鷹野をどのように見せるか?
これが皆編・祭編において非常に重要なポイントであったと言える。皆編では狂信者的、悪魔的な部分がクローズアップされた。これは「どうやって鷹野たちに勝利するか」という方向にプレイヤーを誘導する目的だった。一方祭編では犯行に到る様々な経緯などが説明される形になり、最終的には「犯人捜しはよくない」という主張がなされた。これは前々から言われていた「大団円」を最終目標に基づいて構築された結論と言える。
この違いにより、ひぐらしプレイヤーの鷹野観は激変した印象がある。皆編が終わった辺りの掲示板では、「鷹野め見ていろ」的な内容のものが少なからず見受けられたのだが、祭編後では鷹野の不幸さに同情したり、「犯人捜しはよくない」と言う人が増えた(まあ当然といえば当然だが)。この変化は(歴史上も含め)現実社会の人物の評価がいかに容易に変わりうるかも教えてくれて興味深いが、とりあえず私が感じたのは、その評価の変化の単純さ・無邪気さである。祭編で見せられた鷹野の生い立ちはなるほど同情に値すべきものだったと思う。しかしそれは、今まで狂信めいて表現されていた彼女の行動に必然性が存在していたことを提示しただけに過ぎないのであって、その新事実によって皆編以前のことを忘れたかのように「彼女もまた被害者だ」とただ鷹野に同情するのなら、あまりにもおめでたいと言わざるをえない。祭編の新事実は鷹野という人間を考察する上での(非常に重要ではあるが)材料が一つ追加されたにすぎないのであって、過去提示されてきた事実や性格がまるで上書きでもされたかのようにかき消えたわけではない。鷹野について考える際、最低でも以上のことを銘記しておく必要があるだろう。
最後に公正を期すため以下の二点を強調しておきたい。
まず第一点は、上で提示した見解が発売直後の掲示板を参照して構築されたものであるということ。今では多少時間が経過しているので、鷹野の評価についても色々な見解が提示されているかもしれない。それを承知の上で書いたのは、いかに人が「新事実」への同情や興奮などによってそれまでの事実を忘却してしまうか、その一例としても興味深いと思ったからだ。人はまことに自分の見たいものだけ見る生き物である。だから感動したければ、それまでのことは都合よく忘却してしまうというわけだ。
二点目は、ひぐらしそのものの鷹野観についてだ。「犯人捜しはよくない」とは言いながらも、入江の行っていたロボトミー手術や雛身沢症候群解明に絡んだ人体実験からは、「動機付けや環境要因は行為を正当化するのか?」という問いが発せられているように思えてならない(なおこの問いは、症候群末期症状の沙都子が犯した犯罪をどう考えるか、といった点にまで及んでいる)。ここで思い出すのは綿編で持ち出された731部隊の話である。あれは後に全く出てこなくなったが、症候群に関わる人体実験がそれを多少なりとも意識しているのは確かだろう。これは以前書いたひぐらしと山本七平の「空気」の問題からも、「『空気』(この場合は環境要因など)は行為を正当化するか?」という問いを暗にひぐらしが発している可能性は高いと言える(山本は731部隊について何も述べていないが、二次大戦下の「空気」については何度も言及している)。以上のように、ひぐらしそのものの鷹野観は複雑であり、別個に考察する必要があると思われる。ただ少なくとも、ひぐらしの提示する鷹野観の複雑さと製作者側の問いをプレイヤーが念頭に置く必要があるのは確かだろう。
これが皆編・祭編において非常に重要なポイントであったと言える。皆編では狂信者的、悪魔的な部分がクローズアップされた。これは「どうやって鷹野たちに勝利するか」という方向にプレイヤーを誘導する目的だった。一方祭編では犯行に到る様々な経緯などが説明される形になり、最終的には「犯人捜しはよくない」という主張がなされた。これは前々から言われていた「大団円」を最終目標に基づいて構築された結論と言える。
