Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「関内桜通り」のヤエザクラ

2014年04月17日 19時57分26秒 | 山行・旅行・散策
                  

 4月13日に見かけた「関内桜通り」(通り名としてはこれが正しいらしい)にヤエザクラを見に出かけた。ちょうど散り始めたばかりのようで、まさに見ごろという状態であったのがうれしかった。気温もとても暖かく風も弱く花見日和。見に訪れた人もいたが、近くに努めるサラリーマンが楽しんでいた。かなりピンクの色が強いヤエザクラが多かった。幾本化は白い花と赤い花が混在して咲いていた。また歩きには「オオシマザクラの関山(カンザン)」という紙が張り出されていたが、これが全体を指すのか、この木だけなのか判然とはしなかった。
 どの木の花も大きな房が印象的であったが、こんなにジックリと鑑賞して歩いたのは初めてであった。
 私は「関内桜道」という地図の表記が正しいと思っていたが、現地では「関内桜通り」と表記されていた。いつも通っていたのだが、知らなかったのは恥ずかしさを感じた。
 今年になって街路灯をステンドグラス風にデザインしたものが設置されたが、この見事な花に押されてあまり目立たなかった。高さも低い。これはこの満開の花が散った後に目立ってくるデザインに思えた。デザインの良しあしは花の後に判断して良さそうである。
 ミラーレスのカメラを久しぶりに使ってみたが、設定が少々変であったのに後から気が付いた。すでに撮影済みだったので色の具合が変なのは勘弁してほしい。

 この通りを歩いた後に、再び横浜公園に出向いてチューリップを前回に引き続き見てきた。今回のスナップは角度を変えて、花の芯を写してみた。

         





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等々力渓谷

2014年04月16日 20時28分28秒 | 山行・旅行・散策
              

 20代の後半に訪れた等々力渓谷。35年程ぶりに訪れてみた。私も妻も訪れたということだけは覚えているが、何を見たか、何があったかについては等々力不動尊の赤い幟旗以外ほとんど記憶がない。

           

 等々力渓谷を等々力駅から歩きはじめ途中等々力不動尊、日本庭園を訪れ、終点の矢川橋まで歩いた。約1キロほどの距離を歩いたと思われる。

   

 今回訪れて「こんなに短い距離だったかな?」ということと「等々力不動尊はもっと小さなお堂だけだったのではなかったか?」という二つの感想であった。これは二人とも同じように感じた。とくに等々力不動尊がこんなにりっばなお寺だとはまったく予想していなかった。当時は階段を登らずに通り過ぎていたのかもしれない。



 等々力渓谷内は、シャガの花やヤマブキが咲き、新緑が輝いていた。シダレザクラはもう散っていたが少しだけ花が残っていたのがうれしかった。日本庭園では白いシャクナゲも美しかった。

         
  
 等々力渓谷を出た直後にはヤエザクラも美しく、またアカバナマンサクを初めて見ることができた。
 近くにある野毛大塚古墳は残念ながら却下となった。今度は一人で訪れることにしよう。

 矢川橋からは多摩川堤防まで歩き、堤防に沿って綱島街道まで至り、多摩川を渡って新丸子駅まで歩いた。この距離はかなりあり、歩きでがあった。約10000歩ほどであったろうか。
 風が強かったが、心地良い日差しを受けながら堤防で咲いているヤエザクラなどを楽しんだ。

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危機一髪

2014年04月16日 11時13分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は日吉で所用を済ませたのち、新丸子駅前で美味しい鴨せいろを食べたのち、綱島街道をひたすら南下して菊名駅まで歩いた。約8キロほどであろうか。日差しが強く、かなり暑かった。
 以前に横浜駅から歩いて途中休憩した川崎市の中原平和公園前を通った。横浜駅から武蔵小杉駅の先まで17キロの震災訓練。連合主催の帰宅困難者向けの歩行訓練であった。これを二年続けて参加していたら、三年目にあの大震災に遭遇して、妻は青山から横浜駅近くの我が家まで歩いて帰る経験をした。私も本郷台駅から歩いて帰宅した。この訓練、歩きとおすことについて自信をつけるいい契機となったと思っている。企画者に感謝しなければならない。

 多摩川べりの新丸子駅からこの中原平和公園を経て、日吉駅手前で横浜市内に入り、綱島駅で鶴見川を越え菊名駅に至った。相変わらず菊名駅前は狭く、車に怯えながら駅にたどり着かなくてはならない。

 しかし菊名駅について、喫茶店でコーヒーを飲んで休憩しようと店内に入ってからお金が200円しかないことに気付いた。マスターに笑われてしまったが、危機一髪、注文する前で助かった。謝りながら慌てて店を出た。
 お昼に鴨せいろと一緒にグラスビールを飲んでしまったのがいけなかった。電車やコンビニは電子マネーで支払いができるのだが、現金を使い果たしていた。情けないというか、悲しい。

 本日は好天気とのこと、等々力渓谷にでも行ってみることにした。



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「パブロ・ピカソ-版画の線とフォルム-」展(その2)

2014年04月15日 22時57分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 70代後半のピカソは南フランスで過ごす。この時期リノカットという独自の技法を獲得してから、ピカソの版画は色が溢れるように湧き出てくる。闘牛と女性と馬という主題が繰り返し出てくる。
 「バッカス祭」(1959)。バッカス神は豊穣、葡萄酒の神で収穫の祝祭の神でもある。人々が酒や饗宴に酔い痴れ踊り続ける様は古来から描かれてきた。空と地面の青を基調とした版と、地面と踊る人間・動物の黒と茶を基調とした版の二つに分割された版からできているとのこと。空の白と青の紋様に私はとても惹かれた。このような空の表現に自由奔走な画家の感性を感じた。



 「草上の昼食」(1962)はマネの「草上の昼食」を下敷きにしたもので、油絵、パステル画、デッサンなど様々な表現で繰り返し描いている。人物が元の絵よりも大胆に性を表現している。元の絵では男性もいたが、ピカソは女性だけにしてしまったようだ。しかも先ほどの絵とは違って今度は黄色と赤が氾濫するように溢れている。
 マネの絵はこんなにも激しく、艶めかしく、そして奔走ではなかった。時代の変化でもあり、思想の変容でもある。20世紀の激しい時代の変化を感じる絵ではないだろうか。そしてピカソという人物の性に対するこだわりを感じる。

   

 二つの「ランプの下の静物」(ともに1962)は私はとても完成度の高い作品に思えた。激しい情念や体の動きは影をひそめ、明るい電燈のもとでね静物が存在を誇示している。少しだけ飛び跳ねてひかえめな動きを見せているのかもしれない。グラスと思しき器も光を享受している。ピカソという人物の安定した精神状態を表しているように見える。妻ジャクリーヌとの平穏な生活を思わせるものがある。

 これらの作品、いかにもピカソという側面を見せてくれる。特に色の豊穣な氾濫に私は圧倒された。とても充実した時間を過ごしたように感じた。

 実は最晩年の1968年には300点を大いに超えるエロティックな女性を描いた銅版画でピカソは有名になるが、今回はこれらの作品は展示されていなかった。評論家には酷評された版画であるが、本人はいたって真面目に作成したといわれている。版画作品としてはピカソを語るに欠かせない作品らしいので、私は期待していたが、残念であった。別の機会に期待しようと思う。



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「パブロ・ピカソ-版画の線とフォルム-」展(その1)

2014年04月15日 20時53分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 町田市立国際版画美術館での「パブロ・ピカソ-版画の線とフォルム」展はなかなか見ごたえがあった。展覧会の副題にまで言及できる能力は無いが、私なりに気に入った作品を取り上げてみる。



