Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨が降り出した

2019年08月26日 23時33分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 つい先ほどから雨が降り出した。本降りの雨である。眠気覚ましに、歩いて10分ほどのドラッグストアに二人で出かけた。若干の買い物をしてすぐに戻ったが、その時の空は厚い雲は3割ほど。星は良くは見えなかったので薄い雲がかかっていたかもしれない。しかし雨が降るような感じの空には見えなかった。

 レインアイよこはまを見るとつい先ほどまでは我が団地より海側に強い雨の区域が停滞していた。今はここも含めて市内に2か所ほど狭い雨の区域がある。強いところで時間雨量に換算して50ミリの雨が降っている。

 大雨・雷注意報が横浜市域に出された。しかし雷鳴も雷光もまだ感知していない。

 明日は曇りの予報であるが、天気は不安定のようだ。明日も最高気温は30℃に達しない予報となっている。

 


ツクツクホウシ

2019年08月26日 21時23分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昼間、家の南側の樹木でツクツクボウシが鳴いていた。私はまったく気がつかなかったが、妻が気がついて教えてくれた。鳴いているのは1匹だけのようだ。まるで朝のうちに私がツクツクホウシの声が聞こえないというのに反発するように鳴いていた。

 本日の横浜の最高気温は29.5℃と30℃を超えなかった。

 先ほどからとても眠い。睡眠薬で寝かされているようにキーボードをたたいていると、スーッと眠りに入ってしまう。幾度眠りに落ち、幾度目が覚めたか。

 いったん寝てくることにした。

 


秋の蝉

2019年08月26日 11時20分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩、ベッドに入ってから横浜市域には大雨・洪水警報が出ていた。1時半すぎに発表になりから4時ころに解除のメールが届いていた。
 レインアイよこはまを見ると私の住んでいる地域を掠るように強い雨の区域が北西から南東に移動していった。雨の区域はごく狭い。それが県内には数か所散ばっていた。現在は千葉県側に強い雨の区域がある。少しは降ったと思われるが、家の中では雨の音は聞こえなかった。朝8時に起きたときには路面も植込みの葉も濡れてはいなかった。

 秋の蝉としては法師蝉(ツクツクホウシ)、や蜩(ヒグラシ、カナカナ)などを私は思い浮かべる。団地の中では以前はツクツクホウシの声がよく聞こえていた記憶がある。最近は聞いていないようだ。ただし断言する自信はない。聞こえていても認識していなかったり、忘れていたりする確率の方が高い。

★ひぐらしに肩のあたりのさみしき日   草間時彦
★暁蜩みとりに果てのありしなり     宮津昭彦
★鳴き立ててつくつく法師死ぬる日ぞ   夏目漱石
★また微熱つくつく法師もう黙れ     川端茅舎

 昨日、18時半頃に家の傍の地下鉄の駅の階段を上って道路に出たときに、すでに日が暮れて暗くなりかけていた。もう日の入りがこんな時間になったのかと「秋」を今年初めて実感した。
 第1句、夕方に鳴くという蜩、8月も末になると夕陽の勢いも衰えかけ、赤味の増した夕陽が心なしかやさしく感じることもある。暑いのは間違いないが、「温み」を感じる夕陽の色である。斜めの陽射しが柔らかい。
 はじめこの句を読んだとき「ひぐらしの肩に‥」と読み間違えて、ヒグラシにあたる夕陽が柔らかくなった、と誤読した。景色としては悪くもないが、浅い感傷の情景描写になってしまう。読んでいる主体が前面に出てくるには、「さみしき日」は作者にあたっていないといけない。
 第2句、近しい人の死に臨んでいたのであろう。一晩経った。ひぐらしが朝から鳴き始めた。亡くなった方がひぐらしに再生したのだろうか。
 第3句、ツクツクホウシの生の最後の叫び、胃潰瘍の大量吐血で伏していた漱石は、その最後の叫びを受けとめるだけの余裕が生れていた、と私には読めた。回復の兆しを実感しなければ、死の直前の叫びを「鳴き立てて」と表現できないのではないか、と思ったのだ。回復の兆しを実感していないと、次の句のように「もう黙れ」と耳を塞ぎたくなったのではないか。
 第4句、漱石の句よりもこちらの句の方が切実である。病に対する恐怖、打ちひしがれた感情が噴き出ている。川端茅舎は43歳で肺の疾患により亡くなっている。


「処暑」

2019年08月25日 23時19分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 やっぱり頭が満足に回っていない。15分ほどのごく短いウォーキングの後、シャワーを浴びてから、妻と会話をしていたら、うまく話がかみ合わない。今日が月曜日と思い込んでいた。本日のいつの時点から月曜日だと思い込んだのか、不明である。
 少なくとも朝、NHKの日曜美術館で原三渓を取り上げた番組を見たのは覚えている。その後、退職者会ニュースの原稿の手直しが生じたので、明日に目を通してもらうつもりで印刷所等に送信した。このときもまだ日曜日という認識があった。
 また夕方横浜駅に出向いて、文房具を探した。その時も人出の多さを見て、「日曜日であること」を再認識している。ということは、19時から21時の間に、頭の中が日曜から月曜に切り替わってしまったということになる。
 どうも釈然としない。何がいけなかったのか、単なるもの忘れなのか。
 あまり考えても落ち込むばかりなので、とりあえずは忘れてしまおう。

 さて一昨日が二十四節気のうちの秋の二番目の「処暑」のはじまり。「暑さがおさまる」という意味という。これから15日間で涼しさがやってくるのだろうか。もっとも34℃を切るようになったのだから、暑さのピークは過ぎている。
 すくなくとも、高くて白い細かな雲、湿度の低く心地よい風、27℃くらいの気温、細く長く響く虫の声、これがないと秋という感じがしない。

★水平に流れて海へ処暑の雲       柿沼 茂
★水うましうましと処暑の木曽にをり   菅 美緒
★カサルスのセロ聞えくる処暑の朝    堀島濤平

 確かに秋の大気にチェロの音はいい。「鳥の歌」が響くと空が高くなる。


本日は休養日・休肝日

2019年08月25日 20時21分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は少し呑み過ぎたようだ。どうもスッキリしない。血圧は特に高くはないが、だいぶお疲れモードである。どうじにあまり頭が回らない。午前中にアップした記事の内容を夕方に思い出せなくて随分悩んだ。外出していても、スマホを見ればすぐにわかることなのに、それをしないで、思い出そうとしていた。
 家に戻ってからようやく思い出した。

 さて、本日の最高気温は14時半過ぎの31.4℃。34℃からは2.5℃ほど低いだけなのだが、とても低く感じた。31℃台と34℃台、ずいぶんと体感に違いがある。34℃台では外出をしたくなくなる。

 昨日の坂本繁二郎展の感想はまだ手を付けていない。やはり夕方からは飲み過ぎだったのか、気力が湧いてこない。今晩は無理をせずに、早めに就寝した方がよさそうである。


「秋」を感じる朝

2019年08月25日 11時18分12秒 | 俳句・短歌・詩等関連

  昨晩は23時過ぎに横浜駅から少しばかり遠回りで歩いて帰宅した。いつもより時間にして10分位多めに、バスが通らなくなったバス通りに沿って歩いた。川沿いの道から急な登坂を経て尾根道に出る。いつも夜のウォーキングをする尾根道である。少し涼しくなったとはいえ、この急な上り坂で大汗をかいた。
 歩いている途中でいくつもの蝉が道路上で短く鳴き、バタバタともがいているのを目にした。中には車道の真ん中でもがいている蝉もいた。車に無惨に轢かれる蝉も多いのだろうか。
 家に着くとすぐに風呂場でシャワーを浴び、温めの浴槽で一息。深酒と軽いウォーキングの後はこれがわたしにとっての贅沢、至福の時間である。

 本日の湿度は10時現在で58%、それほど低くはないのだが、暑さが少し和らいでいるので、気持ち的には「秋」、「初秋」を感じた。
 ベランダには蝉が一匹(蝉は「頭(とう)」と数えるのだそうだが、どうもピンとこない)死んでいた。

 午前中から昼にかけて、チラシの原稿をA4一枚作成予定。これを送信して本日の無償労働は終了。

★落蝉の眉間や昔見しごとく     山口誓子

 クローズアップした蝉の貌。少年の頃に蝉取りをして見つめた蝉の貌を思い出したのだろうか。落蝉の貌は昔見たそのままであった、というのが句意である。だが、山口誓子だから、そこで終わらせているとも思えない。

