鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

西之表の史跡

2011-04-20 | 史跡
種子島の、西之表にある史跡を紹介します。
代表的な史跡「赤尾木城跡」は以前紹介したので、それ以外の史跡です。


港の近くにある慈遠寺跡。今は八坂神社となっています。
鉄砲伝来のとき南蛮人が慈遠寺に半年滞在し、鉄砲、タバコ、医薬品、パン、鋏などを伝えました。
また、フランシスコザビエルの日本伝道最後の地もここでした。


手水鉢に残る慈遠寺の文字。


慈遠寺跡から台地に上がったところにある御坊墓地です。
種子島家の最初の墓です。
中央のスペースから右に2番目の墓が、鉄砲伝来のときの殿様、種子島時尭(ときたか)の墓です。


御坊墓地の近くにある南蛮鉄砲撃ち始めの地。
鉄砲が伝わった年(天文12年)の9月9日、種子島時尭が鉄砲の試し撃ちをしたところです。


前の写真の近くから見た種子島の西海岸。
このような海を眺めながら、試し撃ちをしたのかもしれません。


市役所の近くにある栖林神社。第19代島主種子島久基を祀る神社です。
久基は、からいも(さつまいも)を栽培・普及させた人で、この神社はからいも神社とも呼ばれます。


神社の隣の弓道場で、毎年1月11日、大的始式が行われます。
宮中の御的始式が伝わったものです。


弓道場の隣にある種子島家墓地。
ここにも種子島時尭の墓があります。


右がカタリナ永俊尼、左がその娘の墓。
永俊尼は、島津家久の義母といわれ、キリスト教の洗礼を受けカタリナ夫人と呼ばれましたが、幕府の弾圧が厳しくなり、鹿児島から種子島に配流となりました。


今日の絵手紙。
仙台の友へ震災見舞い。

ブログ友、原人さんの種子島に関する動画です。
太平洋にかける橋
コメント (2)
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