Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の焼酎

2013年10月23日 22時57分48秒 | 料理関連&お酒
   

 佐賀県西松浦郡有田町の宗政酒造の麦焼酎。お酒の安売り店にフラッと入って、名前とラベルの絵が気に入って、思わず買ってしまった。
 有田町というから、麦焼酎を購入した壱岐ととても近いところなのだが、壱岐焼酎とは違ってアクの強さというようなものはない。しかし私たちが普段よく飲む麦焼酎よりは甘味と刺激を感じる。飲み易さという点では壱岐焼酎よりは飲み易いといえるかもしれない。
 アクの強い味を楽しむ、というのではない味わい方が必要かもしれない。刺激はあるが、口に残るくどさではない。その割にはすごい命名である。「烈吼」という名前からかなり強烈な香りや味わいを想像したが、私の印象では名前に比して上品な味である。

古代史の講座ほか

2013年10月23日 20時14分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日は、地球市民かながわプラザ(アースプラザ)で「吉備の古代史-古墳時代から国家形成へ-」という講演(講師:横浜市歴史博物館館長 鈴木靖民氏)を聴いた。6回連続の講座の4回目。
 吉備の古代史という枠組みでの話は始めての経験で、特にその方面の書物も読んだ記憶はない。もう一度日本書記でも読み直そうかと考えた。しかし伽耶地域とのつながりが強いという指摘は興味深かった。
 6世紀前半以降、吉備の反乱伝承以降、地域支配者として衰退したのではなく、王権の交易・外交担当の海部集団の統率者として活躍したとのこと。
 下位の上位に対する平等化現象→犠牲的血縁関係→クランの形成・拡大→社会統合を背景に系譜の統合→地域神と皇祖神信仰の重層化→大和王権への包摂→始祖神の一元化→皇統の一元化→朝廷の葬送儀礼・即位儀礼での役割、という一連の流れの説明があった。魅力的な整理だが、なかなかうまく私の言葉でのみこめない。もう少し、キチンと整理したものが読みたいものである。
 詳しい講義要録は配布されたが、要点をまとめるだけの能力はないので、省略。

      

 おなじアースプラザで「仮面の文化 カリノオモテ 祈る・舞う・結ぶ仮面展」並びに「石川直樹写真展「異人 the stranger」というのが同じ会場の同じ一角で開催されていた。無料。
 前者ではパプアニューギニアやインドネシア、ブルガリア、ガボン、ペルー、ドミニカなどの仮面劇などの紹介がなされ、後者では沖縄・琉球列島から日本海側を北上して秋田のナマハゲまでの仮面祭祀を写真で紹介していた。
 展示を見ただけでは、文化人類学的、民俗学的な素養がない私にはただの展示にしか見えないで、各地域の祭祀や仮面劇の解釈や謂れや評価など皆目わからなかったというのが正直なところである。解説もほとんど無くて、これは素人にはとても不親切な展示に思えた。12月7日の講演会も既に予定が入っていて参加できない。残念。

早くも年賀状の季節

2013年10月22日 11時55分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 早くも街中では年賀状用のソフトなどが店頭に並び始めている。コンビにでも簡易なソフトが雑誌コーナーで陳列されている。最近はメール、それも携帯電話などを利用して年始の挨拶を交わしているので、年賀状は随分と発売枚数が減少しているとのこと。郵便会社も躍起になっているようだ。
 郵便会社もメール用の年賀状アイテムや、年賀用・暑中見舞い用に、フリーメールのサイトのようなものを立ち上げたら面白いかもしれない。そのうち喪中ハガキまでメールなどで済ますことになるのだろうか。あるいは喪中の欠礼といった習慣は無くなってしまうかも知れない。宗教的な儀礼から考えても私もこれにはそれほどの意味があるとは思えないのだが‥。
 さて、私は年賀状派であると同時に、メールでも年賀メールをやり取りする方もいる。両方の方も多い。無料のメールで意匠も凝ったものがたくさんある。簡単に動くものや文言が浮き出てきたりなかなか楽しいものである。いろいろ探して送ったら、向こうからも同じ意匠のものが届いて、思わず笑ってしまったこともある。
 郵便会社に配達してもらう年賀状を作る、書く、と言う行為は、その一年を振り返る機会でもある。大した量の文書を記載するわけではないが、コンパクトに記載する労力が必要だ。これは楽しみである。私は、パソコンで作るので、記載する文書の量は手書きよりも多い。昨年からは、全員に同じ文章ではなく、相手のグループごとに7から10位のパターンをつくり、さらに個人向けの一言もパソコンで付け加えるようにしてみた。手間はかかるが手書きほどではないし、その方が生きた年賀状になると思ったからだ。しかし仕事を現役でしていたら、今の時代にはこんなことはなかなか出来ない。
 個人向け一言は、本当は手書きであることが大切であるとも思っているが、如何せん悪筆である。一言、といっても枚数は多い。パソコンのワープロソフトに頼りすぎて、、字を普段書きなれていないので、すぐに手が疲れて、何が書いてあるかいっそう判らなくなる。情けないものである。
 受け取った人からは「字が細かくて読めないから、もっと簡略に書け」というお叱りや、「面白い」といってくれる方までいろいろある。自分では気に入った作業なので当面はこのパターンを続けようと思っている。

 そしてそろそろ年賀状の作成モードに頭を切り替えなくてはいけないのだろうか。それは少し早すぎる気もする。あと少なくとも3週間先でも良さそうだ。

ウォーキングの効用

2013年10月21日 22時17分37秒 | 山行・旅行・散策
 本日の最高気温は低くなった予報をさらに下回り21度どまりであったらしい。明日も同じような気温の予想が出ていた。
 台風は24日ごろ関東に接近するという大方の予報より遅れ、沖縄に近づくという。遠回りをしてから東に転進するらしい。関東地方は25日から26日ごろの影響という予報にようやくなった。来て欲しくない大型台風‥影響が大きくなるようなコースに変わりつつあるらしい。しかも台風28号を連れて‥。

 本日組合の会館までいつものとおり歩いて行ったが、台風とは違って90分という予想より早く、80分以内で着いた。11000歩だったから約7キロ余り。往復で約15キロ近くの歩程となった。ちょうどいい運動量だと思った。これまでと同様、来月以降の幹事会もこれを続けよう。
 この往復には、横浜駅からみなとみらい地区を抜けて関内-寿町というコース、国道16号線を通って寿町に至る道、そして横浜駅の手前から横浜開港の道(幕末期東海道と関内の開港地を結んだ道)から寿町までの3本が主な道である。小さなバリエーションは幾つもあるが、気分次第でどの道でもかまわない。ほぼ距離は同じである。
 歩いていて飽きない道である。

 横浜駅の東西、みなとみらい地区、桜木町・野毛近辺、関内界隈、寿町周辺と街の表情は隣接しているが、それぞれおおいに異なる。前にも述べたがお昼に道端で売っているお弁当の値段から、コンビニの品揃え、居酒屋の雰囲気、道行くサラリーマンの出で立ち、言語、走っている車の特徴の違い、立っているビルの年代差‥‥。横浜という都市の実相がわかるような気がする。日本の都市の病理も現在の地平も、わかる。ウォーキング、散歩というものも見ようとする視点があれば、世の中を観察することのできるものである。
 ウォーキング、自分の体への効用だけでなく、他にも効用はあるといえる。



 実は受講していた講座でここに示すのを忘れていたものがあった。この講座、木曜の夕方ということで、何回か出られないものもあるが、「現代を読む」という関心からは外せないと思い受講することにした。できるだけ出たいと思っている。


 さて、明日以降の天候、台風の動きからは目が離せない。

雨は上がったが・・

2013年10月21日 10時52分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日降り続いた雨がようやく上がった。しかし雲が厚く、太陽は顔を出さない。気温の予想も昨夜の天気予報では25度であったが、今朝のニュースでは低めの23度に修正されていた。
 本日は講座はなく、午後に退職者会の幹事会。これから歩いて約90分。ちょうどいい距離である。
 本日はお酒の誘いは断って、寄り道もしないで帰ることにしよう。

