Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

家電量販店で品定め

2017年02月25日 10時04分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は朝から痛みがなかなか取れなかった。腰痛体操を2サイクル行ったが解消されず、足を引きづるようにマッサージと鍼・灸を受けた。腰痛体操を念入りに行ってから出かけたので、15分ほど遅刻。申し訳なかった。施術後は痛みも消え、快適に。昨日よりなお一層楽になった。横浜駅で二カ月ぶりに1000円の理容店で散髪。

 そののち、家電量販店でパソコンやプリンター、カメラなどを見ながら今の賞品の水準を丹念に見て回った。デスクトップパソコンやノートパソコン、一眼レフカメラは現在私が持っているのと機能的にはさほど変わっていないようだが、プリンターはそれなりに機能は変っているようだ。またデジタルカメラはスマホのカメラ機能に追われて、売り場も縮小している。ミラーレスカメラも同様のようだ。一部メーカーはミラーレスから徹底もしているらしい。ストロボを購入したいのはやまやまだが、想定よりも少々高かった。
 ノートパソコンでは4万円台のものがあったが、基本のビジネスソフトが「モバイル版」のため、単体では使えずネット接続が必要のようだ。「モバイル版」ではないものを探すとそれなりの値段になる。これは手が出ないし、使い切れる自信もない。1キロ少々のノートパソコン、あると便利ではあるが、今の生活や活動状況からは使い切れる場面はなかなか想定できない。宝の持ち腐れとなりそうである。よってノートパソコンは考慮の外ということにした。ネット環境にすれば使い勝手も向上するが、毎月の出費も増える。この出費に見合う使用は想定できない。
 レーザープリンターの1枚当たりのランニングコストは、小型のものでも随分下がっている。モノクロならばA4で1枚0.4円というものもあった。カラーでも6円ほどだったろうか。インクジェットと変わらなくなっている。光沢印刷はあまり使わないので、インクタンクが第容量で交換の手間が少ない利点もあり、こんど買い換える時はひょっとしたら再びレーザーという選択もあるかもしれない。

 混雑する喫茶店のカウンター席で30分ほど読書をしたら、再び痛みが出てきた。それもバス停まで歩いているうちに痛みは解消。寝る前にもう一度軽く腰痛体操をして就寝。

 だが、今朝は再び痛みが再発、とても痛いので痛み止めを飲むことにした。
 痛みがひいた2日間だったが、起き抜けの朝はやはりつらい。少しずつ快方に向かっていることを信じるしかない。

短編集「最後の殉教者」(遠藤周作)

