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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

今年初めての柿

2019年09月21日 10時48分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩は22時過ぎに家についた。歩いて帰る途中、みなとみらい地区のあたりで雨粒が顔に微かにあたった。時間にしてわずか10分程度。そして23時ごろには路面が濡れる程度に降った。風呂場から窓の外を眺めるとわずかに路面が濡れ、外灯の灯りに雨が映っていた。音は何もせず、このときは20分ほどで止んだようだ。台風17号に流れ込む東風に沿った雨雲によるものらしい。
 昨晩の降水確率は20%だった。予報が当たったということになるのだろうか。
 そして朝一番の予報では、午後から日付が変わるまで50%の降水確率。最高気温は23℃、半袖ではビルの中では空調の風が肌寒く感じられるはずだ。
 ウォーキングは無理、ちょうどよい休養日になる。だが、日曜日は70%で最高気温が18℃、月曜日も再び50%で22℃の予想である。出来れば土曜日中に雨は上がってほしい。

 朝食にバナナが1本と、私の好きな柿がひとつ。そして同じく私の好きなクロワッサン。果物は二人で半分ずつ食べた。今年初めての柿である。種の無い、とても柔らかい私好みの柿であった。
 柿は私は柔らかいものが好きである。学生の頃は触れば崩れそうな安売りの柿を、ざるに一山買ってきて、上側を包丁で切ってからスプーンで掬って食べていた。
 しかし結婚当初、妻はそのようなものは柿とはいえないといっていた。ある程度サクサクとする歯ごたえが必要だという。実は長年いた職場でも同じ意見が多かった。極端な人はガリガリと齧るのがいい柿なのだと主張した。どうも私は分が悪かった。
 一応妻は妥協してくれて、それなりに柔らかい柿を購入してくれるようになった。妻自身もそれを食するようになってくれた。それでもスプーンで掬うほどのものは購入することはない。
 退職してからのことだったと記憶しているが、近くの八百屋で一山100円で大きくて赤くブヨブヨのものを購入しきた。それを台所ですするように食べている私を見る妻の目は、異質な世界をのぞくような目であった。このような柿はスーパーでは売っていない。八百屋で売れ残ったもの。今年も一度はそんな柿を購入してみたい。

★朝の柿潮のごとく朱が満ち来      加藤楸邨
★日あたりや熟柿の如き心地あり     夏目漱石
★手に取ればひかりの重み木守り柿    庄司 猛

 熟柿とは木になったまま甘く熟させたものをいうとのこと。流通過程で熟させたものという意味ではないという。木守り柿は翌年もよく実るようにわざと残しているのだそうだ。


心地よい疲労

2019年09月20日 23時11分41秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 先ほどようやく帰宅。結局のところ往復をほぼ歩いてしまった。約2万歩ほど。昨日の疲れは取れないまま、無理をしてしまった。いつも体を酷使する場合は無理をしてしまってから反省をするのが、20歳以降の私のパターンである。10代の頃は体を使うことは嫌いだったが、大学生になって2年目からは毎年体力をいたぶるのが趣味のようにもなってきた。
 社会生活ではどんな仕事でも、どんな職種でも体力を使うこと、瞬発力ではなく持続的に動かし続けることが大切と、ビルの躯体のコンクリート打設の補助作業という肉体労働のアルバイト先で教わった。大型トラックの助手をしながら積み下ろしの補助をしているときも同様のことを言われた。水道工事の掘り方のアルバイトをしているときには経理をしている年配の方からも「体力がないと現場でも社内の経理も使い物にならないよ」といわれた。
 言われた時は具体的にわからなかったが、横浜市に努めて道路管理・下水道管理の第一線職場の事務職に配置をされて、やはり「現場事務所では、事務・技術・技能という職種にこだわっては仕事にならない」といわれ、配属されて2か月後の梅雨時の水のあふれた個所での土嚢積みから鍛えられた。
 学生時代のアルバイト先での体験がとても役に立った。

 本日は疲れたので、昔のことをふと思い出した。これ以上かき続けることは、体力的に困難。明日こそは昼まで休養したい。太腿より下の筋肉が痛くなりそうである。

 


赤蜻蛉

2019年09月20日 15時17分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 布団は取り込んだ。洗ったシーツもそろそろ乾いた頃、取り込んで畳んで本日の作業は終了。これより本日の講演の行われる山下公園前のワークピアへ、出来るだけ歩いて向かう。
 ワークピアまでは家からすべて歩くと約1万歩。昨日はたくさん歩いて疲れがまだ完全には回復はしていないので、全部は歩くつもりはない。また途中で一服したいもの。
 帰りはかなり遅くなりそう。

