Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日のお酒

2014年04月24日 21時00分30秒 | 料理関連&お酒
 本日のお酒は、鹿児島県垂水市にある八千代伝酒造株式会社猿ヶ城渓谷蒸留所の「八千代伝・黒」。とてもおいしい。これはまた買ってみたい。

   

 『総かめつぼ仕込みの小さな焼酎蔵「猿ヶ城渓谷蒸留所」。かめつぼに仕込まれた゛八千代伝・黒こうじ゛のモロミは、まるで地球の息吹・熱いマグマのようにブクブクと跳びはねている。まさにかめつぼの中にある小宇宙。「八千代伝・黒」が誘って、心は漆黒の宇宙(そら)へ』とはなかなかしびれる文句が書いてある。
 そして「信念をもって王道を行く、決して覇道を求めず」。なかなか気に入った。こんな文句、今どきの正義ぶった政治家にたっぷりとお聞かせしたいものだ。彼らに飲ませるのはもったいない。

 「白」と「黒」が代表銘柄とあり、「黒」は「芳醇、香ばしい、キレがよい」とのことである。ちなみに「白」は「すっきり、フルーティー、キレがよい」とのこと。お店には「黒」しかなかったが、この謳い文句からすればこの方が良かった。
 確かに少し甘い香りが感じられるし、きりっとした舌触りが心地よい。これは楽しめそうである。値段もそれほどでもない。4合瓶で1200円ほどであった。
 ホームページには割り方が記載されている。
・水割りは、焼酎を先にコップに入れて、割り水・氷を後から。
・お湯割りは、50~60℃のお湯を先コップに入れて、焼酎は後から。
・前割りは、焼酎6:4割り水で1~3日常温で置いてから、50~60℃に燗付け、そのまま常温で、冷蔵庫で冷やしての3種の飲み方で。

 水割りは水を先にいれる、というのは初めて教わった。



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ブラームス「8つの小品」、「2つのラプソディ」

2014年04月24日 18時38分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 明日のオーロラツアーの写真交換会に向けて、写真一覧の印刷を行った。戻ってきたプリンターの状態を確認するにはちょうどいい作業になった。普通紙の印刷も写真印刷も見た目にはこれまでどおりのようだ。



 この印刷を行いながら、ブラームスのピアノ曲を聴いている。これまで紹介したものと演奏は同じペーター・レーゼルの1973年の録音。全集の第4巻の前半。曲目は「8つのピアノ曲」(作品76、1878年)と「2つのラプソディ」(作品79、1879年)。
 ブラームスは1976年に念願の交響曲第一番を完成し、好評を得て充実していた時期に当たる。翌年には4つの歌曲集と交響曲2番を完成し、さらに1978年にはこの「8つのピアノ曲」と「バイオリン協奏曲」を完成し、「バイオリンソナタ第1番」と「ピアノ協奏曲第2番」を手掛けるなど充実した時期の作品である。
 「2つのラプソディ」も翌年には「大学祝典序曲」や「悲劇的序曲」が作曲されるなど1970年代後半からの成熟期の作品である。

 「8つのピアノ曲」または「8つの小品」ともいわれるらしいが、4曲のカブリッチョ(奇想曲)と4曲のインテルメッツォ(間奏曲)からなる。これらも1曲が2分に満たない曲から3分半未満という短い曲ばかりである。全体でも23分未満である。ちょうど聞きやすい時間でもある。
 このころシューマンやショパンの作品の校訂を手掛け、これをきっかけとして13年ぶりのピアノ曲集となったとのことである。後期のブラームスの展開の入り口に位置して「内向的な作品」という評価となっている。
 確かに第1曲目の奇想曲といいつつ寂しいメロディーが特徴である。2曲目の奇想曲はテンポは速く、跳ぶように軽快ではあるものの明るさはない。3曲目、4曲目の間奏曲になってようやく明るい高音が奏でられるがシンコペーションの連続ですっきりとした感じというよりも何かもうひとつ飛躍しきれないもどかしさを与える曲想である。ようやく第5曲がかなり情動的な曲で奇想曲らしい趣きである。足をひきづるようなゆがんだ行進曲風なリズムが面白いし、ちょっと現代風な気もする。第6曲はちょっとショパン的な曲想の間奏曲。第7曲・第8曲はともに私の好きな曲である。ピアノらしい響きが発揮される。特に第8局は高音が美しい。第1曲から次第に高揚してくるような編成になっている。