2017年02月24日 22時07分35秒 | 読書




 ここにおさめられている短い10編の小説を読んで私が気になったことに作者・遠藤周作の「眼」というものがある。知り切れとんぼの感想を覚書として簡単に記してみた。
 いづれの個所も主人公(=多分作者自身の視点であろう)と他の登場人物との距離感を表している。その距離をどのように測るべきなのか、主人公・作者のたじろぎが込められていると思われる。その距離を縮めることの困難さ、不可能性を暗示する視線でもある。
 これは「最後の殉教者」では最後には救われるはずのものと、そうではないものとの距離であったり、日本人と白人、白人と非白人との距離の象徴であったりする。
 最後の「役立たず」ではそれは小説家と他の入院患者との関係である。それは知識人と大衆と言い換えてもいい。そして遠藤周作という作家はどうしてもそこに越えられない壁を感じてしまうようだ。戦後すぐの日本人が決して暖かい目で見られることのないヨーロッパに留学した体験、それも敗戦国、後進国という劣等感の塊を抱えたままの留学であった。しかし同時に日本国内にいても、他人とのどうしても越えられない壁を作ってしまう青年であったようだ。この壁を認識させられるものとして、相手の内面が読み取れない視線を感じてしまっている。「役たたず」では、他の大部屋の入院患者から、「かりにこの大部屋に住まわれたら、何をしてくださいますかねえ」といわれて「言い負かされた」と感じてしまう。
 私にはこれがどうしても理解できない。「はい、生活上では役に立たないのが小説家です。」と切り返せないことが私には不思議である。
 ひたすら遠藤周作は「〈なぜゼズス(キリストのこと)は助けてくださらんのじゅろうか、なぜゼズス様はあげなムゴイ責苦を子供が忍ぶのを黙って見ておられるのじゃろうか〉」(最後の殉教者)や「何のために生れてきたんだろう」(役たたず)という問いへとスライドしていく。私にはすれは「スライド」しているように思える。
 むろん殉教という名の、観念の肥大化で多くの人々が亡くなるという悲劇は宗教だけでなく、政治の世界にもあり、そして現代でも発生している。この観念の自己増殖が人の生を左右するという逆説は、芸術にとって重要な題材であることは理解しているつもりだ。興味もある。その切り口もさまざまにある。切り口の多様性は、重要である。
 だが、私にはこの遠藤周作のアプローチの仕方が、まだまだピンとこない。社会の階層構造の中で逼塞する大衆像は提示するものの、その切開や解明には向かわない。自分と「大衆」との距離はあらかじめ越えられない、接近不能、相互了解不能なものとして設定されてしまう。私の遠藤周作に対する違和感というものはこのようなものにあると思った。
 たかだか10編の小品を読んだだけでの即断は許されない。長編作家といわれる遠藤周作の長編のいくつかを読んでから出ないとこんなことを書いてはいけないのだろうとは思いつつ、今回はこの辺で終了。

「こわごわ握り飯と薬の包みを抱えて戸口まで近よった時、こわれた戸がイやな音をたてて軋んだ。そして中をソッとのぞきこんだ喜助の前に、空洞のようにポッカリ眼も潰れ、鼻の欠けた乞食の顔があらわれた。「ウワっ」。包みをそこに放り棄てると転げるように喜助は小屋から河原に走り逃げた。」(最後の殉教者)

「ふりむくと炊事場の閾(しきい)に、鳥のようにくぼんだ眼の学生が、よごれたパジャマのズボンから痩せた、赤黒い毛ずねをだして、たっていました。下から人を見あげた眼が葡萄の肉のように白く、その言葉づかいで山国から来た田舎者だということがわかりました。これが、ぼくがコウリッジ館にきて、はじめて白人学生から、かけられた言葉でした。」(コウリッジ館)

「私はリヨン到着以来はじめて四国にたいして不愉快な気持ちをもちながら彼の顔を見あげた。鼈甲の太縁の眼鏡の奥で彼は私を無表情に見つめている。そのまるい大きな無表情な顔がかえってこちらの気分をいらいらさせるのだった。」(異郷の友)

「やがてレコードがとまり、みにくい汗を玉のように真黒な顔にうかせたポーランが少し暗いかなジげな眼で我々をみながら席に戻った時、だれかが大声で叫んだ。「ポーランは全くいい奴だよ」私はくるしさに耐えられず便所に行くようなふりをして喫茶室の外に出た。くるしかったのはポーラン自身より、ポーランを見おろしていた他のアフリカの学生たちの表情だった。中庭には三日前のように赤い夾竹桃の花が咲き、どこか遠くからピアノの練習曲がきこえてきた。〈あれは留学生たちか陥る罠だ〉と私はそのピアノの音をききながらぼんやりと考えた。〈俺と四国だけはあの罠にはまりたくないものだ。〉」(異郷の友)

「朝や夕方の散歩時間、彼等はむこうから小説家が歩いてくるのに気づくと、急に話をやめジロジロと探るような眼で窺いみるのだった。」(役たたず)