★言分(いひぶん)のなき空合や赤蜻蛉    井上井月

 井上井月(いのうえせいげつ、1822-1887)は主として明治期に今の長野県伊那谷を中心に漂泊した俳人。2012年に岩波文庫で「井月句集」が復本一郎氏の編集で刊行になり、ずいぶん注目された。
 言分を現在の意味「いいたいこと、主張」で解釈してもいいようだ。「言いわけ」「申しわけ」という意味でも良いかもしれない。申し分のない秋晴れの広々とした空、信州の空であろう。意味合いは単純、「言分のなき」という人の世の言葉を使って自然をうまく言い表していることにふと心を引かれた。
 時にはこのような句に心を動かされる。


赤蜻蛉・秋あかね

2019年09月20日 12時05分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 9月の下旬、朝から気持ちの良い秋晴れの日となった。湿度が低く、風もない。本日は今年初めて赤蜻蛉が建物の南側の芝生の上を飛んでいた。1匹だけ。しばらくベランダから見ていた。止ることはなく、せわしなく飛び回っていた。
 蜻蛉というのは、人の目には蝶のように飛び方が不規則である。蝶のように細かい動きではない。しかしス~ッとまっすぐに飛んでから、不意に方向を変え、短くホバリングする。まるで何かをためらっているかのように。この不規則性が見る人を飽きさせない。人は複雑な動きでもそこに規則性を見つけると、その時点で見ることに飽きてしまうものである。

★赤とんぼ洗ひざらしの靴二足      山内てるこ
★赤とんぼ死近き人を囲み行く      永田耕衣

 第1句、靴は幼児の靴と想像。むかし隣との境界の竹格子の尖端に靴を干していた。十代の少年少女の運動靴よりも通学前の子の靴の方が赤蜻蛉には似合う。ただし残念なことに、不思議なことにきれいな靴よりも履き続けて汗のにおいの沁みついた靴の方が蜻蛉は寄ってくる。この句の赤とんぼは靴ではなく、竹に止りたいのであろう。
 第2句、「死近き人」とは病人等ではないと思う。歩いている人を囲んで赤蜻蛉が人の進む方向に同じように移動していく。それも蚊柱ではなく、赤蜻蛉である。赤蜻蛉に囲まれているその人は、ひょっとしたら死が近い人なのかもしれない、という生の不安、あるいは「ちょっと先は闇」を予感させる。そして赤蜻蛉は作者にしか見えない、囲まれている人には見えないのかもしれない。なんとも怖い句である。作者は阪神淡路大震災にも遭遇し、住居を喪っている。そんな状況を反映した句なのか。
 もっと穿った読み方をすると、この赤蜻蛉に囲まれた人は、読む人が心の中で怨嗟している人かもしれない。そこまで読んでは、読む人の心が怖い。作者である詠む人はそんな心は持ち合わせていないと思う。詠む人と読む人、心の在り様がすれ違う。

 さて、本日は親の住んでいる部屋に出向き、窓をいつものとおり開け放し、部屋の空気を入れ替えた。そして間もなく退院するのに併せて、布団を干し、シーツを洗濯しして干した。
 妻は同様に我が家の布団干しとシーツの洗濯。


上を向いて歩くと・・

2019年09月19日 23時22分16秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日は残念ながら夜のウォーキング中には月は顔を出してくれなかった。東の空の厚い雲が少し明るく見えたが、はたしてそこが月のあった場所なのか、断定はできなかった。

 最近は上を見ながら歩くとフラッとする。40代まではそのようなことはなかったと思うが、特に60代以降は、眩暈に似た症状が出てくる。
 複数の友人にそのことを話したら、全員がそれを肯定した。たぶん私の高血圧やその他の疾患が原因ではないと思われる。三半規管の問題なのか、そこからの情報を受け取る脳の問題なのかはわからないが、こういうところにも「老い」というものが現われるのだろうということで意見が一致した。

 目をつぶって立っているとすぐにふらついたり、まっすぐに歩くことのできる距離が極端に短くなったり、というのも同じ現象なのだろう。また、短い距離で方向転換を重ねる階段も急いで降りると途中で目が回ることもある。踊り場で立ちどまって辺りを確認する行為をつい繰り返してしまう。
 街の中は年寄りに不親切といわれるが、体力だけでなくこのようなバランス感覚の減退にも対処して見直すことも必要なのではなかろうか。