「横山大観展-良き師、良き友」(その2)

2013年10月20日 22時16分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
  <焚火>より

 先ほどから横浜美術館で開催されている「横山大観展」の図録を見ている。横山大観という画家の特徴や見所というのはどういうところなのか、一番肝腎なところがわからずに悩んでいる。この画家の予備的な知識がまったくないなかで、幾点か心に残った作品はある。しかし2回見に行ったにも関わらず、「これがいい」という強い印象を持った作品がなかった。あるいはほのぼのと思い出すたびに「なるほど」とうなずく作品がない。
 しかし全体として、忘れてしまってはいけない画家のようだ、という印象が残っている。このところが気になるのだ。
 名前が有名だからというのではないと思う。有名な画家でも、まったく気にかからなかったり、印象にのこらなくてそのまま自分でも忘れてしまう画家がいる。それはそれで私の鑑賞眼がないのだと、アキラメもつく。
 そんなことで、ネットなどで「横山大観」と検索すると、明治期以降の日本画の革新に大きな足跡を残した画家として、また「朦朧体」という技法を確立し、「伝統的な線描を用いずに色彩のみによって濃淡の調子を整え,空気や光線を表現する新しい描法を生み出し」たことになっている。「菱田春草と共に西洋画の画法を取り入れた新たな画風の研究を重ね、やがて線描を大胆に抑えた没線描法の絵画を次々に発表する」などと記述されている。
 さらに絵画の世界以外では、かなりの国粋主義者であり、1942年とする大日本美術報国会が発足と同時に会長に就任し、戦時中の美術統制の頭目として扱われている。また戦犯容疑者でもあった。
 このような経歴からは、ちょっと私などは引いてしまうところもあるが、かえって作品の魅力というのは何なのだろうかと気になるのである。

 図録にもどってみると、今回の展覧会は、初期のころから昭和初期の時代までを中心とした展覧会であるから、画業の前半にあたる時代に絞られていることが記されている。
 幾度か図録を見ているうちに、ようやく気付いてきたことがある。どうも私は中国風の絵については、共感できていない。たとえば老子や寒山拾得、達磨などや、後赤壁、虎渓三笑、焚火など中国の人物を大きく描いた顔の表情に大きな違和感がある。あの笑い、何に笑っているのか曖昧な表情にはどうしても強い違和感を持つ。ついていけないなぁ、という感じである。画家の表現したいものが何なのかまったく理解できないと感じる。あまりに実際の人物像からかけ離れている。奥行きのある人間性がまったく感じられない。
 しかし、風景画となると俄然違う感想が浮かんでくる。また日本の画題に出てくる人物やインドの印象を描いた人物、観音図などは表情が生きている。観音像などとても人間的な造形で親近感が沸く。どうしてこうも人間を描いて差が生ずるのだろう。そしてさらに人間が大きく後退して風景・点景だけになると、この画家の真骨頂が出てくるように感じた。

「山市晴嵐」   「漁村返照」 

 ここに掲げたのは、有名な「瀟湘八景」の「山市晴嵐」と「漁村返照」である。前者の風景は視点も技法上も革新的といわれるのがわかるが、後者に出てくる談笑する人物も子どももとても安易な描写に見えてしまう。
 夏目漱石はこれが出品された第6回文展に触れて、「気の利いた様な間の抜けた様な趣があって、大変に巧みな手際を見せると同時に、変に無粋な無頓着な所も具えている」と評したことは「夏目漱石展」の中ですでに記したが、私もなんとなく漱石の評の意味を私なりに理解できたのかな、と思う。頓珍漢なのかもしれないが、漱石は人物の描き方に「無頓着」と感じたのではないかと思う。どうであろうか。さらに付け加えるならば、「漁村返照」の黄色の使い方は西洋画の配色の模倣に見える。風景が様式的なイメージにとどまっているように見える。
 安易な人間の表情に見えてしまう、というのは人間把握に対する違和感なのか、それとも「写生」というものの評価なのかはわからない。多分風景は写生を基にしたものの再構成であろう。画家のさまざまな工夫が結実したものに見える。しかし人物、特に中国に題材をとった人物は多分想像上の産物である。同時にこれまでと違う人物像を造形することにこだわって、かえって類型化した表情になってしまったとさえ思う。インドは訪れたことがあり、写生をしている。中国の人物も風景も画家にとっては日本画の題材のあくまで伝統的な想像上の題材にとどまっていたのではないか。また歴史上や逸話上の人物もあくまでもその物語上の人物像でしかなかったはずである。これが私の違和感の根拠のような気がする。風景画通俗的に見えてしまうというのも同じなのかもしれない。

