Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

さすがに寒いと感じた

2023年11月26日 21時23分54秒 | 読書

 本日の最高気温は、昨晩日付が変わった直後の9.8℃のまま。結局日中は10℃には届かなかった。1月中旬の最高気温であったようだ。本日は少し厚めのダウンのコートを着て、二人で食材の買い物がてら、昼食も外食。パン店のイートインコーナーにて済ませた。



 購入した食材は無料の配送をお願いして、二人でバスへ。私は横浜駅地下の書店で「日経サイエンス1月号」を購入。これは読み切れる自信はないが、わかる範囲で目を通したい。時々気が向いて購入する。一応理系男子だったが、それはもう50年前の話。分かったつもりになるのは得意である。

 日曜にしては珍しく席の空いていた地下街の喫茶店で、持参した永瀬清子の詩集を読んだ。妻は途中からバスを乗り換えで自宅へ。いつものとおり、帰りは別々。


「永瀬清子詩集」を読む

2023年11月26日 19時17分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連



 夕方、喫茶店で「永瀬清子詩集」を読んだ。永瀬清子の名は、1970年代半ばに吉本隆明編集の「試行」誌上に「短章集抄」が載っていた。幾度も名前は見たが、読んだことはなかった。

 戦後2番目の詩集「美しい国」(1948刊、42歳)から2編、ならびに最後の詩集「卑弥呼よ卑弥呼」(1990刊、84歳)から2編のそれぞれ抜粋して引用してみたい。

  夜に燈ともし
 かいこがまゆをつくるように
 私は私の夜をつくる。
 夜を紡いで部屋をつくる。
 ふかい黄色の星空のもとに
 一人だけのあかりをともして
 卵型の小さな世界をつくる。
 ・・・・
 さびしい一人だけの世界のうちに
 苔や蛍のひかるように私はひかる。
 よい生涯を生きたいと願い
 美しいものを慕う心をふかくし
 ひるま汚した指で
 しずかな数行を編む
 ・・・・

  降りつむ
 かなしみの国に雪が降りつむ
 かなしみを糧として生きよと雪が降りつむ
 失いつくしたものの上に雪が降りつむ
 その山河の上に
 そのうすきシャツの上に
 そのみなし子のみだれたる頭髪の上に
 四方の潮騒いよよ高く雪が降りつむ。
 ・・・・
 無限にふかい空からしずかにしずかに
 非情のやさしさをもって雪が降りつむ
 悲しみの国に雪が降りつむ。

  歓呼の波
 ・・・夫は招集され
 東京駅を出て行った。
 見渡す限りの万歳と旗と歌声の波に送られ
 ろくに別れをかわす事も汽車の窓に近よる事さえもできずに――
 ただその波に押しまくられているうちに汽車は出ていった。
 ・・・・
 あの歓呼のことはを忘られない。
 旗をふり、軍歌を高唱し
 まるで犠牲の羊をリボンや花輪で飾りはやすように
 自分の番ではなかった事を
 人々はまず喜んでいたのではないのか?
 あの歓呼、忘られない。

  悲しいことは万歳でした ――老いたる人のレコード
 私はその時のことを知っていますよ。
 私はその時 そこにいたのです。
 ・・・・
 私はその時まだ若く柔らかく
 歴史にも慣れていなかったのです
 夫はタスキをかけ、それは「死んでも当然」のしるし。
 みんな狂っていたので
 悲しいことは「万歳」でした。
 つらいことも「万歳」でした。
 みんなが歌ってくれました
 だから自分だけが泣くことのできない不気味な時代。 
 私はその時のことを知っていますよ。
 私はその時 そこにいたのです。
 私の中身にはその泣き声がしまってあります。
 私は古びた一つのレコードなのですよ。
 ・・・・

  有事
 ・・・・
 自分が信じる事以外には従うまい
 そんな単純な決まりきった事でも
 ちゃんとあらためて自分にきめておかないと
 きっとその時は、五寸釘をねぢ曲げるように
 誰も枯れも折り曲げられてしまう世の中になるのだ
 おそろしい
   そうだ
 私はもう「有事」を語っている。

 「はしがき」で谷川俊太郎は「詩は自己表現という考え方が当時は一般的だったが、永瀬さんの自己は初めから「私」をはみ出して、世界全体に向かっていた。永瀬さんにとって世界は一つの計り知れない流動体であって、そこでは人間界、自然会の区別は永瀬さんの中にはなかった‥。娘、妻、葉は、農婦などの役割を果たしながら、役割だけでは捉えられないグローバルな存在、無限定な宇宙内存在として自分では気づかずに生きたと思う」と書いてある。
 なるほど、と思える評ではないだろうか。特に「降りつむ」からはそんな感想を持った。引き続き読み続けたい。「短章集」などの文章も読みたい。


木星と月のランデブー

2023年11月25日 21時20分11秒 | 思いつき・エッセイ・・・



 夜になり風も強くなり、冷えてきた。空は厚い雲に覆われ、月も見えない。雲の流れは早い。本日は月齢12のほぼ丸い月と、マイナス2.8等級に近い木星が見かけ上接近して見える日。ランデブーという語は今では死語であるが、他に言葉が見つからない。
 寒い中、団地の号棟の端っこまで出かけて空をしばらく仰ぎ見ていた。天頂付近で、かすかに月の光が確認できたので、5分ほど見つめていたら、雲の切れ間から月と木星が一瞬だけ顔を出してくれた。
 木星は月の南側、月の直径で三つか四つくらいのところに明るく光っていた。わずか2~3秒ほどでまた厚い雲の中に隠れてしまった。さらに5分ほど粘ってみたが、月だけが2度ほど見えた。木星と月が同時に見えるだけの広さの雲の切れ間はなく、寒いので断念。家に戻った。

 天文現象は見たからといってご利益があるわけではない。しかも点にしか見えない木星を見ても楽しいことは無い。たいていは寒くて震えて、もうしたくない、と思うのが天体観測である。それでも見たいと思う人は多い。
 要は想像力である。木星のガリレオ衛星の動きを小さな望遠鏡で追った見ると日々動きがわかる。土星を一度望遠鏡で見ると輪が見えて感激する。次に肉眼で木星や土星を見ても点にしか見えない。それでもあそこには衛星がある、輪がある、と想像しながら見ると、楽しいのである。
 惑星に限らず、変化のない恒星でも、その星の由来を知ってから見ると、あるいは星座の物語を聞いたり、読んだりして星座を見ると、それぞれに想像力を逞しくできる。
 これに嵌ってしまった人間はなかなか抜け出せないものである。私は40年ほど抜け出したと思っていた。いつの間にか少しだけではあるが、星を見ることが再び楽しみになってきた。忘れてしまったことが99%以上で星座の名前も星の名も思い出せず、自信をなくしている。頓珍漢になっているがそれでも楽しい。
 


寒気南下

2023年11月25日 20時15分03秒 | 天気と自然災害

 本日の横浜の最高気温は15時40分頃の12.8℃。ちょうど家に着いた頃であった。最高気温は12月中旬並みとのことである。外を歩いてみると風がないこともあり、それほど寒いとは感じなかった。気温が上がらないということで、手もとにある一番薄手のダウンのコートを着て外出した。
 バスに乗っている間も、ビルの中を歩いたときも、コートを着ていて暑いということもなかった。さすがに喫茶店ではコートは脱いだ。ちょうどいい室温であった。読書は思いのほか進んだ。
 明日日曜は本日よりも気温は上がらないらしい。月曜までは寒いという予報になっている。

 夏の間は関東地方だけ気温が高い日が続いたけれども、今度は関東地方だけ気温が低いような予報になっていた。不思議と言えば不思議である。


本日から「文学が裁く戦争」 その1

2023年11月25日 18時38分38秒 | 読書

   

 昨晩から本日にかけての読書は「バロック美術」の第4章「幻視と法悦 幻視絵画から総合芸術へ」。そして本日いつもの安価なチェーン店の安価なコーヒーを飲みながら「文学が裁く戦争」(金ヨンロン、岩波新書)を読み始めた。
 いつものとおり2冊の同時進行。同じ系統の本は頭の中が混乱するので、同時進行は無理。系統の違う本は飽きが来たり、頭の中が飽和仕掛けたときに有効である。気分転換にもなる。
 土曜日ということで、横浜駅から少し離れたオフィス街にある喫茶店。入店したときは空いた席は一人分だけだったが、ちょうどピークが過ぎたばかりのようで、15分もしないうちに店内はガラガラになった。
 「文学が裁く戦争」の第1章を読み終えて、少し早めだったがバスにて帰宅。

大佛(次郎)は「あの無表情なマスクの裏にどんな心が隠れていたかは今は知る由がないが、悪かつたと誰も云わなかつたのが不思議なような心持がする」と文章を閉じる。この素直な違和感こそ、東京裁判とその判決が残した課題であった‥。そこにかけ炊いたのは、被害者への想像力であり、戦争および戦争犯罪に対する加害意識であったのだ。

当時の文章に直接東京裁判を批判したり戦犯を陽子氏足りすことで、露骨な過去への賛美を表すものはあまりない。むしろ、溥儀への批判に明らかなように、裁判への不満は、旧植民地への憎悪といった形で、宛先を間違えて発露しているように見受けられる。そこに植民地支配への責任という意識は読み取れない。

戦地という特殊な場所で、戦闘員の特殊な精神状態において行われた暴力として残虐行為を理解し、軍隊を一般社会から切り離すメディアの捉え方に対して、中野重治は戦場の軍隊と国内の警察を結びつけ、暴力の連続性を可視化する。被告たちの行動を特殊な状況における異常な行動とのみみなして群や警察の組織の問題に触れようとしないことは、戦時中の国内的暴力を見過ごすことにつなから、さらに、いま占領かで行われている暴力をも容認しかねない‥

同時代において作家たちは、戦争裁判において被告席に立たされるような当事者ではなかったが、出来事の傍観者になることも許されていなかった。戦時中に書いた作品によって審判されていたこと、東京裁判とともに文学者としての戦争責任が考えられていたことは、忘れてはならない。林芙美子が苦悩の中で、物語の主人公であるゆき子に、物語内において下した死は、戦争裁判への一つの答えだった


秋の雲

2023年11月24日 21時47分01秒 | 天気と自然災害

 朝から西寄りの風が強く、強風注意報がまだ出ている。13時過ぎには最大瞬間風速16.7m、最高気温は正午前に23.0℃にもなった。現在も15℃ほどあるようだ。21時過ぎからはかなり気温が下がるという予報であった。気温の下がり方は少し遅くなっている。



 昨日は美しい秋の雲が空一面に散らばっていた。この雲を見て、とても懐かしい感じがした。どこかで見たような記憶があるが、どんな場面だったかは思い出せない。いかにも秋らしい雲に思える。
 本日は雲はそれほどなかった。

 明日は寒気の南下に伴い、かなり寒くなるらしい。横浜の最低気温の予報は7℃。東北・北海道のかたからすればたいしたことはないかもしれないが、関東地方は今年の異常な暑さがつづいたこともあり、ひとしお寒く感じるのではないだろうか。


スマホのアプリの不具合

2023年11月24日 20時45分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 スマホであるアプリが突然作動しなくなり、ショップまで出向いた。予約していないので2時間後とのこと。その間に整形外科に出向いていつものヒアルロン酸注射。整形外科に行くために、横浜駅の東口と西口を2往復もした上に、整形外科まで早歩き。
 かなりくたびれ、さらに本日も1万歩も歩く破目になってしまった。さいわい、膝のほうは今のところ痛くなっていない。ちょっと心配だが、これまでの経験では多分大丈夫そう。
 ショップでは1週間程度電子マネーが使えないが、1週間後に再設定すればOKといわれた。仕組みや原因がよくわからないが、1週間我慢するしかない。

 帰り際、バスを降りてから空を見上げると月と木星がごく近くに近寄っていた。明日はさらに接近することになっている。周囲に明るい星がないので、とても目立つ。

 帰宅後は引き続きチャイコフスキーの交響曲第5番を聴きながら過ごした。

 


チャイコフスキー「交響曲第5番」

2023年11月24日 13時17分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

        

 朝からチャイコフスキーの交響曲第5番を聴いている。作曲されたのは1888年。第6番悲愴とおなじくスヴェトラーノフ指揮のソビエト国立交響楽団の演奏、1990年の東京での演奏会のライブ録音である。

 20代のころ、このチャイコフスキーの第5番とベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ばかりを聴いていた時期がある。
 チャイコフスキーのこの5番は特に第1から第3楽章までを好んだ。第1楽章の付点四分音符と十六分音符で始まるクラリネットの序奏が耳から離れないどころか、脳内を響き続けていた。第1~第3楽章まで、いつも暗い押しつぶされた情念が浮かび上がろうとしてまた海のそこに引きづりこまれるように沈殿していく音の響きが私を捉えて離さなかった。
 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は序奏の四分音符4つの音で始まり、ヴァイオリンソロが出てくるまでに明るさに解決を求めていくが、チャイコフスキーは第3楽章まで引きづる。
 第1、第2楽章が消え入るように終止する。第3楽章もピアニッシモで終止するように進行し、取ってつけたように突然わずか3小節、四分音符6回の強奏で終り、フィナーレに入る。この部分は、最初の序奏の音型が復活する。同じ音型がこんなにも雰囲気を替えてしまうのが不思議に感じる。
 第2楽章の壮大な強奏で復活する序奏に出てきた音型と、美しい旋律が交互に同居する楽章の落差はチャイコフスキーの好んだウクライナ地方の広大な草原ながら厳しい自然に押しつぶされそうな人の営みを思い浮かべる。この2楽章も忘れがたい。

 20代前半、このような曲ばかりに惹かれていた。50年後の私はフィナーレの中にも暗い情念の世界を嗅ぎ分けている。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲にも。


「キュビスム展」 その1

2023年11月23日 21時21分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 国立西洋美術館のホームページには次のように記されている。

 20世紀初頭、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックという2人の芸術家によって生み出されたキュビスムは、西洋美術の歴史にかつてないほど大きな変革をもたらしました。その名称は、1908年にブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と評されたことに由来します。
 伝統的な技法であった遠近法や陰影法による空間表現から脱却し、幾何学的な形によって画面を構成する試みは、絵画を現実の再現とみなすルネサンス以来の常識から画家たちを解放しました。また絵画や彫刻の表現を根本から変えることによって、抽象芸術やダダ、シュルレアリスムへといたる道も開きます。慣習的な美に果敢に挑み、視覚表現に新たな可能性を開いたキュビスムは、パリに集う若い芸術家たちに大きな衝撃を与えました。そして、装飾・デザインや建築、舞台美術を含む様々な分野で瞬く間に世界中に広まり、それ以後の芸術の多様な展開に決定的な影響を及ぼしています。
 本展では、世界屈指の近現代美術コレクションを誇るパリのポンピドゥーセンターの所蔵品から、キュビスムの歴史を語る上で欠くことのできない貴重な作品が多数来日し、そのうち50点以上が日本初出品となります。20世紀美術の真の出発点となったキュビスムの豊かな展開とダイナミズムを、主要作家約40人による絵画を中心に、彫刻、素描、版画、映像、資料など約140点を通して紹介します。日本でキュビスムを正面から取り上げる本格的な展覧会はおよそ50年ぶりです。



