Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ヨコハマヒザクラも咲き始め

2023年03月15日 18時02分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 横浜でもソメイヨシノの開花宣言が出たらしい。早いものである。私はまだソメイヨシノは見に行っていない。団地のソメイヨシノは明日にでも眺めてみるつもり。



 フラワー緑道の南端のカワヅザクラは花よりも葉のほうが多くなっている。日当たりの良い物のほうが当然ながら早く散ってしまい葉が密生している。

   

 ヨコハマヒザクラは開花したばかり。いつもの緑道の最南端に2本が咲いている。不思議なことに日当たりはほとんど変わらないはずだが、花の遅速が毎年顕著である。本日は咲いている株は一分咲き、もう一本は数輪にしかすぎない。



近くではコブシが昨日と変わらず咲き、ユキヤナギが一層鮮やかになっていた。
 イロハモミジの新芽も美しかったが、ピントが合っていなかった。コンパクトカメラでは小さなものへのピント合わせが難しい。

 


本日の読書と書き写し

2023年03月14日 21時34分34秒 | 読書

 本日フラワー緑道の一番横浜駅寄りをバスにて通過したら、ヨコハマヒザクラが開いていた。残念ながら引き返して写真を撮影するゆとりはなかった。しかし明日も晴れるので、コンパクトカメラを持って見に行きたいと思う。
 私は別にサクラのオタクではないし、サクラの花に浮かれるのも好みではない。私はサクラを出汁にどんちゃん騒ぎや酒宴や人混みに繰り出すのは好みではない。花狂いにも無縁でありたい。サクラを静かにゆったりした気分で眺めたいだけである。暖かい陽射しとサクラの花の下で、寝転んで、親しい友人と春の訪れを実感できれば、それでいい。それがサクラでもウメでもコブシでも菜の花でもなんでも構わない。ただし、サクラの散る風情は他のものに代えがたい魅力である。

 本日の書き写しが終わり、あと一回で古今集真名序は終了する。

   

 そして「絵画の政治学」は第4章「カミーユ・ピサロ 気取らない眼」と第5章「マネの《オペラ座の仮面舞踏会》」を読み終え、第6章「ファン・ゴッホ ルヌアールとリヨンにおける織工の危機」を読み始めた。「絵画の政治学」は少しずつわかりやすい表現担ってきている。具体的な作品の解説という方法を取り始めたことで、著者の言いたいことが少しずつ見えるようになってきた。最初からこのような叙述であれば、よかったのに、と思っている。

 


追悼 大江健三郎

2023年03月14日 19時56分55秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 大江健三郎が亡くなったとのニュースを昨晩聞いた。88歳と聞いた。死因が老衰とも聞いた。まだまだいろいろと発信をしてもらいたい人であった。

 中学3年の1966年頃に新潮文庫で『死者の奢り・飼育』を読んで始めて大江作品に接したが、特に感想は抱かなかったと思う。1971年頃に岩波新書の「沖縄ノート」、そして1972年に同じく「ヒロシマ・ノート」を読んだ。これはじっくりと読んだ。
 どちらかというと「ヒロシマ・ノート」よりも「沖縄ノート」のほうが衝撃が大きかった。沖縄の問題に真剣に目を向けるようになった。1980から86年頃にかけてようやく初期からの作品をまとめて読んだ。「遅れてきた青年」、「個人的な体験」、「万延元年のフットボール」、「洪水はわが魂に及び」、「ピンチランナー調書」「同時代ゲーム」は記憶に残っているが、その後「M/Tと森のフシギの物語」を途中で投げ出してから、読むのをやめてしまった。内容に着いて行けないもどかしさと、能力の限界を感じて、つらかった思いがあった。
 さらに天皇制を無化するに、周縁の、特に四国というごく狭小な地域の共同体を対置する方法論について行けなかった自分が今では恥ずかしい。
 また氏の独特の文体が、英語の時間にならう直訳の日本語のように鼻についてしまって先に進めなくなったことも大きな要因である。今でもあの文体に対する違和感が強い。それが理由で読まなくなってしまったのはとてももったいないことだとわかっているのだが・・・。

 それ以降は、政治的な場や、その他の集会での発言などに注目することばかりが多くなってしまったのは、自分ながらもったいないと思って来た。しかし肝心の文学を読み続けようという気力が湧かなかったのは返す返すも残念である。
 2011年の東日本大震災での原発事故以降の活発な発言には特に注目してきた。

 20代初めから今まで、私に大きなインパクトを与え続けてくれた方であった。

 