「薄紙を剥がす」

2017年02月24日 20時05分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日マッサージをしてもらったから「坐骨神経痛は薄紙を剥がすように少しずつよくなる」といわれた。なるほどそういえば昔職場で私のように坐骨神経痛になった仲間に先輩がこんなことを言っていたなぁと思い出した。
 そして40代のときにある医師が「病気と戦うのに速攻はない」といっているのを聞いたことを思い出した。言っていることに間違いはないだろうが、病気を直すのに「戦う」とか「速攻」だとかの戦陣訓のようなキツイ尖った言葉を使うことに違和感も覚えた。善意に解釈すれば、患者を鼓舞しているのかもしれない。しかし私なら「病気を治したり、克服するには、気長に構えよう」と云いたいと思ったことを思い出した。
 いつからだろうか、仕事でも「販売戦略」「開発戦略」だとか、「戦術会議」「正面突破」だとかの戦陣訓のような言葉が平然と使われるようになった。行政内部でも「戦略会議」「迂回作戦」などという言葉も使うようになった。私は使いたくないと即座に思った。今でもキツイ言葉、相手を攻撃対象とするような言葉づかいに聞こえてしまう。

 さて、本当は「薄皮を剥ぐ」ではなく「薄紙を剥がす」というのが元の言い方だったらしいとネットの情報であるが、ほんとうのところはどうなのだろうか。「薄紙を剥がす」のほうがもっとやさしく感じる。ただ私は「薄皮饅頭の皮をはがして中の餡がみえてくるように」、という風に解釈していた。これはどうも違うらしい。
 だから本日の鍼灸師から「薄皮を剥がすように少しずつ」という言葉を聞いたとき、温かい温泉まんじゅうなどを思い出して、なぜかほっとした。
 言葉づかいひとつでその人の人格というものが現われる。私の受けている施術が真に的を射ているのか、どうかは分らないところはあるが、それでもそのような言葉を使うかたが、もしも間違っていても「騙されてやろう」という気にはなる。
 喫茶店や居酒屋でとなりに陣取ったサラリーマンが、容赦のないキツイ攻撃的な言葉を連発しながらそこにいない上司や同僚をやり玉に挙げているのを聞くと、いつも「この会社はダメだな」と思う。言葉に相手に対するいたわりや尊敬の念が欠落している。そんな社会には私は違和感ばかりが先行する。
 嫌な社会にどんどんなっていく。

痛みの放散

2017年02月24日 10時11分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝の起き抜けに痛みが出やすいようだ。体がまだ目覚めずに、筋肉や腱に柔軟性が戻らないうちが危ないのではないか、と思っている。
 今朝も起き抜けに便所に行った帰りに痛みが出てきた。いつもの腰痛体操をベッドの上で1サイクルこなしたが、痛みが取れないので今のフローリングの上でもう1サイクル。
 ようやく痛みがひいた。腰痛体操などをして痛みがひくときはすぐにわかる。痛みが筋肉の中を走り抜けるように放散していく。痛みが残るときと、影をひそめてくれるときとはその放散の仕方が少し違う。痛みが残るときは、放散した痛みが初めとは違い少し深いところをそぉーっと戻って来るように感じる。
 これからマッサージをしてもらいに出かける。

神経痛の痛みがほとんどなかった

2017年02月23日 22時18分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 出かける直前の11時過ぎになって風が突然のようにおさまった。弱くなった風はとても湿度が高く、団地の階段も道路も湿って滑りやすくなっていた。団地のある高台から下るとどんどん風は弱まり、昔の川沿いの国道に出た時にはすっかり風は止んでいた。こころなしか湿気も少なくなったように感じた。
 朝少し痛みがあり、腰痛体操を腰に負担のかからないように軽く行った。その後、立ち食いうどんをすすり、取材のために松原商店街を訪れ、横浜駅に戻り喫茶店で若干の読書タイムを取ったが、痛みが出なかった。バスで座っていたが、痛みは出なかった。
 帰宅後、ブログに二つの記事を掲載した。1時間ほどパソコン前に座っていたのが悪かったのだろうか。痛みが少し出てきた。あわてて腰痛体操を軽くして、痛みが出ないようにした。
 結局丸一日、痛みをほとんど感じないで済んだことになる。何か奇跡のような時間に思える。腰痛体操で腰をひねる動作があり、力を入れずに実施しているが、腰の筋肉が少し緊張しているのが不安といえば不安である。しかしこのまま痛みが抑え込まれるといいのだが‥。