 以下、私の穿ち過ぎの勝手な解釈というか、印象を述べてみる。

 成人してから蝉の貌を間近かで見ると、その相貌のごつさ、魁偉なつくりに驚き、そしてたじろぐ。ひょっとしたら普段知らない自分自身の存在の怖さに気がつくこともあるかもしれない。蝉の貌に自分の知らない怖ろしい自分を見てしまったのかもしれない。あっさりと「昔見しごとく」としるされているが、それは「見た」という動作が昔と今とで同じ、というだけだ。
 今はもっと何か別のものを見出している。成人して、「怖さ」を知ったのである。その「怖さ」は人によって違う。読み・感じた人それぞれが「どきっ」とする戸惑いを作者がどこかでそっと覗いている。


友人を偲ぶ会

2019年08月24日 19時12分51秒 | 思いつき・エッセイ・・・

友人の偲ぶ会にはだいぶ人が集まった。いつもの居酒屋を貸し切って、それぞれが思い出を語った。ワイワイと賑やか。このように偲ばれるのは嬉しい。わたしのときはこのようにたくさんは集まらないと思うが、それぞれに楽しい時間を過ごしてもらえるならば、ありがたいと思う。


「没後50年 坂本繁二郎展」

2019年08月24日 15時12分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

  練馬区立美術館で「没後50年 坂本繁二郎展」を見てきた。練馬区立美術館は初めて訪れる。美術館自体の収蔵品も充実しているようである。今回の展覧会の概要は次のとおり。

「没後50年 坂本繁二郎展」
会 期  2019年7月14日(日)~9月16日(月・祝)
     会期中展示替えあり。約20点の作品が入れ替え
     後期 8月20日(火)~9月16日(月・祝)
休館日  月曜日(9月16日(月・祝)は開館)
開館時間 午前10時~午後6時 *入館は午後5時30分まで
観覧料  一般1,000円、高校・大学生および65~74歳800円
主 催  練馬区立美術館(公益財団法人 練馬区文化振興協会)、毎日新聞社
特別助成 公益財団法人石橋財団

 ホームページには解説として以下の文章が掲載されている。

 坂本繁二郎(1882-1969) は福岡県久留米市に生まれます。同級生に青木繁(1882-1911) がおり、互いに切磋琢磨する青年期を過ごしています。20 歳で青木を追うように上京。小山正太郎の主宰する不同舎に学び、展覧会出品作が数々の賞を受けるなど順風満帆な画業をスタートさせます。39 歳の時に渡仏し3 年間の留学生活を終えると、その足で家族の待つ久留米に帰ります。以降、画壇の煩わしさを避け、郷里にほど近い八女にアトリエを構え、文人のごとき作画三昧の生活を送ることとなります。戦後になって、九州の彼の地で戦前と変らぬ穏やかさをたたえた作品を制作し続けていた坂本が“発見” されます。坂本の人となりと作品は瞬く間に人々の注目と喝采を浴びる存在となり、74 歳の時に文化勲章を受章するにいたります。 坂本は、ヨーロッパ留学までは牛を、帰国後は馬を、戦後は身の回りの静物、最晩年は月を主なテーマとして取り上げます。限られたテーマを描き続けた坂本の作品は、同じモティーフを取り上げながらも一つ所に留まることはなく、主題は平凡でありながら、精魂を傾け仕上げられた画面は厳かな静謐さを秘めています。「描きたいものは目の前にいくらでもある」という言葉は、奇をてらうことのなく、自然と向き合い対象を凝視する彼の作画態度を表した言葉といえましょう。
 本展は、坂本の最初期作から晩年まで、彼の絵画が成熟していく過程を人生の歩みとともに明らかにしていくものです。約140 点の油彩、水彩、水墨画等に加えて、互いに磨きあい、支えあった盟友、青木繁の作品も合わせて展示します。

 図録も購入した。感想を是非とも記載したい。懐かしい作品、はじめて見た作品、どれも私にとっては心落ち着く作品ばかりである。鑑賞タイムは100分越え。これより休憩のコーヒータイム。足が棒のようになっている。だが至福の時間。






本日の予定

2019年08月24日 09時19分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の最高気温は横浜で30℃。ずいぶん低く感じた。本日は昨日とは違い33℃位まであがるらしい。

