タイ旅行の記事はまだまだ続くが、さすがにちょっと飽きたので違う話を書いてみようと思う。
「この世界の片隅に」の記事はしばらく更新していないが、白木リンと水原哲の記事を書ききれていない状態にノベルス版を読んだことが加わり今頭の中が飽和中なので、意図的に中断している状態である(よって原画展とかの情報を見ても全く食指が動かない心持ちになっている)。
その代わり、というわけではないが同じ片淵監督の「ブラックラグーン」を見始めた。まだ7話のレビーとロックが喧嘩したところまでしか見てないので背景が今一つよくわからんところもあるし、ゆえにちょっとロックのキャラ造詣(正確には言動というかエートス)が日本人離れしている印象を持ってはいる。しかしながら、このきちんと芯のある感じの佇まい(=ただの純粋さや無垢さではない)は海外で受け入れやすい自立した人間、言い換えればきちんとリスペクト=尊重されるものであり、ゆえに海外でウケている理由はよく理解できた(最初ロックは派手なアクション世界から現実に引き戻すためのやや間抜けさを帯びたアンカー的役割を与えられているのかと思ったが、どうもそれは違うようだ)。またかつての西部劇ネタ引用や兵器の描写は、なるほどタランティーノが好きなわけだなと納得した。あとバラライカ様の火傷跡ペロペロしたいれす(←救いようのない変態)。
ちなみに全くの余談だが、私が人から印象に残っているアニメを五つ挙げろと言われたら、「この世界の片隅に」・「魔法少女まどか☆マギガ」・「灰羽連盟」・「ソウルイーター」・「Fate/Zero」と答えるが、このラインナップを見て改めて思ったのは、自分が感銘を受けるのは勧善懲悪的なるものではなく、あるいはそれを土台とした(ないしは小さな世界しか描かないゆえにそんなことを気にしなくてよい)ウェルメイドな作品でもなく、方法は違えど世界の在り様そのものを描こうとする作品に感銘を受けるのだなあ、ということだ(ちなみに今挙げた作品以外では、[特に]初代ガンダムや第一期の「地獄少女」、漫画版「ぼくらの」、「闇金ウシジマくん」などが典型例)。
ちなみに旅行で自分が一番おもしろいのは、今述べた作品の特徴も含めて世界がリフレーミングされることである。と同時に、その結果として、自分が認識していた「世界」など大したものではないし、また自分がそれを元に構築していた理論などについても所詮はローカルルールに過ぎないのではないか、という問いに突き当たるのが実に刺激的なのである(たとえば今回のタイ旅行で、東南アジアが「古き良き世界」で「自分の後に着いてくる者たち」であるという、まるで生徒を見守る教師のような牧歌的で、あえて言えばどこか不遜な認識は通用しなくなっているし、今後ますますそうなるだろうということを確信した。そしてそれゆえに、成熟社会を迎えシュリンクしていくであろう東京=日本が地方都市と化すというビジョンを体感することができた)。
という具合に作品の嗜好と旅行の話をつなげたところでこの稿を終えたい。
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