Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

これより夜の会議

2018年04月21日 18時44分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の宴会は、お酒も飲まないのに二次会の席ではどうしようもなく眠くなり、会場の外のロビーのソファーにもたれて30分ほど寝入ってしまった。向かい側では事務局長も同様に眠っていた。一昨日、昨日の晩も寝るのがいつもより遅く3時近かったこともあり、また総会の司会とカメラマン、懇親会の司会でもすっかり疲れてしまった。

 二次会は予定より45分ほど早く終了した。約1万歩を歩いて帰宅。途中喫茶店で水分補給と休憩を兼ねて座ったら、15分ほど熟睡。少し寝足りないようだ。
 昨晩は1時半には寝るつもりが、懇親会のために渡されていた前渡金の清算書をつくるのをわすれていたため、慌てて作成したこともあり、寝るのが3時過ぎになってしまった。しかも本日追加の支出があり、明日作り直す必要が出てきた。

 本日夜の予定の団地の管理組合の会議が終わると、明日からは退職者会ニュースの原稿作りである。連休が続くために25日(水)までにA3裏表の新聞の原稿を作らねばならない。昨日のイベント、本日の総会の模様を入れ込んで作る。印刷会社のかたには申し訳ないが、かなり詰まった日程をお願いしてしまった。こちらも手直し等にそなえて連休中は待機である。

 もっとも連休中はどこに行っても混雑しているし、値段も高くなっているので、年金生活者は静かにしているに限る。

無事終了

2018年04月21日 14時14分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
退職者会の総会と懇親会が無事終了。後片付けは慣れていて、実に効率よくテキパキとする。二次会は80名のうち25人も残っていまだ組合の会館にて継続中。
役員は最終の後片付けを見届けてからの帰宅予定。
購入したアルコールはほぼ飲みきってしまった。いつものことながら驚きである。

お酒を飲まずに、ウーロン茶で宴会に付き合うのは、悲しい。


年度の変わり目の慌ただしさ

2018年04月21日 01時02分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 もう日付が変わった。昨日のイベントの写真の整理すら何もしていない。だが、本日の朝は昨日よりも早く出かけることになっている。8時30分よりは早く家を出る予定。旅行に出かけるときも9時30分より前に出ることはほとんどない生活をしている。だいたいが8時に起きてくる日常である。

 妻も朝早いのは苦手なのだが、それでも私よりは早い。早いと言っても30分程度の違いでしかない。その妻に起こしてもらわないと無理である。

 朝9時過ぎに組合の会館に出向いて本日の退職者会の総会の設営などの準備である。会場の設営やら、来賓の接待やら、懇親会の準備や人の配置などの手配‥‥。毎年同じことの繰り返しであるが、目の回る慌ただしさである。
 例年なら、懇親会では総会での仕事も終わり、お酒を飲んで一息つくのだが、今年は夜に、どうしても抜けられない団地の管理組合の会議がある。お酒を飲んで一息つくことはできない。

 これから夜の会議の資料を打ち出して、組合の会館から帰宅したらすぐにコピーできるようにしておかないと間に合わない。その準備を終えてから、風呂と就寝。


父と子の和解とは

2018年04月20日 23時29分48秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 こんな俳句に出くわした。
★をだまきの紺の深さの父子の情     末増省吾
 「をだまき(苧環)の花」は春の季語。この句では「花」という表現はないが「紺」が花の形容なので「花」であることがわかる。
 あらためて「父子の和解」なるものを考えてみた。


 父と子の和解というのは古今東西、解けない課題である。結果としては、私は父親とは違う生き方、考え方をしてきた。いつも父親とは違う自分の判断や、選択をしてきた。わざと反発をしてそういう風な生き方をしてきたわけではない。結果としてあとから思うとまるで正反対であった。
 10代末、私が社会に対する違和感や社会との格闘を意識的に始めると、父親とは違う生き方になっていた。特にそのことで喧嘩をしたつもりもないし、父親を遣り込めようとしたこともない。たぶん父もそう感じていたと思う。
 親との軋轢とか、反発とかは無縁で、お互いに不干渉だった。父は、心の中では怒っていたのかもしれないが、口に出すことはなかった。
 人生のさまざまな選択や判断、その結果としての生き方については、「俺と親父とはどこまでも相容れない、お互いに分かり合うことはない」と思っている。結果として「あのような生き方は嫌だ」と考えていた。今でもそう考えている。
 多分そういった意味では、和解などはない。いつまでたっても意見は平行線のままであろう。そして生き方としてはまるで正反対の生き方となってしまった。日常の生活から、新しい社会の事象に対する評価やら、歴史の評価や政治や国家に対する評価に至るまで、背を向け合っている。

 死の前の数年、病院での入院時の付き添いや、葬儀は意向に沿って対応した。それはある意味「子としての義務」的な思いがなかったといえば嘘になる。どこか醒めた私を、高いところから見下ろすように自分を見ていた。友人にそんな話をしたら、「それは罪悪感が心のどこかにあったのではないか」といわれた。はたしてこの指摘は当たっているのだろうか。自分自身の心の奥底なのだが、未だによくわからない。

 67歳に近くなって、「この歳のときの親父は俺をどう見ていたのか」などと思うことが年に1度くらいはある。そのたびに「俺はそんな判断や選択はしないよ、多分正反対の判断、選択をするよ」と思って、すぐに忘れてしまう。これほどの親不幸者、父親無視の息子も珍しいと自分では思っている。しかし今更生き方を変えることなどないだろう。このまま墓場まで、この状態が続くと思われる。墓場に入ってしまえば、それっきり。和解も親和もないまま、永久に平行線のままである。それでやむを得ないのだと思っている。


現在につながる過去、そして未来を探る

2018年04月20日 16時16分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 眠れずにいた昨晩、なかば呪文のように頭の中をぐるぐる回ったことなど‥。


 未来をみるには、過去をみるしかない。よりよい未来を展望するのは、現在につながる過去を歪曲することなく見つめることからしか始まらない。なぜなら未来は誰も知らないからである。過去をわざと歪曲したり、都合の良いところだけをつまみ出してみては、未来を探るヒントはない。
 知らずに歪曲したり、間違えて曲解しても、より正しく全体を見つめようとする意識があれば、未来はみえてくる。よりよい未来を探るには、過去を正しく見ようとする意志が必要である。正しく見ようとする意志のないところにはよりよい未来は表れてこない。よりよい未来を構想できるのは、現在につながる過去を正しく見つめようとする真摯な意志だけである。

 過去を忘却したり、歪曲しては、未来に希望はない。私はどんな未来も、過去の中にそのヒントがあり、それを踏まえないかぎり未来をよりよくするものはないということを自分なりに学んできたし、同時に教わりもしてきた。過去に背を向けては、その国の人々やその国の政治は不幸である。

青を踏む、踏青

2018年04月20日 10時33分49秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 四月初めころ野山で宴を催したり、青々とした草を踏みように野山などを歩いて春を実感することをいう。
 踏青などという語は使われることもなくなっている。青を踏むといわれても日常会話では意味は通じない。梅見、花見、山菜取り、蓬摘みなどの具体的なもののほうが通じる時代である。
 しかし私はこの「青を踏む」という語感は好きである。

★青き踏む忘れたきこと道づれに    肥田美津子
★青き踏む心の翼ひろげつつ      阿部睦代


 第1句、忘れたくとも忘れられないことは無理をして意識の外に追いやることはできない。いつまでも頭の片隅に残る。無理にもがいても仕方がない。思い切ってそんな嫌な忘れたいことを抱えつつ、春の野を歩めば、土の匂い、草の香り、木々の新芽の光、春の大気の香しさを身に纏うとよい。いつの間にかいといたくなるような忘れたいことは、意識の外に追いやられてしまう。春は、否自然の生き生きとした営みは人の悩みを吸い取ってくれる。
 第2句、家を一歩出て歩き始めると心は不思議と解放される。特に春の陽気は他者に対して閉じてしまった気持ちを、徐々にではあるが確実にほどいてくれる。作者はその気分を「心の翼をひろげる」と表現した。
 「青木を踏む」、確かに踏めばそこから春の陽気が踏んだ人の体に充満してくる。活力が編まれる。

本日は「偲ぶ会」

2018年04月20日 00時06分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 作業は終了。一応予定していた作業は終わった。

 日付も変わって、本日は、私どもの退職者会から中央の役員も務めたかたが亡くなりその「偲ぶ会」=お別れの会というのであろう。退職者会というのは、このような活動が大切な役割でもある。
 フォーマルな格好はしなくてもいいが、一応黒っぽいズボンと白のワイシャツの姿で参加予定。黒いネクタイはリュックに詰めていく。会場内では背広は窮屈で暑苦しそうなので、メッシュのベストを着用するつもり。
 カメラマン役として、会場内をまわって写真を撮ることを依頼されている。14時から15時半くらいまでのタイムスケジュールだが、私など事務方は11時に集合となっている。多分後片付けも手伝い、終了は16時過ぎであろうか。
 帰りは事務方の慰労会もあるはずなので、帰宅は遅くなる。

月と宵の明星とアルデバラン

2018年04月19日 23時12分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 日没後、北西の空に三日月と宵の明星が並んで見えた。三日月のすぐ下にはおうし座のアルデバランが見えた。一等星とはいえ、そして三日月とはいえ月の明るさのすぐ傍では一等星も弱々しい輝きである。

 このアルデバラン、アラビア語のアラビア語のアッ・ダバラーン(ad-dabar?n)に由来するが、意味は「後に続きもの」といわれる。プレアデス星団(すばる)に続いてのぼって来ることからついたようだが、和名でも「統星(すばる)の後星」とも「統星の尾」ともいわれ、アラビア語名の由来と変らない。不思議な命名である。
 またこの星、太陽から65光年と比較的近く赤く輝き、赤色巨星である。さらに惑星の存在が確定している。現在パイオニア10号がこの星の方向に進んでいることでも有名だが、アルデバランに最接近するのは200万年後といわれ、人類そのものが存在しているかどうかも分からない。