 昨晩、窓の外ではときどき蝉の短く鋭い大きな声が聞こえ、同時に秋の虫が、リン・リン、リリリリと、か細いが息の長い声が続いた。蝉の声は蝉の最期の断末魔のようにも聞こえた。音の世界の移行期であることを実感した。
 蝉も秋の虫も呼吸に関連する声ではないのだが、鳴き声、息の長い等々という表現である。これがしっくりとするのが不思議である。

 さて本日は、昼までに所用をすませ、練馬区立美術館に向かう。昼食時間がとれるといいのだが・・・。

 そして多分雨の心配はないと思われるので、傘は家において出るつもり。本日行く予定の「坂本繁二郎展」の図録などが濡れてしまうと困るので、持参したかったものの、重くなる。図録はしっかりとビニールの袋に入れてリュックにしまう予定。
 いつもの15リットルのリュックではなく、20リットルのリュックに変えてみた。

 東横線、副都心線、西武池袋線と乗っている時間が長そうである。読書タイムが取れるとありがたい。
 夕方17時には新宿についていなくてはいけないが、遅れる可能性もある。


下弦の半月は見られず

2019年08月23日 23時37分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日雨も降り出してあまりウォーキングが出来なかったので、本日は少々長い時間かけて歩いた。下弦の半月、すがたを見せるのは22時40分であるが、東の空はほとんど暑い雲に覆われとても見ることはできなかった。マンションの横で雲の間から顔を出すかと思い、道路上で東の水平線の見える方向をしばらく眺めていたが、無理だとあきらめて団地に戻ってきた。

 明日は、午前中に所用があり、家を10時前に出る。可能であれば昼から夕方にかけて練馬区立美術館に出かけて「没後50年 坂本繁二郎展」を見に行きたい。西武池袋線中村橋駅の近く出る。初めての美術館である。
 夕方からは友人を偲ぶ会。

 中村橋駅は東横線から乗り換えなしで行くこともできるらしい。これからネットで調べることにした。
 その後の夕方からの友人の偲ぶ会はだいぶ時間がかかるようだ。日付が変わる前に帰宅したいものであるが、どういう流れになるか不明。


奇遇というか・・・

2019年08月23日 19時29分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 先ほど帰宅。15時半頃にいつもの喫茶店に入ったら満席。別の喫茶店で読書中にどういうわけか妻が所用を済ませて喫茶店に入ってきたらしい。読書中の私はそのことはまったく気がつかなかった。私の右横に妙になれなれしく女性が座るので不思議に思って隣りを見て驚かされた。
 40数年夫婦を遣っているのだから、入る喫茶店の好みも同じようなものになるのだろう。この喫茶店、チェーン店で安い。ときどき私は利用させてもらっている。そしてこのように予期せず妻と顔を合わせたことは過去にも2度ほどあった。

 帰りは隣の駅までは電車に乗り、重い買い物袋を持たされ、20分ほどあるいて帰宅。

 


とうとう横浜でも‥

2019年08月23日 13時31分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

  昨日できあがった原稿、いくつかの誤字・脱字・変換ミス・入力忘れが見つかった。不思議なもので、私と妻で数回見直してもまだ見つかる。それを直して、さらに新しい記事の挿入依頼があり、裏面に囲み記事を挿入。そのために既存の記事をかなり短く縮めた。  ようやく昼過ぎに出来上がった。

 これより横浜駅までいつものとおりウォーキングと読書タイム。視力の調子は昨日からずいぶん回復、とても良い。

 さて、「とうとう‥」続きになってしまう。
 退職者会ニュースの原稿で、挿入した囲み記事は、横浜の林市長の表明した「カジノを含む統合型リゾート誘致」の記者会見に対する見解。私達はずっとこれについては誘致反対の立場でこの間対応してきている。この立場の変更はできない。
 「白紙」という市長の選挙での態度表明が、どのようにして「誘致」という結論になったのか、まったく経緯が明らかではないし、庁内も、市民世論も、各種団体への根回しの状況も不明である。

