やりようはあっても、やれるかどうかは別問題。
少子高齢化も、これを機会に労働力の構造転換(いわゆるブルシットジョブの削減+AI化・機械化)などを適切に進めれば、むしろ旧態依然とした仕組みから脱却する奇貨とさえなる。
しかし、どんな治療法も理由をつけて実践せねば存在しないのと同じであるように、行動に移さなければ意味がないのである。
様々なところで改革や変化に向けての提言がなされているが、それが単に不安の鎮静薬にしかなっていないとしばしばと感じる理由として、「実行できる見通しや根拠」が盛り込まれていない点にある。
70年かけて作り上げたシステムが制度不良をおこしてもドラスティックな変化ができず泥沼の戦争に引きずりこまれていった戦前よろしく、今の日本も70年かけてできあがった社会の仕組みが様々なしがらみで変えられないのを私たちはつぶさに見ているわけで、それが「失われた30年」の要因ともなっている。
注意すべきは、旧来の仕組みの全てが非合理的なのではなく、合理的な側面や意味づけも存在し、それゆえにその変化は痛みを伴うものとなるし反発も生ということだ。それを踏まえた上で、ベターな方向を目指しながら、発生する問題には手当てをしながら進んでいくべきであったにもかかわらず、それができていないか、もしくはできていたとしても遅々としたものであった、というのを目の当たりにしてきたはずだ(そこには、前に述べた「『共有できていないという事実』を共有できていない」という分断があり、それにもかかわらずわかっている・理解していると朧げにでも思い込んでいることが度し難い状況なのである)。
そういった状況を踏まえるならば、今の日本においては、「こんな解決法がある」というだけでは全く足りず、「ではそれはどのようにすれば実行に移せるか」が極めて重要であり、少なくとも自分が見る限りにおいては日本全体だと実行は不可能で、ゆえに個人的・局所的に最適化に向けてチューニングするか(ジム・ロジャーズ風に言えば「AKで武装する」)、もしくは海外に脱出(少なくともそうできる人はそうできる状況を作っておく)という話になる。
まあ言うてもiPhoneの最新機器が将来的に(円安もあって)50万円になろうが別にそこまでの機能はなくてもええから困らん、ていう考え方(生き方)はもちろんあるし、化石燃料を輸入しないと日本はやっていけないとはいえ、EV化が進めば(コロナ禍でそうなったように)余った石油の値段が暴落して安くガソリン車などを走らせられる可能性はある。
まあそんな状況になったら、日本は先進国へのキャッチアップが完全に不可能となっているだけでなく、化石燃料については各国から轟轟たる非難を浴びることにもなるので、国際的地位も厳しくなっていることだろう(あれ、環境汚染で近くの国を非難してたのはいつの話でしたっけ??)。
まあ別に世界的トレンドが正しい方向なわけでもないし、うちらはうちらで勝手にやらせてもらいますわ。国連?あんなもん先進国が途上国を経済的奴隷にして票集めしとるだけの茶番やがな。そんなもん脱退や脱退(`・ω・´)!
・・・なんてね。
まあこれはかなりカリカチュアしすぎの未来像だが、こうなるといよいよ戦前みたいな感じになりますな(違うのは、その時の日本にはもう先進国と戦うだけの軍事力・経済力は残ってないってとこかな)。
そんなことを述べつつ、この稿を終えたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます