油そば屋から出て、ジュンク堂に寄ろうかそのまま職場に直行しようか一瞬考える。
12:57。時間的には「微妙」だ。いやそれは不正確やな。余裕を持たせてこの時間には電車に乗ろうと決めていたんだから。「まだ何とかいけるだろう」と考えてギリギリor間に合わなくなる、といういつもの「悪癖」だ。初めて行く場所だし雨も降ってるんで電車が遅れる可能性もある・・・とか考えつつもう体は駅の方へ向かっていた。買いたい本が二冊ほどあるけど、まあ明日渋谷の帰りに寄っても遅くはないだろう。
で、駅は人人人・・・さっきのこともあって人酔いしそうなくらい。ああ、年末によく調べもせず江ノ島に行って「しまった」時の煩わしさを思い出すわ(¬_¬)。何ともせわしない事せわしない事・・・ま、そうは言っても家で集まって何かあるわけでもなければ、外に出るよね~(^^;
とはいえ、山手線に乗ると結構人が少なくてビックリ。みんな帰省組だったのか?大きいバッグやトランクを持った人たちばかりでもなかった気がしたけど・・・とりあえず席に座り、久しぶりに音楽プレイヤーを再生する。hard manに始まってlove me,I love youなどの後、mad worldが流れ出す。
worn out places, worn out faces
bright and early for their daily races
going nowhere going nowhere
and their tears are filling up their glasses
NO EXPRESSION NO EXPRESSION
そうやね、それは喜劇的なことなのか、それとも悲劇的なことなのか・・・「痛み」を持ち続けて葛藤すべきなのか否か、ということは容易に答えが出ない。視点は違うけど、岡崎京子やグレッグ=イーガンの諸作品、あるいは「沙耶の唄」を見るといつもそんなことを思う。
その後田園都市線へ乗り換える間にmemories of murderなどを経て、Numbへ。
レールの上に乗っけられ、無感情になる自分。あるのはただリスクヘッジりすくへっじ利巣苦減自・・・でも、それを選んだのは誰だ?そしてそれをリスクヘッジに過ぎないと言いながら、その必要性を喧伝して回っているのは誰だ?だから誰もが抜け出せず変われずということを知りながら。ああ、だめや。このまま仕事に行ける気がしない。人を見てるから頭が犯しくなるんや。怪死奇に目を向けよう。
思えば東急も、昔の俺にとっては記号的存在だった。けど等々力や元町中華街へ行くようになってから、身近な存在に変わったね。田園都市線はそこまでじゃないけど、仕事で池尻大橋行ったり、用賀~二子玉川~高津~溝の口を歩いたりする中でそこまで遠いものではなくなったし。二子玉川近くのデパートとか何気に懐かしいな。謎の山の上の住宅街を歩き回ったりしたのもいい思い出だわい・・・つーか駅が超簡素なんですけどwwwいや、多分これは屋根がないことが影響してるんだな。それにしても雨が降ってて人が少ないと寒々しいことこの上ないわいw
とか駅にイチャモンつけてるうちに、仕事場へとーちゃーく。うーん、確かにこりゃ何もないわw飯食うところケンチキとドトールくらいじゃね?それにTUTAYAとドラッグストアってどんだけ住宅街シフトなんだかwしかし南口の坂とか公園(?)とかすごい雰囲気はいいな。これは別の機会にまた来ねばなるまい。
で、休憩中に一枚。
冬の雨が病身に染みるぜよ(;´Д`)とっとと仕事を終わらせて、遠き自宅に帰らばや遠き自宅に帰らばや・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます