アクセス数低下という指標

2009-03-27 00:24:58 | 感想など
「三月末になると長文を書く暇はないだろう」という認識のもと、先週の間に4/1の分までアップしておいた。ふたを開けてみると全く予想通りの展開だが、何も書かなくなったら今度はやたらに夢を見るようになり、おもしろいやら気味悪いやら…そんな状態だからか、今日は車内広告の「いけばなプロムナード」を「いけないプロムナード」と見間違え、一瞬目が釘付けになるという体たらくだった。


さて、以前アクセス数について触れたのだが、実際アクセス数というのはモチベートに強く連動しており、何よりいい指標になってくれている。そう書くと「何を取り上げればアクセス数が上がるのかがわかる」という話だと思われるかもしれないが、それよりむしろ自分の記事の受け取られ方がある程度予測できたり参考になったりするという意味である。


例えば「電脳コイルの断片」と「電脳コイルの断片 続」をアップしたときはアクセス数が一日50件落ちて二日で230くらいから130に下がったのだが、二つともどうしようもない粗大ゴミみたいなものだったので、むしろこれはちゃんと読んでもらっていることを推測するいい指標になった。もしあの記事でアクセス数がそのままだったり上がったりした日には、時間をかけて書き上げることが馬鹿馬鹿しくなり、かえってモチベーションが下がっていたに違いない。


これについては芸能人の私生活や整形をネタにする心性を扱った「idol,ideal,ideology」なども同じで、そこでは英雄への心酔と幻滅といった現象を取り上げていないため、単に「踊らされてバカだね」という嘲笑の記事にしかなっていない。だから、それによりアクセス数が低下したことはむしろちゃんと読まれているという信頼に繋がりさえしたのであった(まあ嘲笑的なニュアンスに嫌悪感を抱いた、という可能性も十分考えられるが)。


その他にも、去年の4月頃は「遠のく景色」でも述べたように、そもそも書こうという気が減退していたが、それは内容に色濃く反映され、アクセス数にも直結していった。そこから「ひぐらし 祭」関連の記事などを軸にして立て直していったが、内容が低下しているという実感とアクセス数の低下という二つの要素がなかったら、そのまま惰性で流していたかもしれない(もっとも、当時は物事の認識形態そのものが表面的なものへと変化しつつあることへの不快感が大きかったのだけど)。


このように、アクセス数は、たとえその低下によってであれ、記事の精度を省みたりモチベーションを高めたりしてくれる格好の指標・材料なのである。
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