Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夜の雲

2019年09月25日 23時42分00秒 | 思いつき・エッセイ・・・

   

 40分ほどの夜のウォーキング。雲が妙に白く空に浮かんでいた。
 孤立しながら存在感を示している雲、周囲から何かを巻き込むように自己主張している雲‥さまざま。
 雲というのは、見ていて飽きることがない。首が痛くなるほど眺めるのもまた楽しい。快晴の空はつまらないものである。

 人はなにごとにも人の感情を投影しながらものを見てしまう。私もそれからは自由ではない。雲にまで人の性格を反映してみてしまう。
 雲を見つけたのは、いつもの夜のウォーキングコースから30秒ほど離れた地点。高台になっていて北の方向の見晴らしがとてもいいところがある。川崎市中心部、大田区方向が遠望できる。昼も夜もなかなかいい景色である。
 ただし夜は住宅地の中なので、あまり長く留まっていると怪しまれる。夜遅くまで開店しているドラッグストアを目当てに人が通るが、景色や月や星を見ていると胡散臭そうに見られてしまう。

 


萩の花

2019年09月25日 21時44分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 13時から16時過ぎまで病院で過ごし、調剤薬局で薬を受け取ったのが17時に近かった。横浜駅まで出向いて1100円で散髪して帰宅したのが18時半過ぎ。
 病院と薬局で8千円ほども払う羽目に。行き帰りは歩いたので1万円には達しなかったが、バス・地下鉄を使用していればも1日で1万円を超えていた。なかなか厳しい出費である。

 病院の行き帰りに赤い萩が見事に咲いている家を見つけた。写真を撮ってみた。

★行き行きてたふれ伏すとも萩の原    河合曽良
★夜の風にこの白萩の乱れやう      桂 信子


気持ちの良い秋晴れ

2019年09月25日 11時45分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 枯葉も落葉も冬の季語なので、昨晩は俳句は引用しなかった。今はどちらかというと花が少ない季節だと思う。そろそろ菊が咲くのだが、団地の中では菊はない。私の階段室の先の茂みにこんな花がひっそりと咲いていた。ゴミのステーションの横にあった。
  秋の蝉が数匹で鳴いている。

 本日はすでにシュレッダーは配送してもらった。また親の隊員に合わせていくつかの電話をしたりするうちにもう正午近くになっている。そろそろ市民病院へ出かける準備を始める。

 天気は良い。最高気温は29℃の予想。乾いた弱い風が心地よく吹いている。とはいえすでに26℃を超えている。降水確率はほぼ0%。空の雲を見ながらゆっくりと歩いて病院へ向かいたい。


枯葉舞う

2019年09月24日 23時27分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 台風15号と17号の影響で大量の落葉がまだまだ道路上に舞っている。17号で小枝ごと地面に落ちた葉が乾燥し、枝から離れて舞うのである。風がないのにときどきカサカサと音を立てるのである。歩いていると後ろから人が迫って私を追い抜こうとしているのではないか、と慌てることがある。
 広い通りならば気にならないが、狭い歩道などでは身構えてしまう。特に夜など怖くなって思わず振り向くと、誰もいない。枯葉が舞っているだけ、という歌のような世界に引きづり込まされる。

 本日も昼間出かけたとき、明るいにもかかわらず幾度か振り向いた。先ほど夜のウォーキングに出かけたときも、すぐ真後ろでカサカサと音がして慌てた。しかし人影も、猫も、犬もいなかった。
 怯えるのには理由がある。私はかなり早く歩く。昼間でも夜でも追い抜かれることはまずない。ときどきジョギングや若いウォーキングの人に追い抜かれることはあるが、そのときは足音で分かる。そのために夜には真後ろで急に音がすると驚くのである。身の危険を感じてしまう。微かなカサカサという音におびえながら歩いているようなものである。

 例年ならば枯葉が道路上を舞うのはまだまだ先である。11月になってからだと思う。それほど今回の二つの台風の影響は大きい。

 さて、明日は午前中はシュレッダーの配送待ち、御子は市民病院で消化器内科の診察と検査、ならびに白内障の手術の説明。午後はずっと病院に居ることになりそう。


彼岸花・曼殊沙華

2019年09月24日 21時54分33秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 曼殊沙華は別名がたくさんあるが、死人花・幽霊花・捨子花などもある。それぞれにいわれはあるのだが、あまりに寂しい名である。

★むらがりていよいよ寂しひがんばな   日野草城
★曼殊沙華落暉も蘂をひろげたり     中村草田男
★曼珠沙華どれも腹出し秩父の子     金子兜太

 第3句は、金子兜太のまだ若い頃の作である。死や幽霊やらという否定的な意味合いの曼殊沙華のイメージをひっくり返して、たくましい子どものエネルギーと結びつけた。腹を出してたくましく遊びまわる子どもたちは、生の根源的ともいえる破壊力を秘めている。
 しかしこの根源的な力が社会の中でもまれて丸くなる、という言い方をされるが、私はそのようには思わなかった。金子兜太はその反骨の生を生き抜いた。私もそのように生きたいとおもう。

 若い力は危うく、頼りなく、そしてひょっとしたら手におえないような間違いも多い。しかし頭から否定はしてはならない、ということも必要である。先行世代がよりよき批判者・対話者とならなければならない。
 果たして私たちは今、このような立場に自分が立っているだろうか。自分とのよりよい対話も必要である。私は自分とそして友人との対話を通して、よりよき先行世代の論者を見つけ、自分なりにそれを取り込んだ。

 同時に、格闘する相手は心の中の対話を通じて、こちらの力に合わせて偉大にも矮小にも変化する、ということも真である。

 


秋彼岸、秋分の日そして彼岸花

2019年09月24日 10時10分47秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日は秋分であった。二十四節気のひとつ。この日一日を指す場合と、10月7日までの15日間を示す場合とがある。秋の彼岸の中日にあたる。昼と夜の時間がほぼ同じになる。
 「秋分」という季語よりも「秋彼岸」の方がより使われる。二十四節気云々よりも墓参と結びついてこの日を指すためであろうか。

★嶺聳(そばだ)ちて秋分の闇に入る   飯田龍太
★秋彼岸ものより影のおおきかり     藤枝大成

 第1句、「聳(そばだ)つ」は「山などがかどばって高く立つ。そびえる」ことをいう。峻厳な山であろう。秋分の闇に、月の明かりに、あるいは星や天の川が微かに照らす峰々は黒々とその存在を際立たせる。夜空とはいえ秋の澄んだ空はその黒々とした山巓をより際立たせている。山岳地帯の領域に入れば、山の冷気がそれをさらに鮮明に見せる。
 森林限界を超えた山の景色が「秋分」を境に厳しくなっていく。樹林帯の山の秋は紅葉の色合いによって「山粧(よそお)う」と形容するが、ここでは大気と光による感覚である。

 第2句、秋になり陽射しが低くなり、ものの影が長くなる。それはものの大きさよりも大きく見せる。これだけでは何の変哲もない形容であるが、何かの喩えのように受け取った。しかしそれはここでは何も記されていない。たぶん居丈高な人を前にした感慨なのだろう、周囲の人間関係のこじれなのだろうと想像するだけである。

 さてここから先は私の妄想。  この数年、日本では「忖度」がまかり通る世界。人が自分を大きく見せようとし、周囲はそれをより大きいかのように振る舞うことで、格下の自分をより大きく見せようとする。かつての身分制社会を繰り返しているかのような戦後70数年の日本である。なぜか社会批判めいた受け取り方をしてしまった。作者にとっては不本意だろうが。

 秋の彼岸に合わせて、私の住む団地でも彼岸花の芽が伸びてきた。

    


熱中症の体験

2019年09月23日 22時08分40秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 結局本日は雨は降らずに日付が変わりそう。風は相変わらず強い。気温が30℃を超えた。ぶり返しの暑さだと体が変調となりやすく、熱中症を発症しやすいと聞いている。しかも湿度が高かった。体調を崩した方が多いのではないだろうか。

 私も30年も前に今思うと熱中症と思われる症状になったときは、9月であった。詳しい気象状況は覚えていないが、9月半ばのカンカン照りの日で、突然眩暈がして、冷や汗がどっととめどもなく出始めた。
 その症状が出たのは、職場の敷地のなかの資材置き場であった。多分14時近くの一番気温の高い時間だったと思う。大きな木によりかかり、そのまま足を投げ出して座り込んだ。しばらく地面に転がっていた大きなコンクリートの塊を掴んで眩暈に耐えていた。そしてそのまま意識を失ったと思われる。
 どのくらい経ったか、全くわからないが、気がついたら症状がおさまっていた。作業服は汗でビショビショ。地面に足を投げたしたまましばらくボーっとへたり込んでいた。
 資材の数の点検に使っていた紙切れと下敷きが目の前にあったが、それを取る気力も湧かなかった。さいわい木の陰で直射日光にさらされなかった。これが良かったのかもしれない。

