Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

増冨温泉1泊を予約

2018年05月27日 12時14分05秒 | 山行・旅行・散策
 午前中は団地の集会所で打合せ。

 本日から増冨温泉と金峰山登山という予定は、天候の関係で明日の午後の出発に変更した。本日増冨温泉の旅館に予約の電話を入れた。
 金峰山登山は微妙である。天候は曇だが「雷雨に注意」となっており水曜日は雨のち曇り。山登りは止めて増冨温泉1泊、翌日に登山口まで歩いて帰って来ることになりそうである。ひとりならば本日出発して登山をして帰って来ることも考えたが、二人の場合は無理はできない。
 温泉1泊でも疲れた頭にはいい回復になるのではないかと期待している。夜にかけて一応登山の準備をして明日午後の出発にそなえる予定。

気分的に少し楽になってきた

2018年05月26日 22時52分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ここ数日、頭の上の重しが消えかかったような気がする。年明け、特に3月以降の切羽詰まったような気分、いろいろの業務がどっと押し寄せて、処理を始めるまでに大きなエネルギーが必要な気分が少しずつ晴れあがっているようだ。
 気分的に前向きということばがあるが、それがぴったりと当てはまっている。もしも一つ一つの処理が滞ったり、処理スピードが遅くなっているようだと危険信号であるが、そこまではいかなかったと思う。歳をとって処理能力は明らかに落ちている。それを超えるのはかなり心的にもこたえる。
 だが、気をつけないといけないのは、このいっけん回復過程に落とし穴があることである。気分的に楽になるとつい調子に乗って、何か大切なことを見落として処理をしてしまうことである。そのようなミスに気がついた時の落ち込みかたは精神的にひどくこたえる。回復過程ほど慎重にしなくてはいけない、という自覚を常に持ち続けたいものである。

 美術館・博物館めぐりも無理のない範囲で徐々に再開したい。


ようやく帰宅

2018年05月26日 20時50分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 国会包囲行動に久しぶりに参加。かろうじて最期の45分間は集会に参加できた。その後参加者10名余りの内6名で新橋駅の傍にある店に繰り出した。国会行動の時によく立ち寄る店でである。我が退職者会御用達の店と言ったところ。安いし魚料理が安いし、お酒の種類も多くそして安い。

 16時頃から2時間近く居座ってあれやこれやのおしゃべりが続いた。18時半頃に新橋駅から横浜駅まで東海道線に乗ったもののやはり仕事帰りの勤め人でかなりの混雑。久しぶりに通勤時間帯に電車に乗ったような気がする。

これから国会前へ

2018年05月26日 14時19分28秒 | 読書
 本日は昼から組合の会館で会議。14時前に会館を出てから国会周辺へ。14時に集合している他の会員とうまく合流できるか、難しそうである。国会前にたどり着いても参加できる時間も短そうであるが、やむを得ない。

 終了後は、参加者で集まって居酒屋に繰り出しているはずなので、そこに合流するのが目的といわれてしまうかもしれない。
 

紫陽花が咲き始めた

2018年05月26日 10時24分59秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 紫陽花は梅雨時には欠かせない花。四葩(よひら)ともいう。花びらに見える萼(がく)の中心に小さな粒状の花をつけるためにつけられた名称。初め白い色から次第に赤紫、または青紫に変化するので七変化ともいわれる。

★あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ   橋本多佳子
★あぢさゐの毬は一つも地につかず   上野章子
★あぢさゐのどの花となく雫かな    岩井英雅
★水よりも土が濡れゐて額咲けり    草間時彦


 私は濃い青紫の紫陽花がことのほか好みである。青系統は土壌が酸性土の場合、赤系統は土壌がアルカリの場合といわれるが、隣同士で色に違いがある場合もあるようなので、この説に納得はしていない。
 紫陽花の花を見るとき、花が地面に近い生もあるが視点が土に近くなる。そして梅雨時の雲が空から垂れこめて頭の上に重しが載ったような気分になることもある。その時に紫陽花の花が明るく透明に美しく見えるか、空と同様に暗いイメージで紫陽花が目に飛び込むか、イメージの差が著しい。気分次第でもある。

 そして私が紫陽花と対照的に感じる花が百日紅である。これは高い青い空が似合う。梅雨明けにその存在にハッとすることが多い。梅雨時の鬱陶しさを払った気分で見あげるとき、そして夏の暑さに打ちひしがれるように見るとき、こちらも気分で落差は大きい。