 ようやく私なりの横山大観という画家の絵に対する接し方に気付いたようだ。

 この次は風景画で気に入ったものについて触れてみたい。

雨、そして肌寒さ

2013年10月20日 13時12分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から雨、それも本降りでかなりの雨量である。9時ごろは雨音も強く、風で雨が舞っていた。夜まで絶え間なく降り続けるらしい。
 台風被害のあった伊豆大島ではかなりの風雨であるらしい。捜索・復旧には厳しい気候条件になってしまったようだ。

 そして本日は肌寒い。涼しいを一気に通り過ぎ、あっという間に秋が深まってきた。団地の入口で盛んに咲いていた萩もすっかり花が散ってしまい、枝先に花はもう残っていない。
 この寒さにともない、一昨日から半袖から長袖のシャツに替えたが昨日の夕方からはもうその上に一枚上着が欲しくなった。本日は朝から長袖の上にチョッキを着ている。
 午前中から横浜駅に出かけようとしていたが、雨が強いのでもう少し様子を見てから出かけることにした。


イタリア紀行(その4)

2013年10月19日 22時02分02秒 | 山行・旅行・散策
 外国に行くと日本の食事が恋しくて、という声を盛んに聴いたのはいつの頃であったろうか。最近ではあまりそのような話は聞かない。日本の人々の食生活が多様になり、ことに洋風化が著しく進んだためだという。確かに頷ける話だ。同時に普段食べている食事に近いものがレトルトや乾燥食品として手軽に手に入るため、持参してそのような不満を解消しやすくなっていることも考えられる。
 私も妻の意見をいれて、味噌汁と蕎麦の乾燥食品を持っていったが、結局は食べることは無く、もったいないが最終日のホテルに放置して帰ってきた。

 ツアーのホテルでの食事と、3回ほどの外に出向いて自分たちでレストランを探してとった夕食の経験からいうと、イタリアの食事の特徴は
1.野菜が思ったほど多くない。特に朝食にサラダがない。これは以外であった。
2.バスタ類が「主食」扱いではなく「副食」「惣菜」扱い。
3.蒸留酒がなく、ビールとワインが主。ただしどちらもとてもおいしい。
4.肉は硬いが、肉の味がしっかり味わえる。
5.魚介類が豊富。
6.ドレッシングは稀で、オリーブオイル・バルサミコ酢・塩・胡椒をそのまま供す。
7.パンは固めで(日本でいうフランスパンのよう)、塩味がほとんど感じられない。
8.チーズの種類が多く、いづれもおいしい。特に朝食に供されることが多い。
9.甘いものの量が多く、デザートの甘さと量には驚く。
等々が気付いた点である。



