Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「斜位」解消のメガネ

2018年03月27日 19時23分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕方新しいメガネが出来上がった。「斜位」ということで、右目にプリズム機能を付け加えた。遠近両用メガネというのは、目に負担がかかる、との医師の説明であった。しかしメガネを二つ常用するというのは、私には到底無理である。フレームをもうひとつ購入するのは金銭的な負担で済むが(これもつらいことはつらい)、近いところを見るためのメガネはすぐに失くすか、壊してしまいそうである。また常に二つ持つのはとても煩わしい。

 17時近くに店を出て、メガネの具合を点検するために約80分ほど歩いて帰ったきた。日没から薄明にかけての時間帯、緩い坂、急坂、急な階段、緩い階段、信号機の見え方などなど。
 階段を上から見下ろした時の遠近感の無さも解消して、こわく感じなかった。近くの足もとの像は左右でキチンと見ているのであろう。山行でも大丈夫と思われる。
 信号機や遠くの電柱など二つに見えていたものは、解消できた。信号機は100メートルも離れると上側にかすかにもうひとつ見えるようにも思えるが、それだけ離れている場合は特に支障はない。50メートルでは鮮明にひとつに見えた。
 緩い坂、急な坂、ともに上からも下からも遠近感がはっきりとして見えた。
 ただし、遠くから近くに急に視点を移動すると目がクラっとする。これは今までの眼鏡をはじめてかけたときも同じ現象があり、少しずつ慣れるものだと思う。

 そして今パソコンのモニターとキーボードを交互に見ている。キーボードが実にはっきりと見える。今までは感でみていた。
 しかしもにちーの画面がうすくみえる。これはこれまでのレンズと同じである。改善ははていない。もう少し様子をみるしかない。
 総じて目の負担が軽くなったと思う。特に両目の外側の筋肉がとても楽になったと感じる。今まではふたつの像をひとつに合わせようとかなりの負担を目の周りの筋肉に強いていた可能性がある。それが解消されただけでも嬉しいことである。

 今晩、夜のウォーキングで、車の前照灯、夜の階段、斜面の感触を確かめたいと思う。


昨日から「近代日本一五〇年」(山本義隆)

2018年03月27日 10時59分25秒 | 読書


 昨日から読み始めた本は、「近代日本一五〇年-科学技術総力戦体制の破綻」(山本義隆、岩波新書)。今年の1月に購入してそのままになっていた。
 最後に記された「おわりに」にこの本の基本的な軸が記されていると思う。

「日本は、そして先進国と称されてきた国は、成長の経済から再分配の経済に向かうべき時代に到達したのだ。この二〇〇年間の科学技術の進歩と経済成長は、強力な生産力を生み出したが、同時に地球を何回も破壊できるだけの軍事力を生み、少数国による地球資源の収奪を加速させ、世界中の富をきわめて少数の人たちの手に集中させることになった。」

「限りある資源とエネルギーを大切にして持続可能な社会を形成し、税制や社会保障制度を通して貧富の差をなくしていくことが、現在必要とされている。」

「かつて東アジアの諸国を侵略し、二度の原爆被害を受け、そして福島の事故を起こした国の責任として、軍需産業からの撤退と原子力使用からの脱却を宣言し、将来的な核武装の可能性をはっきりと否定し、経済成長・国際競争にかわる低成長下での民衆の国際連帯を追求し、そのことで世界に貢献する道を選ぶべきなのだ。」


読了「幻想の彼方へ」(澁澤龍彦)

2018年03月26日 23時27分53秒 | 読書
 今回のgooのブログのシステムメンテナンス、無事予定通りに終了したらしい。12時45分頃に閲覧出来ていたので、終了したとは認識していた。13時過ぎに記事をアップできた。何事もなくホッとした。利用者にこんなにヤキモキさせないで欲しいものである。

 さて、夜に行われた横路孝弘氏の講演会と懇親会は先ほど終了し、日本大通りから歩いて帰ってきた。午後からかなり遠回りして会場にたどり着き、懇親会での控え目にしたアルコールの酔い覚ましを兼ねて横浜駅を通って歩いた。一応本日の目標の歩数は超えることができた。

 本日は「幻想の彼方へ」(澁澤龍彦、河出文庫)を読了。澁澤ワールドを堪能した。





本日の読書「幻想の彼方へ」続き

2018年03月26日 13時03分55秒 | 読書
 いつものように覚書として。

・ファンム・アンファンの楽園



・パウルクレー展を見て
「(クレー晩年の「静物」の左下にも表れる)ヤコブと天使との闘いを示すデッサンは二人の敵手の完全な融合、完全なアマルガムであって、互いに浸透し合体する二つの肉体を識別することもほとんど困難なくらい、両者は一個の統一体、一個の均質性に達している‥。聖書のなかに語られた夜の戦いに、これほど崇高な意義を与えた画家はこれまでに一人もいなかった。‥クレーがその内面の旅路の果てに、ようやく開かれた解脱の状態において、おのれと天使とを分かちがたい一個の未分化の存在として-いや、未分化というよりも融合した存在として、その画布の上に形象化したとしても不思議ではない‥。ヤコブはたぶん、クレーそのひとなのだ。」