 一回りして私が一番惹かれた作品はチラシの裏面に掲載されているパブロ・ピカソの《女性の胸像》(1907)と、チラシには掲載されていないもののポストカードがあったアメデオ・モディリアーニの《赤い頭部》(1915)。またチラシ裏面に掲載されているフランティシェク・クプカの《色面の構成》(1910-11)やジョルジュ・ブラックの諸作品もよかった。特に《赤い頭部》と《色面の構成》は初めて見た作品であった。レジェの作品も惹かれたものがあった。

 《赤い頭部》はモディリアーニは、はじめわからなかった。しかし目はまさしくモディリアーニそのもの。半身像・全身像ばかりがモディリアーニの女性像かと勝手に思い込んでいた。この中空に浮かぶ女性の頭部はどこを、そして何を見据えているのだろう。
 1915年頃に彫刻から絵画作品に専念するようになり、ユトリロや藤田嗣治などの影響を受けている。また病弱で兵役不適格となり、徴兵を逃れている。制作の安定と不安定がどのように作品にあらわれているの、興味を惹かれた。

 

 


「やまと絵展」「棟方志功展」は断念

2023年11月23日 14時26分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午前中のオンラインの講座には充分間に合った。いつもよりもほんの少しだけ早起き。起きたときは右足の脹脛・太腿・腰の筋肉が少しばかり痛かった。しかし講座を聴いているうちに次第に解消された。しかし本日は自重の日。
 横浜駅も混雑が予想されるので、出かけるかどうか考慮中。出かけてもバスで往復するだけで、歩き回るつもりはない。ただしいつものチェーン店のコーヒーではなく、美味しいコーヒーを飲んでのんびりしたい。

 12月の第1週くらいにはもう一度上野に行き、「モネ展」(上野の森美術館)と招待券をもらった「永遠の都ローマ展」(東京都美術館)を見に行きたい。
 東京国立博物館の「やまと絵展」と東京国立近代美術館の「棟方志功展」は12月3日までということで、残念ながら行けない。棟方志功はあまり見ることはなかったがこの機会に全体像を見ておきたいと思っていたのだが・・・・。すべての展覧会を見て回ったら、お小遣いは到底足りなくなる。


歩きすぎ

2023年11月22日 22時59分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は10時から美術鑑賞のオンライン講座。資料は先ほど打ち出しを終えた。これで受講の準備はできた。あとは明日10時前までに、顔が映し出されても恥ずかしくない程度の姿でパソコンの前に座ることが出来ればいい。

 本日は帰宅が20時近くになった。月と木星が昨日に続いて目立っている。25日(土)には木星と月が見かけ上、かなり接近するらしい。

 帰宅してみると歩数計は1万5000歩近くになっていた。これは今の私としては少々歩きすぎ。腰も少しだるくなってきた。多分ちゃんと歩いているつもりでも、右膝を庇うような歩き方をしているはずである。腰がだるくなる原因であろう。4年前は一日2万歩近くほぼ毎日歩いていたが、膝を痛める原因でもあった。
 美術展の会場内や、動物園内の歩行なので、ゆっくりと歩幅も小さく歩いた。それほどの運動量ではないが、筋肉は疲れている。本日は両足と腰に湿布薬をたっぷりと塗ってから寝ることとしたい。

 明日は自重して、おとなしくしないとまた膝痛がぶり返しては大変なことになる。


「キュビスム展」と上野動物園

2023年11月22日 21時30分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日は二人で上野に出かけた。目的は上野の森美術館で開催している「モネ展」であった。しかし事前予約をしていなかった。会場には外で並んでいる人が多数。しかも当日券では1時間半以上先の15時からでないと入場できないといわれ、断念。
 妻はあまり興味がないと言っていたが、やむを得ず国立西洋美術館の「キュビスム展」に切り替えて入場した。こちらはすんなりとチケットも購入でき、制限もなく会場に入ることが出来た。
 私はピカソ、ブラック、モディリアーニが堪能出来て大いに満足出来た。詳細は後日掲載予定。帰りに図録を購入しようとしたら3500円ということで、こちらも断念。

  

 1時間半近く会場内を歩いてかなり疲れたので、喫茶店で一服。まだ16時前なので、「パンダを見たい」とのリクエストがあり、上野動物園へ。親のリーリーとシンシンを見てから、ハシビロコウの初めて見る寝姿、キンケイ・ギンケイ、プレーリードック、ペンギンなどをめぐって上野駅に戻った。
 この時点で1万2000歩も歩き、太腿の筋肉が張ってしまった。

 横浜駅で夕食を食べてから帰宅。
 


月と木星を眺めながら

2023年11月21日 22時07分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は親の通院の付き添いののちは、頼まれた用事で横浜駅まで。しかしスマホを持っていくのを忘れてしまい、喫茶店でのコーヒータイムは断念。買い物で使ってしまい、財布はカラになり、電子マネーが使えないとどうしようもない。仕方なくそのまま敬老パスを使って再びバスにて帰宅。
 帰宅後はおとなしく、チャイコフスキーを聞きながらぼんやりと過ごした。
 先ほど団地一周の軽い夜のウォーキング。わずか1300歩程であるが、肩が張っていたので腕を大きく回しながらのウォーキング。脹脛と臀部の筋肉のほか、腕の筋肉をだいぶ使った。
 南側の横浜駅・みなとみらい方面が見通せる場所でしばらく冷たい風を浴びながら明るくまたたく街の灯を眺めていた。昨日が上弦の月(半月)なので本日は月齢8日の月。ほとんど半月に見えた。地平線の近くに街の灯りに押しのけられるように弱々しく光っているシリウスを見つけた。やはりシリウスにはもっと堂々と、街の光に負けずに光っていてもらいたいものである。
 天頂付近には木星が異様に明るく鎮座していた。一番明るい方向を見ていたので、他の星は見えなかった。

 明日は退職者会の資料作りを少々。1月までに作ればいいものなので、急ぐことはないが、忘れないうちに手を付けておきたい。

 


チャイコフスキー「交響曲第6番 悲愴」

2023年11月21日 19時53分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 CDは持っていても普段はあまり聴くことのないチャイコフスキー。昔は第5番の交響曲が好きで随分聴いた。このところ本棚に埃にまみれていた。夕方から「悲愴」を聴いている。
 指揮はエフゲニ・スヴェトラーノフ、ソビエト国立交響楽団の1990年、東京での演奏会の録音。
 チャイコフスキーというと、感傷的で甘い旋律という評価があるらしい。そのことは否定はしないが、私は旋律を丁寧に追って行くと、構築性の強靭な建物の骨格をなぞっているように思える。旋律がほのかに浮かんでは消えかかり、いつのまにか主要旋律になっていく過程に惹かれる。
 また第3楽章を除いて消え入るような終止が私は好きである。第2楽章の5拍子というリズムがロシア特有のリズムといわれる。ごく自然に耳に入ってくるのは不思議である。ロシアがどの範囲かということはここでは問わない。
 チャイコフスキーの管弦楽曲は強弱の差があまりに大きいので、夜静かに聴くということが出来ない。それもまた聴く機会が少ない原因かもしれない。


チャイコフスキー「偉大な芸術家の思い出」

2023年11月21日 12時37分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は何となくチャイコフスキーを聴きたくなって、「偉大な芸術家の思い出」(ピアノ三重奏曲イ短調作品50)を聴いている。
 ピアノはウラディミール・アシュケナージ、イツァーク・パールマンのヴァイオリン、リン・ハレルのチェロという組み合わせ。1980年の録音。
 チャイコフスキーより5歳年長のニコライ・ルビンシュタインが45歳で亡くなったことを悼んで作られた曲である。
 あまり聴くことはしていないが、忘れがたい旋律であることは確かだ。