本日は「絵画の政治学」の第6章「ファン・ゴッホ、ルヌアールとリヨンにおける職工の危機」、第7章「レオン・フレデリックと〈労働者の人生の段階〉」を読み終え、第8章「ドガとドレフュス 反ユダヤ主義者としての画家の肖像」へ読み進めた。
この著者はどうもプロパガンダとしての絵画におおいに興味があり、同時にそれに惹かれるところがあるらしい。絵画・芸術を語るときに「労働者階級一般」が同一の意志や党派に領導された同一の政治的主張を声高に叫ばなければならない存在として描いてしまっては、画一的な人間像しか描けなくなる。誤読であることを祈っているが、どうもこのことを否定するような文章の書き方にはなっていない。ということで、引用して書き留めておく気分にはならないが、最後まで読みとおすことにはしている。
ゴッホがルヌアールという当時の都市のプロレタリアートとされる職工の出口のない貧困の世界を描いた画家に惹かれていたことを知ったり、ユダヤ人問題がヨーロッパの全体に大きな影を落としていること、それは絵画の世界にも対立と混乱を招いていることを改めて知った。このことはこの本を読んだことの「成果」ということにしておこう。
もう少しで読み終わる。読み終わることが待ち遠しい書物というのは少々悲しい。
朝のうちの天気予報通りに15時過ぎに私の住んでいるところは雨があがった。昼直前の天気予報は残念ながら外れたようだ。気温が10℃程度と低かったが、セーターを着こんで横浜駅まで買い物に出かけた。本日の食材の買い出しと、先日修理に出したカメラの取扱いを問い合わせるために。
カメラは先月の10日に家電量販店を経由してメーカーに修理依頼を出したのだが、本日になっても音沙汰が無いのでしびれを切らして問合せに行った。
家電量販店の修理受付では、すぐにメーカーに問合せてくれた。しかしメーカー側の対応にカチンときた。「17日にSMSで連絡したが繋がらず、その場合、自動で電話につながるはずが、つながらなかった」という。私のほうからは「繋がらなかったら家の固定電話も記載してあるのだからどうしてそちらに電話しなかったのか。そもそもスマホに着信記録もないのに電話したというのはおかしい」と伝えたが、同じ回答を繰り返すだけ。これではまるで壊れたレコード相手に話をしているようなものであった。メーカーの応対者もまた、修理担当ではなくその窓口なので詳しいことは承知をしていない可能性もあ。分業というものが、責任の所在の不明確化につながる典型のような応対であったと思う。これが日本のスタンダードになってしまったのだろうか。
蛇足で手前味噌だが、私は少なくとも労働組合の方針として「市民サービスの責任ある執行体制確立」をうたい文句に交渉を進めてきた。こちらの思いどおりにはなかなかならないが、それなりに成果はあったと思っている。最近は労働組合の社会的影響力低下が言われるが、こういうことも労働組合の大切な活動の一環ではないだろうか。どこかで運動の基本が忘れさられているのではないだろうか。この大手メーカーの労働組合はどういう方針を掲げているのだろうか。
さて、意味のない押し問答は避けて、修理代を聞くと3万円余とかなり高価。しかし修理してもらわないとどうしようもないというこちらの事情もあり、「至急修理の上できるだけ早く家電量販店に戻すこと」を伝え、電話を切った。家電量販店の店員は恐縮していたが、彼の責任ではないので、戻ってきたらすぐに連絡をしてほしいとお願いしをして店を出た。
不愉快なメーカーの対応にイライラしたが、せっかくの休養日なので、コーヒータイムで頭を冷やして帰宅。いつになったらカメラが戻ってくるのか、甚だ心もとなくなった。
1時間ほど前に再び弱い雨ながら降り始めたが、すぐに止んだ。
残念ながら明日も朝から18時まで雨のマークが付いている。明日は9時に組合の会館に集合して「偲ぶ会」の設営の仕上げ。12時から14時まで「偲ぶ会」。そのあとで打ち上げ。
昨日まで追悼誌の作成であたふたしていたが、本日は休養日。9時過ぎに大雨注意報が出た。今は最大5ミリ程度の雨になっている。
15時過ぎには雨が止むという予報になっていたが、11時の予報では日付が変わるまで降り続く予報に変わった。
本日の音楽はブラームスの弦楽五重奏曲第1番(作品88)&第2番(作品111)。第1番は1882年、ブラームスが49歳の年の作品。第2番は最晩年に近い1890年、57歳の年の作品である。この後にはピアノ曲とクラリネット三重奏曲・五重奏曲、2つのクラリネットソナタしか器楽曲は作っていない。
