ドイツ旅行 六日目:貴人や名士たちの肖像

2021-04-28 11:47:47 | ドイツ旅行

前回が市井の人々の姿を取り上げたので、今回は貴人や名士たちの肖像を取り上げてみたい。

 

最初は、ルイ15世の愛妾として、政治にも大きな影響を及ぼしたポンパドゥール夫人(ブーシェ作)。以前にも触れたが、奥には書物が陳列されているのが垣間見え、また彼女自身も片手に本を持っているところから、美しさだけでなく、豊かな教養・知性を奥に秘めているという暗示が興味深い(当時の大きな絵画は一点もので時間をかけて描くため、そこに様々な暗示を込めていることがほとんどで、著名な例だと天球儀や頭蓋骨が書き込まれたホルバインの「名士たち」あたりが挙げられるだろう)。前回の「野郎ぶっ〇してやる!」的な直情的表現と対比してみるのもおもしろいw

 

 

 

こちらはティッツァーノ作とされるカール5世の肖像画。16世紀半ばということで治世の終盤近くとなっており、その表情にはプロテスタント(シュマルカルデン戦争)やオスマン帝国(ウィーン包囲・プレヴェザ海戦)、フランス(イタリア戦争)といった国内外での長きに渡る戦いの疲弊が刻み込まれていると感じるのは私だけだろうか?

なお、この数年後にアウクスブルクの和議でプロテスタント勢力との妥協を余儀なくされ、その翌年にカールは退位しているが、スペインの領土を受け継いだ息子のフェリペ2世の時代には破産宣告をしながらも前述のイタリア戦争や、レパントの海戦=オスマン帝国との戦争にも勝利し、ポルトガルも併合して「太陽の沈まぬ国」とも呼ばれる最盛期を現出した。しかしその後、1568年から始まっていたネーデルラントの独立戦争の泥沼化、そしてそれに絡むイギリスとのアルマダ海戦の敗北などで急速に力を衰えさせ、オランダやイギリスが台頭してくる、というのもよく知られた話である。

 

 

 

これはレンブラントですか?いいえ、フェルナンド=ボルですよ。というやり取りが成立しそうなくらい、明暗の巨匠を強く連想させる絵画である(実際彼の作品がレンブラントのものだと考えられていた時代もある)。ちなみに、アムステルダムにおける商人組合の会合を描いた1663年の作品だ。

先にオランダ独立戦争の話を書いたが、1609年の休戦条約、1648年のウェストファリア条約で国際的に独立を認められたオランダは、1623年にアンボイナ事件で台頭するイギリスを東南アジアから駆逐し(これでイギリスはインド進出に注力するようになる)、我が世の春を謳歌していたのが17世紀半ばである。しかし、香辛料の価格の下落によって中継貿易頼りのオランダは大きな打撃を受け、さらには1651年から始まる3回に渡っての英蘭戦争でイギリスに敗北を喫し、イギリスに覇権を譲り渡すことになるのが17世紀後半の展開だ(厳密に言えば、同時期にフランスのルイ14世が自然国境説を唱えて周辺各国に侵攻するなど強勢を誇ってもいたため、「敵の敵は味方」とばかりにイギリスとオランダが急接近し、それが1688年の名誉革命後にステュアート朝のメアリと結婚していたオランダのウィレムをイギリスに招く、というまさにヨーロッパの「勢力均衡」を象徴するような展開になるのが非常に興味深いのだが)。

こういう視点で見ると、1663年のアムステルダムの商人組合の集まりは、オランダが世界のトップであった最後の瞬間を描いたものとしても興味深い、と言えるかもしれない。

 

 

 

こちらは超がつくほどメジャーなデューラーの自画像。アウクスブルクで見たヤーコプ=フッガーの肖像画もそうだったが、題材となった人物の息吹すら聞こえてきそうな精気溢れる画風が極めて印象的である。この時代肖像画というとヘンリ8世のお抱え絵師として貴人たちの姿を描いたホルバインが有名だが、個人的には圧倒的にデューラーの方が好きである。

 

というわけで今回はここまで。次回はまた別の視点で絵画を紹介していきたいと思いマウス。


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