 この「貧しき食事」(1904)は友人の肖像とも自身の貧しい現実の反映とも言われているようだ。ごく初期の作品として有名だ。以上に長い指、盲目の男、極めて貧しい食事内容、そして版画の銅版が購入できずに譲り受けた版画用の板をきれいに消しきれずに全所有者の風景画が背景の壁に残っている点などが有名だ。
 妙に艶めかしい女性の肢体、別々の方向を見る男女だが男の指が親密な関係を表している。
 私はテーブルクロスの皺が昔からとても気に入っている。決して平たんではなさそうなふたりの心の襞を想像させる。男と女の明暗が面白い。男には不安がどこかに潜んでいるようだ。



 武者小路実篤に贈られたことで有名なこの「ミノタウロキア」(1935)は、牛頭人身の怪物ミノタウロスと闘牛を意味するタウロキアの合成語とのことである。不思議な絵で、いまだに様々な解釈がされるているとのこと。この作品7つのバージョンがあるようで、これは最後のものとのこと。
 54歳のピカソが最初の妻と別れる年でもあり、性・破壊・暴力・怪物などの独特のイメージが凝縮している。しかしさまざまなイメージやシンボルが混在していても統一的な主題、主張となっていないと思う。
盲目のミノタウロス、胸を露わにした女性と馬、蝋燭と花束を持ってミノタウロスを導いている少女、梯子を上るキリストらしい男、窓から覗く二人の女性、船らしいものが浮かぶ水辺‥どれもが何を象徴しているのかわからない。悪魔的なミノタウロスと聖性を示しているのであろう少女、倒れた偶像のような裸の女性、無力なキリストは第二次大戦直前の不安なヨーロッパの政治状況の反映と見ることもできるかもしれない。かといって少女には何が投影されているかは分からない。では窓枠の二人の女性と水辺は何の象徴であろうか。
 この作品を見るたびに私のイメージは毎回同じように堂々巡りをする。そしてわからなくなってそのままに放置をする。いったい何回同じことを繰り返したであろうか。



 「ダヴィデとバテシバ」(1949)は全部で11のバージョンがあり、今回9つのバージョンが展示されている。ルーカス・クラーナッハの同題の作品(1526)をもとに、具象的な描き方から次第にピカソ特有の造形に変化していく過程が面白い。他にもこのように変化していく過程がわかるものがいくつかあり、とても興味深かった。この作品では私はここに掲げた今回展示されているものでは最後のバージョンが一番気に入った。第2以降は黒が優っているのだが、白黒のバランスはこれが一番落ち着いて見える。
 ダヴィデの横の人物がより具象的になり、左下のバテシバの足を洗う女性の乳房がより白く強調され、さらにバテシバの顔から、後ろの侍女の顔へと左上にのぼっていく白い流れ、ダヴィデの周囲から左回りの視線の流れが面白い。また洋服や壁や植物の葉の白い線状の模様もこのバージョンが一番はっきりしている。これが完成作品とみてもいいように思えた。乳房の強調は原画にはない、ピカソ特有のこだわりらしい。



 この「鳩」(1949)は第一回世界平和会議のポスターとして制作されたとのこと。葉とは少年時代からピカソが好んだものらしい。パリに在住し続けてて戦争の終結を待ったピカソは戦後共産党に入党し、この会議に担ぎ出されたりした。この辺は私には理解できないところであるが、その奔走な作品にも関わらず、その死まで党員であったらしい。
 しかしこの「鳩」、版画とは思えない表現である。鳩に対する思い入れ、戦後のピカソの安定した時代を象徴しているのかもしれない。




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横浜公園のチューリップまつり

2014年04月13日 17時11分54秒 | 山行・旅行・散策
 本日は横浜駅西口のすぐ近くにある沢渡(さわたり)中央公園と横浜スタジアムのある横浜公園に出かけた。

   