 手続き的にも、そして産業政策、経済政策、経済の波及効果、カジノそのものの評価、すべて議論の積み上げが見えない。今の与党の政策の進め方を踏襲してしまっている。政策の選択、論議は丁寧に、透明に行われるべきである。
 前中田市長の時代に逆戻りしたような状況でもある。私はトップダウンをすべて否定するつもりはないが、重要な政策決定にはそれなりの手続きと納得性が必要である。
 根回しがもう済んでいるとしたら「白紙」が嘘であったことの表明でしかない。「白紙」を言明していたのなら、トップダウンによる決定ではなく、ボトムアップの手法が当然である。さまざまな資料提供をし、各団体からの意見聴取も公開で行い、そして議会でオープンに議論すべきである。その間に市民の公聴会やらパブリックコメントやら、シンポジウムやら丁寧に段階を踏む必要があったはずである。

 菅の政治手法がまかり通るようになってしまった。  


とうとう・・・ 《きな臭くなった4》

2019年08月23日 00時58分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 さて、日本・韓国間の軍事情報包括保護協定「GSOMIA」について、私はどうしても原因が安倍政権の側にあるように思われてならない。ロイター通信が「日本側が輸出管理の優遇対象国から韓国を除外したことによって『重大な変化』を招いた」と伝えているようだが、これが当然な判断と思う。
 日本政府は、輸出管理について事前にすり合わせをする姿勢を示さずに決定したとしか思えない態度を撮り続けている。外交ルートでもあの外務大臣が横柄な対応をくり返すのみ。安倍首相は徴用工問題と関連付けて説明する一方、経産省はあくまでも輸出管理の問題だと説明しており、矛盾している。対応も一貫していない。
 そして国会での説明も何もなされずに、事態だけがどんどん悪い方向に進んでいく。
 輸出管理での対応が、どのように波及するかという展望も見通しもなく、外交カードを切ってしまったと思われる。「外交の安倍」というのは本人の勝手な思い込みでしかない。
 もうひとつ。私には安倍首相が「北朝鮮と自ら向き合う」と見得を切ったのは多分にトランプに言わされたのだと思うが、もとより向き合う気などない首相が、そのための口実に韓国の文政権と喧嘩しているように思われる。これで拉致問題の解決は当分できないことがますますはっきりしてきた。仲立ちをしてくれるはずの国と、政権が勝手に喧嘩を始めてしまったのだから。
 まずは、政権同士の喧嘩の行方に、われわれ国民同士がひきづられてはならない。今の状況をみると、日本のマスコミも国民がひきづられているようにしか思えない。韓国では「反安倍」のプラカードを掲げている。決して「反日」ではない。

 


ウォーキングの効用

2019年08月22日 23時10分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ウォーキングの途中、尾根道では雨がわずかだが、ポツリポツリと落ちてきた。尾根道から逸れると雨は落ちてこない。あと15分程歩きたかったが45分ほどで切り上げてきた。ちょっと物足りないが、雨に濡れるよりはまし、とあきらめた。
 途中のドラッグストアで頼まれた買い物をして帰宅。買い物袋をぶら下げたウォーキングというのも、めずらしい。

 ウォーキングから戻ると視力はずいぶん回復していた。新聞も読める。パソコンの画面のかすみもあまり感じられない。体を動かすことは眼にもいいと考えて差し支えないのだろうか。メカニズムはわからないけれど。
 これから新聞づくりで見た資料をしまい、パソコン周りの書類を片付けてから風呂。本日は視力の使い過ぎなので、残念ながらもう読書は無理である。読書も出来ず、ウォーキングも物足りず、頭と体が少々いじけている。

 早めに就寝。

 

 


ようやく業務終了

2019年08月22日 21時29分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ようやく原稿が出来上がった。最後はちょっとヒヤヒヤ。しかし本当に眼が弱くなったものである。夕食時まで寝て、その後、妻に現行の誤字・脱字・変換ミスを訂正してもらった。だが、「ここはどうなっているの」と聞かれても、打ち出した紙面がよく見えない。
 目を近づけ、部屋のライトを明るくしてようやく読めた。10代の頃にはとても考えられない視力の衰えである。  印刷所と退職者会の他の役員に原稿を送信、チェックしてもらうところまでようやくたどり着いた。

 本日はこれにて業務終了。

 本日は親の住んでいる部屋までの往復460歩を3度ほど。合わせて約1500歩ほどを歩いただけ。これより夜のウォーキングで少し汗を流してくる。