 家庭料理を味わったわけでもないので、あくまでもホテルとレストランでの経験だけの感想である。乏しい体験だけに基づく感想である。



 ワインを蒸留したお酒(ブランデーではない)で40度近い無職透明なものが、お土産店で売られており、家庭ではよく飲まれると書いてあったが、レストランではあまり見かけなかった。私はこれも欲しかったが‥。これはたまたまそのような機会が無かったからかもしれない。
 サラダにはオリーブオイルとバルサミコ酢と塩・胡椒を自分の好みで掛けるだけなのだが、これはなかなかおいしい。特にバルサミコ酢と塩の加減で随分と風味が違ってくる。妻は日本でバルサミコ酢を食べてみてあまり好みでは無いと敬遠してきたらしい。しかしイタリアで食べてみて印象がとてもよかったようだ。日本にかえって早速オリーブオイルとオーガニックなバルサミコ酢を買い込んできた。私も楽しんで食べている。
 日本でも韓国でも肉は柔らかいものが価値がある。中国料理でも柔らかく煮込む。しかしイタリア(欧米全体か?)では、骨付き肉を火が通るまで焼いて供している。噛み応えは充分あり、噛み切れないとの評が同行のツアー客から出ていた。しかし、私は噛みしめることで肉の味を感じた。肉とはそのような味わい方が本来なのかもしれないと思った。
 魚介類、私の食べたスズキ、タコ、イカ‥いづれもトマト味で煮込んだものだったが大変おいしく食べることが出来た。肉よりもスープの味をしっかりしみこませた丁寧なつくりに感じた。
 名物の手長エビは私が普段食べるエビより身はうすっぺらだが、数段味が濃いものだと思う。殻ごと食べてみたが、長い手の部分以外は固くて私にも全部の殻を食べるのはできなかった。イカ墨のパスタは日本のものより淡泊に感じた。この方が私には嬉しい。
 コース料理では、まずパスタ類が一皿ないし二皿でてから、肉類等のメインディッシュが出てくるので、量が多くて肉類を食べきることが出来ない。イタリアの人々(欧米全体か)に較べて摂取する量が日本の人々はとても少ないようだ。その上にボリューム満点で甘いデザートが出てくる。これはもう私には、お手上げである。



 食事については、そんな感想をもった。私の外国での経験が韓国とベトナムだけという、本当に少ない経験だけなので、日本でとっている食事との比較だけである。しかも日本の食事の精髄すらわきまえていないということも踏まえて、あくまで体験的感想として読んで欲しい。

 食材のお土産としては、乾燥トマトを買ってみた。日本でも売っているが器が気に入った。バルサミコ酢は高価であったのでお土産としては断念したが、日本でもオーガニックのものが手ごろな値段で売っていたのでそれを購入した。

昨日のウォーキング

2013年10月19日 13時10分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は、久しぶりに3万歩以上歩いた。12時少し過ぎに講座が終ってから、午後の講座の始まる15時までの時間を主に利用した。
 朝は横浜駅まで約3500歩。みなとみらいの会場から、横浜駅東口の郵便局まで早足で往復で、約6500歩、途中横浜駅傍でおにぎり1個の昼食と珈琲タイム。今度は桜木町から平戸桜木道路を京急井土ヶ谷駅まで往復で約12000歩。講座終了後さらに少しだけ遠回りして家まで約8500歩。合計30700歩あまり。約21キロぐらいだろうか。講座終了後はさすがにお腹が空いてきて、喫茶店で小さなアンパン1個を頬張った。
 昼間の歩行は陽射しがあり、かなり暑かった。気持ちの良い汗をかなりかいた。しかし日が蔭ったあとの帰路は寒いくらいである。このような気温の状態では汗がなかなか乾燥せず、体にはよくない。講座の途中もなかなか着ている上着が乾かなかった。

 横浜駅に用事が無ければ、弘明寺駅のさらに先、国道一号線と交差する平戸まで歩けたとおもう。次回挑戦してみようと思う。

 さすがに夜寝る前は足がだるくなっていた。今朝も筋肉痛というほどではないが少しだるかった。これはお灸でもすると良いのかと思った。三里のツボをお風呂の中で10分ほど押したり、揉みほぐしたりはしたのだが‥。
縦走登山での歩行のエネルギーで換算するとどのくらいだろうか。半分くらいかもしれない。

 本日は午後からの講座まで家でグダグダと休養。これから出かける。

 気になるのは台風27号の動き。いつごろから東進に転ずるのか、気象庁も判断に苦しんでいるようで、24日の北進までしか図示しない。いづれにしろ24日か25日、今回も木曜日あたりがもっとも風雨が強そうである。2週続けて講座が休講になるかもしれない。


イタリア紀行(その3)