 15時過ぎに地下街から外に出たら、異常ともいえる暖かさにびっくり。ダウンはリュックに放り込んだ。腕まくりでもしたくなった。
 明日は午前中はマッサージと鍼と灸をお願いしている治療院に行く。約2000円であるが、とても気持ちがいい。施術のあともすっきりする。痛みがなくなっても通ってみたいと思う。
 明日の天気は午前中は晴れ、9℃にとどかずに寒い予報である。

シューマニアーナ2

2017年02月23日 20時24分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 シューマンという作曲家はあまり縁がない。ブラームスが好みなので必然的にその名はクララとの関係も含めてよく目にするのであるが、音楽そのものを聴く機会があまりない。「子供の情景」「ピアノ五重奏曲」「ピアノ四重奏曲」「ピアノ三重奏曲3曲」「弦楽四重奏曲2番、3番」などを聴いたが特に感銘が深かったわけではない。。
 伊藤恵はすっかりシューマンの魅力の虜になったらしい。私は伊藤恵のこのシューマニアーナでシューマンを味わうことにしている。
 ひとりの作家や作曲家に飲めるこむというのはなかなかできない。しかし彼女はシューマンのすべてを飲み込みたいという強い衝動に駆られたのであろう。このようなこだわりをわたしは好きである。シューマンを聴きたいから、というよりは伊藤恵のこのこだわり、惚れこみように敬意を表する。

 このCDには「アベッダ変奏曲」「フモレスク」「ピアノ・ソナタ第2番」「プレスト・パッショナート(遺作)」が収録されている。作品番号1と遺作という取り合わせがなかなか凝っている。録音は1988年。

      

本日の読了「「戦争」が生んだ絵、奪った絵」

2017年02月23日 18時08分06秒 | 読書
      

 「「戦争」が生んだ絵、奪った絵」(野見山暁治・橋秀文・窪島誠一郎、新潮社)を読み終えた。読み終えるのに日にちはかかったが、時間そのまのはあまりかかっていない。何しろ神経痛の痛みと新聞編集作業の合間だったので。しかも遺作の作品鑑賞タイムにも時間を取られた。

 最後に収録されてい入る「「無言館」の十三年、眠れる「絵の骨」のこと」(窪島誠一郎)から何か所か心に残った個所を覚書風に‥。

「出身地が判らぬのに、美術学校の卒業年がわかっていたり、戦没年も戦没も分かっているのに、没年例がわからなかったり、一見するとチグハグな調査結果だが、これが実態なのだから仕方ない。複数の資料、関係者の証言から得た砂ツブほどの「事実」をパッチワークのようにつなぎ合わせてみたら、辛うじてこんな数行の画学生の「出自」が浮かびあがったとでもいってらいいか。」

 東京美術学校の卒業生に絞った「画学生」という枠を設けても、このように出身地も、出生年も、戦没年も、戦没地もわからない「兵士」が多くいる。たまたま分かったも「戦病死」や「戦地」にとどく前に亡くなっている「兵士」も多数である。家族に絵が残っているのは幸運なものなのかもしれない、あの戦争と戦後の混乱の実態が浮かび上がる。「画学生」という枠を取っ払ったら、どれほどの数の「未詳」の「兵士」がいるのであろうか。

 「画学生たちの「戦死」は、人間生物学上の死を意味しても、かれらが描きのこした作品がどこかに存在する以上、画家としてのかれらの死は認められないからである。画学生とかぎらず、自己表現を志した戦時下の文学青年や音楽青年、演劇青年も同じだろう。まして複製や映像などの関与も許さず、ただ一枚の画布、一冊のスケッチ帖にきざみこまれた絵画表現は、かれらの命に変わる唯一無二の「生存証明」であることを忘れてはならない。こじつけめくけれども、それは同時に、わが「無言館」が戦死した画学生たちの美術館ではなく、今もそこに生きつづけている絵たちの美術館であるための基本姿勢でもあるのである。当然のことながら、「遺作」の発見はその作品の生誕に立ち合った多くの人々の生の営みをもあぶり出す。」