 「2つのラプソディ」は約8分と約6分のこれまでよりは長めの曲。1曲目は「アジタート」の指定のとおり激しいリズムを伴った躍動的なメロディーが印象的である。中間部は穏やかで出だしの激しい曲調との対比が強調されている。「さくら、さくら」のメロディーにそっくりの部分が出て来てびっくりする。
 2曲目は大曲を聞いているような錯覚を覚える音色豊かで重厚な曲である。特徴的な流れるようなメロディーが長く続く。強弱の幅も、音域も広い。
 このふたつの曲はどちらも大きな会場で十分に響かせる演奏会用の独奏曲としてもいい曲だと感じた。




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いやな世界

2014年04月23日 22時48分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は昼過ぎから、とても大切な友人とビールを飲んでいたらすっかり酔ってしまった。たぶん呂律が回らなくなったと思う。すっかり迷惑をかけてしまったようで申し訳ないと思っている。申し訳ありませんでした、と謝るしかない。とても恥ずかしい。

 そしてその帰り途中、東京駅で降りて美術館巡りをしようと思ったが、酔っぱらって頭が回らないし、何よりもオバマ来日でどこに行っても人を威圧するばかりの警察官が目につくので嫌気がさしてしまった。東京駅から外に出る気力がなくなった。

 こんなにも人からさえぎられることで成り立つ「政治」というものに、もうウンザリであると、政治と政治家を突き放してしまわない限り、政治が良くなるわけがない。
 政治は国民との距離感が無くならない限り国民の手には戻ってこない。近代的な国民国家が成立することがなかった日本、政治がますます国民の意識や思いからは遠くなっていくようだ。

 江戸時代、政治は江戸城の中で民衆の思いとは違うところで成立していた。明治維新後の政治も結局は皇居の中で行われ、誰にも責任を取らないことによってあの大量の国民を「殺戮」することにためらいを見せない政治・軍事が当然のように行われた。
 その大きな犠牲と代償の結果としての戦後、少しは開かれた政治が期待された。しかし結局政治は、国民からは遠いところでしか成立しないものでしかなかった。幾度かはそれが変わる可能性が、戦後の政治の中であった。しかし残念ながらその都度いつも裏切られてきた。国民の直接の政治行動はすべて否定されてきたし、「選良」の判断を覆す国民の側の力量も鍛えられることはなかった。
 国民には見えない「皇居」という秘密のベールに包まれた空間の中に回帰してしまいそうな「政治」が今横行している。国民に開かれた政治であるべきこの21世紀に、なんと反対の方向、しかも戦前に回帰する以前、明治の時代以前に遡るような、近代国家とは到底相容れない世界に足を踏み入れようとしていないだろうか。

 長生きはしたくないと、心底思う時代になりつつある。




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ブラームス「幻想曲集」(作品116)

2014年04月22日 21時06分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 19日に続いて最晩年のピアノ独奏曲集である「幻想曲集」(作品116)を聞いている。いづれも2分から4分の短い曲が7曲。演奏は同じペーター・レーゼルの1973年の録音。全集の第4巻。1997年に購入したと思うが全5巻で各1000円であった。安い買い物でいい演奏を購入したようだ。

 特徴のある力強い早い3連符のリズムで始まる第1曲にまず引き込まれる。2曲目がゆっくりで暗く沈んだ雰囲気の顕著な静かな曲。第3曲はまた早いテンポに戻る。後半に出て来るメロディーは流れるような旋律で美しい。第4曲はとても暗く沈んだ曲。メロディーの姿は明瞭であるのだが、浮かんできそうでまた闇の中に沈んで消えていく。第5曲も第4曲と同様な曲だが短調になった分だけより沈鬱かもしれない。第6曲は実に単純な音型が静かに続いて空中に消えていくように終わる。それを受ける形で第7曲は短い音型が早目のテンポで推移し、歌うようなメロディーの形になりきらずに不協和音が続いて突然のように終わる。

