既に、このブログでも書いた元職場の先輩モミさんについての続編です。
スキー、テニス、バドミントンなどを教えていただきました。
男二人でイタリア・フランスにも旅しました。
最近では、温泉旅行もするなどしてお世話になってきた気持ちをご親族に伝えたくて、お一人で暮らしていたご自宅に「寂しさと感謝の詰まった手紙」を家主の居ない無人のポストに投函しました。
読まれないかもしれないし、それでも構わない積りで書いた手紙でした。
その手紙に対して11月下旬にモミさんのお姉さんからご返信をいただきました。
納骨が無事終了したという内容を含む文面であり、
私の手紙に逆に感謝してもいただけました。
そんなモミさんが眠る墓参りに職場の同僚と行ってきました。
そこは埼玉県にある青葉園という戦後初の民営公園墓地です。
・ 碁盤の目のように区画されていて、墓の場所は6区00番−00というように番地が付けられていました。
・ お供えする花も、線香も管理事務所で購入可能でした。
・ その公園墓地は東京ドーム以上の広さであり広大でした。
2万4千区画も墓地が整備されています。
・ 時代を感じる墓地で、各区画正面に小さなよく手入れされた「松」が植えられていました。
・ 2区画程度の大きさの立派な墓には「名刺受け」が設置されていました。
私は初めて拝見したのでとても印象に残りました。
・ 街も年をとるように、かつては新しかった公園墓地もその古さを感じさせるものとなっていました。特に、「墓じまい」された何もない区画が一列の中に、1、2箇所でてきていることも気にかかりました。
きっと、戦後に上京して公団住宅に代表されるような郊外の団地に住み、墓も郊外の公園墓地を購入された方々が多かったんだろうと思いました。しかしながら、子供がいない、あるいは子どもは他の場所で自活して墓参りもままならないとなると、「墓じまい」も益々増えていくのだろうと思います。3年間の管理料滞納で永代使用権がなくなるようです。
モミさんの墓には確かにお名前が刻まれていました。
さらに、職場でよく見たステンレス製のコーヒーカップも置かれていました。
職場の元先輩への墓参りは初めてであり、これが最後だと思います。
墓参りとは関係ありませんがインフルエンザにかかりました。
急に39度以上の熱がでて、病院に行くとそのように診断されました。
息子の一言→「移さないでくれよな!」
私の心の声→「早く自立して家から出て行けば良いのに」
家内の一言→「手洗い、うがいをしなきゃダメよ!」
私の心の声→「してるし~。」