 しばらくして這うようにして建物の一階の車庫にもどり、頭から水を被ってから、風呂場に転がり込んで、服を脱ぐ気力もないままぬるま湯のシャワーを浴びた。ひと息ついてから来ているものを脱いで、下着は付けずに作業着の上下を少しだけ絞り、身につけて2階の更衣室で着替えた。2階の事務室内のクーラーが実に心地よかったのを覚えている。もう一度風呂場にもどり乾いたタオルで全身を拭いて、何とか落ち着いた。

 不思議なことに資材のチェックに使った紙と下敷きは風呂場に持ってきていた。それをもって再度2階に戻って自分の席についたら、だいたい15時半くらいだったと思う。外で資材チェックをしていた時間、木の下でへたり込んでいた時間は30分ちょっとくらいかなと感じた。

 自動販売機でジュースを飲んで、冷蔵庫に災害用にしまってあった梅干の大きいのを一つ食べた。そして一息ついてからはなんの問題もなく退庁時間を迎えることができた。しかし風呂に入った仲間が口々に、「脱衣場をビショビショにしたのは誰だ」と言っているのを耳にしたが、名乗りを上げる気力は湧いてこずにそのままにしてしまった。 

 これが私の熱中症の体験だと思う。最近では、昨年・一昨年の夏の昼間、急にクーラーの効き過ぎた店に入って眩暈がして、商品の棚につかまっておさまるのを待った経験がある。その時も冷や汗が大量に噴き出てきた。

 熱中症の眩暈というのはとても怖い。つかまるものがないとよろけて何処へへたり込んでしまうか、まるでわからない。車にでも惹かれてしまうかもしれないという恐怖がある。


シュレッダーが壊れる

2019年09月23日 20時03分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 一日中風が強かった。横浜地方気象台では正午前に最大瞬間風速21mを公表している。現在も風が唸っている。強風・波浪注意報は解除にはなっていない。
 横浜駅はかなり混雑していた。連休も台風で外出・遠出を避けた人が多いのではないだろうか。小さい子どもにとっては残念な天候であったかもしれない。親にとっては残念だったか、休養できたのか、評価はそれぞれに分かれそうである。
 この台風にそなえてせっかくの連休ながら職場に出たり、待機させられたりした人も多いと思われる。人騒がせな台風である。

 本日は横浜駅の家電量販店で新たにシュレッダーを購入した。これまでのものがとうとう壊れてしまった。人よりは使う機会も量も多い。今度のものはいままでとほぼ同じか少しだけ小さいかもしれないが、もっと細かく裁断される。裁断される大きさが小さいと値段も高くなるし、消費電力も大きくなる。そのきわりCDなどは裁断できない。それで十分だと思った。配送は明後日の水曜日。

 これより近くのドラッグストアに買い物。妻は何を購入するつもりなのだろうか。


夏布団の出番

2019年09月23日 14時07分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩から夏掛けの布団を掛けるようにした。夏の間は小さなタオルケット1枚で過ごしてきた。さすがにここ3日ほど寒さを感じてきたので、パジャマも長スボンにした。それでも昨晩は寒く感じて梅雨前に掛けていた夏掛けを再度ひっぱり出してもらった。
 人よりも着るものは一枚少ない私は、布団も人よりは薄いものを掛けている。当分はこれがちょうどいい。たぶん例年のとおり、12月に入ってから冬用の掛布団をひっぱり出すことになる。

