共感という認識~その機械的・独善的な過程について~

2008-02-02 11:54:59 | 抽象的話題
前回のフラグメントにも少し書いたが、共感という現象自体はひとまず置いておき、「共感したという認識」について考えていくことが有効であると思われる。複雑怪奇な感覚のレベルにおいて同じであることを意味する共感(という現象)自体がどれだけ起こり難いかはすでに述べたとおりで、偶然起こることはあっても、それは非常に稀だと言える。とすれば、他者と自分が同じだとする認識・解釈(=共感という認識)にいたっては、ます . . . 本文を読む
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