本日の書き写し

2023年03月13日 23時20分55秒 | 読書

 本日も古今和歌集真名序の読み下し文を書き写した。最速であと2貝で終わってしまう。これが終了したら、次は何を書き写すか思案中。もう一度芭蕉の文章に挑戦することも考えた。その場合は再度「おくのほそ道」の書き写しではなく、他の紀行文にしたい。あるいは方丈記、新古今和歌集の真名序・仮名序という選択もある。あるA君は漱石の各長編の冒頭部分は味がある、という。頷いたB君は「夢十夜」は全部写せるのではないか、という。
 そして私の脳味噌の片隅から、石牟礼道子の俳句はいいぜ、という声も聞こえてきた。これにはなかなかそそられた。
 いづれにしてもあと3日以内には決めたいものである。


横浜駅西口界隈でサクラを楽しむ

2023年03月13日 22時05分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

         

 本日のフラワー緑道のカワヅザクラは午前中の強い風もあり、かなりの花弁が散っており、瑞々しい若葉の薄い緑と花弁のピンクがいい色合いであった。
 ヨコハマヒザクラの蕾も今にも咲きそうに膨らみ、赤らんでいた。
 隣ではコブシが花弁の中心に薄いピンクの色を抱えながらカワヅザクラに対抗していた。

 間もなくヨコハマヒザクラの10日間が始まるようである。当分このフラワー緑道の横浜駅寄りの場所は楽しめる。
 向かい側の幸ケ谷公園ではソメイヨシノが間もなく開くらしい。そして新田間川ではヤエザクラを楽しむことができる。例年ならば4月中・下旬まで、サクラを楽しむことができる。


佐伯祐三展を予約

2023年03月13日 20時12分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨晩思い切って東京ステーションギャラリーで開催している「佐伯祐三 自画像としての風景展」の日時指定券をネットで購入した。日時指定券の購入はこの3年間で初めてだと思う。神奈川県立近代美術館葉山では当日すいていたのですんなり入場できたので日時指定券は購入していない。こういう方式がどうも好きではないが、1回くらいは経験しておこうと思っていた。3月16日(木)の午後である。
 佐伯祐三という画家のまとまった展覧会は私は始めて見に行く。以前から数点の有名な作品を見てとても惹かれていた。

 ホームページには次のように記されている。【https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202211_saeki.html
「佐伯祐三 自画像としての風景」  2023年1月21日(土) - 4月2日(日)
およそ100年前、大阪、東京、パリの3つの街で短くも鮮烈な生涯を送った天才画家・佐伯祐三(1898-1928)。佐伯は短い画業の中でしばしば画風を変化させましたが、それは多くの場合、描くべき風景の発見と結びついていました。本展では佐伯が描いた3つの街に焦点を当て、風景画だけでなく、人物画や静物画も含めた佐伯芸術の造形性について再考します。東京では18年振りとなる本格的な回顧展です。

 「ピカソとその時代展」以来の久しぶりの美術展、楽しみにしている。


ブラームス弦楽四重奏曲

2023年03月13日 14時34分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日のお伴はブラームスの弦楽四重奏曲全3曲。演奏はアルバン・ベルク四重奏団で、1991年から92年にかけての録音。
 第1番(作品51-1)はベートーヴェン風で、第2番(作品51-2)はシューマン風と言われているらしい。共に1873年、40歳の年に発表。それならば第3番(作品67、1875年、42歳)でようやくブラームスらしさを確立したということなのだろうか。
 この四重奏曲を聴くときには、ヴィオラの活躍が特に私の耳に残る。特に第3番のヴィオラは印象に残る。ヴィオラという弦楽器は音量があまり出ないが、使い方ではとても表情豊かで印象に残る楽器である。

 本日の天気は予報通り雨。風は昼前は強かった。今はおさまっている。昨日は一日家にこもっていたので、雨があがれば外に出かけるよていである。現在雨はあがったものの、南の方角に黒い雲があり、もうひと雨きそうな気配である。

 


本日の読書

2023年03月12日 22時11分50秒 | 読書

 明日は雨とのこと。しかし予報を詳しく見ると雨は午前中、長引いても15時前にはあがりそうである。本日は出かけずに右膝の養生に務めた。明日も出かけるとしたら杖を突いて膝に負担がかからないようにしたいものである。

 ミラーレスのカメラを修理に出したので、フラワー緑道のカワヅザクラ、ヨコハマヒザクラなどのほか、コブシやモクレンの様子はスマホでの撮影か、古いコンパクトデジカメを利用するしかない。技術のない私の腕ではそれで十分であろう。26日のイベントのカメラマン役としては練習を兼ねて、撮影に行きたいところ。明日にこだわらずに今週中に練習は済ませれば良い。

   

 さて先ほど「絵画の政治学」(リンダ・ノックリン、ちくま学芸文庫)の第3章「虚構のオリエント」をとりあえず読了。引き続いて第4章「カミーユ・ピサロ 気取らない眼」に目をとおし始めた。翻訳がこなれていないのも理由かもしれない。しかしそれだけではないようだ。原文のもつ過剰な修飾語の羅列と回りくどい言い回し、理由がよく理解できない引用に振り回されているが、もう少し付き合ってみることにしている。
 本日の読書はもう少し継続。


本日は引き籠り

2023年03月12日 16時50分30秒 | 読書

 先ほど「古今和歌集真名序」の読み下し文の書き写しを行った。全体の約半分が終了。「おくのほそ道」よりは短いが、内容はなかなか難しい。理解よりも書き写しに力点をおいているので、わからないところをそのままにしているところも多い。
 そして「絵画の政治学」の第3章「虚構のオリエント」も読み進めた。さらにパソコンと机の周囲の書類の山を片づけた。書類の山の下から出てきた13インチのノートパソコンを充電し、更新データのダウンロード。キーボードが小さく、かな変換の私にはテンキーボードがないのは扱いにくいが、持ち運びが必要な場合には貴重なパソコンである。まだまだ手放せない。

 本日はおとなしく、家に引き籠りである。外で遊ぶ子供の元気な声がうらやましい。


本日は3.11 その2

2023年03月11日 21時34分59秒 | 天気と自然災害

 私は仙台の大学を卒業したので、友人が東北地方に多く住んでいる。12年前のあの日の夜から、東北・北海道の友人に電話連絡で安否を確かめようとしたが、まったく電話が通じないのがつらかった。
 太平洋岸だけでなく、日本海側の山形・秋田・青森西部、北海道西部に住んでいるかたにも電話が通じなかった。翌日には新潟でも関連する大きな地震があり、新潟にも電話が通じなくなった。
 山形や秋田の友人に電話が通じたのが3日後か4日後の夜だったと思う。それから少しずつ電話が通じたが、宮城・岩手・福島に通じたのが一週間後くらいであったと思う。原発事故もあり、とても心配をした。家屋被害にあったかたはいたが、怪我をしたかたはいなかったのが不幸中のさいわいであった。

 福島県の双葉町は学生時代に亡くなった同級生の実家があった町である。以前そのお墓参りに伺ったことがある。実家は海沿いにあり、お墓はさらに海に近く、広々とした太平洋を臨む小さな高台にあった。タチアオイが咲いていたお墓であった。しかしあのお墓も実家も間違いなく津波で流されたはずである。
 そして原発事故で立ち入り禁止が帰宅困難区域に指定されたようだ。今はどうなっているのであろうか。実家の方々は被害をまぬがれたのであろうか。

 さらにたまたま地震の前年の秋の始めごろ、東松島市内に妻の親が購入した幽霊地が陸前大塚駅近くにあり、その処分をしようと、仙台・石巻の法務局に行く機会があった。ついでに学生時代以来35年ぶりに懐かしい女川駅を訪れた。学生時代に女川原発反対運動の集まりに2度ほど出向いたことがあるだけであるが、懐かしかった。
 その前年の2月にチリ地震津波があり、女川町も津波で湾内の養殖場に被害を受けた。海岸沿いの繁華街も60cmほどの水に浸かる被害があった。
 海岸からわずかに100mもない小綺麗な3階建の小さな寿司店に入った。若い寿司職人が家族で営んでいた。チリ地震の津波の建物被害のことや、湾内のホヤや牡蠣の被害について聞きながら、塩竈の浦霞を、ナマコの酢の物、貝の刺身の盛り合わせを肴に昼食代わりに呑んだ。有意義な時間であった。
 その店もどうなっているのか、あれから一度も訪れていない。震災後野蒜海岸までは学生時代の友人と訪れたものの、時間切れて行くことがかなわなかった。
 区画整理で新しい街づくりがなされたと聞いているが、店の名も忘れてしまい、探す手立ては無くなっている。いづれは訪れたい場所である。
 そして今でも時々思い出したように怖くなるのである。あと半年遅くそこを訪れていたら、私も地震と津波の被害を受けて、生きてはいなかったのではないか。そう思うと、あの地震が他人事ではなく、身近な怖れとなって体が震える。

 義父の所有していた土地は処分できずにそのままとなってしまっている。その土地があった場所のすぐ近くには震災復興住宅で造成・開発がされていることまでは、現地で震災後に確認した。さらに津波被害にあった仙石線が津波で被害に遭い高台に移った箇所を、妻と一緒に歩き、未だ被害の様相が生々しい場面を見て回ったことがある。その後の状況もまた見て回りたいと念願している。

 その他まだまだ私の頭の中ではどこか宙ぶらりんの状態のまま、現在もときどき顔をのぞかせるものがある。このモヤモヤも無理かもしれないが、いつかは解消したいのである。


本日は3.11

2023年03月11日 20時32分11秒 | 天気と自然災害

 本日は家でのんびりしているつもりであったが、妻と陽気に誘われて杖を突いて、地下鉄の上大岡駅まで出かけてみた。懐かしい上大岡駅周辺をのんびりと散歩。帰りは今度はバスに乗り鎌倉街道を北上して横浜駅まで。家についてみると6500歩ほどであった。杖を突いていたので、ほとんど右足に痛みは感じなかった。ずいぶんと楽に歩くことが出来た。
 バスで関内駅周辺やみなとみらい地区を通り過ぎたが、窓から多くの人がみなとみらい地区に出ていた。コンサートか何かもあるらしく、若い女性が歩道いっぱいに並んでいた。閑所たちはバスには乗ることはなく、バスはスムーズに横浜駅に辿り着いた。たまにはバスで遠出をしてみるのも楽しいことに気がついた。

 バスといえば、12年前の本日の夜、職場からの帰途は最初バスで本郷台駅からバスを乗り継いで横浜駅に辿り着こうとした。しかし始発のバスにやっとの思いで乗ったものの、ぎゅうぎゅうで立っているのもつらく、また息苦しいほど混雑。バス停で二つ目に早々に降りて、歩いて横浜駅をめざしたことを思い出した。あの日、あまりの混雑のため後ろから乗り、後ろから降りたので、バス代も払うこともできなかった。前のドアは混雑のため、開けることすらできなかったようだ。

 街灯も消えて、追い抜いていく自動車のヘッドランプの明かりだけを頼りに、まずは上大岡駅をめざした。栄区は一般住宅も街路灯も停電であったが、港南区は住宅も街路灯も点いていて、それだけでもホッとしたものである。自動販売機で売れ残っていたスポーツドリンクで喉をうるおした時は生き返った心地がしたものである。
 しかし行く先々のコンビニもスーパーも食料品や飲み物は棚から消えていた。袋物のお菓子も缶詰もカップ麺も粉末の味噌汁もなかった。
 先ほど購入した500CCのスポーツドリンク1本だけで、桜木町駅まで歩いた。駅の近くのある町内会館で、やかんに入った暖かいお茶をもらい、便所を借りることが出来たときは本当にうれしかった。
 横浜駅に辿り着いてみると、駅の構内では若いサラリーマンが大勢たむろしていた。聞こえてきた会話では「戸塚駅までなんか遠くて歩けない」とか、「海老名まで歩けないからこの通路で寝る」というような内容であった。「若いのに‥」と思ったが、60歳のオジサンのほうが逞しいのか、と自信が湧いてきた。
 帰宅してみると妻もまだ帰宅していなかった。深夜近くになり、どうやら携帯電話が繋がり六本木から妙蓮寺駅まで歩いてきたという。そして電車が動くということで、横浜方面の電車にギリギリで飛び込めたとのこと。日付がかわる直前に妻は家に辿り着いた。
 妻の体力からは想像もできないほど頑張って歩いたようで、感心したものである。距離は多分17kmほどであろうか。

 家では電気もガスも水道も通じており、シャワーを浴びて簡単でも暖かい食事が何よりもごちそうであった。家の中はものが倒れたりしてはいなかった。食器棚のカップがガラス戸にもたれかかり、開けるのに苦労した程度であった。
 その晩は余震にも目が覚めずにぐっすりと寝てしまった。翌12日土曜日からはテレビの報道に釘付けになった。さいわいにも米をはじめ食材は数日分は買ってあったので、特に心配はしなかったが、計画停電になるのではないか、という心配が強かった。しかし私の住んでいるところは横浜の中心部に近いということもあるようで、計画停電の対象からは外れたようであった。

 14日(月)からは職場に出て、昼間は本来業務の道路・下水・公園の点検活動、その合間に点在している18区と本庁舎に電話をかけまくり、組合員の安否確認に精をだした。15日の夜には組合の会館に出向いて本部に組合員の安否や職場の被害のなかったことなどを伝えてひと段落した。
 管理している道路や下水道管の液状化で被害があった職場は、点検やら修繕で大忙し。同時に本庁舎は高層階にあり、机やロッカーや書庫、コピー機などが散乱し大きな影響を受けていた。
 阪神淡路大震災の時とは違って、横浜市内も被害が出ており、労働組合としても東北地域への支援に力を出す状況にはすぐにはならず、いろいろと苦労が絶えなかった。しかも私は翌年に定年を迎えるので、前年の10月の大会で支部の役員を降りていた。

 3月11日はこんなことを思い出しながら、当時得た教訓などを思い出す日にしている。毎年少しずつ思い出す場面が違っている。それもまた大切にして活かしていきたい。


明日は休養日

2023年03月10日 22時44分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 何日かぶりで「古今和歌集真名序」の書き写しを330字ほど。それなりに書き慣れてきたようで、手の筋肉が強張ることはあまり無くなった。字を書き慣れるということの大切さを実感。
 若干の仕事をしているうちに時間が経ってしまい、これから少しだけ読書タイムの予定。

 明日は休養日としたい。退職者会の他の役員の方は、明日の午後も行動があるが、私は参加せず。そしてできれば延ばし延ばしにしてしまったパソコン周りと机周りの書類の整理をのんびりとしたいところ。この2か月近くの書類が乱雑に溜まっている。
 膝も少し痛みがあるので、のんびり家で過ごしたい。


カメラの修理

2023年03月10日 19時53分29秒 | 読書

 カメラを家電量販店の修理部門に預けてきた。10日くらいでメーカーから点検結果のお知らせが来て、修理できるか、修理ならばいくらかかるか等の連絡があるらしい。修理をするとさらに2週間程度かかるとのこと。これだは26日には到底間に合わないが、致し方ない。

 本日は雨が降るとの予報であったが、ほんの少しパラついた程度であった。気温は予報より3℃ほども高かったようで今年最高気温の22.9℃まで上がった。長袖の上着にメッシュのベストだけで十分であった。

   

 喫茶店で久しぶりに読書タイム。「絵画の政治学」の第2章「クールベ、オリェールと場所の意味 19世紀美術における地域制、地方性とピクチァレスク」を読み終わり、第3章「虚構のオリエント」に入った。今のところ特に覚書として記載する個所はなかったような気がする。

 そろそろ「古今和歌集真名序」の書き写しも再開したい。


ひと区切り

2023年03月10日 11時33分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩は結局2時半までかかって、ひと区切り。今朝も1時間ほどかけて、できあがったものの精査をしてから打ち出した。
 先月から今月にかけて、A3両面の新聞、A4両面2枚の新年会用リーフレット、A4両面のリーフレット(葬儀用)、そしてとりあえず世話になった先輩のA4両面2枚の写真集を作った。26日までに故人の偲ぶ会用にA4両面2枚のリーフレットも作ることになった。
 新聞以外は印刷も製本も自前である。新聞も発送は自前。自分たちでこなさないととても会費だけでは賄いきれない。
 来週からは、偲ぶ会用のリーフレット作りに邁進である。まるで退職者会の出版局である。5か月後には72歳になる身にしては働きすぎと自覚。

 昼食後はカメラを持って家電量販店でカメラの具合を見てもらう予定。

 


カメラの故障

2023年03月09日 22時11分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ようやく本日の仕事の終わりが見えてきた。見通しが甘く、もっと早くできあがると思いこんでいたのが間違いの元であった。今晩中には一応の形ができる見通しとなった。来週他の役員に見せて、取捨選択をしてもらう材料ができることになる。

 本日気がついたのだが、私のミラーレスのAPS-Cサイズのカメラが作動しなくなっている。どうも一昨日からおかしいと思っていた。誤作動を繰り返し、時々は絞りも感度も設定できるがすぐにとんでもない設定になってしまう。
 購入して丸6年、もう少し使いたいのだが、限界であろうか。決して丁寧に扱ったわけではないが、それほど乱暴に使ったわけでもない。明日、雨がやんだら家電量販店に持ち込んで見ることにしたい。コンパクトで軽いものがどうしても欲しい。またレンズも新たに購入したくはない。
 それまではスマホのカメラ機能か、少し古いコンパクトカメラで対応するしかない。26日にカメラマンをしなくてはいけないのだが、修理できたとしてもそれまでに修理を完了することは無理と思われる。困った。

 スマホで撮ったもの。