Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

台風26号(続き2)+α

2013年10月15日 23時44分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 22時になって、大雨・洪水・波浪・暴風警報になった。その前に竜巻注意情報が発表になっている。雷注意報は継続。今遠くのほうで雷鳴を聞いた。
 首都圏の通勤電車は軒並み間引き運転のようだ。これは通勤時は大変みたいだ。

 しかし、友人の情報では、会社がホテルを用意してくれるのは今では少なくなってきているらしい。自分で金を払ってホテルやカプセルホテルを確保して出勤命令に「自分からすすんで」応える社員が多くなっているとのこと。
 これは自分から申し出るような形をとった強制である。従軍慰安婦問題や、沖縄の集団自決について「強制ではない」と言い張る恥知らず連中をのさばらしているから、このようなことがまかり通るとしかいいようがない、と思うのは私だけだろうか。
 決して飛躍しすぎの発想では無いと思うが‥。
 日本の労働事情はこんなにもひどいことになっている。災害というのは、日常の問題点がいろいろなところで浮上してくるものだ。

 さて安倍晋三首相が、「賃金を上げて景気回復」、「私は福島の米を毎日食べて」と国会でほざいたという。自民党の為政者にこんな開き直りを言われてかすんでしまう日本の反体制派も、脱・反原発派も情けないと言うしかない。
 私は、原発には反対である。労使交渉に政府が深く関与してくるのも反対である。しかし風評被害を助長するような今の「反原発」運動では、現地の人々が選挙で「自民党」に期待をかけたという背理に対抗できない。
 労働組合の組織対象の人々が自民党に票を入れたという背理を乗り越えることは出来ない。

 なんとも情けない状況であろう。現在の貧困な政治状況を止揚する政治思想って何なのだろうか。解いていく糸口は私にはわからない。それがなんとももどかしい。

 台風の話がこんなところに飛んでしまった。最近の私は世の中にあまりに幻滅しすぎていると我ながら思う。ツイッター上での、悪罵・罵詈雑言の投げかけ合い、そして戦後の日本の出発点を忘れたナショナリズムに安易に乗った暴論には、とてつもない幻滅を抱いている。覗きたくないものを覗いてしまったと思うことが多い。

 長生きはしたくない、という言葉が目の前にちらついている。

台風26号(続き)

2013年10月15日 20時11分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜市にも、大雨・洪水警報が発令された。雷・波浪・強風注意報は朝から継続している。これにともない多くの防災関係の官公庁・企業、鉄道事業者などは配備体制が本格化していると思われる。既に明日の朝の状態を想定して学校や企業で休業の体制を決めているところもある。
 この台風、10年に一度の規模ということで、9年前の台風22号の時の被害の映像が映し出されていた。横浜市内でも駐車場に止めてあった何台もの大型トラックの横転した様子などが放映されたが、情けないことにそのことについては記憶がない。配備体制からは除外されていたと思うが、まだ現役で仕事をしていたころのことなのだが‥。

 本日も夕方から雨と風が強まってきた。夕方横浜駅から外を眺めたときは、風はそれほど強いとは感じなかったが、15分ほどして自宅近くの地下鉄の駅から外に出た頃には風も強くなっていた。結構風と雨の変化が激しい。現在なかりの雨量である。

 今しがた、神奈川大学の受講している明日午前中の講座が中止になった旨、連絡が来た。この時間まで急遽電話入れをしてくれている。ありがたいことである。連絡をしてくれている方の帰途に支障がないことを願いたい。

 さて、昨日は友人と午後から、ホルモン焼きと焼酎に興じていたのだが、随分と酔ってしまった。途中で少し気分が悪くなってしまった。還り際にはすっかり元に戻ったが、遠回りのウォーキングをするゆとりはなく、最短距離を歩いて帰ってきた。そのまま布団にもぐりこんで朝を迎えたが、久しぶりに二日酔いで頭が痛かった。

