Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

揚げ出し豆腐と河豚の天ぷら

2023年11月03日 21時43分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は三連休の初日。ちょっと奮発して二人で美味しいおそばを提供してくれる店に行った。家の近くの私鉄の駅の近く。私は少しばかり贅沢をして、ハイボール2杯、揚げ出し豆腐、河豚の天ぷらともり蕎麦。こちらの揚げ出し豆腐はとても美味しく感じる。久しぶりの河豚の天ぷらも美味しくいただいた。妻は一品料理に出し巻き卵を注文。こちらもふんわかとして美味しくいただいた。いつもより、つまみも蕎麦も多めに思えた。お腹は満腹。
 揚げ出し豆腐はおとといも居酒屋で美味しいものを食べた。私はこれは飽きない。本日は蕎麦掻と揚げ出し豆腐とどちらにするか迷った。蕎麦掻ならば食べきれなかったと思う。
 連休初日ということなのだろう、お店は満員。小さい子ども連れの家族も3組いたけれども、どちらの家族も静かに食事を楽しんでいた。

 明日までは天気は良いとのこと。ただし本日に続いて夏日という。この高温、いったいどうなってしまったのか。やはり暦どおりの気温や天候であってほしいものである。暑さ・暖かさにうんざり気味である。暑い、暖かすぎるといくら叫んでも平年並みにはならないのが悲しいが、それでもやはり口に出てしまう。


読了「芸術のパトロンたち」

2023年11月03日 17時18分19秒 | 読書

   

 「芸術のパトロンたち」(高階秀爾、岩波書店)を読み終わった。第3章までは以前にも高階秀爾氏の著書でも読んだような気がするし、また他の方に引用されたものを読んだのかもしれない。
 第4章「新しいパトロン」と終章「パトロンの役割」はこれまでにない視点に着目した論であると感じた。
  特に第4章の「政府・収集家・企業」の節は政府・企業に着目しての論で、興味深く読んだ。

今日では、コレクションの所蔵者は、各種の美術館をはじめ、政府その他の公共機関、公私の諸施設、一般の企業、そして個人の収集家など、きわめて広い範囲にわたっている。このような多様性と拡がりがまさしく近代の特色に他ならないのだが、政府の果たす役割は次第に大きくなっていることが指摘できる。もっともそのあり方は、国によって大きく異なる。フランスのように、芸術の保護と振興を国家の政策として推進している国もあれば、アメリカのように、芸術活動は民間主導に委ねるべきで、政府はなるべく関与しないほうかよいと考える国もある。」(第4章)

1970年代炉からそれまでになかった新しい現象として銀行、商社、メーカーなどの民間企業が芸術活動の支援に参加するという傾向が見られるようになった。」(第4章)

フランスにおいても企業の文化支援活動を肯定的にとらえる見方が一般的になってきたが、それを支える理念として次の三つの点がある。第一に、かつての王侯貴族や政府官僚に見られたように、パトロンはしばしば要求過大、その「保護」は容易に「介入」や「統制」を伴う傾向があるが、その危険を避けるためには、単独であるよりも、多くのパトロンの協力があったほうがよいとする考え方ある。「財源の複数性は文化活動の独立性と活性化の最良の保証」である。第二に、企業はまずその従業員に対して責任を負っているが、その責任には、生活の安定や仕事の供給だけでなく、文化的環境を提供することも含まれなければならない。第三に、文化は経済活動の支えともなるものである。」(第4章)

現代では、パトロンの主体も、その活動のやり方も多様化し、複雑な様相を見せるようになっている。作品の買い上げや制作注文などの直接的パトロネージ、美術館の設立に加え、現代作家の展覧会の開催や援助、芸術家容世のための支援、芸術家の国際交流の促進、聖性の整備、顕彰、などいろいろな方策が試みられるようになってきた。ひのひとつに、「パブリックアート」がある。都市の公共空間を芸術作品で飾ろうとするもので、一般市民たちが日常生活の中で芸術に接する環境を作り出そうというのか狙いである。」(終章)

パトロンの主体とあり方が多様化してきたことは、芸術の振興と文化の向上にきわめて望ましいことであるが、新しい問題を提起する結果ともなった。すなわち芸術作品に対する意見の相違の問題である。公共の場所に設置された芸術作品が、市民たちの指示を得られればそれでよい。だが時には地域の住民の強い反撥を招く事態が生じてきた。・・・・「パブリックアート」の場合、税金が使われる以上、一般市民は単なる観衆ではなく、最終的にはパトロンである。パトロンでありながら芸術家や作品の選定に充分に自分たちの意見が反映されていないという点に、市民たちの苛立ちや反撥の大きな原因があるとも言える。」(終章)

市民たちの間にも、価値観の多様性がある。拡散してしまったパトロンたちと、それぞれに自己の世界を追及しているきわめて多元的な芸術家たちとの間を、どのようにして調整を図るかということが、現代のパトロネージの大きな問題であり、さまざまの方策が模索されているのが現在の状況である。」(終章)

