植物もまた痛みを感じ、それを表現さえするならば

2020-05-06 11:00:00 | 生活

 

「へんないきものチャンネル」から生き物ニュースをご紹介。今回3つあるニュースのうち自分が印象的だったのは「植物があげる悲鳴!?」である。

 

というのも、前に読んだヤツなんでちょっと記憶が曖昧なんだが、The Hidden Life of Trees(2017)って本で、サバンナのある木は葉っぱが食べられてると、苦みを出す物質を体内で作って行きわたらせ、食われるのを防ごうとするし、また危機が迫っていることを他の木に伝えるために臭いを発して他の木に信号を送り、それを受け取った木は「やべえ」(ぴよぴーよ速報並感)ということで同じように苦みを出す物質を出し始める、なんて記述を思い出した(ちなみにキリンはそういう対抗措置を承知の上で、臭いが伝われない風上の方の木を食べる、って話だった気がする)。

 

要するに、木は自分が食われないようにするために防衛機能を働かせるし(ただし物質の伝達はクッソ遅いのだがw)、食われている痛み(?)に対して人間には聞こえないレベルの叫び声を上げているわけであり、つまりは必死に抵抗を試みていると言える。

 

これまで、私たちは植物が食われるに際し、果たしてどれだけ「植物が苦しんでいる」とか、「命をもらっている」という感覚でいただろうか?またその行為に対して、植物はそうされまいと抵抗しているという事実をどれだけ意識してきただろうか?

 

こう考えてみると、果たして動物を食すのと植物を食すのに明確な線引きをすることは難しくなってくる。せいぜい、(人間には観測できないため)植物のそれは殺傷しているという感覚を持ちにくいがゆえに、罪悪感もそれほど持たなくて済んでいる、というだけのことである。

 

だから例えば、菜食主義者とかヴィーガンの人々が拠って立つ根拠(の一つ)が「動物と違って植物は苦しまないから、動物は殺さずに植物を殺そう」という発想なら、今回の植物が痛みを訴えるということもあわせて、それは「豚や牛は食うけど猫や犬を食うのは許さん」とか、「環境保護はするけど、マラリア蚊やツェツェバエは決してその枠には入れないよ」みたいに、結局は人間の恣意性・エゴの産物よねと思ったりする(ただし、「代替可能な限りで生物をなるだけ傷つけないような生活スタイルにしていきたい」という心持ちについては理解できる)。

 

まあこれ言い出すと「人間滅ぼすしかなくね?」とか「もう乳ぐらいしか摂取できないんじゃね?」という話にもなってくるので、生命尊重ってベクトルを突き詰めると、自然物<人工物ってことになり、最終手段は全て人工食品(ウィーダーインゼリーや人口肉とか??)ってことになるのかねえ・・・

 

最近度々書いてるけど、ノイズ排除社会の分断は今後進むだろうが、そこには当然SDGs的な尺度やその共有・拒絶、また(先進国はともかく途上国での)人口増加に向けた食糧対策を考えた場合に、今後植物をどう扱うかという点は、今後ますますcontroversialな話題となっていくのではないか、と述べつつこの稿を終えたい。


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