ブラームスに限らず、四重奏曲にヴィオラを2本とした五重奏曲はヴィオラの音域の厚みが増して、私は好きな響きとなっている。この2曲ともヴィオラの響きが美しい。
私の現在の気分では、第2番の第3楽章と第4楽章に惹かれる。
録音は1970年12月で、演奏者はベルリン・フィルハーモニー八重奏団。輸入盤であるが、解説の訳ではヴィオラ奏者をチェロ奏者と表記するお粗末さが悲しい。
本日の設営作業はそれなりにきつい作業であった。16時直前から始まった作業は、100人分の席を並べ、会食用のテーブルを並べてクロスなどを貼り、さらに受付スペース、祭壇の下準備などを終えたのが19時過ぎ。10人での作業の予定だったが、7名でこなした。
終了後、腹ペコでいつもの居酒屋で慰労会と夕食に直行。
作業が始まる直前に雨が降り出し、作業中は本降り。寒気確保のため窓を開けていたら雨が吹き込んでしまった。吹きこんだ雨の処理などで15分ほど余分な作業も強いられてしまった。
帰り際には雨は小降りになっていたが、傘を指さずには歩けないかった。道沿いに何本かのサクラが咲いていた。街路灯や信号、マンションの灯りなどに照らされて夜桜の見物気分で歩いた。明日以降の雨で散ってしまいそうであった。
「花散らしの雨」、本来は「桜の季節に若い男女が野外へ出かけ、花見を理由に宴会することで、現代でゆうとお花見を理由に合コンする事」でその後のことも含んで使われていたらしい。かなり艶っぽい意味の言葉であったが、現代では満開の時期にサクラの花を散らしてしまう雨のこととして通用している。ある気象予報士の誤用が発端らしい。
しかし風が無く、暖かい気温であれば、これもなかなかいい情感のある使い方だと思う。本日の夜の雨の雰囲気としてぴったりの表現に思えた。
1時間ほど前に印刷は無事完了。これより150部を担いで組合の会館へ運搬。A3で2枚×150部、かなりの重さである。
本日の夕方から会場の設営を行って明後日の本番に備える。10名以上は手伝いには来てくれるはずだが、終わりの時間はかなり遅くなる予定。
設営のお疲れ会を兼ねた夕食を済ませるとたぶん雨が降っている時間である。昨日のように風は強くはならなければ、いいのだか。
午前中は風もなくなり、太陽が顔を出し、とても暖かであった。午後になると太陽は雲に隠れてしまい、暖かさも薄らいだ。東京は25℃を超え夏日となったとニュースで言っていた。今晩からは雨も降る予想なので、サクラもだいぶ散ってしまいそうである。
昨晩は風が強く、驚いた。日付が変わった1時ころが一番強かったようで、最大瞬間風速が約15mの南南西の風であった。消防車のサイレンの音が風に乗って、不安を掻き立てるように聞こえてきた。
昨晩の0時半までに150部作成予定の内80部の印刷を終えた。本日昼までにあと70部である。何とか間に合いそうである。プリンターのご機嫌が悪くならないことを祈りながら、印刷を再開した。今のところ順調。
一昨年あたりから南側の芝生にツグミが単独で餌を啄んでいる姿に気がついた。始めは何という鳥かわからなかったが、偶然ネットでその姿を見て、ツグミだと直感した。
ちょっと遠いので、私の持っているカメラの望遠レンズでも大きくはうつらないのが残念であるが、ほぼ間違いないと思われる。
群れたり、つがいがいるわけでもなく、常に単独である。「孤独を好むんだね」と妻も私もその行動が気に入っている。梅雨前にいなくなり、冬になると見かけることに気がついた。
ネットで調べると「ツグミ(スズメ目ヒタキ科)の鳥で、そり返るように胸を張って立ち止まり地上で採食する赤茶色の鳥。シベリア東部からカムチャッカにかけて繁殖し、冬鳥として全国に渡来する。5月頃まで残る個体が多い。農耕地、草地、牧草地、河原、公園など開けた場所を好む。非繁殖期にやってくる冬鳥のため、鳴かずに口をつぐんでいることが和名の由来」(あきた森づくりサポートセンターHP)という解説があった。
さらに「秋に渡来すると群れで見られ、カラスザンショウ、ハゼノキ、イイギリ、柿など木の実を好んで食べる。冬に入ると、群れは分散し、開けた場所で見られることが多くなる。地上を数歩歩いては立ち止まり、ミミズなどの小動物を捕食する。庭のエサ台にも良く現れる」(同HP)という解説もあった。
単独行動であることも共通している。今の時期の「群れない」ところが我が家のお気に入りである。沈黙を貫くところも面白い。縄張りの主張はしないのだろうか。上記のHPにあった画像を拝借してみた。