 芸術(家)と国家、行政、企業との関係は日本でも戦後からきわめて厳しい議論が為されてきた、古くて新しい議論である。同時に最後に引用した「パブリックアート」の問題点は、現代芸術の多様性と個別化、の問題と同時に受け手の多様性と個別化、あえて言えば芸術作品における普遍性の解体という議論も含んでいる。
 音楽や建築なども含めて、評価や価値の軸が実に細分化されているのが現代である。
 高階秀爾氏は常に時代を踏まえた提言と批評をしていると感じる。

 これはいつまでも考えさせられる問題提起である。


忘年会、ひとつ確定

2023年11月02日 22時20分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の都内での飲み会、毎月開催しているものの今回は半年ぶりに参加。ハイボール2杯程度で我慢した。しかもそれなりに声を出してしゃべったこともあり、酔いは昨日ほどにはまわらなかった。歳も取ったことだし、この程度の量でおさめるのがベストなのだろう。
 少しずつお酒の量は減ってきている。気分が追いつかないだけ、飲み過ぎる場合があると思われる。但し、20代の時のように酔いつぶれて醜態を晒すことはもうないはずである。72歳にもなってこんなことを綴ること自体が恥ずかしい。
 これで忘年会がひとつ、日にちと場所と時間が確定した。

 午後から読んだのは「芸術のパトロンたち」(高階秀爾、岩波書店)の第3章「パトロンの拡大」。残るは第4章「新しいパトロン」と終章「パトロンの役割」となった。引用は後日。
 


ショパン「練習曲集」

2023年11月02日 13時28分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日聴いたCDはショパンの「27曲の練習曲集」。演奏はヴラディミール・アシュケナージ、1971年の録音。
 ボーッとした頭には少々激し過ぎる曲もあるが、かえって頭の目覚めに利用させてもらった。だいぶ頭がスッキリした。

 練習曲とはいいながら、19歳から作り始めた曲集とのこと。自由で奔走なところが魅力なのがすぐにわかる。ひとつひとつの個性的な曲調の変化がまた魅力である。ピアノの曲として大いに技巧が求められる曲と思われるが、それを感じさせない演奏なのだと思う。
 ピアノを弾いことのない私はいつもピアノの演奏にたけた人を見るとうらやましいと思う。少しでもそのテクニックの一端を体験してみたかった。そうすればもっとビアノの曲を楽しめると思うこの頃である。

 


二日酔いではないが

2023年11月02日 11時46分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日はそれほどお酒の量は飲まなかったが、朝遅くまでぐっすりと寝た。飲んだのはハイボール1杯と泡盛の水割り1杯、帰宅途中のうどん店でハイボール1杯。三杯目が良くなかったか。
 帰宅後部屋着で寝ていたら日付の変わるころに妻にいったん起こされ、入浴。寝巻に着替えてまた寝てしまった。寝呆け眼で朝食のテーブルに着いたのが9時半。仕事のない人間の特権ともいうべき平日の朝寝をしてしまった。
 まだ完全に目覚めていない。どこか夢うつつ、である。しかしこれまで経験した二日酔いの症状ではない。
 
 10時半を過ぎてからようやく友人にメールを送信し、昨日のことを思い出しながら、頭の中を日常モードにひきもどそうとしている。
 本を読むよりは、音楽を聴くほうが目覚めの効果が少しはあるような気がして、ショパンの練習曲集を聴いている。しかし少し激しすぎるところもある。


忘年会の企画

2023年11月01日 20時20分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 19時過ぎに帰宅。京浜東北線が運転見合わせとなり、少々困ったがなんとか帰宅できた。それも早い時間にできた。
 本日はそれほど飲む予定はなかった。短時間で切り上げることが出来た。

 明日の昼間は予定はないが、夜から都内で友人との飲み会。夕方に家を出て会場に向かう。明日も早めに切り上げることが出来るとうれしいのだが。

 そろそろ忘年会の話題が会話の俎上にのぼるようになった。学生時代の友人との忘年会を企画したい。どういう形で行うか、じっくりと相談しながら楽しい忘年会にしたいもの。どんちゃん騒ぎや痛飲などとは無縁、かといって高級感溢れるのも遠慮したい。安く、美味しく、なおかつ静かに語り合える場を提供できるようにしたいものである。

 


カレンダー、今年最後の1枚

2023年11月01日 10時38分09秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日は所用のためこれより外出。昨日よりも少し気温が高いらしい。かといって半袖を今更押入れから出すのも面倒ということで、長袖で外出予定。夕方には長袖が欲しくなると思われる。この時期、服装は難しい。朝晩と昼間の気温差で服装を変えたくなる。さらに人によって感じ方は大いに違う。半袖で済ましている人だけでなく、未だに半ズボンの人もいるくらいである。

 部屋の中のカレンダーは最後の一枚に変った。どのカレンダーも雪がちらついている絵ばかりである。今年は体感とカレンダーが一致しない。
 戦さに受けくれた2023年も、そろそろ来年のカレンダーの手配が必要になってきた。カレンダーが何となくそんな催促を私にしているようだ。

 カレンダーを新しくするように、世界の様相も戦さのない方向に変わってほしいが、とてもとても、と暗い気分になる。国内の政治も暗澹たる様相。気分だけでは変わらない。