★咲き満ちて天の簪百日紅       阿部みとり女


長野県栄村で震度5強

2018年05月25日 23時32分03秒 | 読書
 23時15分の気象庁発表では、21時13分ころ発生。震源地は、長野県北部(北緯36.9度、東経138.6度)で、震源の深さは6キロ、マグニチュードは5.2。最大震度は5強で、長野県栄村北信。
 また、この地震による津波の心配はない、とのこと。

 深度5強はごく狭い範囲である。しかし5強では被害が出ている可能性は高い。家屋被害、崖崩れなどもあるかもしれない。夜でもあり、被害は明るくなるまで分かりにくい。またこれまでに余震は23時までに7回を数えている。
 気象庁発表の詳細は【http://www.jma.go.jp/jma/press/1805/25b/kaisetsu201805252315.pdf】。この発生場所は2011年の東日本大震災の地震の翌日にマグニチュード6.7の大きな地震が発生したところと重なる。当時この地震は、東日本大震災をひき起こした地震の「誘発地震」として注目を浴びた地震である。今回は元になった大きな地震はない。

横浜美術館で「ヌード展」

2018年05月25日 21時19分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日の午後は思い切って横浜美術館で「ヌード展-英国テート・コレクションより」を見てきた。今年に入ってから忙しさに押しつぶされるようになっていて、清宮清文典、熊谷守一展、ルドン展以来の美術展である。もう少し頭が十何になってから行こうと思っていたが、会期があと一カ月となり、少し慌てた。
 展示構成は、
1.物語とヌード            2.親密な眼差し
3.モダン・ヌード           4.エロティック・ヌード
5.レアリスムとシュルレアリスム    6.肉体を捉える筆触
7.身体の政治性            8.儚き身体
という8部構成である。

 ホームページには次のような解説が記されている。

ヌード――人間にとって最も身近といえるこのテーマに、西洋の芸術家たちは絶えず向き合い、挑み続けてきました。美の象徴として、愛の表現として、また内面を映しだす表象として、ヌードはいつの時代においても永遠のテーマとしてあり続け、ときに批判や論争の対象にもなりました。
本展は、世界屈指の西洋近現代美術コレクションを誇る英国テートの所蔵作品により、19世紀後半のヴィクトリア朝の神話画や歴史画から現代の身体表現まで、西洋美術の200年にわたる裸体表現の歴史を紐ときます。フレデリック・ロード・レイトンが神話を題材として描いた理想化された裸体から、ボナールらの室内の親密なヌード、男女の愛を永遠にとどめたロダンの大理石彫刻《接吻》[日本初公開]やシュルレアリスムの裸体表現、人間の真実に肉迫するフランシス・ベーコン、さらにはバークレー・L・ヘンドリックスやシンディ・シャーマンなど、現代における身体の解釈をとおして、ヌードをめぐる表現がいかに時代とともに変化し、また芸術表現としてどのような意味をもちうるのか、絵画、彫刻、版画、写真など約130点でたどります。
2016年のオーストラリアを皮切りにニュージーランド、韓国へと国際巡回する本展。待望の日本上陸です。


 さらに見どころとして、
1. テーマは「ヌード」。西洋の芸術家たちの挑戦の軌跡を追う。
「ヌード」は西洋の芸術家たちが絶えず向き合ってきた永遠のテーマです。しかし、「ヌード」をテーマにした大規模な展覧会は前例が少なく、挑戦的な試みです。本展は、この難しいテーマに意欲的に取り組み、ヴィクトリア朝から現代までのヌードの歴史を辿ります。
2. 近現代美術の殿堂、英国テートからヌードの傑作が集結。
1897年の開館以来、世界屈指の近現代美術コレクションと先進的な活動で常に美術界をリードしてきたテート。その至高の作品群よりヌードを主題とした作品が集結します。ロダンの大理石彫刻《接吻》をはじめ、ターナーが描いた貴重なヌード作品や、マティス、ピカソ、ホックニーなど19 世紀後半から現代まで、それぞれの時代を代表する芸術家たちの作品が出品されます。
3. ロダンの大理石彫刻《接吻》が日本初公開!
ロダンの代表作であり、男女の愛を永遠にとどめた《接吻》。情熱に満ち、惹かれ合うふたりの純粋な姿が、甘美な輝きに包まれています。「恋愛こそ生命の花です」*、こう語るロダンにとって、愛することは生きることそのものであり、また制作の原点であったといえるでしょう。ブロンズ像で広く知られる《接吻》ですが、高さ180センチ余りのスケールで制作された迫力の大理石像は世界にわずか3体限り。そのうちの一体がついに日本初公開です。
*高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』より


