NHK大河ドラマ「篤姫」に、準主役級で登場する小松帯刀。
鹿児島市の小松帯刀の史跡は、以前紹介しました。
日置市吉利にある小松帯刀の史跡を紹介します。
小松帯刀は、天保6(1835)年、喜入領主肝付兼善の三男、尚五郎として生まれ、後に吉利領主の小松家の養子となりました。
薩摩藩の家老となり、大政奉還を将軍慶喜に進言するなど、明治維新の礎を築きました。
小松家の菩提寺、清浄寺。
清浄寺の庭にある小松帯刀の像。
鹿児島市の宝山ホールの庭にあるものと同じ形です。
清浄寺の近くにある吉利小学校。
御仮屋(昔の役場)の跡です。
園林寺跡。
ここに、小松家の墓があります。
これは、入口にある頭の取れた仁王像。
小松帯刀の墓。
明治3(1870)年、36歳の若さで亡くなりました。
墓地の隅に、テレビに出ている側室のお琴さんの小さな墓もあります。
これらの史跡は、観光客でいっぱいでした。
小松帯刀は、鹿児島でもそれほど知名度が高かったわけではありませんが、今は全国区の名前となったようです。
鹿児島市の小松帯刀の史跡は、以前紹介しました。
日置市吉利にある小松帯刀の史跡を紹介します。
小松帯刀は、天保6(1835)年、喜入領主肝付兼善の三男、尚五郎として生まれ、後に吉利領主の小松家の養子となりました。
薩摩藩の家老となり、大政奉還を将軍慶喜に進言するなど、明治維新の礎を築きました。
小松家の菩提寺、清浄寺。
清浄寺の庭にある小松帯刀の像。
鹿児島市の宝山ホールの庭にあるものと同じ形です。
清浄寺の近くにある吉利小学校。
御仮屋(昔の役場)の跡です。
園林寺跡。
ここに、小松家の墓があります。
これは、入口にある頭の取れた仁王像。
小松帯刀の墓。
明治3(1870)年、36歳の若さで亡くなりました。
墓地の隅に、テレビに出ている側室のお琴さんの小さな墓もあります。
これらの史跡は、観光客でいっぱいでした。
小松帯刀は、鹿児島でもそれほど知名度が高かったわけではありませんが、今は全国区の名前となったようです。