この違いにより、ひぐらしプレイヤーの鷹野観は激変した印象がある。皆編が終わった辺りの掲示板では、「鷹野め見ていろ」的な内容のものが少なからず見受けられたのだが、祭編後では鷹野の不幸さに同情したり、「犯人捜しはよくない」と言う人が増えた(まあ当然といえば当然だが)。この変化は(歴史上も含め)現実社会の人物の評価がいかに容易に変わりうるかも教えてくれて興味深いが、とりあえず私が感じたのは、その評価の変化の単純さ・無邪気さである。祭編で見せられた鷹野の生い立ちはなるほど同情に値すべきものだったと思う。しかしそれは、今まで狂信めいて表現されていた彼女の行動に必然性が存在していたことを提示しただけに過ぎないのであって、その新事実によって皆編以前のことを忘れたかのように「彼女もまた被害者だ」とただ鷹野に同情するのなら、あまりにもおめでたいと言わざるをえない。祭編の新事実は鷹野という人間を考察する上での(非常に重要ではあるが)材料が一つ追加されたにすぎないのであって、過去提示されてきた事実や性格がまるで上書きでもされたかのようにかき消えたわけではない。鷹野について考える際、最低でも以上のことを銘記しておく必要があるだろう。
最後に公正を期すため以下の二点を強調しておきたい。
まず第一点は、上で提示した見解が発売直後の掲示板を参照して構築されたものであるということ。今では多少時間が経過しているので、鷹野の評価についても色々な見解が提示されているかもしれない。それを承知の上で書いたのは、いかに人が「新事実」への同情や興奮などによってそれまでの事実を忘却してしまうか、その一例としても興味深いと思ったからだ。人はまことに自分の見たいものだけ見る生き物である。だから感動したければ、それまでのことは都合よく忘却してしまうというわけだ。
二点目は、ひぐらしそのものの鷹野観についてだ。「犯人捜しはよくない」とは言いながらも、入江の行っていたロボトミー手術や雛身沢症候群解明に絡んだ人体実験からは、「動機付けや環境要因は行為を正当化するのか?」という問いが発せられているように思えてならない(なおこの問いは、症候群末期症状の沙都子が犯した犯罪をどう考えるか、といった点にまで及んでいる)。ここで思い出すのは綿編で持ち出された731部隊の話である。あれは後に全く出てこなくなったが、症候群に関わる人体実験がそれを多少なりとも意識しているのは確かだろう。これは以前書いたひぐらしと山本七平の「空気」の問題からも、「『空気』(この場合は環境要因など)は行為を正当化するか?」という問いを暗にひぐらしが発している可能性は高いと言える(山本は731部隊について何も述べていないが、二次大戦下の「空気」については何度も言及している)。以上のように、ひぐらしそのものの鷹野観は複雑であり、別個に考察する必要があると思われる。ただ少なくとも、ひぐらしの提示する鷹野観の複雑さと製作者側の問いをプレイヤーが念頭に置く必要があるのは確かだろう。
北条叔母は多分症候群かと…まあどっちにしろデンジャラスおばさんですねw
北条隠し財産は…ほんとどうなったんですかねえwまあ今になって考えればブラフってところでしょうか。
ちょっと問題のあるおばさんが何人かでてきますが、北条叔母は症候群だったのかどうか。多分、普通のヒステリーかなんかですかね。(入江はこっちを治療するべきじゃないかと・・・)
あと北条家隠し財産はどうなったんでしょうね?w
梨花に関しては難しいですね。何せ今現在の発言しか判断材料がないので…ただ彼女の回想からすれば、始めは助けようともしたが母親と反りが合わないこともあって早々に見捨てたのは事実のようで。ところで梨花母の性格って何か特別な主張でも込めているんですかね。なんというかえらいアクが強い人(ヒスママ?)として描かれているみたいなんで、ちょっと気なってます。
法律の問題に関してはそこまで深く考えなくてもいいと思っています。そもそも法律の元締めがアレな話ですしねw多分ひぐらしが強調したいのは、同義的な問題の方ではないかと。
まあつまらないはなしですが、法律をもちだしたらほとんどの登場人物全員が有罪です。(精神病のせいかどうかを判断するのは法廷ですし、人を傷つけた人間はもちろん、違法な命令に従った公務員も)
このあたりは不問に付すのが、こういった作品をよむときの礼儀なのかもしれませんが・・・・。
以上簡単にカキコさせていただきました。