2013年10月18日 23時18分02秒 | 山行・旅行・散策
 イタリア紀行がうまくまとめられないままになっている。どのように囲うか迷っているうちに忘れてしまいそうになっている。
 訪れた順番に感想を書き続けようかと思ったが、うまくいかなかった。能力がないのでしょうがないと諦め、印象に残ったものからアットランダムに記述していくことにした。
 第4回目の今回は、4日目に訪問したヴェネツィアで、自由行動となった日の午後に見学したサンジョルジョマッジョーレ教会を取り上げる。一番行きたかったところでもある。



 サンジョルジョマッジョーレ教会は修道院を併設しており、同名の島のほとんどを占めている。島はとても小さいが、サンマルコ広場の傍にあるサンザッカーリアという水上バスの乗り場(2番)から最初の停泊地で5分もかからないで到着する。
 自由行動なので、水上バス乗り場では身振り手振り切符を買い求めた。帰りのことなど考えずに‥。水上バスはどれも満員である。しかしこの島にはあまり人は訪れない。サンマルコ広場のごった返した観光客の喧騒からは離れて静かな教会である。
 この教会はとても美しい。16世紀の建築家パッラーディオの設計で「水上の貴婦人」の異名があるというが頷ける。尖塔とドームと直方体の建物のバランスが美しい。
 この尖塔からヴェネツィアの市街がとても美しく見える。是非訪れたい場所である。しかも人が少なく、尖塔も教会内部も静かに、じっくりと堪能できる。穴場である。



 教会の内部は、落ち着いた感じで祈りの場としてもとても好ましい。何本もの蝋燭に照らされた絵や彫像が美しい。私のお目当てはティントレットの「最後の晩餐」である。



 ティントレットはヴェロネーゼと並び16世紀ヴェネツィア派を代表する画家である。作風はティツィアーノやミケランジェロからの影響を受けながら形成されていったと教わった。引き伸ばされねじれた人体や、強い明暗などスペインのグレコにも通じるような画面である。ドラマティックな作風が特徴と教わった。生涯の殆どをヴェネツィアで過ごし、この街のために創作をおこなった。
 この「最後の晩餐」は、晩年にサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会のために描かれた傑作といわれる。どの「最後の晩餐」でも強調されて描かれるのがユダの裏切りを指摘してするキリストとユダを含む使徒たちの驚きと動揺である。真正面から描かれることが通例のこの場面を、ティントレットは斜め上方向から描いたことで、また左上の灯火によって、より緊迫した臨場感が表現されている。私はこの灯火の下の中腰の男がユダだと感じたが当たっているだろうか。
 実はこのブログに掲出した絵は、ネットからコピーしたものだ。実際の教会内部に掲げられている作品は、明かりで見にくく、写真でもうまく撮影できなかった。同じくティントレットの「マナの収穫」は気付かずに通り過ぎてしまったようだ。



 この絵を鑑賞してから、尖塔に登ったのだが、たしかにヴェネツィアの街が美しい。街と反対側の修道院の庭もとても整然として美しかった。
 またこのあと訪れたアカデミア美術館、訪れる時間が無かったがサンタマリアデッラサルーテ教会の大きなクーポラが美しかった。

 アカデミア美術館は、水上バスでサンマルコ広場にもどり、アカデミア橋を渡って訪れた。途中ヴィヴァルディ博物館という地図にも案内にもない場所に出くわした。これは幸運であった。古いバイオリンやビオラダガンバなどがガラスケースに幾つも展示してある。私の知らない作者がずらっと並んでいたが、ガラスのケースの外だが、中央部にチェロが数台展示してあり、そのひとつが解説によるとなんと有名なアマティの作品である。チェロ自体はとても古く弾くことは難しいようだが、それでも値段のつかない貴重品のような気がした。この博物館内の楽器を全部集めたら、数億円いやもっとかもしれないとつまらないことも頭の中を駆け巡った。


(アカデミア橋から水上バス)