 沢渡中央公園では、大きな真紅のシャクナゲが毎年咲く。以前はもっと数があったように思っているが、今では一群5本だけである。しかし気持ちよく咲いている。妻と二人でおにぎりを食べながら、しばらく見入っていた。
 日曜日であったが、曇り空で昨日よりは少し気温が低かったせいか、家族連れは少なかった。いつも休日は広い芝生の上でお弁当を広げる小さな子供連れが多いのだが、静かであった。

            

 関内駅前の横浜公園は、ベイスターズの試合もあり、さらに「よこはま花と緑のスプリングフェア」と「チューリップまつり」が開催されていて、混雑していた。
 チューリップは毎年のことであるが、いつも見事に咲いている。フェアの会場でシャクナゲや山野草などさまざまな花を売っていたが、結局は購入しなかった。シャクナゲは何年か続けて購入したが、翌年になるといつも咲かずにシーズンが終わってしまう。咲かせるのはなかなか難しいようだ。



 例年見に行くことにしている関内桜道のヤエザクラは咲き始めているが、まだ見ごろは先のようである。来週あたりが見ごろかもしれない。
 実は毎年見に行くのだが、どうしてもこの隣の通称ベイスターズ通りがこのヤエザクラの通りだと思い込んでいた。もう10数年思い込んでいる。先ほど見て来て一本違っていたのだが、このままではきっと来年もまた「ベイスターズ通り」といってしまうかもしれない。そういえば過去にも何度か間違っていたと、思い返していたのだが一度思い込んだら、記憶に刷り込まれてしまったらなかなか訂正がきかないようだ。妻も同じことをいっている。夫婦そろってどうにかしているようだ。




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府中市

2014年04月13日 11時54分22秒 | 山行・旅行・散策
 昨日訪れた府中市美術館は、南武線の府中本町駅からあるいて約30分位であったろうか。東府中駅、府中駅、武蔵小金井駅からバスは出ているが、歩くのが好きな私は最初から府中本町駅から歩くことしか考えていなかった。
 府中本町駅を下車して大国魂神社の境内を通って府中駅まで歩き、小金井街道をたどって「府中の森公園」の中にある美術館まで歩いた。初めての道は長く感じるものである。
 「府中」という地名からは当然武蔵の国の国衙の所在地であったと思われる。この神社は名前の由来からして総社と思われたが、はたして次のような看板があった。



 しかしこの看板には「第12代景行天皇41年(111年)創立」と記載されている。よく見ると大国魂神社と府中市観光協会の連名である。神社が神話の段階の記紀の記録で記載するのは許されるのかもしれないが(私は「‥と書紀には記載されている」あるいは「神社の由来には」と書くべきであると思うが)、府中市観光協会の名で由来の根拠も書かずに断定的にこのような記載はいかがなものであろうか。
 社殿は新しい感じで、明るい。管理も行き届いている。社殿の写真は残念ながら夕方近くなっていたので撮影するゆとりがなかった。



 この神社、とても広い境内と立派な参道が大きな欅が植えられている。これはなかなか立派なもので、この維持管理は大変な労力・予算がかかるようだ。
 府中の中心街を貫いている参道は欅の周囲に石垣も組んでいる。なかなか壮観である。この石垣に囲われた欅の木や、源義家の石碑なども撮影すればよかったが後のまつり。この次に訪れる機会があれば‥いいのだが。

      

 府中本町駅のすぐ横に遺跡の発掘現場があり、看板が出ていた。
 「府中」という名前があることから、国衙跡はすでに発掘済みなのかと思っていたらまだこれからのようだ。家康御殿についても同様に考えていた。
 今後の発掘の成果を期待することにしよう。



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町田市立国際版画美術館並びに府中市美術館

2014年04月12日 21時27分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は、欲張って町田市立国際版画美術館と府中市美術館を訪れた。
 町田市立国際版画美術館では「パブロ・ピカソ-版画の線とフォルム-」、「華麗な花の饗宴『フローラの神殿』」を見、府中市美術館では「江戸絵画の19世紀」を見てきた。

   