霧島山の噴火

2018年04月19日 20時50分24秒 | 天気と自然災害
 本日15時39分、霧島山が噴火したようだ。そして噴火警戒レベルが3に荷上がった。
 【気象庁の発表はこちら⇒http://www.jma.go.jp/jma/press/1804/19a/ebinokogen180419.html
 霧島山付近のえびの高原、かなり活動が活発のようだ。


豆ごはん

2018年04月19日 13時42分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 21日(土)夜の会議の資料作り、予定よりは早く8割くらい終了。残りは夜にすることにした。明るい陽射しの上、風もなく、外を散歩したくなった。買い物がてら二人で出かけることにした。
 昨日はグリーンピースの豆ごはん。俳句では夏の季語であるが、はたしてこのご飯に現代の人は季節を感じるであろうか。

★豆飯や湯気の彼方に戦後あり    高田やすを

 前後、とはどんなイメージなのか。言いきらぬが俳句なのだが、やはり気になる。終戦直後など特定の過去を回想しての句なのか、今現在が「戦後」だとの感慨なのか、それも分からない。人それぞれに「戦後」ということばに反応する。その個別の戦後の総体を引受けるなどできないが、人はそれぞれの自分のイメージの「戦後」に従って、「戦後」ということばを理解する。「戦後」は数億にたっする戦後に生きた人々の数だけ戦後のイメージがある。
 だが、これを忘却したり、基本となることをわざと捻じ曲げることだけは許されない。置いた人間には体験を誠実に伝え、忘却や捻じ曲げることや悪意ある解釈を正す責任がある。


本日も「仕事」がやっと終了

2018年04月18日 23時48分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は終日パソコンと睨めっこの作業。21日(土)の管理組合の会議のための資料作成日である。通常は2日か3日で作るのだが、20日(金)、21日(土)と退職者会の取組みと会議が入っているので、1日で仕上げないといけない。

 20日のイベントはカメラマン役で、11時~後片付けの終わる15時まで、その後打上げ。さらに21日(土)は朝9時から16時までは退職者会の総会と懇親会があり、19時からは管理組合の会議。総会のあとの懇親会ではアルコール抜きで参加する。19時からの会議は年度の引継ぎもあるので、欠席するわけにはいかない。

 続けてというのはなかなかつらい。


傘を忘れる

2018年04月18日 21時47分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 21日の退職者会の総会のための作業が15時過ぎに終り、歩いて帰宅。15時過ぎに組合の会館を出たときには雨はあがり、日が射し、暖かくなっていた。最高気温は17℃とのこと。
 傘を忘れずに持って帰る気持ちはあったが、横浜駅で100円ショップや家電量販店、書店、喫茶店を巡るうちにいつの間にか、傘がなくなっていた。透明なビニール笠。帰宅後ずっとどこに忘れたか、気になっていたが、ようやく先ほど思い出した。百円ショップで立掛けたままおいてきてしまった。
 家電量販店では新しいノートパソコンを入れるバッグをポイントで購入。

 本日はこれより軽くウォーキング

春の雨

2018年04月18日 00時55分31秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日も日付をまわってしまった。本日は9時前に家を出て組合の会館へ。そんな早く出かけられるか、心もとない。夕方まで作業が続くかもしれない。天気予報では午前中は雨となっている。既に夕食時から雨が降り始めていた。
 幾度か窓から手を伸ばして雨を状態を確かめたが、少しずつ雨足が強くなってきた。近くのドラッグストアまで傘をさしての買い物。
 風呂に入る前に歳時記を開いてみた。

★裏山に山吹咲かせ人住まず       和田ゑい子
★夏みかん一つ落ち身の置場ない湿度   吉川通子
★手を伸べて闇にたしかむ春の雨     加藤千代


 さっそく夕方に設定したノートパソコンをリュックに入れて持参予定。ただし出番があるかはわからない。


ノートパソコンの設定完了

2018年04月17日 21時35分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 新しいノートパソコンのカスタマイズ終了。一太郎と安い画像処理ソフト、PDF作成ソフト、住所録ソフトをインストール。12.6インチの画面のためとても小さく、慣れるまでは大変かもしれない。退職者会の会議などがあるときはこれを持って行くと、樂に文書や画像などのデータを変更できる。
 組合の会館のパソコンはやはり自分用にカスタマイズさせた画面ではないので、使いづらい。データ入力や文書作成をするのに時間がかかっていたが、これを使えばかなり効率的に処理できそうである。
 会議の合間にデータの変更も会議室で処理できるので、処理を忘れることもなくなりそう。用途は今のところ、退職者会の会議での使用のみ。ネット接続は接続料金がかかるので、接続せずに単体として使用する予定。
 しかし高い買い物である。元を取る樹で活用しなくては‥。

空が重くのしかかっている

2018年04月17日 11時33分11秒 | 読書
 これより、土曜日のイベントに向けて買出し。伊勢佐木町、関内近辺で買い物と配送を依頼する。
 天気はあまり思わしくないが、夕方までは降らないらしい。夕方からは来客予定。

 先ほど送信したメールが届いていない、というトラブル発生。出かける寸前で慌てている。