種子島の、西之表にある史跡を紹介します。
代表的な史跡「赤尾木城跡」は以前紹介したので、それ以外の史跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/97/f500a92c8a41ba42caec1b350f1c72d7.jpg)
港の近くにある慈遠寺跡。今は八坂神社となっています。
鉄砲伝来のとき南蛮人が慈遠寺に半年滞在し、鉄砲、タバコ、医薬品、パン、鋏などを伝えました。
また、フランシスコザビエルの日本伝道最後の地もここでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/44/f7602a767e496d3bbbf399ff1273f6b3.jpg)
手水鉢に残る慈遠寺の文字。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/cc/8d4a8584af9661e5fc6b21161e142e09.jpg)
慈遠寺跡から台地に上がったところにある御坊墓地です。
種子島家の最初の墓です。
中央のスペースから右に2番目の墓が、鉄砲伝来のときの殿様、種子島時尭(ときたか)の墓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/a1/5031e60fc5f175e9de2773d8835548a6.jpg)
御坊墓地の近くにある南蛮鉄砲撃ち始めの地。
鉄砲が伝わった年(天文12年)の9月9日、種子島時尭が鉄砲の試し撃ちをしたところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/41/53b9c3e75a13c8aa334535dc0a9799d8.jpg)
前の写真の近くから見た種子島の西海岸。
このような海を眺めながら、試し撃ちをしたのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/6a/04430a4ddc27681a3d18925355343cd6.jpg)
市役所の近くにある栖林神社。第19代島主種子島久基を祀る神社です。
久基は、からいも(さつまいも)を栽培・普及させた人で、この神社はからいも神社とも呼ばれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4c/1e856a0c2c0b79efd160f3a20971d52c.jpg)
神社の隣の弓道場で、毎年1月11日、大的始式が行われます。
宮中の御的始式が伝わったものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/e3/cbcac9594571bc1d2f02a151197b0f15.jpg)
弓道場の隣にある種子島家墓地。
ここにも種子島時尭の墓があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f5/d1f548c4ab91b803929d49379de3602d.jpg)
右がカタリナ永俊尼、左がその娘の墓。
永俊尼は、島津家久の義母といわれ、キリスト教の洗礼を受けカタリナ夫人と呼ばれましたが、幕府の弾圧が厳しくなり、鹿児島から種子島に配流となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/68/4b4256e99dc30deb4cc304fe5f1e15d0.jpg)
今日の絵手紙。
仙台の友へ震災見舞い。
ブログ友、原人さんの種子島に関する動画です。
太平洋にかける橋
代表的な史跡「赤尾木城跡」は以前紹介したので、それ以外の史跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/97/f500a92c8a41ba42caec1b350f1c72d7.jpg)
港の近くにある慈遠寺跡。今は八坂神社となっています。
鉄砲伝来のとき南蛮人が慈遠寺に半年滞在し、鉄砲、タバコ、医薬品、パン、鋏などを伝えました。
また、フランシスコザビエルの日本伝道最後の地もここでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/44/f7602a767e496d3bbbf399ff1273f6b3.jpg)
手水鉢に残る慈遠寺の文字。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/cc/8d4a8584af9661e5fc6b21161e142e09.jpg)
慈遠寺跡から台地に上がったところにある御坊墓地です。
種子島家の最初の墓です。
中央のスペースから右に2番目の墓が、鉄砲伝来のときの殿様、種子島時尭(ときたか)の墓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/a1/5031e60fc5f175e9de2773d8835548a6.jpg)
御坊墓地の近くにある南蛮鉄砲撃ち始めの地。
鉄砲が伝わった年(天文12年)の9月9日、種子島時尭が鉄砲の試し撃ちをしたところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/41/53b9c3e75a13c8aa334535dc0a9799d8.jpg)
前の写真の近くから見た種子島の西海岸。
このような海を眺めながら、試し撃ちをしたのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/6a/04430a4ddc27681a3d18925355343cd6.jpg)
市役所の近くにある栖林神社。第19代島主種子島久基を祀る神社です。
久基は、からいも(さつまいも)を栽培・普及させた人で、この神社はからいも神社とも呼ばれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4c/1e856a0c2c0b79efd160f3a20971d52c.jpg)
神社の隣の弓道場で、毎年1月11日、大的始式が行われます。
宮中の御的始式が伝わったものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/e3/cbcac9594571bc1d2f02a151197b0f15.jpg)
弓道場の隣にある種子島家墓地。
ここにも種子島時尭の墓があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f5/d1f548c4ab91b803929d49379de3602d.jpg)
右がカタリナ永俊尼、左がその娘の墓。
永俊尼は、島津家久の義母といわれ、キリスト教の洗礼を受けカタリナ夫人と呼ばれましたが、幕府の弾圧が厳しくなり、鹿児島から種子島に配流となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/68/4b4256e99dc30deb4cc304fe5f1e15d0.jpg)
今日の絵手紙。
仙台の友へ震災見舞い。
ブログ友、原人さんの種子島に関する動画です。
太平洋にかける橋