本日の晴れ間、シジュウカラの声とカラスとキジバトとツグミの姿が広い芝生でのんびりしている。ツグミとキジバトはカラスが傍によっても動じない。
ようやく退職者会の元会長の偲ぶ会で配布する追悼誌の原稿が出来上がった。これより150部の印刷、明日の昼までには終わりたい。
A3の二つ折りで8頁。表紙が1頁、経歴と12人の追悼文で3頁、写真が4頁。私としては追悼の気持ちで精一杯作ったつもりである。既に偲ぶ会の実行委員会で2度たたき台を見せており、遺漏と誤字脱字などは無いと思っているが、どこか不安が無くもない。その時は素直に頭を下げるしかない。
今晩中には半分は作成しておきたいものである。
明日は偲ぶ会の会場設営。その前段で二つ折りの作業をだれかに手伝ってもらう予定にしている。
先ほどプリンターが少しご機嫌斜めになって、やきもき。再度プリンター・スキャナードライバーをインストールしたら何とかご機嫌がもどった。
途中で紙の質などの設定の変更をしたのがいけなかったようだ。
リフォームの一環として、不用品の廃棄を推進中である。妻は既に私の物も含めた衣料品や食器類のリフォームを行い、本日タンス2つを廃棄した。
私も本の処分を少しずつ始めることにして、まずは手始めとして、古い本から処分することにした。句集や歌集を除いて俳句や短歌の評論、歳時記を30冊ほど。そして残念ながら段ボールにしまいこんでしまっていた吉本隆明の単行本を120冊、谷川雁の著作集5冊を処分することとし、ビニール紐で縛って部屋の片隅に積んだ。いづれの本も手垢で汚れて、ぼろぼろになり、日焼けしている。果たして引き取ってくれるか極めて疑問である。ひょっとしたら廃棄処分になるかもしれない。
他に、埴谷雄高の未来社からの評論集30数冊、白川静の平凡社を中心とした著作集、中井久夫のみすず書房中心の著作集、井上光晴の作品集、リビングルームにある詩の評論などまだまだたくさんある。親の家にある本も本棚二つ分以上ある。これにも着手しないといけない。美術関係の本も本棚から溢れているので展覧会の図録を除いて、これも半分ほどは処分したい。
さらに各種展覧会のチラシや各種講座で貰った資料もファイルに入って膨大である。退職者会関係のレジュメなどの資料も10年分溜まってしまった。これらも大半は廃棄できるようにしたい。ファイルから書類を出すのが大変な作業になる。
この雨続きの天候がおさまったら古書店に出向いて、引き取りに来てもらえるか相談である。
もったいないが、遺産として残しても家族は困るだけである。まだまだ「断捨離」は早いと言われるが、リフォームというきっかけは大きい。
しかし腰と膝が痛くて、本日は160冊ほどをひもで縛っただけで本日の限界。これから毎日少しずつ片づけていかないといけない。
9時くらいから雨の音が聞こえるようになった。現在の雨は時間換算で3ミリ程度の雨と表示されている。雨は明日の日付になるまで降り続くという予報である。
最高気温の予報は19℃。昨日が23.1℃であったので、4℃低くなるらしい。
70歳を超えてから、毎日の気温や湿度の変化に体が敏感になってきたように思う。「歳を取ると暑さ・寒さがこたえる」という言葉が実感として理解できるようになった。天候の変化に敏感というのは悪いことではないのだが、体力や順応力という点からは悲しいことでもある。
先ほど粗大ごみの戸別収集に3名の資源循環局の職員がきてくれた。和洋二つのタンスの収集である。大きくて、70歳過ぎの夫婦、しかも膝の痛みを抱えた夫ではとても戸外に出せない。3名の職員が苦労して運び出してくれた。感謝である。まるで引っ越しの業者並みに力仕事をこなしてくれた。これで二つでたった3000円の費用、申し訳ない気分である。
ようやく追悼誌の本日の追加作業を終了。あと一つの原稿が来ないことには最終的な割付は確定しない。やきもきしながら作業をするのは、ストレスが溜まるものである。先月から今月にかけて、このストレスに晒される自体が3回もあり、少々草臥れてしまっている。あとひと踏ん張りでこの作業から解放される。
明日からは5日続けて天気がぐずつく予報になっていた。菜種梅雨といわれるもので長雨が続く天気を指している。しかし、こんなにも雨の日が続くのは記憶にはない。
菜種梅雨というと時期的には、寒さが戻ること多い。
★寺の炉に酒をたまふや菜種梅雨 細見綾子
★小店それなりの売上菜種梅雨 鈴木真砂女
★どろんこの野球いつまで菜種梅雨 飴山實
★海の音纏ひて菜種梅雨の死者 佐藤鬼房