 作品は死んだ者に属すると同時に、それを保管し、あるいは記憶に留めている人に属し、そこで生きつづけている。そのことを踏まえて掲載された作品群をいくどか眺めていた。

 20代前半に描かれた作品である。私のように絵など描いたことはないが、鑑賞することがこの上なく好きなものからすると、未熟な作品がいくつもある。しかもどれもがその短い生涯はほんの数行で終わってしまうかもしれないが、生々しい生のほとばしりを感じる。特にわかわかしい妻やモデルを丹念に描いた作品にそれを感じる。「生きている」ことの意味を彼らは常に問い続けたことが伝わってくる。

 香月泰男や浜田知明、靉光の作品は見る機会も多いし、いつも頭の片隅にある画家である。そしてその影響は私には大きい。しかし実に多くの画家を志した人々の作品もまた忘れられないものがいくつもある。
 もうひとり忘れられない彫刻家がいる。高橋英吉である。昨年5月に芸大美術館で開催された「いま、被災地から」展で修復がなった、海の三部作「黒潮閑日」「潮音」「漁夫像」(石巻文化センター蔵)の力強さに圧倒された。ガダルカナルで戦死。ある戦死者の遺品の手帳に「先方の台地でいままで重機関銃を撃ち続けていた高橋一等兵が、ガクリと前のめりに倒れたまま動かなくなった」という記述があるという。そしてこの死に行きついた召集令状が舞い込んだころ友人に「天皇などというわけのわからないもののために死ぬことが、なぜ立派なのか。とうてい理解できない」と語っていたという。あらためて30歳にして文展無鑑査となったという高橋英吉の作品を思い出した。この展覧会の感想は昨年の6月26日に記している。

 体が動くうちに、訪れたい美術館である。

横浜に強風・波浪注意報

2017年02月23日 10時28分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜には強風・波浪注意報が出ている。朝6時には南西の風で風速11.4mとなっている。同じころ瞬間最大風速で21.7mというからかなりの風である。気温も9時現在で14℃を超えている。雨は5mm未満の雨であるが、風に乗ってベランダ側の窓ガラスがすっかり濡れている。
 セキセイインコの籠をいったんベランダに出した。部屋の中では、ベランダに出してほしいようで遊具をつついて催促するようにしていたが、外に出した途端に風の音に驚いだのだろう、静かになってしまった。そして下に敷いてある新聞紙が風にあおられてバサバサと音を立てるのに驚いておびえたように仕草をしていた。急いで籠の掃除と餌替えを済ませて部屋に戻した。今はなにごともなかったような顔をしている。
 この風、果たして昼前に止みそうもない。出かける予定があるがすでに心が挫けている。朝行った腰痛体操のおかげかどうかは分らないが、今のところ神経痛の痛みは出ていない。しかし腰から右臀部、右大腿部にかけて筋肉の深部から重たい感じがする。

 当初の予定では明日に退職者会ニュースの原稿を送信する予定だったが、昨日の夜に送信できた。1日半は早めることが出来たが、受け取る方にしてみれば、たいして早くなったとは思っていないかもしれない。もともとこちらが無理な遅いスケジュール設定したのが、いけない。とはいっても原稿を送ってしまうと気分的にゆとりは出来てくる。
 ということで、午前中は風が止むことをねがいつつ読書タイム。

訪れたい美術展

2017年02月22日 23時15分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 横浜では風が強くなってきた。南西の風のようだが、冷たい風である。明日の午前中は雨模様という予報になっている。気温は18℃に達するという。
 明日は昼過ぎから取材のために出かけなくてはいけない。しかし写真を数枚撮影して短時間で帰って来る予定。再来月に発行するニュースに掲載するつもりでいる。

 最近は神経痛の痛みを抱えてしまい、美術館に行くこともままならない。気力が湧いてこない。たまたま申し込んだら当たったので、日曜日には内覧会で国立西洋美術館に出かける。こういうきっかけというのはありがたい。



 神奈川県立近代美術館葉山では、「1950年代の日本美術-戦後の出発」と「コレクション展3 反映の宇宙」が同時開催となっている。1月28日~3月26日までなので、2月中に是非訪れたい、と思っていたが、3月になってしまいそうだ。
 東京都美術館の「ティツィアーノとヴェネツィア派展」は4月2日まで。無料招待券があるので、妻と行きたいのだが、日程の都合が折り合わない。

「痛みとの付き合い」再考

2017年02月22日 20時30分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 腰痛体操がかなり有効であることがわかった。すでに筋肉等の炎症はおさまったと思えるので、少しずつ回数を増やしてみたい。無理なストレッチはかえって危険と思われる。
 確かに家で傷みが出た時はこの腰痛体操をすると痛みが消えていく。しかし外に外出しているときはこの体操は出来ない。しかし痛みをこらえながらゆっくりと歩いていると痛みが消えていくことが幾度もある。本日も喫茶店で30分ほど座っていたら立ち上がるときに痛みが再発した。横浜駅のバス停まで有隣堂を経由して10分ほど歩いたら痛みが消えた。またバスで座っていたが、降りるときも痛みがあったが、家についたころに痛みが消えた。
 だんだんとどのような場合に痛みが出、そして消えるのか、痛みを予防する方途などについて少しずつその在りようがわかるようになってきた。
 これが痛みと付き合い、ということなのであろうか。

 本日横浜駅西口は各店舗は昨日とは違って営業していた。出かけるのが遅くなったためか喫茶店で歯30分ほどしかいられなかった。新聞の編集作業に追われて、読書もはかどらなかった。しかし新聞の編集作業は予定より早めに完了できた。印刷所への入稿を二日ほど早く済ませることが出来た。

 読書がはかどらなかったので、先日図書館から借りた2冊の本の内、「ゲルニカ」(宮下誠、光文社新書)は期限である3月1日までには読み終わらない。延長にするか、いったん返却するか、せざるを得なくなった。

腰痛体操

2017年02月22日 09時24分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ここ数日、杖を突きながらゆっくり歩いていると痛みが書くなるときがある。しばらく喫茶店で休んでいたり、書店で立ち読みしていると再び痛みが出てくる。
 また朝起きてから洗面所に行ったり、着替えるのが痛みがつらい。やはり、外に出て少し歩くと痛みが治まることがある。
 いづれのときも膝とお腹がつくくらいに強めに前屈姿勢をとるとおさまることがある。今朝になってようやく思いついたのが、そろそろ腰痛体操をしてもいいのかなと考えてみた。
 試みに病院でもらった腰痛体操のチラシを見ながら8つの運動に、前屈運動を加えた9つの運動を一通りやってみた。
 結果は良好。痛みが治まり、鳥籠の清掃と餌の取り換えが痛みを伴わずにできた。しばらくはこれを繰り返すのも悪くないようだ。

 昨日に続いて、気合を入れて新聞の編集作業。今日夕方までには第1項を送信したい。

シャセリオー展内覧会

2017年02月21日 23時19分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 2月28日から5月28日まで国立西洋美術館で開催される「シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才」のプレス内覧会に参加を申し込んだところ幸運にも当たった。
 2月27日(月)の午後である。よく28日が大腸の内視鏡検査なので、夜だと参加は出来そうもなかったが、午後からなので躊躇なく申し込んだ。
 三菱一号館美術館の「オルセーのナビ派展:美の預言者たち―ささやきとざわめき」の内覧会は当選していたが、坐骨神経痛の痛みがひどく参加できなかった。とても悔やまれた。今回当たってよかった。
 絵画の展覧会としては私は初めて見に行く展覧会である。シャセリオー(1819-1856)という画家、私は何も知識が無い。西洋美術館の説明では、「アングル門下の異端児テオドール・シャセリオーは、10代の初めに師に入門を許された早熟の天才ですが、ロマン主義の潮流の中でしだいにアングルの古典主義を離れ、独特のメランコリックな情熱と抒情を湛えた作品世界を作りあげていきました。アルジェリアを旅して彼の地の人々や風物を色彩豊かに描いたシャセリオーはオリエンタリスム(東方趣味)の画家にも数えられます。しかしカリブ海のスペインの旧植民地に生まれ、父親不在の寂しさや師との芸術的葛藤を抱えつつ独自の芸術の道を模索したこの画家自身が内面に異邦的(エキゾティック)なるものを持っていました。神話や聖書、シェイクスピア文学の一場面にせよ、東方主題にせよ、あるいは人々の肖像にせよ、いずれの作品にも漂う「エキゾティスム」こそがシャセリオー芸術の本質であり、観る者の心に響きます」と記されている。