・ビザンティンの薄明あるいはギュスターヴ・モローの偏執
「男性対女性の肉体的な差異は能うかぎり希薄化しているとはいえ、モローの気に入りのテーマは終始一貫、女性の美のなかに具現した悪と死のそれである。女性はモローにとって、常に危険なもの、禍々しいものの化身なのである。母親コンプレックスから抜け出ることができず、生涯独身を通したモローの女嫌い‥。」
「肉欲の伴わない芸術的衝動は、芯の個性とはなり得ないにちがいない。それと同じように、ひとつの時代の精神的雰囲気を代表するためには、その時代に徹底的に背を向けて、みずからの宇宙に沈潜する必要があるらしいのである。」

・ルドンの黒
「版画の魅力といえば、‥きびしく限定された、白黒のモノクロームの禁欲主義的な世界から成り立っているという点に、まず第一に指を屈しなければならない‥。古今東西の版画の中でも、この白黒の世界の魅力をもっとも高貴に、もっとも神秘的に、もっとも効果的に発揮することのできた画家が、オディロン・ルドンではなかったろうか‥。」
「ルドンの世界は、曖昧なものを剥ぎ取った、原始的な世界といってもよいほどで、顕微鏡で眺めた極地の世界のように、動物とも植物ともしれない、イメージの萌芽のようなものが無数に漂っている。原始の夜のような世界なのだ。混沌としているけれども、決して曖昧ではなく、明確な夢のヴィジョンである。」
「ルドンは晩年に、それこそ花がひらいたように、それまで白黒の禁欲主義のうちに圧縮していた色彩を、パステル画によって一挙に解放した。これは奇妙な方向転換のように思われるかもしれないが、‥黒のなかに潜在的にふくまれていたあらゆる色彩を、ただ解き放っただけにすきない‥。あれほど黒を尊重した芸術家にして初めて成し遂げられた、これは長い営みの末の論理的帰結だったのである。」

・ゴヤあるいは肉体の牢獄
「ゴヤは世界の完全な空しさ、完全な不条理を表現しようと考えたのであろう‥。秩序ある世界は単なる見せかけに過ぎないことを認識してしまった画家は、もはや悪夢だけにしか生きられなくなった。そして、悪夢はいつしか現実そのものとなったのである。」

ベルト・モリゾ「黒いドレスの女性」

2018年03月26日 03時05分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 先日の美術の講座で資料として国立西洋美術館の広報誌「ゼフィロス」の73号を貰った。特集は「2017年度収蔵作品」ということで、ベルト・モリゾの「黒いドレスの女性(感激の前)」が取り上げてあった。
 この「ゼフィロス#73」の解説によると「1875年頃に撮影されたモリゾ自身の肖像写真のドレスと、ほぼ同一であることから、モデルに自分の衣装を着せてポーズさせたもの」と記されている。モリゾはマネのモデルを1972年からしており、黒いドレス姿であったという。
 この「黒いドレスの女性」は1976年の第2回印象派展に出品された「女性像」と馬淵館長は推定している。さらにこの作品は1901年、パリの画商林忠正氏の弟名義で購入されたものの、1905年の帰国前に手離された経過があるという。
 黒いドレスと白いバラと手袋が印象的で、さらに背景の色合いと筆致もまた印象的である。常設展で見ることができるとのこと、是非訪れてみたい。



横路孝弘氏の講演会参加予定

2018年03月26日 02時17分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜18時半から、全衆議院議長の横路孝弘氏の講演会。テーマは「憲法改悪!自由と民主主義の危機を語る」。講師を囲む懇親会も設定されている。会費3000円はすでに支払い済み。
 懇親会のあとは仲間と二次会に参加することになりそうな気配である。
 昼間は特に予定はないので、若干のウォーキングと読書タイムが確保できそうである。

 本日26日(月)はこのgooのブログのシステムメンテナンスが8時半から12時と予告されている。いつもこのシステムメンテナンスというのが曲者である。前々回は数日不具合が続き、投稿用画面の英文字体が見にくいものに一方的に変えられたりした。今回も不具合が長時間続くことを想定しておいた方がいいと考えている。
 しかも朝から正午までという時間帯である。作業する人のことを考えると、使用頻度の少ない深夜から明け方までにするよう求めることは酷であるとおもうが、私が気になることは前々回はこのメンテナンス作業者ばかりがクレームの前面に立ったということである。運営主体は表に出てこなかった。前々回のときの対応は企業の体質として評価できないのだが、今回はトラブルが発生した場合、どうするつものなのだろうか。腹立たしかったものの、このブログ、引っ越すわけにもいかず、イライラが募ること甚だしかった。今回はあのようなことのないようにしてもらいたいものである。
 とりあえず、投稿予定していたものは、明け方までにアップしておくことにした。

