いよいよ定期考査も終了した。
採点も終了し、一人一人名前を呼び手渡しで答案を返却している。
「赤点!」などと暫くは低得点を他者に公表する気分の高まった生徒たち同士。
クラス内に同じ実力の同胞を求め、
教室内の興奮状態は継続してしまう。
そんな時に、ふとD・モリスの書かれた親密生についてのある事を思い出した。
それは「静かに」「だまって」という意思を伝えるとき、
閉じた唇に人差し指を当てるしぐさである。
加えて、さらに「シー」と音を発して
うるさい他者に静にすることを促す行為だ。
モリスによれば閉じた唇は赤ん坊の口、
そして唇に触れる人差し指は母親の乳首である。
泣いていた赤ん坊も母乳を呑みはじめれば静になってしまう。
幸せそうにミルクを呑み続けるのである。
同様に、タバコを吸うことも「吸乳行為」であると書かれていた。
確かに、紙巻タバコの口径は乳首とほぼ同じであるとも言えるだろうし、
火のつけられたタバコから伝わってくる温もりは、
乳首の温かみと同様であると言えるのかもしれない。
デズモンド・モリス『ふれあい 愛のコミュニケーション』平凡社での
男同士が手を握りあう特殊な場面の記述が印象に残っている。
サッカーの試合前の国歌斉唱では、
選手が手をつなぎ会って国歌を歌う姿を目にする。
サッカーの試合中に得点をあげた選手と同僚が情熱的に抱き合うことは良く見る光景である。
加えて、ボクシングの試合では、
勝利のしるしに一方が他方の手を握って空中に高く上げてもいる。
簡潔に言えば、
これは、完璧な抱擁が男同士の間でも自由に行なわれていた名残りだそうだ。
約2000年前には、抱擁とキスは、
女同士の間や恋人でない男女の間でと同様、
男と男の間でも行なわれていたそうだ。
例えば、古代ペルシアでは、
身分の等しい男同士がお互いに口にキスするのさえ普通だったのである。
その後、都市における社会生活は人込みが増え、
人間関係も複雑さと乱雑さが増加。
1830年ごろに、最小限のボディータッチである握手が登場したことを知った。
次回の騒がしい授業では、クラス全員の生徒に「シー」の動作をさせた後に、
それが意味していると思われることを説明してみたいと思う。
きっと静になるか?寝てしまうか?どちらであろうか。
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