 アカデミア橋を渡ってアカデミア美術館に入り、ここで日本語の音声ガイドを借りることが出来た。とても助かった。
 カルパッチョ、ベッリーニ兄弟、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼなどの絵画の傑作を2時間近く堪能できた。本当はもう一日かけてじっくりと見たいのだが、体力的にもつらい。これだけの絵画と建築が溢れる街の歴史に圧倒された。


昨日始まった講座(服部土芳:三冊子)

2013年10月18日 19時03分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 今年の後期の講座では俳句関係の講座はこの講座だけ。
 頭が俳句モードにならないので、あるいは俳句モードにする気力が湧かないのだが、せめてこの講座だけでも聴いて、俳句から遠ざからないようにしようと思った。
 そうような後ろ向きの動機だけではない。講師の復本一郎氏の講義はとても魅力的だ。博識でかつとてもよく咀嚼されておられると感じる。話しも実によく整理されてわかり安い話術である。お人柄も気に入っている。
 評論、執筆活動も旺盛でエネルギッシュである。
 そして何よりも、昔から服部土芳と言う人の人柄についてとても興味があった。今回受講することはとても良い機会であると感じた。
 全部で8回、来年の2月末までの講義だが、できれば服部土芳の俳句の紹介も欲しいと、思っている。

本日のお酒

2013年10月17日 21時28分53秒 | 料理関連&お酒
   

 本日のお酒は、「田从(たびと)」。舞鶴酒造株式会社とあり、秋田県横手市の醸造元である。
 近くの酒屋が廃業してコンビニになった。酒屋さんのころはたまに東北の地酒を購入することもあったが、コンビニなってからは大手の酒造会社からのお酒しか置かなくなっていた。たまにそのコンビニで共通に扱っているメジャーではない醸造元のお酒が時々店にでる程度であった。そのコンビニが閉店になって別の系列のコンビニに鞍替えして以降、地方の小さな醸造元のお酒も再び扱うようになった。嬉しいことである。
 このお酒の名前ははじめて聞いた。
 飲んでみるとなかなかおいしい。ネットで調べると、秋田県内でただ一人の女性の杜氏であること、東日本大震災で蔵が全壊したこと、舞鶴酒造は1918年創業、1990年代以降営業方針を転換し生産規模を大幅に削減、かつ、純米酒のみとしたことなどが記されている。
 このお酒日本酒度が+1と、いわゆる辛口ではなく旨味を充分味わう目的のお酒ということになっている。お燗もいいらしいが、私はやはり冷蔵庫程度の温度がいい。
「伝統的な山廃ならではの濃ゆ~くて、強いクセのある味わい。酒米の旨味が上品に表現され、キレも良く、後味に仄かな甘味が感じる減農薬米純米酒」「日本酒度:+4 酸度:1.7」と謳っている。私には強いクセというのは感じなくて、旨味がとても勝っていて、塩辛にとてもよく合うお酒だと感じた。確かにハマるお酒だと思う。
 こんないいお酒をそれとなく置いているコンビニというのも珍しいというか、もっと商売上手に宣伝してもらいたいものだと感じている。

「カリントまんじゅう」

2013年10月16日 20時53分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 伊豆大島の土砂崩れ現場の映像には驚いている。これだけの広範囲の崩壊による破壊のエネルギーは膨大なものだったと推定される。ヘリコプターからの映像をお昼くらいに一見したときは、尾根から全体が崩壊したのかと見えたが、夜のニュースではごく浅い表層の崩れが広範囲に起こっていることが指摘されていた。
 まずは被害者の冥福と、被災者の立ち直りを祈ると同時に復旧の迅速、そしてみのりりある教訓化を願うしかない。


         

 さて、本日さとうてるえさんからカレンダー一式が送られてきた。同窓会に参加した方に贈呈ということで、私はその一部の配布を依頼されている。それと同時に福島のお菓子「カリントまんじゅう」を同封してくれていた。

 カリントウが好きな私にはこの黒糖、「こがし蜜」なるものの味はなかなかいい。コクのある甘さである。
 和菓子には一言うるさい妻も気に入ったようだ。
 お菓子自体の写真はただの黒い塊にしか映っていないが、これは腕が悪いということでお許し願うしかない。
 食べたいという方は、写真の製造者に直接当たってももらうしかなさそうだ。ひとつの大きさは手ごろ。甘党の方に是非おすすめ。
 このお菓子を食べてしまった以上、早めにカレンダーを発送する努力をしないといけない。ということでこれから作業に入ることにした。