 町田の美術館は本日は無料観覧の日ということになっていて、企画展も通常展も無料といううれしい日であった。
 「パブロ・ピカソ」展は、ピカソ(1881-1973)が20代前半の1904年からの銅版画、第二次世界大戦後の60代後半からのリトグラフ、最晩年の1960年代後半以降のリノカットという技法を編み出して以降の作品を展示している。
 同時開催の「華麗な花の饗宴」展は、イギリスのロバート・ジョン・ソーントン(1768-1837)の「フローラの神殿」という植物図鑑。多色刷りの銅版画である。

   

 府中市美術館は、町田のようには無料ではなかったが1800年以降から明治に入った1968年直後までの江戸末期の絵画(版画)作品を集めたもの。葛飾北斎、歌川国芳、狩野芳崖、鈴木其一、歌川広重、谷文晁、歌川国貞、小林清親、高橋由一、狩野一信などの作品が並んでいて壮観。初めて名を聞く亜欧堂田善、安田雷洲などの作品にも目を見張った。
 併設されている牛島憲之記念館で牛島憲之という画家の作品も合わせて鑑賞してきた。

 スキャナーを兼ねたプリンターが故障しているので、明日にでもコンビニでピカソの図録や企画展のチラシなどをスキャンしてから感想をアップすることとしたい。

 しかし町田、府中を横浜からふたつを訪れるのはなかなか大変であった。行きは横浜市営地下鉄・横浜線・小田急・南武線と乗り継ぎ、帰りは南武線・東横線と乗り継いだ。それぞれ駅から徒歩で往復30分、60分かかる。いい運動になった。




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春休みも終わり

2014年04月11日 21時27分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日よりもかなり寒い一日となる、との予報であったが私は特に寒く震え上がるような気温ではなかったように感じた。
 昼間日が当たればそれほどの寒さを感じなかったし、風も強風注意報が出ていた割にはたいしたものではなかった。
 4月はいつも申し込んでいる講座がまだ始まらない。今年度申し込んだ講座は5月に入って連休が終わってからである。
 学生時代は宿題は無かったが春休みは短くて不満であった。ところがこの歳になって4月いっぱい講座が開始とならないのは退屈なものである。要するにわがままなのである。短ければ短いで文句があり、長ければ長いで不満がある。困ったものだ。 

 春休み、入学は季語としてあるが、ちょっと子どもの仕草が生々しすぎるためか、いい句を作るのは難しいと云われたことがある。

・春休みの運動会を鵜があるく  加藤楸邨
・川幅は水の幅なり春休み  早乙女信
・二階より雪の山見て春やすみ  星野麥丘人
・入学の朝ありあまる時間あり  波多野爽波
・これはさて入学の子の大頭(つむり)  山口誓子

 プリンターが先ほど急に止まってしまった。元に戻らない。「修理依頼を」と取扱説明書に記載されているコードが表示されている。困ったものである。メーカーに直接依頼せざるを得ないようだ。保証期間ということにしてもらいたいものである。



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いやな気分

2014年04月10日 22時21分40秒 | 読書
 先日岩波書店の「図書」4月号から高村薫の文章を引用させてもらったが、この「図書」を廃棄する前にもう一度パラパラをめくってみた。普段読むこともない赤川次郎の連載がふと目に留まった。冒頭部分に「オリンピック」という言葉、ちょっと目を凝らすとそのオリンピックに否定的な文章が目に入ったからだ。ただし今回私が取り上げる文章はそれではない。

   

 そのページの下の方には「(日本の)マスコミの人権意識の低さは、かつて石原慎太郎知事の女性蔑視、同性愛者差別の発言への沈黙で際立っていた。特に「人権問題」に関する暴言に見て見ぬふりをしてきたことが、ヘイトスピーチやNHK会長らの発言となって、世界中の非難を浴びることになっているのだ。国会を無視した安倍首相の「独裁者気取り」は、欧米から見れば異様だろう。」「大学生の四割以上が「読書時間ゼロ」‥「反知性」ですらない、知への無関心。これこそ独裁者にとっては理想的な若者たちだろう。」と記されていた。
 なかなか的を得ている文章に見えた。とりあえずこの文章も掲載しておこうと思った。そしてこの文章は「アンネの日記」の毀損事件にも触れている。今の安倍首相に代表されるような政治状況が無関係とは言えない状況に触れている。
 そして末尾に「人が人を支配する。その快感こそが、世界で戦争が絶えない原因である。」これはかみしめたい言葉である。