と些細されている。

 本日はまずは展示全体を見ることに主眼を置いて回った。いくつか印象に残った作品を挙げると、
・フレデリック・レイトンの「プシュケの水浴」(1890)
・ハモ・ソーニクロフトの「テウクロス」(1881)
・グウェン・ジョンの「裸の少女」(1909-10)
・クリストファー・リチャード・ウィン・ネヴィンソンの「モンパルナスのアトリエ」
・ピエール・ボナールの「浴室」(1925)
・アンリ・マティスの「布をまとう裸婦」(1936)
・パブロ・ピカソの「エッチング 156シリーズ」(1971)
・フランシス・グリュベールの「ヨブ」(1944)
などなど。

 個別の感想は後日アップ予定。

   

夾竹桃はまだ咲いていないが‥

2018年05月25日 13時29分14秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は風が強い。次第に強くなってくる。10メートル近い風である。風向きは南風。
 午前中に石楠花の句を1句取り上げてみた。雨と陽射しを基準とした対照的な花は、私のイメージでは、石楠花と夾竹桃、紫陽花と百日紅である。
 石楠花は水分が多くしっとりとしている情景が似つかわしい。対照的なものが、夾竹桃である。梅雨が明けて陽射しが強くなると咲き始める。こちらには雨は似合わない。

★夾竹桃身の裡の鬼なにで消す     錦織光江

 夾竹桃のすべての部分には毒が含まれる。燃やした時の煙や周囲の土にも含まれるという。枝がまっすぐなのでキャンプなどの時に箸などの代わりに利用しようとする。危険である。この句の鬼はこの毒からの連想。消す、は毒消しからの連想でもある。
 強い陽射しを受けて燃え上がるような夾竹桃の花は身の裡の燃え上がる情念、執念のようなものである。抑え込むことの難しい情念が、怨念とならないよう気をつけたいものである。

石楠花

2018年05月25日 10時42分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★石楠花に手を触れしめず霧通ふ    臼田亜浪

 この句、登山経験のあるかたならば実感できる。石楠花の咲くころは梅雨直前。ガスが立ち込めるなか咲いている石楠花の薄い花弁は朝の露が表から裏に、裏から表に通り抜けていくように透けて見える。そんな花に手を伸ばしてみようとしてもガスがかかってきてさっと花を隠してしまう。湿度100%の空気、とはいえ決して不快ではない。
 関東近辺では奥秩父の山々の石楠花が私には印象的であった。登山に行くと石楠花が山の奥深さを実感させてくれる。霧の中をひたすら歩くことで、人は回生する。石楠花に異性や友人や、夢や理想をダブらせるのは受け手の勝手である。
 なお、「石楠」は臼田亜浪の創刊した俳句誌。

雷雨には見舞われずにすんだ

2018年05月24日 18時42分52秒 | 天気と自然災害
 2回目の強い雨の区域はさいわいにも横浜の東部と北部には雨をもたらさなかった。南部と西部は雨が降ったようだ。しかし特に強い雨が長く続いた様子はない。
 2回目の雨の区域が海上に抜けると、強い陽射しの太陽が再び顔を出し、暑くなった。最高気温は13時半過ぎの25.5℃。南関東では横浜は最高気温が少しだけだが低い方らしい。
 強い日差しの中、かなり遠回りをして1時間40分ほどかけて横浜駅から自宅まで歩いた。昨日ウオーキングできなかった分を取り戻すべく夜のウォーキングも忘れないようにしたい。

 さて、日曜日の午後に出かける増冨温泉は月曜日に雨マークがついてしまった。日曜日の降水確率40%、月曜日が60%、火曜日が30%。登山は遠慮した方がよさそうだ。登る用意はしていきたい。ただし妻と同伴なので、無理は禁物といったところか。それでもシャクナゲを見にバスの終点にある山小屋までは行ってみたいと思っている。

竜巻注意情報

2018年05月24日 14時25分05秒 | 天気と自然災害
雨はほぼ上がった。雷は鳴らなかった。雨もごく短時間で終わった。青空も見えている。
しかし今度は相模川沿いに別の強い雨の区域が南下している。こちらのほうが範囲が広い。
これにともない県下に竜巻注意情報が出た。
当分この不安定な天気が続く模様。


横浜に豪雨情報

2018年05月24日 13時53分57秒 | 天気と自然災害
にわかに黒い雲が空を覆ってきた。時間あたり50ミリを越える雷雨が1時間以内にやって来るらしい。レインアイよこはまの画面を見ると、多摩川の上流から川沿いに80ミリ以上の雨の区域が南下してくる。しばらくは要注意である。
横浜市からも豪雨情報のメールが来た。他のサイトからもきた。
今ちょうど降り始めた。

暑くなる予感

2018年05月24日 13時27分23秒 | 天気と自然災害
午前中の会議と講演会は時間どおりに終了。昼食後、旧東海道を歩いて横浜駅に到着。
風もなく、雲も見当たらず、直射日光がまぶしい。かなり気温が上がりそうである。

昨日の雨は明け方には止んで、朝は眩しい日の光で目が覚めた。昨日の朝の予報では本日の昼まで雨が降る予想だった。このような〝ハズレ〟は悪くない。

しばらく読書タイムののち、また歩いて帰宅。

増富温泉行きを計画してみた

2018年05月23日 23時00分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日雨が小降りなので横浜駅まで往復を傘をさしながら歩いてみた。さらに横浜駅の地下街の南北2本の自由通路、それを結ぶ通路、東西の地下街をあるこうとしたが、体力的に疲れているようなので、地下街ウォーキングは断念して喫茶店で1時間半ほど寝てきた。頼んだコーヒーも半分ほどで飲まずに店を出た。
 夜になってまた小雨の中を15分ほど歩いてみたら、それほど疲れた感じはなく、ほっとしている。

 この1年、だいぶ疲れたみたいだということで、温泉と山にでも行ってみようか、と妻と合意。山梨県の増富温泉を起点に金峰山・瑞牆山の地図を購入してきた。来週の日・月・火の3日間の予定を組んだのだが、3日館とも曇りのマークになってしまった。山では雨模様の可能性が高くなる。

 今の季節シャクナゲが見頃と期待しているが、残念。登山は無理でも増富温泉までは行ってみたい。増富温泉には40年前に行った。今も当時も36℃以下の極めてぬるい温泉である。当時行ったのが冬であったし、上がり湯もたくさんはなく、お風呂に入ってかえって冷え切ってしまい、あまり暖かくない部屋の炬燵で震えていたのを鮮明に覚えている。今回はせめて40℃くらいの上がり湯に「体ごと浸かれる上がり湯」のある旅館を選ぼうと思う。
 増富温泉郷でもシャクナゲは見られるのではないかと幾ばくかの期待はしている。

宮崎進「旅芸人の手帖」から(3)

2018年05月23日 18時12分44秒 | 読書
   宮崎進「小屋のある丘」(1969)



「そこにあるのは裸の私
 シベリアも、北の、この風景も、
 私には、泥土と石ころの
 同じ荒れ地なのだ。」

「夢見ながら、時空をさまよう。
 現実なのか、虚構なのか、
 ただ自分の実体に迫りたくて、漂い続ける。」

「私が旅の芸人たちを描いたのは、1960年頃から70年にかけてである。その頃、私は時折、題材を求めて旅をした。とくに灰色の空、褐色の土、群がる黒い鳥など、死を思わせる荒涼とした風景が好きだった。そんな地方で出会った小屋掛けの見世物一座をテーマにしたのが、見世物芸人という作品である。私は長いあいだ、こうした人たちを描いてきた。だが、彼らのことを何も知らない。何処から来て、明日は何処へ行くのか‥。」


 この本を読むたびに思うことがある。私が10代から20代前半にかけての1960年代から70年代にかけて小屋掛けの見世物一座というものが、理解できないところがある。10代後半から20代前半の、1960年代後半から1970年代前半にかけて、首都圏や仙台で暮した私にはこのような見世物小屋の世界を垣間見ることはなかった。
 そのことが私にはとても不思議である。これが1950年代から1960年代前半といわれればまったく記憶がないとはいえない。この10年の差が私にはよくわからない点である。