手美術家の可能性を支援しようと夫婦で集めた45作家360点以上の作品が10の公立美術館に寄付されたらしいが、横浜美術館は最多の175点を収蔵しているとのこと。今回は36作家146作品が展示されている。
説明書きにあった「日本文化(民族)の根底には賛美の心がある」と日本だけに限定しているがそれはまずいんではないの、とちょっと腰が引けてしまったり、列島の文化は単一民族ではないんだよ、と一言いいたくなるが、いい作品があればそれはそれで素直に鑑賞しようと思う。
私には理解できない作品も多くあった。またなかなかとまどったものもあった。今回特に心に残ったのは、川崎麻児(かわさきあさこ、1959年生まれ)という作家。上田コレクションの解説にもあるとおり、このコレクションの契機となった作家らしいが、「沈思黙考」という言葉がぴったりの作風だ。じっくりと静かに心を落ち着けて鑑賞できる数少ない現代アートという感じた。この「沈思黙考」は私のいつも心に座らせている言葉でもあるので余計に気になった。
掲げた作品は「静かの海」という作品。静かな海ということなのか、月面の「静かの海」からながめた地球なのか判然としない。月と思われる天体の周りのもやもやが雲だと解釈して、私は前者と思った。波の描写に心惹かれた。静かに何かを考えさせる内省的な絵だと思う。月の光と思しき光の柔らかさと、それが波に反射する様子がとても静謐だ。現代美術のどちらかというと精神を気ぜわしく刺激する傾向とはまったく正反対の指向を好ましく感じた。
この他に「赤い月」という作品も撮影したかったが、ガラスの額物に入っていて室内灯が反射し撮影者の姿が入ってしまうので撮影は断念した。他に「砂の海」も同様に断念した。この3作品、とても気に入った。
その他に名作再訪という名のシリーズは井伏鱒二「黒い雨」、堀辰雄「風立ちぬ」、壺井栄「二十四の瞳」、田宮虎彦「足摺岬」など10人の作家の作品の東京新聞の挿絵原画などがあった。しかしこれはちょっと通俗的過ぎるような、一般受けする心象に流されてしまっているように感じた。しかし画面はとても静かで落ち着いている。
他には石原友明・武田州左(たけだくにさ)という作家も惹かれた。
ともに残念ながら写真の撮影をしなかった。この次の機会に撮影してここに追加で掲げようと思う。
若手美術家の可能性を支援しようと夫婦で集めた45作家360点以上の作品が10の公立美術館に寄付されたらしいが、横浜美術館は最多の175点を収蔵しているとのこと。今回は36作家146作品が展示されている。
説明書きにあった「日本文化(民族)の根底には賛美の心がある」と日本だけに限定しているがそれはまずいんではないの、とちょっと腰が引けてしまったり、列島の文化は単一民族ではないんだよ、と一言いいたくなるが、いい作品があればそれはそれで素直に鑑賞しようと思う。
私には理解できない作品も多くあった。またなかなかとまどったものもあった。今回特に心に残ったのは、川崎麻児(かわさきあさこ、1959年生まれ)という作家。上田コレクションの解説にもあるとおり、このコレクションの契機となった作家らしいが、「沈思黙考」という言葉がぴったりの作風だ。じっくりと静かに心を落ち着けて鑑賞できる数少ない現代アートという感じた。この「沈思黙考」は私のいつも心に座らせている言葉でもあるので余計に気になった。
掲げた作品は「静かの海」という作品。静かな海ということなのか、月面の「静かの海」からながめた地球なのか判然としない。月と思われる天体の周りのもやもやが雲だと解釈して、私は前者と思った。波の描写に心惹かれた。静かに何かを考えさせる内省的な絵だと思う。月の光と思しき光の柔らかさと、それが波に反射する様子がとても静謐だ。現代美術のどちらかというと精神を気ぜわしく刺激する傾向とはまったく正反対の指向を好ましく感じた。
この他に「赤い月」という作品も撮影したかったが、ガラスの額物に入っていて室内灯が反射し撮影者の姿が入ってしまうので撮影は断念した。他に「砂の海」も同様に断念した。この3作品、とても気に入った。
その他に名作再訪という名のシリーズは井伏鱒二「黒い雨」、堀辰雄「風立ちぬ」、壺井栄「二十四の瞳」、田宮虎彦「足摺岬」など10人の作家の作品の東京新聞の挿絵原画などがあった。しかしこれはちょっと通俗的過ぎるような、一般受けする心象に流されてしまっているように感じた。しかし画面はとても静かで落ち着いている。
他には石原友明・武田州左(たけだくにさ)という作家も惹かれた。
ともに残念ながら写真の撮影をしなかった。この次の機会に撮影してここに追加で掲げようと思う。