なんでフリーな日曜に限って何もやることねーんだコノヤロー!
アウトレイジ見てーのに一週間後てどういうことだバカヤロー!
「三連休の初日にぶつけた」てヤクザもんが常識に縛られてんじゃねーぞゴラァ!
こちとら三日とも全て仕事だバカヤロー!!
あと大友がフニャチニャーでファックスしなかったスケをもう一遍出さんとブチ殺すぞコラァ!!
また今度途中で止めてシコルスキーの邪魔しよ . . . 本文を読む
先日トランプ白人至上主義者のグループとそれに反対するグループの間で起きた衝突について、「双方に責任がある」として広範囲から非難を浴び、その後でスティーブ=バノンが辞任(実質的な解任とされる)したのは記憶に新しい。二か月ほど前、マクマスターの就任などで共和党本流の人物が閣僚の中で徐々に増えていき、共和党側はトランプという頭は変えずに身体(中身)は旧来の共和党的な運営をさせることで . . . 本文を読む
タイ旅行の記事はまだまだ続くが、さすがにちょっと飽きたので違う話を書いてみようと思う。
「この世界の片隅に」の記事はしばらく更新していないが、白木リンと水原哲の記事を書ききれていない状態にノベルス版を読んだことが加わり今頭の中が飽和中なので、意図的に中断している状態である(よって原画展とかの情報を見ても全く食指が動かない心持ちになっている)。
その代わり、という . . . 本文を読む
今日、果たしてこれほどまでにcontroversialな話題があるだろうか、いやない。というのも、十四松という人間は、普段が底抜けに明るく相手が引くのも省みずどんどんネタを繰り出す六つ子の中のビッテンフェルトであるため、少しでもそれに反するような行動・言動があると大いに目立つからだ。加えて、作中でも「実は闇を抱えているのでは? . . . 本文を読む
周知のように、「おそ松さん」の六つ子は全て童貞であり、そのコンプレックスから生じるドタバタが劇中では頻出している。言い換えれば、そこに起因する「イタさ」、あるいは不全感(=承認の欠落)はニートであることとも含め、物語をドライブするために童貞という設定を与えられている、と表現することもできる(というか、彼らは必要があればバイトをしている時点で「ニート」ではないはずなのだが)。
なぜ . . . 本文を読む
前回は、本作における自然の描写、すなわち「人間と重なり合わぬ、人間の都合など関係ないそれそのもの」としての描写について触れた。一応補足しておくならば、「神風」と期待された台風が空襲の厳しい昭和20年7月・8月ではなく、よりによってその直後の9月に来たこと、そして焼け野原となった広島市や呉市に甚大な被害をもたらしたこと(欄外の注によれば、呉市の死者だけで1154名)は、「神風に護られた不滅の神州」と . . . 本文を読む
前回の記事では、自然が象徴する人物の心理などについて述べた。「この世界の片隅に」は作中人物の重層的な心理が丁寧に描かれているため、それを象徴するものとしてのタンポポやサギがあるわけだが、一方でそれは表現技法として極めてありふれたものであることも事実だ。またもう少し突っ込んで言うと、それならば自然は人間と一致する、あるいは調和している存在のように見えるが、ことはそう単純ではない。なるほど野草でご飯を . . . 本文を読む
傑作とか賞賛する前に作品名(「この世界の片隅で」ではないorz)を正確に書けよ!
と悶絶しながら過去の記事を訂正中のカラヤン伯ですがみなさまいかがお過ごしでしょうか・・・とまあそんな自虐ネタはさておきwこの作品自体の価値をまとめるには程遠いが、自分がこの作品から得た印象については9割がたまとめることができた。今回からは深い話もせねばならない都合上多少ネタバレも . . . 本文を読む
12/19にテアトル新宿でアニメ版を見て心を揺さぶられた時、少なくともあと二回は映画館で見たいと思っていた(DVDで見てもこの作品が訴えかける迫力も感動も半減してしまうだろうから)。
というわけで、無理やり時間を作って12/21に二度目の視聴をしに同じ場所へ行った。前回は購入しなかった「夕凪の街 桜の国」などを買ったうえで上映室に入ると・・・どうやら満員らしい。いくら今日が映画デ . . . 本文を読む
「この世界の片隅に」の原作を読み終えた後、今年最後の休みを使いテアトル新宿でアニメ版を見てきた。まず結論から言えば、生涯ベスト級の映画であったと断言できる。
それは様々な理由によるが、一つは監督の片渕須直が機械類を精密に描く名手であることが大きい。というのも、前にも述べたように、この作品は世界の生々しさが我々を容易に当時の追想・追体験へと誘ってくれることが作品の魅力として大きいの . . . 本文を読む