 新聞の編集作業が終了したら、すこしシャセリオーの下調べでも始めたいのだが、そのような時間があるだろうか。

当初の予定まではまだ達していないが‥

2017年02月21日 21時48分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から新聞の編集作業。14時から17時までは草臥れて、横浜駅にあるいつもの安い喫茶店に出かけた。強い風にあおられて歩きづらかったが、無理をせずに地下鉄に乗った。ところが、横浜駅西口地下街は休館日で全店休業。有隣堂も営業していない。家電量販店は営業していたようだが、用事がないので入らなかった。百均も休業。
 整形外科で電気の低周波治療を行ったのち、少し離れた場所の喫茶店で少しの読書と、ボーっとした時間を過ごしてから、頼まれた買い物をして帰宅。

 30分ほどの団地の管理組合の打合せを行ってから、再び新聞の編集作業。さすがに疲れた。そろそろ本日の作業は中止をしないとどんどん効率が下がってきている。当初は本日中にA3裏表の9割方終えたかったが、今のところ7割といったところ。明日以降に持ち越すことはやむを得ないようだ。

日付が変わる前に就寝したいが‥

2017年02月21日 09時30分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 気象庁のホームページのデータでは横浜では昨晩、日付が変わったころ瞬間最大風速20m(北北西)を記録したようだ。深夜には雨は降らなかった。、
 南北の風は号棟が東西に並んでいるので、直接北側の窓や南側のベランダにあたることはあまりないが、それでも号棟と号棟の間からの風が複雑な風向きとなって窓ガラスにぶつかってくる。昨晩も北側の窓カラスがだいぶ悲鳴を上げていた。実に久しぶりに10時半には布団に入り、うつらうつらとしていたが、風の音で幾度も目覚めた。
 ベッドの中から記事をアップなどしてからまた寝入った。結局2時の時刻は記憶にあるが、それ以降はすっかり寝入った。

 日付の変わらないうちに寝る癖となればいいのだが、中学1年のとき以来、もう53年以上の習慣である。癖を直すには時間が経ち過ぎているようだ。

 いつものとおり、朝の内は右の臀部から太ももにかけての痛みがある。先ほどから私なりの運動で少し痛みが弱まった。外で会議や作業などをしていると気が紛れていたさはそれほど気にはならないのだが、家にいると痛みがとても気になる。

 本日は気合を入れて、新聞の編集作業。できれば9割くらいは終わらせないと、印刷所に迷惑をかけてしまう。
 さらに19時から団地の管理組合の打合せがある。

横浜では風雨が強い

2017年02月20日 23時23分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕方から夜にかけてかなり強い雨と風であった。いったん帰ろうと外に目をやった時に窓の外でビニール傘が飛んでいくところを見てしまった。雨宿りのつもりでさらに腰を落ち着けて飲んできた。当初の予定より帰宅時間がかなり遅れてしまった。雨の区域は横浜市域をようやく抜けた。久しぶりの雨で、何となく空気が柔らかくなったような気がする。
 帰宅後、少しだけニュースの編集作業をしたものの、眠気に襲われ一眠りして今目が覚めた。

 神経痛の痛みはそれほどでもなかった。痛み止めを服用せずに我慢できた。明日は予定は無いので終日退職者会のニュースの編集作業にいそしむ予定。

次第に風が強くなってきた。風の音でなかなか寝付けない。