 晩年のブラームスの孤独と人生や社会への別離を予感するような作品である。
 このような作品は雨の降るしずかな夜に、ブランデーでも片手に聴きたいものである。




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プリンター・スキャナーの修理完了

2014年04月22日 19時33分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 オーロラツアー参加者で集まり写真交換会を明後日に開くので、本日は写真データの整理を朝から14時まで。パソコン前に昼食30分を挟んで4時間半座り続けた。さすがに首の回りが固まった。自動補正を施したり、画像サイズや線密度を変えたり、と同じような作業の繰り返しは疲れる。オーロラの画像処理はすでに終わっているので40枚ほどのスナップ写真の処理であった。出来上がりをCDに焼き付けて無事終了。

 さて、オーロラツアー帰国以来血圧が安定しない。上が130-145、下が90-95の間をウロウロ。いつもは弱い降圧剤で上が130-125、下が80-88位で推移していた。うまい具合にコントロールできていたのが、おかしくなっている。血圧が高いときにはふらつきがある。薬を変えてもらったがまだ安定しない。様子を見ながら薬の処方を考えてもらうことになりそうだ。

 プリンターの修理が出来上がったとの連絡がメーカーの修理部門からあり、明日の夜到着予定。なんとか写真交換会に間に合いそうである。しかし何よりもスキャナーが使えることがうれしい。
 昨日は料理店の場所を友人に伝えるために料理店の名刺をスキャナーしにコンビニに出かけた。府中美術館と町田市立版画美術館のチラシ等も大量にスキャナーした。たまにするなら問題は無いのだが、頻繁になると金銭面よりもわずらわしい。とくに幾枚も続けてするときなど、他の利用客が後ろに並んでいないかなど気を使ってしまって、落ち着いて作業が出来ない。このわずらわしさを味わなくて済むと思うととても気が楽になる。




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今朝の朝食

2014年04月22日 10時05分49秒 | 料理関連&お酒
 昨日の残り物、キャベツとトマトのサラダ、鮭とハムのワイン蒸し、トマトと玉ねぎのスープの残り物を一緒にして、鍋で火を通して見た。
 もともとキャベツのと玉ねぎを多めにしていたので、トマトをさらにひとつ加えて今朝のスープにすることができた。
 結果として、トマトと玉ねぎのスープの具だくさんスープに変身となった。これはとてもおいしく食べることができた。
 トマトもキャベツも鍋で火をとおした方がやはり旨みが出る。また浅利の旨みが良かった。朝からとても充実した、贅沢なスープを味わった気分になった。

 電子レンジで手を抜くような感じで短時間であわただしく作ろうという発想がいけなかったようだ。
 電子レンジは電子レンジ向きの調理法、料理があるはずだ。煮込むことで味に深みが出る料理には向かないのかと、教わったようだ。




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本日の夕食

2014年04月21日 20時31分20秒 | 料理関連&お酒
 本日は実に久しぶりに夕食を作ってみた。作りながらちょっと不安になったが、あとは電子レンジで熱を通すだけになった。



A.トマトと玉ねぎのスープ(2人分)
 材料:トマト(中)2個、玉ねぎ(中)1個、剥き身のエビ・浅利適量、コンソメ1個、オリーブオイル小さじ1、粗びき胡椒適量。

1.トマト(中)を2個をそれぞれ2分の1に切る。
2.玉ねぎ(中)1個をに1センチ角未満に切る。
3.Bの料理で余ったむき身のエビ、浅利を数個分用意する。
4.2つのカップに切ったトマト・玉ねぎ及びむき身のエビ、浅利を半分ずつ入れる。
5.4の上にそれぞれ粉末にしたコンソメ1個、オリーブオイル小さじ1、粗びき胡椒適量を分けて入れる。
6.電子レンジ(600ワット位)で2つのカップを約10分加熱。
7.トマトの皮を剥いてスプーンで適当につぶして食卓へ。

B.鮭とハムのワイン蒸し(2人分)
 材料:鮭(切り身)2切れ、ハム6枚、キャベツの葉2枚、チンゲン菜の葉2枚、ニンニク(薄切り)1片分、ショウガ1片、塩・胡椒少々、剥き身のエビ6尾、剥き身の浅利6個、白ワイン50ml