 ただし表題の「知性が人を人間にする」というのはいかがなものか。これには私は異存がある。つぎのように言い換えたい。「考えようとする力が人を人間にする」と。確かに「知」への無関心、「知」の否定は忌むべきである。しかし人間が人間である本質は「誠実にものを考えようとする力」であると思う。知性とは、読書量でも学問でも学歴でもないという前提かもしれないが、単純に「知性が人を人間にする」と断定してしまっていいとは思えない。人間の価値を決めるのは断じて学歴や読書量や学問ではない。「誠実にものを考えようとする努力」これが人間の価値を決めるのである。「知性」とはそのような人間の本質ともいうべき努力を体系立てて普遍化しようとする志向でなければならない。

 私は、STAP細胞の一連の報道を見て「マスコミファシズム」ということばを思い浮かべた。出る杭をひたすら叩くことしか意識がいかず、あの論文を審査した理化学研究所の体質、あるいは若い学者を拙速に処分することを理化学研究所にはやし立てるマスコミ報道を見て、私はとても恐ろしい社会を見せつけられた気がしている。「誠実にものごとを考え」報道しようとする姿勢にはとても思えない。それこそ「知への無関心」のかたまりのような報道であったと思う。「誠実にものごとを考えよう」とすればあのような報道の在り方とは別の報道があったと思う。
そしていつのころからか「素早い対応」ばかりを追い求めることが「正しいこと」「求められること」とされるようになった。
「素早い」とは裏を返せば「拙速」「無責任」「将来展望抜き」「蜥蜴の尻尾切り」であることへの近道でもある。「誠実にものを考える」こととは正反対の思考のように私には思えるのだ。



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散る桜を見に‥

2014年04月10日 18時44分54秒 | 山行・旅行・散策
 昨日ウォーキングの途中で見た新横浜駅前の鶴見川沿いのサクラ。本日の暖かな陽気に誘われて、午前中から妻と二人で見学に行った。
 まずは自宅から地下鉄で二つ先の駅まで約3キロを歩きながら、周囲の団地や住宅地、市街化調整区域の畑・雑木林などの花木を楽しむことができた。ヤエザクラ・ハナミズキ・カイドウ・ヤマブキ・スオウ・ユキヤナギ・ボタン・ドウダンツツジ・シャクナゲなどさまざまに咲き誇っていた。雑木林の新緑も美しく目に映った。



 そののち地下鉄に乗り、新横浜駅で鶴見川沿いの公園を散策した。途中サラリーマン向けの路上販売のお弁当をひとつ購入してベンチで若いサラリーマン達に混じって昼食休憩。6対4で私の方が余分に食べたが、一人ひとつの弁当はとても食べきれそうもない。のんびりと多分今年最後のソメイヨシノの落花の中でくつろぐことができた。

 午後は所用があって日吉へ出かけたが、今咲いているサクラはなかった。ヤエザクラが咲き始めたばかりであった。
 夕刻になって風が出てきたので週末にかけてほとんど散ってしまうに違いない。いよいよヤエザクラとツツジが咲き誇る時節になったようだ。

 昨日50円切手で投函してしまったハガキ、本日夕刻に差出人である私の家に戻ってきた。消費税の不足郵便は戻すことに決まっているのだろうか。宛名の方に迷惑をかけなくてホッとすると同時に、この律義さに何となく不思議な気分になった。




