町田市立国際版画美術館での「パブロ・ピカソ-版画の線とフォルム」展はなかなか見ごたえがあった。展覧会の副題にまで言及できる能力は無いが、私なりに気に入った作品を取り上げてみる。
この「貧しき食事」(1904)は友人の肖像とも自身の貧しい現実の反映とも言われているようだ。ごく初期の作品として有名だ。以上に長い指、盲目の男、極めて貧しい食事内容、そして版画の銅版が購入できずに譲り受けた版画用の板をきれいに消しきれずに全所有者の風景画が背景の壁に残っている点などが有名だ。
妙に艶めかしい女性の肢体、別々の方向を見る男女だが男の指が親密な関係を表している。
私はテーブルクロスの皺が昔からとても気に入っている。決して平たんではなさそうなふたりの心の襞を想像させる。男と女の明暗が面白い。男には不安がどこかに潜んでいるようだ。
武者小路実篤に贈られたことで有名なこの「ミノタウロキア」(1935)は、牛頭人身の怪物ミノタウロスと闘牛を意味するタウロキアの合成語とのことである。不思議な絵で、いまだに様々な解釈がされるているとのこと。この作品7つのバージョンがあるようで、これは最後のものとのこと。
54歳のピカソが最初の妻と別れる年でもあり、性・破壊・暴力・怪物などの独特のイメージが凝縮している。しかしさまざまなイメージやシンボルが混在していても統一的な主題、主張となっていないと思う。
盲目のミノタウロス、胸を露わにした女性と馬、蝋燭と花束を持ってミノタウロスを導いている少女、梯子を上るキリストらしい男、窓から覗く二人の女性、船らしいものが浮かぶ水辺‥どれもが何を象徴しているのかわからない。悪魔的なミノタウロスと聖性を示しているのであろう少女、倒れた偶像のような裸の女性、無力なキリストは第二次大戦直前の不安なヨーロッパの政治状況の反映と見ることもできるかもしれない。かといって少女には何が投影されているかは分からない。では窓枠の二人の女性と水辺は何の象徴であろうか。
この作品を見るたびに私のイメージは毎回同じように堂々巡りをする。そしてわからなくなってそのままに放置をする。いったい何回同じことを繰り返したであろうか。
「ダヴィデとバテシバ」(1949)は全部で11のバージョンがあり、今回9つのバージョンが展示されている。ルーカス・クラーナッハの同題の作品(1526)をもとに、具象的な描き方から次第にピカソ特有の造形に変化していく過程が面白い。他にもこのように変化していく過程がわかるものがいくつかあり、とても興味深かった。この作品では私はここに掲げた今回展示されているものでは最後のバージョンが一番気に入った。第2以降は黒が優っているのだが、白黒のバランスはこれが一番落ち着いて見える。
ダヴィデの横の人物がより具象的になり、左下のバテシバの足を洗う女性の乳房がより白く強調され、さらにバテシバの顔から、後ろの侍女の顔へと左上にのぼっていく白い流れ、ダヴィデの周囲から左回りの視線の流れが面白い。また洋服や壁や植物の葉の白い線状の模様もこのバージョンが一番はっきりしている。これが完成作品とみてもいいように思えた。乳房の強調は原画にはない、ピカソ特有のこだわりらしい。
この「鳩」(1949)は第一回世界平和会議のポスターとして制作されたとのこと。葉とは少年時代からピカソが好んだものらしい。パリに在住し続けてて戦争の終結を待ったピカソは戦後共産党に入党し、この会議に担ぎ出されたりした。この辺は私には理解できないところであるが、その奔走な作品にも関わらず、その死まで党員であったらしい。
しかしこの「鳩」、版画とは思えない表現である。鳩に対する思い入れ、戦後のピカソの安定した時代を象徴しているのかもしれない。
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