1.鮭はひとくち大に切る
2.剥き身のエビ・剥き身の浅利と鮭を器に入れ、ワイン50mlに漬けておく。
3.ハムは4等分にする。
4.キャベツ・チンゲン菜は大きめにちぎる。
5.耐熱容器にキャベツ・チンゲン菜を敷く。
6.キャベツ・チンゲン菜の上に、鮭・剥き身のエビ・浅利・ハムを交互に並べる。
7.上からニンニク、ショウガの薄切りを置く
8.塩・胡椒を適量かける。
9.電子レンジ(600ワット)で2人分を約6分加熱し、火が通ったことを確認して食卓へ。

C.サラダ
 材料:A・Bに使った野菜(キャベツとトマト)のあまり、ハムのあまり。


【反省点】
Aについて
1.トマトは完熟でないと無理なので、缶詰のホールトマトまたはトマトジュースを利用した方が良い。
2.同じく玉ねぎは新玉ねぎの方が火が通りやすい。さらに5ミリ角程度に小さく切った方が良い。
3.コンソメは2個程度の方が味がついて良かった。
Bについて
1.鮭よりも白身魚の方がくどくない。
2.白身魚でも、ハムよりはベーコンの方が味にコクを加えることができた。
3.キャベツはもっと加熱しないと味が出てこない。(キャベツよりも火の通りやすい葉物野菜が合う)
4.キャベツの味が出てこないので、ワインだけでは味がうすかった。
5.魚とエビと浅利とハムというのは組合せがやはりよくなかった。組合せに工夫の余地もある。

 総じて、電子レンジでは野菜の味を引き出すには時間が短すぎるようなので、じっくり煮込むような調理法が必要であった。

 写真の左下がトマトスープ、皮を剥いてつぶすとスープは赤くとろみが出てくる。つぶすときにトマトの皮を剥いた方がよい。

 今回はいい出来ではないので、皆さんは参考にされない方が良いと思われます。恥を忍んで公開。





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「ハマの東海道」展

2014年04月20日 21時15分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 本日は横浜市歴史博物館へ「横浜市旧東海道魅力づくり事業連携企画『ハマの東海道』」展に行ってきた。
 横浜市内には旧東海道の宿が三つある。神奈川宿・保土ヶ谷宿・戸塚宿である。宿内だけで神奈川宿は6000人・1300余軒、保土ヶ谷宿は3000人・550余軒、戸塚宿は3000人・600余軒を超え、周辺の人口も含めると膨大な人口の経済圏を有していた。鶴見から街道沿いには三宿だけでなく鶴見・子安・芝生・境木など休憩所を兼ねた立場があり、ほぼ家並みが絶えるところはなかったといわれている。
 日本橋から40キロという一日の行程が戸塚宿までであり、陸上交通と海上交通の結節点、西から江戸を目指した海運の終着点・西国への出発点としての役割も果たしていた。また八王子経由の甲州街道の近道としても大きな交通の結節点であったと思われる。これが横浜開港の理由でもあった可能性も高い。
 今回の展示で私が一番興味をひかれたのは、神奈川宿のジオラマ模型。地形図をもとに当時を復元した模型だが、現在の街並みと比較しながら当時を想定できるすぐれものである。
 東海道53次全体を揃えた初代広重などの名所図会などは全体を見る機会があまりないだけに嬉しかった。広重がどのように構図に苦心しながら名所図会を改定していったかの過程もわかる展示となっている。浮世絵の歴史もうかがえる展示である。

         





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夏目漱石と西洋音楽

2014年04月20日 12時31分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨晩、夏目漱石と音楽の関係で私の感想を記載した。それはあくまでも私の体験に基づいて出来上がってしまったイメージである。漱石の小説世界と私の頭の中で結びついてしまったブラームスの曲想の連動が私にはある。

 しかし布団の中で実際に夏目漱石と西洋音楽との結びつきとどうなっているのかというのが気にかかった。
 私の情けない記憶では確か「三四郎」の中で美禰子の練習するヴァイオリンを三四郎が聞く場面があったと思う。また寺田寅彦がクラシック音楽に関心が強かったので、「猫」でも音楽会に出かける場面があったように記憶している。
 しかしともに作品をめくっていないので間違っていたらゴメンナサイだが‥。
 なお、西洋音楽ではないが漱石は謡曲を習っていた。これもあいまいな記憶だがとても聞いてられないものだったようで、鏡子夫人に酷評されたようだ。