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腑に落ちないハガキ52円

2014年04月09日 21時30分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど友人にオーロラツアーで撮影した写真をハガキに仕立てて投函した。ところが郵便料金はハガキが4月1日から52円になっていることをすっかり失念して、50円切手だけを貼って投函してしまった。ポストに手を突っ込んで回収するわけにもいかない。戻ってくれば問題ないが、配達先で2円の請求をされると困ったことになってしまう。これはどうなるのだろう。チョイと焦っている。
 1通だけだったからまだなんとかなるが、予定の26通を出した後だったら、と冷や汗をかいた。

 しかし80円が82円、90円が92円というのは消費税率からみて、元値÷1.05×1.08で理解できる。しかし50円が52円というのは、どうして51円でないのか理解に苦しむ。120円、140円の定形外が据え置きだからというのだろか?それは理屈に合わないと思うが‥。
 50円というのがもともと安いのだから、というのは筋が違う。料金改定と消費税対応は別の話であろう。たかだか1円の話だが‥されどどうも腑に落ちない。


 本日のウォーキングは自宅から新横浜の労災病院前まで行って折り返した。片道ちょうど1万歩だから往復で13キロほど。折り返し点の傍のコンビニで昆布のおにぎりとお茶で昼食。
 新横浜駅の鶴見川沿いの公園の桜はまだ見ごろが続いている。13時半くらいに到着したが近くの会社員がカメラをもって多数散歩をしたり、小さい子を連れた家族連れがお弁当を食べたりと、土日にはない静かな花見を楽しんでいた。お酒もない、喉かな花見。いい雰囲気であった。
 途中の環状二号線の歩道は主婦と思しき女性がかなりジョギング・ウォーキングに励んでいた。広い歩道で人の通行も少なく、ジョギング・ウォーキングにはとてもいい環境である。樹木も多く、車の通行は気にならない。
 久しぶりに気持ちのいい汗をかいた。太ももの疲労感が何とも心地よい。少しずつジョギングを交えていこうと思う。



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久しぶりにウォーキング

2014年04月09日 10時59分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 クシャミと水っ洟の症状はおさまった。昨日鼻を5~6回かんだ程度で済んだ。本日もとても楽。日曜の夜から月曜日一日の苦しかった状態がまるで信じられない。

 本日は昨日に比べ午前中の気温は少し低めだが、風もないようで静かな一日となりそうである。体調も良くなったので、久しぶりに10キロ超のウォーキングで汗をかいてみようと思う。
 体調の回復してから長い距離を久しぶりに走ったり歩いたりするときは、慣れた道がいい。体調を見ながら気分的にゆとりがある。テンポなどもコントロールしやすい。さらに休むところ、コンビニなどの情報がインプットされている。




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野見山暁治「四百字のデッサン」

2014年04月08日 23時31分04秒 | 読書


 日曜日に横浜駅の傍の有隣堂でふと目について「四百字のデッサン」(野見山暁治、河出文庫)を購入した。
 野見山曉治という人の名は私は馴染みは無い。現役の90歳を超える画家であることと、田中小実昌の義兄であることくらいしか知識は無いのだが、目次を見ると「戦争画とその後-藤田嗣治」「巨匠の贈りもの-坂本繁二郎」「同級生-駒井哲郎」「「自由美術」の画家たち」「「荒地」の詩人たち」などが並んでいて、思わず購入した。
 藤田嗣治の思い出については「戦争画」について私の頭がまだまだ整理されていないので記述は遠慮する。しかし私の好きな坂本繁二郎の終戦直後のエピソード、「自由美術」に集った画家達、特に絵から想像すると謹厳実直に見える麻生三郎の酩酊の有り様、「荒地」派の詩人たちのエピソード、特に田村隆一と中桐雅夫の掛け合い、北村太郎の風貌など興味深く読んだ。
 自分の好きな詩人や画家のエピソードは知りたいものである。本日一気に読み終えた。

