今日は神奈川へ。仕事で行くのは初めてだ。周りに飯を食うところがないと聞いていたので、乗り換えの途中油そばの店へ入る。すると最近の歌なのか「終電にあと二分のところを慌てて乗った」とかいうフレーズが流れてきた。忙しさにかまけて色々なものを見失っているんじゃないか・・・まあそんな内容だ。
そういや12/8(土)に大学サークルの同窓会をした時、宮城から東京まで出て来た熊八がこんなこと言ってたっけ。「東京へ久々に来たけど、電車に乗ってる人たちの顔があまりに死んでるんで驚いた」と。まあ熊八が宮城でずっと過ごしてきた人間ならこの発言も多少わからんではない。しかし、東京に4年いて、それから福岡の大学院へ移り、今は宮城で警察官という身だ(つまり震災の真っ只中において事態の収拾にあたっていたわけで、そこで様々な苦難や悲劇も見てきたはずだ)。そういう「色々な世界」を経験していた人間の言葉だからこそ、非常に説得力があると感じた。何より、俺もトルコから帰国した時、真っ先に感じたのが懐かしさや安らぎよりもそういう強烈な違和感だったしね・・・
最近そういう感覚がどんどん鈍くなっていると強く思う。「メタ視点」とか言えば聞こえはいいが、要は傍観者的な鈍感に陥っているだけだ。そうして、病を知っていることだけに満足して歯車の一つと化している現状は、病について知らないのと一体何が違うのだろうか?構造が説明できることは、むしろこことではただの言い訳に堕している。大学一年の頃によく聞いた歌が思い出される。
「幸せの意味を失くして 彷徨っている人々の群れ 誰もまた歩き続ける 戻れぬこの道を」
あの頃は遥か遠い先の話に思えたけど、今は自分も死人の群れに紛れているような気がするわ。ああ、何処なりとこの世の外へ・・・
そんなことを思いながら、油そばを完食。ちなみにお味は可もなく不可もなくという感じ。多分もう行くことはないやろうwww
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