 夏掛け、夏蒲団は無論夏の季語。私のような夏掛けの使い方をしていると布団からは季節感はなくなる。私にとって夏掛けは晩春または、秋の気分である。

★夏掛の男のごとく頼りなき       小林貴子

 女性にこのような句を示されたら男性はどう答えたらいいのだろうか。せいぜい次のような句で答える程度か。

★絡み付く夏掛布団振りほどく      小鳥幸男

 ちなみに第2句からは私は艶やかさを感じなかった。絡みつくのは自分の汗であり、寝苦しさをもたらす夏の湿気だけを感じた。


温帯低気圧になったが‥

2019年09月23日 10時17分33秒 | 天気と自然災害

 深夜2時を過ぎる頃から明け方まで強い雨が降り続いた。日が上ったころから風も強くなり、強風域に入り、明け方には瞬間最大風速17mとなっている。台風17号は10時前には若狭湾の北で温帯低気圧に変わったらしい。しかし強風域は広いまま。油断はならない。
 雨はすっかりあがり、強い陽射しが射している。気温も9時で27℃とどんどん上昇中。

 台風17号、なかなか強烈である。沖縄や九州・四国・中国と人的被害も出ており、停電の範囲も広い。竜巻などの被害も報道されている。長崎の友人は被害は無かったとのことでとりあえずはホッとしている。
 これから北東北と北海道に向けて進んでいく。強い風と雨が心配である。

 停電被害と暴風への対応が今年の台風の教訓となるのではないか。むろん行政の対応の遅さとまずさが第一義の教訓である。

 団地の中では前回の台風15号でだいぶ樹木に被害が出た。前回ほどではないかもしれないが、今回もこれから被害が出る可能性はある。すでにどこかの部屋のベランダにある物置の扉がバタバタと風の力で煽られている。留守なのだろうか、空家なのだろうか。飛んでしまうと危険である。


ヤモリが現われる

2019年09月22日 22時46分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 横浜では強風・雷注意報が出ている。大雨注意報は出ていないが夕方からずっと降り続いている。南から雨の区域が次々に押し寄せてくる。雨は10ミリ未満の雨で強くはない。しかししっかり音が絶え間なくしている。
 そして今はとても涼しい。ベランダの窓を開けると半袖・半ズボンでは我慢できないほどである。

 雨はやみそうになく、夜のウォーキングも断念。

 本日、ヤモリが我が家の寝室に出現した。鉄筋コンクリートの建物であるが、1階なのでどこからか入り込んでいたと思われる。頭から尾の先まで約15センチくらいだろうか。おとなである。見た目はなかなか愛嬌がある。どのようにして入り込んで、どこにかくれていたのか、不思議である。多分押入れの中にいる可能性がある。
 妻もゴキブリのようには怖からずに敵意をむき出しにはしない。笑ってみていた。私も妻も昔は一軒家に澄んでいてときどき家の中で見かけた。私は3センチくらいの小さいものを幾度も見た。イモリは赤くてなかなか近寄りたくもないし、触りたくはないのだが、ヤモリというのはとても親近感がわく。
 害をなすわけでもなく、ワラジムシなどを捕らえてくれるのでうれしいのだが、かといって夜中に私の貌の上を歩かれたら気持ち悪い。できれば捕まえて外に出したいのだが、すばしこく逃げてつかまらない。ベッドの脇を伝ってどこかに逃げ込んでしまう。二度ほど出て来たが、最初はレースのカーテンに、二度目はガラスにへばりついていた。

 さて、ヤモリ・守宮は夏の季語であった。

★守宮出て全身をもて考へる       加藤楸邨
★硝子戸の夜ごとの守宮とほき恋     鍵和田袖子


これからの台風17号

2019年09月22日 20時22分51秒 | 天気と自然災害

      

 台風17号はかなり強い台風のようだ。宮崎などで竜巻などの情報もあり、長崎では停電被害も出ているようだ。
 明日はこの台風の影響で関東地方も雨の予想である。昨日は予報は当たらず、本日は夕方になって本降りの雨となり、予報はあたった。明日以降の予報は果たしてどうであろうか。
 横浜駅までは傘を差さないでも歩ける程度の弱い雨。帰りは本降りとなり、バスで帰ってきた。

 三連休の日曜日、思ったよりは横浜駅は混雑していなかった。


「酒井抱一」(岩波新書)購入

2019年09月22日 11時44分07秒 | 読書

 昨日は20日の発刊を待っていた「酒井抱一」(井田太郎、岩波新書)を購入。
 「ゴヤⅢ」(堀田善衛)はまだ読み終わっていないが、両方併読することにした。
 酒井抱一は琳派の中ではもっとも惹かれる。鈴木其一も気に入っているが、デザイン性が前面に出てきて、人を驚かすような押し出しの強さを感じる。一方酒井抱一は抒情性豊かで、心のゆとりも感じる。姫路15万石の譜代大名の次男に生まれ、藩主の兄ともども江戸文化の先端で活躍している。