 中高年の山岳事故が報道されるが、体力の低下だけではなく、このようなバランスを確保する能力の減退も、山道から足をすべらす原因なのだろうと思う。


「坂本繁二郎展」 補足

2019年09月19日 20時45分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 坂本繁二郎展、取り上げた作品以外に気に入った作品はいくつもある。例えばモランディを思い出させるような「壜など」(1948)や「植木鉢」(1958)・「箱」(1959)など、能面を乗せる平面の赤茶色が特異な「能面」(1950)、うすい紫が印象的な「能面」(1954)、「鋏」(1964)、「達磨」(1964)、背骨の曲線が美しい「牛」(1919-65)、「八女の月」(1969)など数え出したら切りがない。



 今回の展示では「雲仙の春・阿蘇の秋」(1934-57、福岡銀行)という屏風絵をはじめて見ることができた。この屏風絵については大作にもかかわらずどう評していいか今のところわからない。


更待月

2019年09月19日 18時21分02秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は実によく歩き回った。幾人かの仲間と会い、組合の会館に行き、市庁舎にも寄り、書店・家電量販店・ホームセンターも回り、百円ショップも訪れた。途中喫茶店で昼食も含めて3度ほど休憩。
 さすがにくたびれて帰りは横浜駅からバス。それも座るために1本次のバスに乗車した。既に1万7千歩を超えている。

 昨日の夜のウォーキングの帰り道は、更待月を正面に見ながら歩いた。更待月は旧暦八月二十日の月。名月から5日目の月である。昨晩の月の出は20時過ぎ。夜の更けるまで待たないと月が出て来ないという意味らしい。
 それまでの雨があがり、雲が高くなってわずかに雲の切れ目が出来ていた。歩き始めたのが遅く、折り返し点を過ぎたのが23時30分過ぎ。だいぶ高度が高くなっており、月を見るときは立ちどまらないと危なかった。

 いつもより1時間ほど遅いこの時間でも犬の散歩、ジョギング・ウォーキングの人がおり、さらにはスマホ歩きの若い女性もずいぶんいた。酔った歩行者も多い。車の通行は少ないものの、かなりの危険な歩行空間であると感じた。

★姨捨は更待月後苔ぼとけ        古沢太穂

 


つまらない悩みではあるが‥

2019年09月18日 22時46分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 東京では最高気温が21℃台であったらしい。横浜では9時直前の24.3℃が最高気温であるらしい。その割には湿度が高く、汗をたくさんかいた。
 本日は、気温が低いということなので久しぶりにジーパンを穿いてでかけたものの、蒸し暑さのために半ズボンにすればよかったと悔やんだ。明日は朝から出かけるのだが、最高気温は26℃の予想。本日より2℃高いらしい。ジーパンではなく薄い長ズボンか半ズボンに戻すのがいいのか。

 そんなことを悩みながら夜のウォーキングに出かけることにした。

 


雨月・無月

2019年09月18日 20時47分19秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 名月の季節、ようやく気持ちにゆとりが出来て月を見ようとしたものの、こんどは雨が月を隠している。月は見ようとしない限り、そして月を見る気持ちのゆとりがない限り、月は目に入らない。

雨降りのために名月が見られないのが「雨月」。曇って見えないことを「無月」と言う。

★潜水艦浮かびあがれば雨月なり     杉本雷造

 ちょっと意表をついたおかしみのある句。潜水艦がせっかくの名月の時分だから月を一目見ようと浮上したら雨で月が見えなかった。というのが表面上の意味。本来、軍艦ならば天気予報も知っているだろうし、雨が降っているかどうかも分からないという状況は情けない軍艦である。そして巨大な鉄の塊が月見のために海の底から姿を見せたというのがまた意表を突く。
 当然に想像の句、あるいは単に雨の中を浮上した潜水艦の姿に月を強引に配した句、どちらかであるだろう。私は素人なので断言はできないが、潜水艦が浮上するのは港の中ではなく洋上だろうから、潜水艦が浮上するのを見た人は他の船に乗っている人ということになる。それは僚艦か、敵の艦船か。後者なら怖ろしい事態である。それとも無関係の商船でこういうことを目にするということはあるのだろうか。
 だが句の内容としては、軍艦という全体が武器と化したものをおかしみでくるんだ句、ないし茶化した句ともいえる。黒い巨大な鉄の塊の影と、名月の黄色という対比を持ってきてはありふれている。暗い月の無い海上にさらに光を吸収してしまいそうな黒い鉄の塊を配する方が、不気味さを強調しているようにも感じることがある。おかしみと不気味さ、どちらにも解することのできる情景が目に浮かぶ。

 ひょっとしたらこの潜水艦、がっかりして再潜水したのかもしれない。

 