 そんなことを思い出してネットで検索してみたら、こんなチラシがあった。すでに終了してしまった講演会と音楽会であるが、今から思うとこれは是非参加したかった。

      

 このチラシによれば、「野分」でも音楽会に行く場面があるとのこと。すっかり記憶から抜けていた。
 このチラシにある音楽会で演奏された「幸田延のヴァイオリンソナタ」を調べてみると、幸田延は幸田露伴の妹で、日本で最初のクラシック音楽作品とされている。現在の横浜平沼高校の校歌の作曲者(作詞は佐佐木信綱)とのことである。このことはそういえばそんなことをどこかで誰かに教えてもらったような記憶が微かに蘇ってきた。
 演奏会の曲目を見るとヴュータン、メンデルスゾーン、ドボルザーク、ショパンが並んでいる。
 ケーベルは漱石が東京帝国大学で西洋哲学を教わったラファエル・フォン・ケーベルのことで演奏家でもあった。

 夏目漱石とクラシック音楽ということを材料にしていろいろな論考や試みもなされるようだが、しかし当の漱石先生はどうも音楽についての感受性と素養は、お持ちではなかったように思える。ましてブラームスとはほとんど接点はなかったようだ。あくまで個人の勝手な連想だから一向に問題はないが‥。



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ブラームスの最後のピアノ曲集

2014年04月19日 21時10分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 久しぶりに棚から引っ張り出してきたのは次のCD。



ブラームス ピアノ独奏曲全集4 ピアノ:ピーター・レーゼル、1972・3年録音
3つの間奏曲(作品117)、6つの小品(作品118)、4つの小品(作品119)

 ブラームス(1833-1897)の死の三年前の、ソロピアノ曲としてはブラームスの最後の3つの曲集。こののち作品番号は122までしかない。

 このCDをかけるのは実に久しぶりである。1997年頃に購入して2回くらいしか聞いていない。
 演奏者についてはWikiでは「冷戦時のいわゆる“鉄のカーテン”の影響もあり日本を含む当時の西側諸国での知名度はさほど高くないが、その実力は一級品である。音楽評論家の大木正純はベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の録音について「ベートーヴェンを心から愛する人々には、これは一つの新しい、そして掛けがえのない宝物となることを信じて疑わない」と述べている。

 作品117の「3つの間奏曲」は実に静かに始まる。心を落ち着かせるにはいい曲集である。地味な曲なので、演奏会などではあまり弾かれることはないと思う。私のような性格の人間が一人で深夜に聴くにはぴったりではないかと思う。

 作品118の「6つの小品」も第3曲と第6曲が少し大きな音と躍動的なリズムで始まる以外静かである。

 作品119の「4つの小品」もゆったりした静かな曲である。クララ・シューマンあての手紙では第1曲について「この小品はとても憂鬱で、「きわめてゆっくり演奏すること」というのは、決して控えめな表現ではありません。すべての小節、すべての音符がリタルダンドのように聞こえ、すべての音から憂鬱が吸い込まれるかのように‥」と記されている。
 私はこの4つの小品の第2曲がとても好きだ。少しだけ明るいしなやかな曲想が垣間見える。しかし途中でまた闇の中に消えていくように静かに推移する。魅力的な曲である。繰り返しこれをきいてもいいと思っている。第4曲は全3曲と違いちょっと異質な感じで私の好みでないのが悲しい。ただしよく演奏される曲である。演奏会のアンコールなどには向いているとは思う。

 派手な演奏ではないのがいい。アクの強さや過剰な表現を避けていて、他の演奏家の演奏は聞いたことはないが、この演奏がわたし好みの演奏だと思っている。

 私のブラームス体験というのはちょっと変わっている。昔、20代の初めに夏目漱石の小説を読んでいた時、たまたまブラームスの交響曲2番が気に入って幾度も聞いていた時に重なる。それで何の根拠もないのだが、いつしか夏目漱石の小説世界、とくに後期の「行人」以降の小説群とブラームスの曲想が、私の頭の中でどういうわけか連動している。
 夏目漱石がブラームスの曲を好んだかどうかはまったくわからない。1900年のロンドン留学時に聴いたという話も無いようなのだが‥。もしも聞いていたらどんな感想を記したであろうか。



