本日の幹事会は、殊に忙しかった。午前中の会議で急遽、チラシを1枚追加配布することになり、慌てて作成し、1000枚を印刷。
途中でセロハンテープが無くなり、慌てて調達したり、とイレギュラーなことが噴出。
皆優しく、対応してくれて、無事終了。
私も他の役員もみんな昼食は満足に食べられなかった。
幹事会終了後も、もう一つ会議をこなし、やっと開放された。
ノートパソコンで少しばかり本日のまとめ作業をしていたら今度はバッテリーが5%を切ってしまい、こちらも強制終了。
疲れ果ててこれより居酒屋へ直行。
本日予定していた新古今和歌集仮名序の書き写しを行った。段落で2段、わずか210字ほど。残り220字ほどで終了する。
明日は9時には家を出て、組合の会館へ。いつものとおり朝から会議が続き、13時からニュース等の発送作業。14時から幹事会。17時過ぎからいつものとおり近くの居酒屋に行って「懇親会」という名の呑み会。この懇親会のために一か月の忙しさを頑張れる、という気もしている。
明日までは天気も持ちそうであるが、火曜日は早くも雨が降る可能性もあるらしい。火曜日は代々木公園での反原発集会に参加予定。雨は降らないでもらいたい。
集会とデモののちは、家に戻って追悼誌の作成作業。月曜日に原稿が揃うはずであるが、だいたいが原稿がすべて期限通りに揃ったためしは残念ながらない。8名分が揃えば儲けもの、という程度に期待しないほうが気持ち的にはがっかりする度合いが少なくなる。長年の体験による悲しい知恵である。
昨晩ベッドに入って寝付くまでの間に、追悼誌の修正箇所をふと思いついた。昨日までに作成した部分は幾度も見直して修正はしたつもりであったが、どこからか湧いてくるように頭の中で浮かんできた。不思議なものである。
自分や、自分の作ったものを客観的に見るのは難しい、と以前に記載したことがある。そのときに「契機」「きっかけ」となるものは人によっても違う、という文章も入れた。
この「きっかけ」となるものは、個々人にとっても決まった「きっかけ」はない。個人にとって類型的な、割合の多い「きっかけ」はあるが、そうでない場合もある。布団に入って寝るまでの間にふと浮かんでくる場合もあることに気がついた。今回が初めてではないような気もしている。
思いついてみれば、なんだそんなことも気がつかなかったのか、思いつかなかったのか、ということである。しかし意外とこれでモヤモヤが晴れることもある。
さらに今回驚いたのは、そのことをちゃんと朝まで覚えていたことである。気持ちよく寝ると、起きたときには忘れていることが圧倒的に多い。ほぼ100%忘れている。私の場合は夢も同じである。
今度は起きているうちに忘れてしまわないように、早速午前中に修正を施すことにした。寝る前に思いついたこと、夢でみたこと、これらは忘れてもたぶん深刻な問題ではないが、起きているときに覚えていることを忘れては、それなりに深刻である。
横浜市域に15時過ぎに霜注意報が出て、解除にはなっていない。強風注意報は解除になった。ガス代が高騰しているにも拘わらず、この寒さではストーブを点けないわけにはいかない。
団地の1階は殊に冷える。しかもフローリングのため、一層冷える。
リフォームの見積もりを頼んだ業者に聞いたところ、床暖房の話も出だが、設置費用も維持費もかかるうえに、電気の容量の制限もあり、無理と判断。設置費用も安く、維持費もかからない方法での見積もりをお願いしている。
内装のやり替えや、給水管の取り換え、一部の大工仕事などでかなりの費用がかかりそうである。考えるのも嫌になるほどである。どうなることやら。
さて先ほど本日の書き写し予定の部分を終了。310字あまり。あと3~4回で終わってしまう。どんな書き写しでも終わりに近くなると名残惜しいものである。読むだけでは理解できなかったことがあることに気が付いたり、別の角度からの解釈の可能性に気が付いたり、文章の呼吸というものを何となく感じたり、とてもおもしろいと思う。新しい知見を発見するほどの能力はないが、記した人の気分に少しだけ近づけたような錯覚を抱く。錯覚とわかっていてもうれしいものである。
「佐伯祐三展」の図録は半分ほど読了。少しずつ頭の中の整理をしているつもり。
本日の作業はこれにて終了。
夕食後も若干の編集作業を続けた。一応本日までにできることは終了。明日は日曜なので原稿が送信されてくることはまずはないと思われる。明日は追悼文が送信されてこない限り編集作業は中断。
先ほどできたところまでを試しに打ち出してみたが、想定通りの出来。ただし、字の割合が多く、スペースにゆとりがないのが残念だが、やむを得ない。
これより新古今和歌集の仮名序の書き写しを行って本日の作業は終了。時間があれば「佐伯祐三展」の図録を引き続き読み進めたい。
冷たい雨はあがったようだ。雲は少し高くなったようだが、まだ星空は顔を出していない。
朝から冷たい雨が降り続いている。18時には雨はやむ予報であるが、少し弱い雨になったものの、やみそうな気配はない。
気温が低いので、セーターを着こみ、ガスファンヒーターを点けている。窓ガラスには冬のような結露。
これでは開花しているサクラを始めとした花木には可哀そうな気もするが、開花が早すぎた分、季節が少しだけ平年に戻るのかもしれない。
午前中は亡くなったかたの追悼誌の編集作業の続き。2名の文章が届いて、貼りつけ。全体の割付はなんとかできた。これから残りのかたの分も含めて、飾りを施す作業。当初A5版で8頁のリーフレットにしようとしたが、写真を数多く入れたくなり、A4版で8頁と倍のスペースが必要になった。しかしお願いした字数でおさまったものが送信されてくればいいのだが、それよりも字数の多いものが来ると、お手上げである。A3を二つ折りにするので、4の倍数にしなければならない。大胆にカットさせてもらうしかないのだが、追悼文ではあまり大胆にもできない。
そんなこんなで、思ったよりも作業量は多くなってしまったが、これも故人への恩返しの一環であろう。
午後からは気分を変えて、佐伯祐三展の図録を読み始めた。約1/4ほどに目をとおした。しかしまだ何をブログにアップするか決めていない。決まらない。
本日の書き写しは300字に届かなかったが、新古今和歌集仮名序の段落二つ分。一日にまとめてたくさん書き写すよりも、少しであっても毎日続けるほうが、字を忘れないための訓練としては優れていると、勝手に思いこんで実践している。それでも一週間に一日くらいは忘れたり、用事が立て込んでできなかったりする。
佐伯祐三展のチラシと作品目録をスキャナーで取り組み。さらに書き写しが終わってから退職者会の仕事を30分ほど。前会長の偲ぶ会の追悼誌の割付を少し変更。あとは10人ほどの追悼文が送られてくるたびに枠に流し込んで、完成である。問題はその文章が来週月曜日に全部揃うか、これが大きな問題である。
本日は読書時間を確保できなかった。
リフォームの相談を工事会社の担当者と相談。我が退職者会の提携業者である。親切に相談に乗ってくれた。時間もたっぷりかけて室内や床下を見てくれた。いくつかのヴージョンの見積もりを作ってもらう予定。
ひとつうれしかったのは、フローリングはまだまだ劣化しておらず、下から支えをすれば、ギシギシという音はなくなり、また撓んでいるように思える個所も補強できるとのこと。これで金額的にはずいぶん楽になるはずである。また借りの引っ越しも必要なくなる。
工事の見通しはまだだいぶ先。今の時期、工事は立て込んでいるようだ。
本日は雨の予報であったが、今のところ降ってはいない。しかし今にも降りそうな厚い雲が空を覆っており、いつ降ってもおかしくない気配である。
レインアイよこはまを見ると山梨県内で弱い雨が降っており、ゆっくりと、実にゆっくりと東に移動している。飛び地のように都内東部で雨の降っているところが表示されている。
これより退職者会の仕事を少々、そして書き写しも少々。昨日の続きを行う。
最近の美術展では、「エゴン・シーレ展」(東京都美術館)も見に行きたい。無料観覧券をいただいたのは「憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷展」(国立西洋美術館)。どちらも事前予約制というのがやはり気になるが、展示内容に惹かれている。またお小遣いも厳しいものがある。
まずは佐伯祐三展の感想をまとめることが優先である。エゴン・シーレ展の会期末までに間に合うかも心配である。
という心配をしながら、本日は就寝。
先ほど本日の書き写しを終了。新古今和歌集仮名序の段落の2番目と3番目の合わせて300字あまりを写した。文意は古今和歌集の真名序よりもわかりやすい。また短く簡潔である。順調に進めば来週半ばには写し終わりそうである。ただし来週は日程が立て込んでおり、作業も詰まっている。
明日の午前中は来客がある。実は我が家のリフォームを企んでおり、その相談・下調べである。何しろ本が棚からあふれ、床が抜けそうに撓んでギシギシと音を立てている状況である。フローリングの張替えの前に本の処分も重要である。断捨離という言葉がはやっているが、まさにそれである。知り合いの業者に依頼して金額と日程等々を聞くつもりである。日程については私の作業の都合、特に退職者会ニュースの作成時期と重ならないようにしなくてはならない。ネット環境の確保も必須である。
さして明日は午後遅くなって雨が降るとの予報である。果たして出かけて息抜きの時間があるだろうか。
本日の午前中は美術鑑賞講座「比べて楽しむアート鑑賞」の第3回目の「静物」。本講座はこれにて終了。後期にまた同じ講師(中村宏美氏)の講座に期待。
14時からは東京ステーションギャラリーで開催している「佐伯祐三 自画像としての風景」展を見に行ってきた。
当初の予定は是だけであったが、急遽16時から退職者会の打ち合わせ会議が入り、大急ぎで会場を回り、図録を購入して慌てて組合の会館へ。
日時指定のチケットは14時からであったが、さいわい13時45分には会場に入れてくれたのは有難かった。
しかし思った以上に会場は混雑。佐伯祐三はこんなにも人気があったのかと、驚いた。しかし作品が多数あり、後期でも130数点が展示されている。見ごたえ十分であった。混雑してかなり早足で一巡したものの、1925年以降の作品のコーナーはもう一回りしてきた。
正味60分会場にいたものの、もう一度くらいは見て回りたいものである。しかし体力的には60分が限度かもしれない。途中から膝も痛くなり、杖を突いて行けば良かったと反省。
講座と美術展と退職者会の会議、盛りだくさんの一日であった。「佐伯祐三」展の感想はもう少し図録を読み込んでからとしたい。
3月6日から20日までが啓蟄、虫が動き出し這い出てくる時節である。本日の朝、パソコンの台の上を小さな蜘蛛が歩いていた。この春、始めて見た蜘蛛である。子の蜘蛛は糸を吐いてそれを風に吹かせて空を飛んでくる。
本日見つけたこの蜘蛛はどこから来たのであろうか。空を飛んできてから我が家のベランダのプランターの片隅で少し成長してから、アルミサッシを開けたときにでも室内にもぐりこんだのであろう。
ゴキブリに幼虫やダニなどを食べてくれる「益虫」でもあり、そのままにしておいてもよかったが、小さなプラスティックの容器に入れて、ベランダに放してやった。
本日、古今和歌集真名序の読み下し文の書き写しを終了。これで、「おくのほそ道」「古今和歌集仮名序」に続いて三つ目の書き写しが終わった。
次に何をするか、考えたが、石牟礼道子の俳句の前に、「新古今和歌集真名序」の書き写しを少し始めた。
「おくのほそ道」でノートを1冊使用した。古今和歌集の仮名序・真名序でまだノートを7割程度しか使用していない。残りを新古今和歌集仮名序で埋めることができそうである。石牟礼道子の俳句はそののちにすることにした。
午前中は「絵画の政治学」の第6章「ファン・ゴッホ ルヌアールとリヨンにおける織工の危機」を引き続き読んだ。
坂本龍一氏が東京新聞に寄せたアピールを転載させてもらう。岸田政権の原発回帰の方針に対する批判である。以下、東京新聞の記事も合わせて引用させてもらう。
音楽家・アーティストの坂本龍一さん(71)が、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から12年となったことに合わせ、本紙(東京新聞)にメッセージを寄せた。政府が原発回帰の方針を示していることに関して「なぜこの国を運営する人たちはこれほどまでに原発に固執するのだろう」と批判。コンクリートが劣化し、テロやミサイル攻撃の標的になりかねないとして「むしろ時間が経たてば経つほど危険性は増す」と指摘している。(小椋由紀子)
◆「何かいいことがあるのだろうか」
坂本さんは「人々の記憶は薄れているかもしれないけれど、いつまでたっても原発は危険だ」と強調。「事故の汚染水・処理水も増えるばかり。事故のリスクはこれからも続く」と訴えた。
岸田文雄首相は、震災後に封印されていた原発のリプレース(建て替え)や、60年超の運転容認を国会で十分な議論をしないまま決定した。坂本さんは「なぜ未完成で最も危険な発電方法を推進しようとするのか」と岸田政権の対応を問題視する。
原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分問題が解決されていないことにも触れて「何かいいことがあるのだろうか」「そこまで執着するのはなぜだろう」と疑問を連ねる。
◆直腸がんで今も闘病
坂本さんは2011年の東日本大震災後、被災地出身の子どもらによる「東北ユースオーケストラ」を創設し、代表・監督を務めるなど被災者を支援してきた。環境保護や脱原発に強い関心を持ち、13年には本紙記者約100人と、震災・原発と報道をテーマに意見交換。討論をまとめた「坂本龍一×東京新聞 脱原発とメディアを考える」(東京新聞)が刊行された。
21年1月に直腸がんを公表し、今も闘病中。昨年12月には、事前収録した無観客のピアノ・ソロ・コンサートを日本や欧米、アジアなど約30の国や地域に配信し、体調面から「これが最後になるかもしれない」とコメントしている
坂本龍一さんが本紙に寄せたメッセージ全文は次の通り。
2011年の原発事故から12年、人々の記憶は薄れているかもしれないけれど、いつまでたっても原発は危険だ。
いやむしろ時間が経てば経つほど危険性は増す。
コンクリートの劣化、人為的ミスの可能性の増大、他国からのテロやミサイル攻撃の可能性など。
なぜこの国を運営する人たちはこれほどまでに原発に固執するのだろう。
ロシアによるエネルギー危機を契機にヨーロッパの国々では一時的に化石燃料に依存しながらも、持続可能エネルギーへの投資が飛躍的に伸びているというのに。
わが国では、なぜ未完成で最も危険な発電方法を推進しようとするのか分からない。
発電によってうまれる放射性廃棄物の処理の仕方が未解決で増えるばかり。
埋める場所もない。
事故の汚染水・処理水も増えるばかり。事故のリスクはこれからも続く。
それなのに何かいいことがあるのだろうか。
世界一の地震国で国民を危険にさらし、自分たちの首もしめるというのに、そこまで執着するのはなぜだろう。 坂本龍一(音楽家)