台風26号

2013年10月15日 09時59分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 大型の台風が関東地方を直撃のようだ。今年は台風が多い年である(と思われる)。小さい頃は台風が来るというと何となくワクワクして、ちょっとした期待感があった。さすがに大人になるとそんな不遜な気持ちはなくなるが、それでも気分が高まる。
 天候というのは、風が強くなったり、雷が鳴ったり、雨が強くなったり、雪がひどくなるにしたがい、気分が高まってくる。あるいは黒っぽい雲が足早に空を駆けたり、湿気を含んだ風が乱れてふいたりするとそわそわしてくる。これは多分自然界の動物すべてに共通するもののような気がする。危険を感じて避難しようとする本能のようなものである。
 家で飼っている犬や猫でも、風が強まったり、雲が急に出て日が蔭ったりするとソワソワして、身を潜めがちになると聞いたことがある。我が家のセキセイインコもそのような時に大きな鳴き声で外の鳥と鳴き交わすことがある。
 この間、竜巻の時のちょっと危ない対応をした人のことをこのブログで記述したが、同時に竜巻を察知して、とっさに便所や窓の小さい狭い奥まった部屋に駆け込んで助かった若い女性や高齢者の話も放映された。間一発で危険を回避している。無意識と思われるとっさの行動でも、このように理にかなった行動を選択しているのを聞くと、動物的な感というもののすごさに感心する。そのような感が、都会生活が続くと、現代的な生活が当然のようになってくると希薄になるという指摘をしている学者がいる。にわかには信じ難い、検証もされることもない理論ではあるが、それでも何となく頷いてしまうことがある。
 私自身もそのようなとっさの行動がとれるか、自信はないが、本能は信じていたいものだ。

 この台風、今夜から明日の午前中にかけて関東地方に再接近するとのこと、大きな被害をもたらさないことを祈りたい。

銭湯考

2013年10月14日 11時59分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 このブログのリンクの貼ってある「時には本の話でも‥」のブログにで銭湯の話が出ていて、コメント欄で盛り上がっている。
 私のコメントに管理人である「葦原の山姥」さんが次のように書いている。

「昔ながらの家族経営の銭湯は、本当に大変だと思います。開店準備から閉店後の片付けまで一日がかりで、休みは原則週1回。建物や設備・衛生面の維持管理まで考えると、相応の覚悟がなければ後を継げないでしょうね。加えて、円安による燃料費上昇や来春からの消費税アップを考えると、商売替えを検討しても不思議じゃありません。私が利用している銭湯も、要所要所手入れをしているでしょうが基本的な造りは子ども時分のまま。このまま使い潰すつもりなのかなぁと思ったりしています。一方、隣の町会の銭湯(およそ徒歩10分の距離)はバブル期にマンションに建て替え、その1~3Fを銭湯と集会所にしましたっけ。ですが、人手が足りず(子ども達は後を継がず)、親戚に手伝いに来てもらっているとか。日常の暮らしの中に当たり前に存在するのではなく、好事家の対象にされたり郷愁をそそる存在になった時点で、先細りになるのは仕方がないのかもしれません。これからは、スーパー銭湯のようなレジャーランド的なものばかりになるのでしょうね。」

 書かれているとおりだと私も思う。私のいつも通うミニスーパー銭湯も家族経営で、夫婦と娘さんがしている。営業は12時から24時まで。多分週1回の休みの日に浴槽などの清掃やボイラーの点検などをしているように思う。年末年始の休みも元旦だけ。それ以外に休む日はない。付っきりでの営業だから今の時代に営業を続けるのはとても大変だと思う。受付だけでなく、営業中に脱衣場や浴場・休憩室・靴箱の清掃・サウナの点検なども行い、貸し出しタオルの洗濯・乾燥・整理を行い、石鹸等の販売も行う。結構重労働である。
 私の家から3分ほどのところの古い銭湯は、取り壊してしまった。あとに出来るビルの中に銭湯が復活するのかわからないのだが、経営していた方はかなりの高齢者で、はっきりいって、熱心な営業ではなかった。15時から22時までとうたっていたが、21時を過ぎると迷惑そうな顔を露骨にされた。そのような時間では客は私一人ということもあり、これでは赤字だな、と感じていた。
 昔は頭を洗うと洗髪料を取ったりしていたが、今はそんなことはできない。大体が家に風呂があるのが当たり前の時代だ。学生向けのアパートですら、風呂が無いと入居者はいない。
 しかし大きな、人が入っても冷めない風呂で、手足を思いっきり伸ばして、筋肉の緊張がほぐれるのを実感しながら長湯をするのは、何者にも変えがたい贅沢である。さらに泡風呂などがあれば一日の疲れも1時間以内で充分癒せる。一日おきでもいい、週に一回でもそれが450円で得られるならば、こんなありがたいことはない、と思うのは好事家といわれる人だけでしかないのだと思うととてもさびしい。

 かのブログには男湯と女湯では雰囲気も大分違いがある、との話も出ていた。男湯の会話では「最近はサウナにバスタオルを敷きっぱなしで出入りして、自分の場所を確保する人が多くなって、他の人が入れない状態らしいよ」と他の客が言っていた。女湯というのもなかなかの世界のようだ。だが、男湯でも体を洗わずに、特に股間を洗わないで入る客が多いという困った現象は、逆に女湯で語られているのかもしれない。
 江戸時代は男女混浴、あるいは男女時間別での入浴だったようだが、私の子どもの頃は高い天井を男女で仕切る壁の上部はあいていて、夫婦の会話が行われ、子どもは仕切りにある扉から出入りしていた。だから男女の雰囲気の差などありようが無かったものだが、今はそうではないらしい。

 私の家ではあまり、銭湯には行かなかったが、それでも時々入りにいった。小学生の低学年の頃、脱衣場近くの扉から子どもたちが出入りしていたが、時々同級生の女の子がひょっこり顔を出したりして、ドギマギしていたのがとても懐かしい。
 高学年の頃は、私も銭湯に行くことは年に数回しかなくなっていたが、それでも壁越しに女の子の声が聞こえると、友達通しで肘をつつき合って、身体を洗うのを忘れて、聞き耳を立てていたものである。
 銭湯の経験はそれ以降ない。50代半ばになって山で膝を痛めて、その痛みを解消するために通い始めて病みつきになっている。手術で膝は治ったが、銭湯通いは減量も兼ねて続けている。


レーザープリンター動かなくなる

2013年10月13日 12時43分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 とうとうレーザープリンターが動かなくなった。ドラムカートリッジ交換サインが出て停止した。トナーの残量からするとカラーであと2000枚くらい印刷できそうでもある。
 すでに記載してあるとおり、このドラムカートリッジの交換になれば廃棄する予定でいた。代わりのインクジェットプリンターも購入済みである。本当はあと2000枚くらいはインクはありそうなので、もう少し持ってもらいたかった。しかしこのドラムカートリッジ、ネットで検索したが安いものでも10000円を越えるので、購入するとかえって高くつく。
 あとは粗大ゴミ扱いで処理するしかないようだ。誰かが利用してくれるなら譲ることも考えたが、手を上げた方はいない。確かにインクジェットのほうが今は安い上に、性能も良い。
 私はどうもインクジェットの出来上がりのあの湿気たような感じがどうしても好きになれない。本当は最近のよくなったレーザープリンターに買い換えて使い続けたいのだが‥。レーザープリンターに未練があるのだ。
 しかし維持費がかかりすぎるのが難点である。印刷枚数もそれほど多くなくなった。この器械は両面対応でない上に、音がとてつもなく大きい。時々紙送りがうまく行かずにとまってしまう、特にハガキサイズでは厚紙でないととまる。厚紙でも30枚に一度は日かかる。また普通紙でA4でも裏面の印刷をしているとよく紙をしごいて空気を入れて静電気を無くしても、20枚に一度は紙詰まりでとまってしまう。このいらいら感はよくない。
 さらに買い換えるにしても器械は依然として高価である。やはり個人ではインクジェットプリンターがいいようである。購入したプリンターはスムーズに印刷できている。心配していた両面印刷の出来も、紙づまりも今のところはない。ただ、大量の印刷はまだ行っていない。来月に退職者会の会報の印刷を行うときに様子を見ることになる。

本日の講座

2013年10月12日 22時28分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の講座は神奈川大学の横浜キャンパスで行われた、「未曾有の歴史的地震活動期に入った21世紀日本?!」という無料の8回連続の講座。
 津波と防災に関する課題、大震災の社会的影響、被災地復旧の現状と課題、被災自治体としての釜石市の体験の検証。ならびに、南海トラフ地震の実態、歴史、予測、社会・経済損失の課題などを探るもの。
 現釜石市長の講演も予定されており、さらに行政や施設管理の立場からの発言もあるようで、災害行政に携わったこともあり、また現役時代そのことにこだわってきた私には魅力的な講座である。これだけの内容の講座を無料で聴講できるというのは、大変ありがたいと思う。
 初回の今日は、アジア・太平洋湾岸防災研究センター副センター長の富田孝史氏の講演。初めて聞くお名前だが、技術者の立場からの津波の解析、津波が実際の港湾施設に及ぼした被害について具体的な説明があった。とても興味深いものであった。
 特に津波で破壊されてしまった防災施設といえども減災には役立っていたこと、費用のかからない防災施設のあり方など示唆に富むものであった。マスコミなどの情緒先行の報道ばかりが入ってくる中で、客観的で技術的な検証を経た提起は極めて勉強になる。また、あの災害を客観的に検証することの大切さをあらためて認識した。

「福島菊次郎展」

2013年10月12日 18時46分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 関内の日本大通にある日本新聞博物館(横浜情報文化センター内)にて「92歳の報道写真家福島菊次郎展-ヒロシマからフクシマへー。戦後、激動の現場」を見てきた。
 戦後の激動の現場とは、広島の原爆症に悩む一家の歴史、60年安保闘争、三里塚闘争、東大闘争とあさま山荘事件、水俣病等の公害、ウーマンリブ、原宿族、そして点数は少ないが福島原発事故の南相馬市等の現場での撮影。
 写真の出発点は広島の被爆者一家を10年にわたり追いかけた「ピカドン ある原爆被災者の記録」。この広島の一家を追った写真は、この撮影者のどの写真よりも力がある。原爆症に苦しむ被災者の一人とその一家の悲惨な生活苦をえぐるように撮影しながら、原爆に対する告発と同時に、原爆症に対するいわれの無い非科学的な中傷と差別、行政の無力・無理解を告発している。
 現在の福島の原発事故での放射線被害対策が遅れる中で、被災者と現地に対する非科学的でいわれのない誹謗と中傷・差別が煽られ続けているが、政治に携わるものと差別を煽るもの両方に見せたいものである。すべて政治の怠慢、政治の貧困の所為にして片付けてしまう昨今の状況にも違和感はある。同時に戦後政治の悲惨さも酷さをもその時点で克服できなかった「日本国民」の酷さもまたキチンととらえたいものだ。
 写真が告発しているのは、政治の酷さであると同時に、それを許している「日本国民」でもある。このことは忘れてはいけない。
 「戦後の現場」といっても限られた現場であることは承知をしているが、この現場の状況は確かに日本全国に共通している時代の病巣であった。この中に身を多少なりとも寄せたことのある人間には迫ってくるものがある。それがうまく伝えられる時代ではないが‥。

 しかし依然として、現実の政治を止揚する方途は見えていない。

 ただし写真としての私の好みで言えば、このようなメッセージ性の強い現場写真よりも、離島での子どもたちを撮ったシリーズや「鶴の来る村」のシリーズなどの方が、「写真」として抜きん出ているように感じる。
 チラシの表紙の「輪回し」に興じる子どもの写真などが私の好きな写真である。もっとも写真に対する姿勢の違いだから、あくまでも私の好みの問題だが‥。


今日もほとんど夏日

2013年10月11日 21時37分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 いつものとおりウォーキングをかねて朝からみなとみらい地区に講座を聴きに歩いて出かけた。午前の講座が終ってから1時間半もの贅沢な昼食&珈琲タイム。それでも午後の講座が始まるまでさらに1時間半の時間があるので、みなとみらい地区から中華街の入口まで歩いて往復してみた。講座終了後さらに1時間少々かけて少し遠回りで帰宅。
 2講座3時間の講義と、合計4時間近いウォーキング。2万6千歩、距離にして約17.8キロ位だろうか。
 風は強かったもののやはり日差しがつよい上に、気温も高く、かなりの汗をかいた。