台風26号(続き4)

2013年10月16日 11時33分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜では風も雨もすっかりあがった。先ほどほんの一瞬ではあるが、日が射してきた。関東地方には深夜から明け方にかけて再接近したため、夜明けと共に伊豆大島をはじめ各地の被害があきらかになりつつある。横浜では被害は無かったようである。
 福島では友人宅に雨漏りの被害が少しあったようであるが、その他の被害はないみたいなのでほっとしている。しかし雨漏りというのはなかなか曲者である。天井のシミ程度でも、屋根や天井の木材が腐ったり、カビが蔓延したりする。屋根と天井とそれを支える木材の交換など結構費用と労力のかかる修理が必要な場合が多い。

 今回も、気象情報で「台風は温帯低気圧に変わります」という表現が出ている。何の気なしに聞き流している言葉であるが、これがとうもよくわからない、ということに気付いた。ということでネットで検索したところ、次のような解説が、秋田地方気象台のホームページに出ていた。


Q.台風と熱帯低気圧と温帯低気圧は何が違うのですか?
A. 台風と熱帯低気圧は同じ仲間で規模が違うだけですが、温帯低気圧はこれらとは構造が違います。熱帯低気圧とは、亜熱帯や熱帯で海から大量の水蒸気が上昇することにより空気が渦を巻いて出来る低気圧のことです。この熱帯低気圧が発達して風速が 17.2m/s を超えると台風と呼び名が変わります。また、冷たい空気と暖かい空気がぶつかる場所を前線といいますが、熱帯低気圧や台風は暖かい空気だけで出来ているので前線が出来ません。
 一方、温帯低気圧は、北側の冷たい空気と南側の暖かい空気が混ざりあおうとして空気が渦を巻くことにより出来ます。冷たい空気と暖かい空気がぶつかりあいますので、温帯低気圧には寒冷前線(冷たい空気が暖かい空気に追いついている場所)と温暖前線(暖かい空気が冷たい空気に追いついている場所)が出来ます。また、温帯低気圧が発達して風速が 17.2m/s を超えても台風とは呼びません。


 低気圧自体の構造変化ということのようだ。少しわかったような気がした。そういえば温帯低気圧というと天気図では温暖前線と寒冷前線の2本が書き込まれている。台風や熱帯低気圧にはそれは書き込まれていない。熱帯低気圧・台風が緯度を上げて北側の冷たい空気が流れ込むことで構造変化をおこすことらしい。とりあえずそのような理解をしておこう。


 横浜では11時過ぎにすべての警報が解除され、大雨・洪水・強風・波浪注意報に切り替えられた。横浜ではとりあえずひと段落したと考えて良さそうである。
 しかし、これから台風・低気圧の進路に当たる地域ではこれからが本番というところもある。さらに災害復旧に当たる人々はこれからが大変である。むろん被害にあった方もだが‥。せめて二次災害がないように願いたい。

台風26号(続き3)

2013年10月16日 08時20分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 3時頃出された土砂災害警戒情報は8時前に解除された。雨は上がった7時前にはほぼ上がったようだが、風がどんどん強くなっている。30メートル台の瞬間最大風速を記録しているようだ。伊豆大島をはじめ伊豆諸島で被害が大きいようだ。

 8時半の時点で台風は横浜からもっとも近い位置にあるようだ。この風では外に出歩くのは危険この上ない。私の住む団地は高台の固い地盤の上にあり、浸水などの心配はないが、風は強い。用事のない私達夫婦は閉じこもりにこしたことはない。午後に講座が一つあるがこれは出られそう。地上部分の多い横浜の地下鉄も遅れが出始めた。

 雨も風も今、東北でひどいみたいである。この台風の大きさが実感できる。福島・宮城に住む友人に被害がないことを祈る。