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連続の飲み会‥明日は自重

2014年04月19日 20時25分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は退職者会の総会。議長役をやる羽目になり、朝9時から正午まで。その後懇親会で16時まで、組合の会館で楽しく飲んでいた。
 これで18日、19日と連続して外で長時間飲んでしまった。明日は休肝日にしないとまずいようである。
 お金も昨日はだいぶかかったので、自重しないとおこずかいが無くなってしまう。
 ということでお酒ばかりの時間が多くなってしまって(ということを理由にして)、「歴史の中の大地動乱」(保立道久、岩波新書)がなかなか読み終わらない。次の本が待ち構えている。困ったものである。ちょいと気合を入れないとまずい。
 明日はおとなしく読書とウォーキングの時間とすることとしよう。本日は美術鑑賞の感想も、読書感想も、運動報告もない。

 ただしこのままでは眠れそうもないので、久しぶりにCDを漁ってみた。聞いたCDの感想は次回。




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久しぶりの雨

2014年04月18日 22時52分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに雨となった。夕方から出かけたが時間雨量1ミリに達しない細かい雨である。
 通りがかり人様から、イエローナイフの記事の続きの掲載が遅れていることを指摘された。御指摘のとおりで、忘れたわけではない。先週中に記載する旨発言していたのに約束を破ってしまっている。
 実は来週に参加者6名でお互いの写真交換会を予定している。それが済んでからと「楽な方に」考えが傾いてそのままになってしまった。別段来週にみんなで顔を合わせる前に書いても何ら問題は無いのだが、何となくずるずると先延ばしになってしまった。

 ということで来週中には記載する予定なので、お許しを願いたい。

 明日は朝から退職者会の総会。いつもよりずっと早めに家を出なくてはならない。早めに就寝することにした。





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「江戸絵画の19世紀」展

2014年04月18日 13時44分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
               

 4月12日(土)に府中市立美術館で開催している「江戸絵画の19世紀」展を見てきた。「江戸後期、19世紀は、手仕事としての技術と創意工夫が極限に達した時代」という時代認識のもとで、当時の状況を「伝統と限られた外国からの情報をもとに、自ら考え、独創的で精巧なからくり人形‥が生まれた」と把握している。
 このうよな視点から江戸時代の芸術、特に木版画や銅版画、絵画を見直そうというもの。同時にこの技術探究の時代だから「世におもねることのない作品は、技術の極みとは対照的な、心の表現の極みといえる」とも表記されている。
 18世紀には、今盛んに評価されている円山応挙、伊藤若冲、長澤蘆雪、曽我蕭白らが活躍したが、「奔走で創造的」と評されるがこの時代はどう見られていたのだろう。
 私などの40年以上前の学校では、この時代の芸術の特徴として、時代の終末ということと重ね合わせて「退廃的」とか「独創性がない」あるいは「人の眼を驚かすきわもの」といった評価が与えられていた。ということで実際の作品を教科書等で見ることもあまりなかった。ようやく最近再評価されるようになり、今回のような試みに繋がっているのかと思った。
 展示している作家は、葛飾北斎、歌川国芳、狩野芳崖、狩野一信、鈴木其一、鈴木守一、小林清親、歌川広重、谷文晁、歌川国貞、高橋由一などのすでに有名な人だけではない。私が初めて聞く、山本梅逸、田中吶言、安田雷洲、亜欧堂田善などの作品が並んでいた。
 残念ながら前後期に分かれた展示なので一部目に触れなかった作品もあった。
 時代や社会状況に引き付けて語るのは今回は不勉強なので、惹かれた作品を中心に感想を記すことにしたい。
 まずはチラシの表を飾る葛飾北斎の「木曽路の奥阿弥陀ヶ滝」。これは昔から面白い構図に惹かれている。滝つぼに大きく張りだして危険な岩の上で敷物を敷いて宴会をたのしむ2人と従者と思われる1人が火をおこしている中央左の描写が面白いというか、おしりが怖くてムズムズする。画面で次に目につくのが、滝の始まりの地点の水の溜まり口ともなる最上段の丸い水のかたまり。そこから滝は腕を広げて落下している。物理的にはこの枝分かれするような水の流れはあり得ない。だが妙にリアリティーがあり、人間のような存在感がある絵だ。張り出した岩の誇張された構図などはいかにも北斎らしい描き方に見える。
 次にチラシの4ページ目にある鈴木其一の「毘沙門天像」。このリアリティーある顔は、狩野芳崖の悲母観音にも通じるような顔立ちに見える。男性として描かれる毘沙門天だが、どこか女性らしさもある。このような顔がもてはやらされた時代だったかもしれない。
 チラシの最終ページの上部にある唖欧堂田善の銅版画「墨堤観桜図」の西洋画に学んだ遠近法、影の描き方、遠景の木や人物などはとても斬新に感じた。
 チラシには載っていないが高橋由一の絵画も宮城県美術館などで見るのとは少し趣の違う作品「墨水桜花輝耀の景」があり惹かれた。初期の作品だろうか、上記の亜欧堂田善のような雰囲気に見えた。
 狩野一信も2点あったが、作者名を見なくてもいかにもあの五百羅漢の絵の作者だと直感した。色彩・筆遣いなど変わらないものがあると感じた。