本日は朝は急遽、親の通院の付き添い。特に心配事ではなかったのでホッとした。昼前の別の病院の付き添いは妻にお願いして、私は所用で出かけた。
本日の所用は結構疲れた。居酒屋でお酒を2合ほども飲んで帰宅。
追悼誌の原稿が二つ届き、これよりこれを校正すれば追悼誌はほぼできあがる。残り1本の原稿待ち。明日でも十分に間に合う。
明日は、箪笥二つを粗大ゴミに出すことになっている。有難いことに、70代の夫婦の場合、家の中まで取りに来てくれるという。私は膝がかんばしくないので、とても助かる。取りに来てくれる前に、持ち出しが楽なように少しは部屋の中の生涯となる他の家具を横にどけておく必要がある。そこまでは市の収集担当者にお願いはできない。
もう夜も更けたのでこれからガタガタと作業はできないので、明日の朝、収集の前に片付けを行うつもりである。
ということで、本日も早めに就寝予定。
明日は昼前に出かける予定。このごろ忙しさにかまけて読書タイムが取れていない。本日は電車の中で読書できたはずだが、その気力が湧かなかった。渋谷から座って横浜まで来たし、空も曇り空で、外の光が眩しくて眠くなることもなかった。リュックにも「絵画の政治学」は入っていた。それでもリュックから本を取り出さなかった。
反省・言いわけばかりではいけないのだが・・・・。
これより追悼誌に掲載する追悼文をひとつ入れてから就寝準備。
先ほど新古今和歌集の仮名序の最後の部分の書き写しを終えた。この次は石牟礼道子の俳句を写すつもりでいる。明日は出かけるので明後日以降から実施したい。ノートは既に購入している新しいものを使う。
「おくのほそ道」で10ミリ角の升目の漢字練習帳を1冊、そして同じ升目の漢字練習帳を使い、古今和歌集の仮名序と真名序の読み下し文、今回の新古今和歌集の仮名序で1冊の9割を使用した。
大きな字とはいえ、こんなにノートを使ったのは何十年ぶりだろうか。ひょっとしたら高校生の時以来だから、53年ぶりかもしれない。何という不勉強であろう。もっともノートは使わなかったけれども、他にたくさん勉強したという自負はあるが、それはあくまでも自負。自分だけの自己満足の域を出ていない。
本日の代々木公園の集会とデモ、私は集会だけでお暇した。右膝の調子が今ひとつ万全でないような気がして、行く時から杖を突いていた。
集会が終わると同時にデモと反対側の渋谷駅に向かった。来た時と同じコースで帰宅。渋谷から東横線に乗ったのだが、相鉄線への乗り入れが始まったばかり。行先をちゃんと確かめないといけなくなった。昔は、渋谷始発だったので、急行を1本待てば確実に座れた。しかし副都心線への乗り入れ以降、渋谷から確実に座れることは無くなり、今後は行先も確認しないと不安である。
便利の裏側には必ず不便も付いて来る。多くの人は目の前の権力者やメーカーのうたい文句である便利さばかりに気を取られる。その裏には大切であるのに「捨て去られたもの」が多くあることに目を閉ざしてしまう。原発も同じである。じっくりと見極める冷静な目がいつも必要である。
本日は退職者会の仲間14名ほどと代々木公園で開催された「さようなら原発全国集会」に参加。大江健三郎も呼びかけ人であったことから、黙祷から会は始まった。
久しぶりの代々木公園、NHKの建物が解体されていてまずびっくり。その工事現場の仮囲いの外にはハナモモが2本美しく咲いていた。1本は赤の花だけだったが葉も美しかった。1本は白が多く赤がとても少なく、そして葉は出ていなかった。同じハナモモとはわからないほどであった。またステージ横のソメイヨシノが見頃を迎えていた。
集会の式次第の最後に私の大学時代の同級生が登壇し、柏崎刈羽原発の現状を報告していた。学生当時と変わらない穏やかな話し方で、とてもわかりやすい発言で感銘を受けた。
いつも訪れる居酒屋で、15人ほどで呑み会。いつになく賑やかであった。役員も疲れてよく食べ、よく飲んだ。私は15分ほど遅れてお店に辿り着いた。
明日の反原発集会のことも話題になり、またこの間の横浜市政の評価も侃々諤々の議論もあった。退職者会の今後の活動について、いろいろな意見が飛び交って、いつものように有意義な呑み会だったと思う。
居酒屋を出て、地下鉄に乗ったら疲れがどっと出て5駅ほど乗り過ごしてしまった。目が覚めたときには酔いは醒めていたので、家の最寄り駅に無事にもどることが出来た。
乗り過ごしは実に久しぶりであった。以前に乗り過ごしたのはコロナ禍以前だったように記憶している。
本日決まった日程をスケジュール帳に書き込むことだけはなんとか終了。本日は新古今和歌集仮名序の書き写しは断念。