南都周遊記 初日:米原への途上にて思うこと

2024-01-16 15:16:36 | 畿内・近畿旅行

 

 

奈良には中学の頃に家族旅行で来たのは間違いないが、しかしその記憶は全くと言っていいほど残っていない。そもそもどこを訪れたんだっけ?というレベルである(同時に行った京都については、いちおう金閣や銀閣、清水寺、太秦あたりに行ったこと自体は覚えているのだが・・・)。それが今回、奈良への旅行を決めた理由である。

 

思えば、他の家族旅行も似たようなものだった。例えば小学校時代の山口や広島の旅行も行ったということ自体は理解しているが、それによって面白かったとか感情を揺さぶられたということがなく、夏休みの感想文か何かで「何も印象に残ったことがなかった」と書こうとしたら親に「家族旅行いったじゃん」と半ば呆れ気味に言われたと記憶している(あー確かにそうだねえ→でもやっぱり何の感情も湧いてこないw)。

 

おそらくこういった経験が、私がなぜ単独行を好むのかという理由の一端であるように思う。非常に単純化して言えば、「誰かと一緒に旅行することで、単身旅行より圧倒的なメリットが生じた経験がない」ということだ。

 

単独行であれば、当然のように行程決めから予約、トラブル対応といったことまで全部自分でやらなければならないけれども、かえってそのことが、旅行にまつわる全てのことがヴィヴィッドな記憶として刻み込まれていく。また現地の人たちと考えながら話していくことによって、カルチャーギャップなどを経験し、それによって自分のこれまでの認識を改めたり、あるいは自分はなぜそう考えるになったのかとその背景に疑問を持つきっかけになったりもする(その典型例が、トルコ旅行(2004)の時にコンヤという都市で現地人と話した「日本人はなぜ大半が無宗教なのか」である)。

 

また、何かの失敗についても全て自分に帰結できるため余計な心配をする必要もなく、さらにそれを(よほど致命的なものでない限り)後でネタにもできるのである。

 

とはいえ、マストで単身旅行というワケでもないんで、例えば大学院時代のトルコ旅行(2005)東北旅行、会社人時代の京都旅行沖縄旅行タイ旅行対馬旅行などは学生時代の友人や会社の同僚と行ったりはしているのだが(・∀・)

 

まあそんな感じで、ソロ旅行が多い理由でおました。まあ後は謎の放浪に象徴されるように気まぐれが服を着て歩いているような性格なんで、同伴者をそれで振り回すのも忍びない、てのも大いにありますナ😅

 

とかあれこれ考えたり、宝雪酒坊に行くタイミングを確認したりしているうちに米原駅についたんで・・・

 

いや、てか駅前何もなさ過ぎるやろ!!そらまあ我が熊本の新幹線の駅もなかなかアレだけども、こっちの方はずっと歴史が古いんでしょ?まあ関ケ原の手前ってこともあり、交通の要衝(結節点)ではあるけど、あくまでもそれだけってことなんかね・・・とはいえここで足止めを食らったら詰むので、そら鎌倉武士も大量に切腹しますわって話やな(蓮華寺並感)。

 

ともあれ、奈良までバッテリー温存のため写真は全く撮っていなから、以降は次回に譲りたいと思いマス。


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