傘をなくして・・

2019年09月18日 19時57分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昼過ぎにリハビリテーションの病院に出かけたときは小雨が降っていた。小さなビニール傘を持って出かけ、見舞いが終了後横浜駅まで買い物に出かけてた。次回に病院に持って行かなくてはならないものを購入している間に、ビニール傘を店内に置き忘れた。
 喫茶店で一服しているうちに思い出して30分後に買い物をした店に戻って座った場所を探したり、店員にきいたりしたが、残念ながら忘れた傘は出てこなかった。情けないものである。小さくて便利な傘であったのが悔やまれている。

 傘というものは気に入ったものはすぐに無くなるというか、無くしてしまう。少し傷があったり、デザイン的にあまり好みにならないものがいつまでも我が家の玄関わきに保管されている。好みの傘ではないから使うこともなく、出て行くこともない。
 帰宅するときは雨が本降りとなり、やむなく216円の折り畳み傘を購入してから帰宅。

 


いわし雲

2019年09月17日 23時35分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 先ほど帰宅してちょっと一服。二日続けての宴会はやはりとても疲れるものである。横浜駅から歩いて帰っているあいだ中、太ももやお尻の筋肉がそれほどではないものの痛かった。

 本日、高齢者集会の会場から外に出るとまだ夏の熱気が残っていたが、空には秋の雲、鰯雲、鱗雲、鯖雲といわれる巻積雲・高積雲が拡がっていた。

★熊笹に濁流の跡いわし雲        矢島渚男
★いわし雲空港百の硝子照り       福永耕二
★窓枠の空をはみ出しいわし雲      菅原 涼

 


「坂本繁二郎展」 その5

2019年09月17日 09時34分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日で「没後50年 坂本繁二郎展」は終了してしまった。
 これまでの展覧会でも見てきたが、私は最晩年の月と馬を描いた作品にはとても惹かれている。
 その中でも「月」(1964)は月の輪郭も彩色ももっとも鮮明である。月の光が実に妖しく吸い込まれそうになる。ただし月以外の携帯はあまりに不明確で何を描いているのかは私には不明である。月のすぐ下の赤紫は円形の山、他は森の樹々というふうに理解している。画面に向かって右側の白は雲と思われる。月の中の青は雲なのだろうか。気になるが、あまり詮索しないようにしている。
 少し暈を被った月が気に入っている。配色のバランスにも惹かれる。この作品も見ていて飽きることがない。この月が能面であっても少しも違和感がない。



 「馬屋と月」のシリーズでは1967年のこの作品が気に入っている。前年の1966年の同名の作品では月と外の景色は「窓」枠にはめ込まれている。こちらは画面の下まで開いた「扉」の枠である。
 こちらの方が外が広々としており、窮屈な感じが薄らいでいる。月も大きく描かれ、その描写も細かい。何よりも馬の輪郭がはっきりしてい。
 1968年の「月光」では馬も月もさらに淡く描かれており、ともにその存在がかすんでいく。
 馬と月の対話が生まれてくる。馬は多分坂本繁二郎の分身である。月は昔からのとおり仏の喩えであると言い切っていいのであろうか。
 そこまでの心境は今の私にはまだわからない、というのが実感である。



 「幽光」(1969)は絶筆といわれている。どのようにこの作品と相対したらいいのだろうか。1970年の展覧会から今まで、気になって、惹かれている作品なのだが、うまく表現できない。しかし忘れられない作品である。


本日の収穫

2019年09月16日 23時15分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 雨に会わずに横浜駅から家まで歩くことができた。レインアイよこはまをみると雨の区域は市内にはなかったものの、湿度は高く、今にも降り出しそうに感じた。

 本日の集会の後半の講演会はなかなかいい講演であった。
 講演は「〈エネルギー民主主義〉の可能性-原発型社会を超えて」ということで新潟国際情報大学国際学部の佐々木寬教授。タップリと60分余の講演。デンマークの例を示し、そして新潟県での実践に基づいた提案は、事業を具体的に展開することでさまざまな可能性を引き出すことを示してくれた。
 同じようなことができるかは別問題として、退職者会の活動の活性化の議論ともからめると、おおいに議論ができることが予想される。刺激的な内容であったと思う。


横浜駅帰着

2019年09月16日 21時34分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

ようやく横浜駅に帰着。神保町で安い店の情報があり、数人で楽しんだ。私ともう一人は明日の集会にも参加予定なので、3杯ほどで打ち止め。

残りの仲間はさらに数杯。割り勘で多少割り引いて精算。私の分担は2千円あまりですんだ。

これより自宅まで40分ほどのウオーキング。雨は降りそうもない。