八丈島東方沖で地震

2018年03月25日 23時59分07秒 | 天気と自然災害
 先ほど微かに揺れた。横浜では震度1。私の住んでいるところは震度1の標示も出ていないが、確かに揺れていた。

各地の震度に関する情報(平成30年 3月25日23時42分 気象庁発表)
25日23時37分ころ、地震がありました。
震源地は、八丈島東方沖(北緯32.7度、東経140.9度)で、震源の深さは約40km、地震の規模(マグニチュード)は6.1と推定されます。
この地震による津波の心配はありません。
この地震により観測された最大震度は3です。
東京都  震度3  八丈町富士グランド 青ヶ島村

関東は桜が真っ盛り

2018年03月25日 23時47分55秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 桜の句はたくさんある。もう少し探してみようと歳時記をめくっている。先ほど眼についた句は2句。

★もう勤めなくてもいいと桜咲く   今瀬剛一
★病棟をさくら前線抜けにけり    羽成 翔


 どちらも私の実際の感慨と重なった。第1句、6年前の3月末に同じように感じていた。そして第2句、今から15年前の51歳のとき、入退院を繰り返して、3度目の投薬治療のための入院時がちょうど桜の季節であった。市立病院の食堂から下の公園の桜を見ながら、完治が見えてこない苛立ちとともに、桜を見ていた。

幸ヶ谷公園のサクラ

2018年03月25日 21時11分16秒 | 俳句・短歌・詩等関連
         

 本日は午前中の業務の後、早い時間に打合せも終わり、横浜駅近くの幸ヶ谷公園に桜を見に出かけた。本日は日曜日ということもあり、家族連れ、グループが賑やかにシートを敷いて花見に興じていた。
 この公園、ソメイヨシノはかなりの本数があるのだが、だいぶ老木が多く、木の更新が予定されているようだ。
 あまりに賑やかなグルーブもいくつかあったが、大半は小さな赤子を連れた若い家族、若いカップルが多かった。どうも桜を見るよりも、お酒を飲み過ぎて早いうちから寝てしまう大人のグループや、スピカ―のボリュームをいっぱいに上げたグルーブに目が行ってしまう。
 そしてこの公園はソメイヨシノが多く、他の花はほとんど見かけない。昨日の大倉山の梅園とはまったく雰囲気が違う。

★花守の身は弓矢なきかがしかな    蕪村

 こんな花見の景色が都会ではとても見かけることはない。それでも20~30年前の花見に較べると静かにはなったかもしれない。次の句のように、花見のときだけは、どこか一人で喧騒を離れて花見をしたくなる。

★花疲れ瞑想のごと眼をつむる    冨岡梧桐


春の月雑感

2018年03月25日 14時15分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★春の月貧しき人を照らしおり    丸山友昇
 この句、「月天心貧しき町を通りけり   蕪村」を下敷きにしている。秋のたぶん満月から春のおぼろの月に変えた。変えたついでに「貧しき」を「心貧しき」にまで敷衍して、照らされるのは町から作者自身に切り替えた。より現代的に変えた風になった。
 昨晩、私が見た半月もうっすらと笠をを被ったようにも見えた。さいわい本日は雨ではないが、春らしい湿り気の多い大気を感じた。暖かみを感じる春の月にこの作者が感じたのは、作者の滅入りがちな気分を包み込んでくれる月の光なのだろう。ちょっと甘い感傷をひきづっているとも思えるが、自分を「貧しい」と表現するところがそれを救っていると感じる。

★春月のまだ濡れてゐる海の上    田中春生
 横浜では広い海から昇る月は見えない。港から、あるいは対岸の房総半島から登る月である。沈むのは丹沢から富士山、箱根の山の方向である。残念ながらいくら春の月でも、雫が垂れそうに濡れた月は見えない。しかし春の月は確かに濡れている。正確には冬に比べて湿度の高い空気層をとおった光がそのように見えるのだが、実際は月が海から水分を引き上げているように思える。鑑賞することの不思議である。

上限の半月2

2018年03月25日 12時56分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 暦の上では本日が上限の半月の日。昨日は半分に少し欠けて見えたが、本日は半分より少しだけ太って見える。見た目にちょうど半分となるのは、25日01時ほどの時間だったようだ。昨晩ウォーキング途中で見たときの方が半分に近かったことになる。
 しかし本日の月もまた楽しみにしておこう。

上限の半月

2018年03月24日 23時05分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 団地の管理組合の打合せが先ほど終了。夕食は早めに済ませていたが、お酒は飲まなかった。この打合せが終わってから飲もうと考えていたものの、夜のウォーキングまでに醒めないと困るので、本日はアルコールは断念。昨晩だいぶ飲んだこともあり、すんなりと本日は自粛とすることにした。

 夜のウォーキングに出かけたところ、久しぶりに月を見た。天気が思わしくなく、月とも顔を合わせていなかった。満月よりも半月、それも夜中に西の空にある上限の半月前後に、私は月に親しんでいる。三日月もいいが、このくらいの月の明るさがいい。

 明日は日曜日。だが、朝早くから管理組合の作業や会議など、総会に向けた準備に追われることになっている。
 本日はもう寝ないと朝起きられそうもない。

大倉山梅林の花見

2018年03月24日 21時32分24秒 | 山行・旅行・散策
      

 本日は大倉山の梅園に桜を見に出かけた。大倉山駅では、大倉山梅林の梅を主に使ったという梅酒「梅の薫」を2本購入。リュックに入れて帰ってきたが重かった。
 サクラは梅林の外周にいろいろな種類のものが咲いていた。樹名が記されていないので、どんなものかはわからなかった。遠目に目だったのは真っ白なサクラ。白いサクラは葉も同時に出てあまり目立たないのが多いと思っていたが、ソメイヨシノのように花がとても目立ち、葉は出ていなかった。梅林だけあって梅はいろいろな樹名を記した板ががぶら下がっているのだが、素人にも分かるようにサクラにも樹名板が欲しいと感じた。園内には梅の時ほどではないが、いくつかのグループがシートを敷いて花見を楽しんでいた。

 梅の中で「緑萼梅」と名のついた梅がある。花はあまり目立たないのだが、萼が緑色である。今の季節、花が散って萼が残っており、萼の緑が鮮やかで、花の時期よりも私には好ましく感じた。



春の雨、春驟雨

2018年03月24日 10時24分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 私のイメージでは、一昨日の夜の雨は弱かったのでいわゆる「春の雨」、昨日の雨はそれよりも強めで「春驟雨」という気分だったのだろうか。

★捨て鍬の次第に濡れて春の雨     山口青邨
★大仏の忽ちに濡れ春驟雨       上野 泰


 第1句、とても有名な句である。どういう経過で捨てられたのであろうか。たぶん大事にしていた鍬ならば、作業中に雨が降り出したから畑の中に放り出して人間だけが雨を避けていったという解釈にはならない。そもそも春の雨ならばそんなに強い雨ではない。何らかな事情で畑作業そのものができなくなり、打ち棄てられたのだろう。それも急なことだったのだろう。鍬には長年使ってきた人生が張り付いている。それが打ち捨てられて、春の雨のあとがひとつまたひとつと増えていく。黒くしみになっていく。少し明るいイメージの春の雨だが、ここでは陰鬱な、重い現実を想像してしまう。
 第2句、多分鎌倉の大仏のことを詠んだのだろうが、私は濡れるのは想像の大仏、想像の春驟雨だと思うことにした。春驟雨という季語を先に思い浮かべ、それが大仏を濡らしている、それが大仏の涙のようだと、取り合わせた。あるいは夢の中で大仏が濡れる様を見て、目が醒めたら春の雨が降っていた、というのか。大仏は奈良の大仏でも、西域の石窟の仏でもいい。あるいはどこかの寺にひっそりと安置されている仏像でもいい。「忽ち」に何やらドラマチックな物語を当てはめて想像するのは、頓珍漢な読みだろうか。それでもかまわない。

今晩も通り雨

2018年03月23日 22時19分09秒 | 天気と自然災害
 友人の夕方、ホルモンとホッピーという組み合わせで軽く飲み会。帰り際に野球帽を店に忘れてきてしまった。しかし雨が降り始めたため、近くの公園のパーゴラの下に避難をしたら、ビニール傘が捨ててあり、それをさして友人を桜木町駅まで送り、私はその傘をさしたまま、家まで歩いて帰ってきた。軸が少し曲がり、ビニールに小さな穴が二つほど開いていたが、小振りだったため特に支障はなかった。
 108円で購入し、もう3年以上使っている野球帽と、多分あと2回程度しか使えそうもない傘との交換、得をしたのか、損をしたのか、判然とはしない。
 昨晩の雨と言い、今晩の雨と言い、なかなかすっきりしない天候を物語っている。
 明日は気持ちよく晴れてもらいたいものである。

 通り雨かと思っていたら、再び降り始めた。今度は強くはないものの、本降りである。夜のウオーキングは断念した方がよさそうな気配である。