 野見山曉治という画家、この「四百字のデッサン」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したという。文章は書きなれているとは思うが、ところどころに文章の破たん、意味の通じないところがあるのが何とも言えずいいところだ。画家が書く文章というのは、自分の作品について言及したのは敬遠したいが、他の画家のエピソードや評は私には刺激的である。
 この文章のとおり、作品も私に大きな刺激を与えてくれるように期待したい。いつか野見山曉治という画家の作品をじっくりと見てみたいと思う。

 洲之内徹は「ゆめまぼろしのごとくなり」の中で、
「対象から生まれる最初のイメージを画面に描き、すぐ、また、そのある部分を塗り潰し、押え、描き起ししながら、最終的なフォルムに近付いて行く。画面が刻々と変化し、推移するが考えてみれば、動き続けているのは野見山さんのイメージの方なのだ。「走っている今の時点にしか<私>はいない」と、絵の中でも野見山さんは言っているのだった。」
と書いてある。
 私は野見山曉治という画家の作品をじっくりと見たことは無いので、なんとも言えないが、絵を見てこんな評を書いてみたいという気持ちになった。

≪追記≫
 コメント欄で葦原の山姥様に指摘をしていただき、想い出した。テレビ番組で無言館のことを放映したときに、野見山曉治という名が出ていた。大事なことをすっかり忘却していたようだ。戦没画学生の遺作の収集・保存に尽力し、「無言館」設立へ繋がったということであった。ここは訪れてみたいところである。
 2011年にブリヂストン美術館での「野見山曉治展」は残念ながら日程が合わずに見に行けなかったことも思い出した。図録は販売しているかもしれない。
 



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花粉症?の症状、おさまる

2014年04月08日 10時27分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日の夜から昨日の夜までの症状はひどかった。クシャミと水っ洟、そしておもっ苦しい頭、鼻のムズムズ感がつらかった。汚い話だが、水っ洟は出てくるときは大量で、突然服に垂れる。あるいは歩いていると家の中の床やテーブルに容赦なく落ちてくる。雑巾をもって拭いて回らなくてはならなかった。そのためにかがむとさらに垂れてくる。食事も上を向いてした。セキセイインコの籠を掃除をしたが、籠の中にも垂れてしまい、セキセイインコにはかわいそうなことをした。
 墓参りの途中は薬が効いていたためか水っ洟は垂れてはこなかったが、頭のおもっ苦しさはひどかった。カメラでサクラを撮影したが、カメラを構えるのもつらかった。

 しかし昨日の夜、薬を飲む時間になってもクシャミも水っ洟も出なくなった。薬を飲まないで済めばその方がいいので、貰ってすぐに昼前に飲んだだけで昨日はそのまま就寝した。
 今朝になってみても、クシャミは出ない。水っ洟もほとんど垂れてこない。朝食時に少しだけ出ただけである。だから薬の服用もやめてみた。1日2回服用するよう指示された薬はまだ1回服用しただけだ。

 一昨日、昨日のあの突然のひどい症状は何であったのだろうか。風邪か何かの前段症状だったのだろうか。あるいは今の状態は何かの中休みの症状なのだろうか。不思議である。
 あの症状がもし花粉症なら、花粉症というのはこんなにつらいものかということを実感した。何しろ物事が手につかない。何事をしようにも気力がわかない。外に出て体を動かすこともできない。集中力がでないから読書もつらい。ブログの文章を作る気力もなかなか湧かなかった。
 花粉症ではないが毎年梅雨時に布団や押し入れのカビの匂いを嗅ぐとクシャミが止まらなくなる。しかし、こんなにひどいことにはならない。カビの匂いから離れれば15分もかからずに症状はおさまる。
 しかし花粉症というのは花粉からは逃れることはできない。多くの人がこれと長年付き合っているのかと思うと、すごいことだと思った。

 さて今日一日、様子を見てから具合が良ければ明日あたりからウォーキングを開始しようと思う。オーロラツアーに出発してから満足に体を動かしていなかったので楽しみである。





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