 大名の手慰みとはいえ、江戸時代の大名の文化的素養はなかなか時代の先端に位置していたといえる。特に絵画は世界の絵画史の流れを敏感に反映していたともいえる。いわゆる博物誌的な観察にも見るべきものが多いといわれる。さんな文化的な最上級武士の担った文化の再評価にも惹かれる。
 そして酒井抱一が俳句をはじめとしてさまざまな階層との文化的な交友関係を結んでいたということにも興味がある。

 井田太郎という作者は私は初めて読む。立ち読みの範囲では期待できそうである。


 


台風被害

2019年09月21日 23時41分56秒 | 天気と自然災害

 本日は天気予報は外れた。さいわいに、というべきなのだろうと思う。結局雨は降らず、気温も24.8℃と予想よりも2℃ほど高かった。
 明日は曇りのち昼過ぎから雨。降水確率は50%、最高気温は25℃の予想である。本日は23℃の予報なので、ジーパンで出かけた。しかし実際は25℃近くまで上がったので、Cパンでは暑く感じた。
 25℃あたりで半ズボンか長ズボンの判断が分かれる。できれば長ズボンもジーパンは目がつんでいるいるので20℃以下のときのほうがいい。
 着るものに悩む季節である。といってもおしゃれに悩むのではなく、暑さ・寒さ対策で悩むのである。おしゃれで悩む都市ではもはやない。否、自慢ではないが10代からおしゃれで悩んだことがいまだかつてない。悩んだのは結婚式のときの服装で、式場の衣装係からいろいろ言われて何が何だかわからなくなった時くらいだろうか。それもまるで他人ごと、係の人にすべてお任せして私は頷いていただけだったと思う。

 さて本日も含めて世の中は3連休。台風17号もすでに被害が出ているし、今後も被害が想定される。明日も明後日も台風の余波で関東地方は横浜も含めて天気は悪い。千葉や伊豆諸島などの被災地は苦労が絶えないと思われる。被害が想像している以外にも表れていると感じた。これまでの経験に基づく想定を超えている。電気と情報の遮断は現代の社会生活にとって不可欠であり、その被害が広範囲である。病者や介護の必要な人にとっても厳しい状態である。
 台風17号の影響も無視できない。私ができることの模索とともに、現地のできるだけ早い回復と復興をのぞみたい。


台風17号

2019年09月21日 21時51分59秒 | 天気と自然災害

  

 台風17号では沖縄ですでに被害が出ている。風も雨も要注意のようである。

 関東地方にもすでに雨を降らせるなどの影響が出ている。千葉県でも雨を中心とした対策が取られていると聞く。しかし果たして今の政権の対応の遅れのように、実際に避難がスムーズにこなされているのか、心配である。
 災害は、どんな組織でもトップがいなくとも初期対応や通常の対応がこなさなければいけない。組織というものはそういうものである。
 だからといって組織のトップや組織の運営責任者が前面に出なくて良いなどということはできない。トップや運営責任者が陣頭指揮をとらなくてはならない場合がある。災害というのは対応する人間も危険と隣り合わせである。それは民間組織、政府機関どれをとっても同じである。末端がそのような事態のときにトップが責任を回避したり、前面に立たなくて組織がきちんと機能するわけがない。そのような杜撰な組織はあってはならない。

 台風15号で千葉県の停電時に「首相が前面に立ったところで送電塔が復旧するわけではない」などという趣旨のトンデモな投稿を目にした。またそれを拡散する人間まで現れた。そのような人は、組織運営の在り様、組織の責任の取り方、人に働いてもらうということの重み、責任の重みということとは無縁の世界に生きてきたのだろうか。もしもそれがいい大人の発言だったとしたら、その人の人生があまりに情けないものだと私は感じた。自分が発信し、拡散して恥をさらすようなものである。そのような歳の重ね方は私はしたくはない。
 今回の台風15号災害の日本の政権の対応はひどかったと思う。さらには現在の政権になってから、災害時にまともな対応が出来たのだろうか。まるでアジア・太平洋戦争のときの政権や軍部の様にトップが責任を取らない典型のような事態が繰り返されているとしか思えない。