 西洋画の技法、構図、銅版画などの技法、西洋画の絵の具等が少しずつ社会に溶け込んでいく様子がよくわかる展示であったと思う。国芳だけが奇想ではないこともわかった。また狩野芳崖が突如光彩を放ったのではないことも理解できたように感じた。

 残念ながら初めに町田でピカソを見てしまって図録を購入したので、ここでは図録(2400円)には手が届かなかった。また気に入った作品のポストカードも無かった。プリンターの故障に伴ってスキャナーも今は我が家にはない。ピカソについてはコンビニを利用したが、やはり自分の家にある機械で時間をかけてスキャンする方が気持ちがいい。早く治って戻ってきてもらいたいものである。



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等々力と野毛(追記)

2014年04月18日 10時46分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 「等々力」の地名はこの小渓谷にある「不動の滝」の音が轟くことに由来するとパンフレットに記載してある。「とどろき」という地名は山梨県にも長野県、鹿児島県、栃木県、千葉県にもあり、普遍的な広がりのある地名である。長野県などの地名の由来では「郎等等力」(郎党等しく力を合わせ) 、「水が滞る」などの云われもあるようだ。千葉市では聯隊施設があり戦車や軍靴が轟いたことからつけられたとなっているが、真偽はわからない。
 世田谷区だけでなく川崎市にまたがる地名ということからすれば、渓谷の名称としては轟くかもしれないが、低湿地を含む地名であることを考えれば、一概に「轟く」という由来ではないようだ。川や水にちなむ地名であることのような気もする。

 一方の「野毛」も「のつけ」などに通じ、古く崖または突端を意味したことばのようである。世田谷区から川崎市にまたがるこの地名は、国分寺崖線の一部をなす地帯であることからも推察されるように、突き出た崖地と麓の湧水にちなんだ地名で、崖の上部と下部を含む地形をさすようである。そして世田谷区にある上野毛の高台は東急線の沿線開発に伴いは高級住宅地として有名であった。
 川崎側の野毛は府中街道と中原街道の分岐の直ぐ北側にあり、古くから人の集散する地であったと思われる。府中は秀吉の奥州仕置きで滞在したところのようで家康由来の地だが、この中原街道も家康が江戸に居を定めて入府するときに通ったといわれる街道である。中世から近世にかけては確実に交通の要衝であったと推察していいようだ。現在は交通の便のいい静かな住宅地としての佇まいに見える。
 横浜の野毛も、背後の野毛山等と関内側=大岡川沿いの崖下に広がる地帯を含んで、江戸時代には戸部村の出村としての野毛村の村名がある。
 昨日記載したように漁村としても海上交通と寄与してきたと考えられる野毛村だが、開港後は、東海道沿いの芝生(しぼう)村と開港地を結ぶ横浜道の要衝となった。また桜木町が初代横浜駅であったこともあり、関内の居留地に近い日本人の住む町としてにぎわった。戦後も関内周辺が接収されおなじように日本の物資が集まるところとして賑わった。横浜の港周辺の産業を底辺から支えた労働者の街でもあり、場末のイメージも漂うといわれた地域である。経済的には地盤沈下したといわれるが、それでも今も野毛は庶民の、サラリーマンの飲み屋街として親しまれている。