 明日の午前中は、起きることが出来たならば情報文化センターに出かける予定。午後は頭が俳句モードにならないので、句会はお休みにさせてもらった。神奈川大学の、みなとみらいではなく横浜キャンパスで行われる講座に出てみることにした。
 明日はこの二つの報告を書くことができるだろうか。


チョッと体が重く‥

2013年10月10日 22時04分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の講座は15時からということで、朝からぐずぐずと過ごしてしまった。12時過ぎに出かけたが、やはりどうも背筋がシャキッとしない。気分も何となくダラダラしている。みなとらい地区までの7千歩あまりのことを考えると妙につらい。
 特に陽射しか強いわけでもなく、蒸し暑いわけでもない。途中休憩を兼ねて、家電量販店で年末か年明けに購入するかもしれないデスクトップのパソコンを見てみた。15分ほどぶらついてから、気持ちを奮い立たせて教室まで歩くのを続行してみた。多少の汗をかきながら歩き終わるとそれなりに気分も爽快になった。
 教室に至る直前には、休館日の横浜美術館の前で、カーシェアリング「チョイモビ ヨコハマ」の式典が行われていて、とても混雑。これが市長が来る直前ならばもっと混んでいたかもしれない。幸運であった。
 講座の途中で眠くなることも無く無事に終了。帰路は雲が全天をすっかり覆っていたが、雨に会うこともなく快適に歩くことができた。
 雨は、夜遅くに降るとの予想であったが、予想よりは早めに降り始めたようだ。本降りの様子。ウォーキングの一日の目標の2万2千歩まであと5千歩だったので、就寝前にジョギングに出かけようとしていたが、これは無理そうである。

 体が重いのはとりあえず回避というか、克服できた。しかし今日は無理をせず、早めに就寝することとした。

「横山大観展-良き師、良き友-」(その1)

2013年10月09日 22時41分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日はみなとみらいでの講座に参加した後、「横山大観展-良き師、良き友-」を見てきた。展覧会の始まった5日(土)についで2回目。前回も好いていた。本日も前回と同じ程度の入場者なのでゆっくりと見ることができた。
 横山大観という画家についてはこれまでも見る機会は少なく、知識もまったくといっていいほど無いので、前回は音声ガイドを聞きながらの鑑賞。今回は自分の目で見て気に入った作品は何か、ということに力点を置いて回った。
 前回通り過ぎていて印象に残っていなかったけれど今回惹かれた作品、前回少し心惹かれたが今回も気になった作品を挙げてみる。

      

 「観音」は乳房も露わに菩薩を描いた。当時としては(現在でも)かなり大胆な着想であると思える。次の「杜鵑」は中央の一点が杜鵑なのだがわかるだろうか。芒洋体と悪罵を投げかけられたようだが、よく見ると長谷川等白の絵にも雰囲気が似ている。悪罵を投げかけられるような技法とは思えなかった。
 次の「柳下舟行」の絵、さらに次の「瀟湘八景(山市晴嵐)」と較べてみると遠近が濃淡ではっきりわかる。

      

 柳の絵もそうなのだが横山大観という画家はこの縦の線がとても魅力的だとおもった。滝のズームアップでは下への力強い方向性、竹の伸びやかな上への志向、どれもその指示性に強引さが見えない。伸びやかである。
 滝の絵ではさらに水のボリュームが印象的でもある。



 最後の絵も前回印象が無くて、通り過ぎてしまっていたようだが、月の光が柔らかく印象的であると思えた。

 横山大観という人、琳派のような大胆なデフォルメと構図、クローズアップの技法を示すかと思えば、南画風の伸びやかな画面を示したり、いろいろの技法への試みが私にもわかる。
 江戸絵画の流派ごとの描法にこだわらず、あらゆる技法を試みたのであろう。私は長谷川等伯の絵も髣髴とさせられるようにも思えた。
 まったくと言っていいくらい予備知識の無い画家なのだが、認識を新たにしたと思う。
 まだよくわからないところがあるが、近くの美術館で何回でも入場できるので勉強がてら後数回訪れてみようと思う。
 また、後期展示の「夜桜」や同じく大作の「秋色」についても感想を述べてみたいと思う。


さとうてるえ作、招福猫暦及び和歌の暦

2013年10月09日 17時39分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 早くも来年の暦の時期になりました。
 昨年もこのブログで紹介した、さとうてるえさんの「招福猫暦」が出来上がりました。
 福島の地で奮闘するさとうてるえさんの作品です。
 いつもこころが和む素敵な暦です。

 今年はさらに、彩色きり絵で作った「和歌の暦 百人一首抄」も同時発売します。これはきり絵の醍醐味に百人一首の世界を重ねたもの。暗誦にも最適です。

 いづれも二ヶ月毎の6枚(表紙を含めて7枚)組み。書き込み欄は無く、最近では珍しくなってしまった感じのするシンプルな暦で嬉しいです。手作りです。

 B5版で7枚つづり(表紙を含む)。
 1部700円(送料5部まで200円)

 今年からこの場をお借りして、配布します。手に入れたい方は、下記に「お名前・メールアドレス」を記入の上、ご連絡ください。追ってこちらからメールを差し上ます。

 申込先 sublime0157@yahoo.co.jp


対馬の焼酎「対州」

2013年10月09日 00時38分33秒 | 料理関連&お酒
   

 対馬・壱岐・吉野ヶ里を訪れて最初の対馬で購入した焼酎がこれ。対馬の唯一の酒造メーカーである「河内酒造合名会社」のもの。清酒粕で造るいわゆる「粕取り焼酎」で、これを「長期間寝かせ熟成し、芳醇で豊かな香味」を生んだという。
 長期間というのがどのくらいなのかはわからないが、確かに酒粕の香りがした。ちょっと癖があり、好みは分かれそう。
 対馬の郷土料理「とんちゃん」、同じく「石焼料理」、刺身に合う酒という表示である。確かに味の濃い「とんちゃん」にはよく合いそうである。
 なお「とんちゃん」は、「豚肉をみそやしょうゆ、ニンニク、唐辛子などを加えたたれ漬け、野菜などと一緒に焼く料理で、各家庭独自の調理法も生まれるなど対馬人の家庭の味、ソウルフード」といわれ、戦後対馬に住む在日韓国人の食べていたタレ漬けホルモンからヒントを得て作られたといわれている。
 また「石焼料理」は「石英斑岩という特殊な岩を熱し、新鮮な魚介類をその上で焼いて食べる郷土料理で、もともとは、美津島町根緒(ねお)の漁師が浜辺で暖を取りながら食べた豪快な漁師料理が原形といわれる」ということで、私が食べた石焼料理では味が淡白なのでこの焼酎が合うかどうかは、判断は分かれそうである。
 刺身も私は合わないような気がする。
 これは判断・好みは人それぞれなので、断定はできない。

 この河内酒造、本来は「白嶽」(しらたけ)という名の日本酒を作っているところのようなので、私もこの「白嶽」を購入すればよかったと反省している。甘口で飽きない味ということを謳っていた。こんど機会があれば購入したい。折角登った山の名を冠しているのだから‥。

 これで、対馬・壱岐・吉野ヶ里の旅行で購入したお酒はすべて開封したことになる。残りはこの1本だけになってしまった。名残惜しい‥。

イタリア紀行(その3)

2013年10月08日 21時02分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 いづれも西洋美術の精髄といわれるルネサンス時期のさまざまな名画をこれでもかというほど見てまわった。時間が取れずに一瞥だけで早足で通り過ぎた絵も無数にある。とてももったいない思いもしたが、ツアーである以上やむを得ない。しかしバチカン美術館にしろ、サンピエトロ大聖堂、ウフッツイ美術館、アカデミア美術館、ブレラ美術館‥どれも圧倒的な迫力で迫ってくる。
 あの教会の建物の重量感と巨大な空間の中で始めて生きてくる絵画である。あの重量感のある石の建造物とそれらに囲まれ、ステンドグラスの明かりに囲われた巨大で厳粛な空間がなければ生きてこないこれらの絵は、見上げる私たちを萎縮させる。キリスト教絵画の、キリスト教自体の持つある威圧感はこのような巨大な空間を前提にして始めて力を持つ。逆にそれらが無ければそれほどの印象は与えないのかもしれない。

 教会多く見ることができた。印象深かったのはヴェネツィアで訪れたサン・ジョルジョルジョ・マッジョーレ教会とアカデミア美術館。そしてミラノのブレラ美術館である。
 いづれもツアーコースには含まれていないが、やはりここを訪れて良かったと思う。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は観光ヒースから外れている分余計な装飾的なものが無く、祈りの場としての教会のイメージが色濃く残っている。ティントレットの「最後の晩餐」は光が反射してちょっと見難かったが、これはなかなかいい。また尖塔のテッペンに登ってヴェネツィアを一望する価値は充分にある。

 ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエルなどの有名人の他に、カルパッチョ、ベッリーニ、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ボッティチェッリ、マンテーニャ‥等々を満喫することができた。
 ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」「春」は、ちょうど予想していた通りの大きさの絵であったが、他はおおよそ想像以上に大きい作品であった。

 個々の作品を取り上げるだけの能力があればいいのだが、圧倒されるだけ圧倒されてしまった。これ以上の感想は省略させてもらいたい。

 これだけの美術品がある国だけに、美術館めぐりを中心にしたツアーなどが美術館や各種カルチャースクールで企画されているが、それを利用するほうが私などには良いのかもしれない。ただしかなり高価になってしまうが‥。
 さらに街中には各種の彫刻が所狭しと並び、美術館でも多くの彫刻で溢れかえっている。もう少し落ち着いた感じだと誤解していた。

悲しい知らせ

2013年10月08日 00時29分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年の2月のこのブログで記載したM君こと松井英明君。昨年末に心筋梗塞で倒れ、病院で闘病を続けていたが先月亡くなっていたとの連絡が本日入った。12月の下旬に倒れてから9月5日まで、8ヶ月半もの長い間の闘病生活であった。
 意識は多分戻らなかったと思われるが詳しいことはわからない。しかし本人もつらかったろうが、看病を続けた夫人のご苦労も察するに余りある。大変な苦労であったと思う。ご本人のご冥福を心よりお祈り申し上げると共に、夫人のご苦労に敬意を表したい。
 来月16日に「松井英明君を偲ぶ会」が企画されている。是非とも参加したい。中学生のとき、ほぼ3年間を通して毎日一緒に肩を並べて同じ駅から電車で学校に通い、高校に入ってからは私が引っ越したため同じ駅から通うことは無くなり、また同じクラスになることはなかったが、その母校の労使紛争の折には、一緒に組合支援に走り回った仲である。同年輩の仲間が亡くなるのはとても悲しいものである。

私の知る限りでの松井英明さんの事跡は次のとおり。
 松井英明さんは、武蔵野美術大学を卒業後、日本色彩研究所の常務理事などを歴任され、環境色彩、色彩を通じた快適環境職場づくりなどでも著作があり労働安全衛生の面でも活躍をされた。都市景観での色彩についての言及もあり、横浜市の新交通システムのデザインにも参画されたと聞いている。なくなる直前まで東京造形大学で教鞭をとっておられたと聞いている。

本日の講座

2013年10月07日 10時25分38秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の講座は、神奈川大学の講座とは別。横浜市歴史博物館で見つけたチラシで申し込んだ全6回の連続講座の第三回目。
 残念ながら最初の2回がどうしても参加できずに、本日が私の最初の参加となってしまった。後半に期待をしよう。
 根岸線本郷台駅のすぐそばにある「神奈川県立地球市民かながわプラザ(通称:あーすぷらざ)」で行われる。私の最後の職場のすぐ近くでもある。
 終ったらその職場に寄って、迷惑にならない程度にごく短時間挨拶だけして帰ることにしよう。

 夕方からは友人とオーロラツアーの下相談。各社のツアー企画の比較を短時間してみようと思っている。どうも家族連れの参加者は無い模様。
 検討するのは、
 地域では、アイスランド、北欧、アラスカ、カナダ
 形態では、添乗員付きか個人旅行か
 日程・日数の大まかな想定
 オプションの想定
 その他
こんなところであろうか。