 世田谷の野毛、川崎の野毛、横浜の野毛、いづれも語源も地形もおなじような地区であるが、現在の地名が喚起する地域のイメージは随分と違っている。私も10代後半から30代末までは桜木町-野毛地区は随分と立ち寄った。
 10代前半の頃の桜木町-野毛地区は当時としては街も暗く、ちょっと危険な地域のイメージもあったが、大人になってここを通過することが多くなり親しみの湧く地域でとなった。無論野毛地区の飲み屋街という誘惑が多かったせいだが‥。
 40歳以降は所属する組合のビルが寿町に新設されたため、寿町-石川町地区に通うことが多くなった。横浜の野毛地区とは伊勢佐木町を挟んで反対側になる。
 しかし根岸台地の下という地形的な特徴は野毛地区と同じである。ここには開港時に外国船に水を供給したり、関東大震災時に市民に水を供給したという湧水が今でも崖沿いの切通し道に湧いている。吉田新田も開港地も、野毛の山と根岸の台地の間に挟まれている。ともに同じように崖と湧水に関わる地形にできた街である。
 野毛の山には開国を推進した井伊直弼の屋敷跡であり、根岸の台地は居留外国人の住居が並ぶ山手である。山の上に日本と外国人が対照的に居住し、ともに崖下には横浜を支えた労働者街が並ぶという地形的な構造に興味を惹かれる。



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等々力と野毛

2014年04月17日 21時42分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 等々力渓谷の記事を読まれた方がツイッターで感想を送ってくれた。
 「等々力渓谷も、国分寺崖線の一部をなしているようです。地図を眺めると、野毛・上野毛といった地名に興味をひかれます。」
 私が横浜にも「野毛」という地名があると伝えると、「上野毛・野毛は、多摩川を隔てた川崎市の下野毛と対をなしているようです。そう言えば野毛山公園は山(丘!?)なのでしょうか。横浜は不案内ですが、地形図を眺めるのも面白そう」
とのことが記載されている。

 私は急いで川崎市側の地図をみた。地形図は持ち合わせていないので都市図だけだが、確かに「下野毛」という町名が高津区の多摩川沿いにある。それだけではなく、隣接して「等々力」という町名も中原区に残っている。
 もう少し下流には大田区の下丸子があり、川崎側には中原区に中丸子・上丸子という地名もあり、今は多摩川を挟んで対岸にある。
 ここには知人がすんでいる小杉陣屋というところのすぐそばである。昔の中原街道と府中街道の分岐の宿場があったところである。宮内という地名もあり近くに鎮座する春日神社由来の地名であろう。往年の反映が偲ばれる。
 ひょっとするとここは江戸より前は多摩川が大きく蛇行していて、現在の川崎市側の下野毛、等々力、上丸子・中丸子は今の東京側だったのかもしれない。いつの頃か考古学者や歴史学者には既知のことかもしれない。またここらへんの多摩川の北側には古墳が多数ある。今でも東横線の多摩川の駅から等々力渓谷にかけて古墳が展開している。

 もともと江戸時代まで武蔵国と相模国の境界は多摩川ではなく、もっと南にあった。今の横浜市の港南区の北半分が武蔵国で南半分は相模国で、ここが境界であった。
 等々力渓谷は確かに崖沿いに湧水が並ぶ国分寺崖線の一部なのであろう。

 そして横浜市に今ある「野毛」であるが、ここは今の根岸線が走る関内地区の北側に江戸時代開かれた吉田新田の南端に位置する。吉田新田が出来るまでは野毛は漁村だけではなく横浜村への渡し場でもあり、海上交通の要でもあったようだ。吉田新田開発後は一層物資の集散地でもあったらしい。吉田新田の産物はここから江戸まで船が使われたのではないだろうか。
 そしてこの野毛は背後に丘を抱えている。今の掃部(かもん)山、御所山、野毛山を超えて戸部に出る。もともとは野毛は戸部村の出村であった。たぶんこれらの背後の山の下にひろがり、湧水が豊富に出ていたのではないだろうか。「野毛」という地名はそのような地形由来ということを聞いたような気がする。(間違っていたらゴメンナサイ。)



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