2020年に連載終了した『BEASTARS』だが、自分が購入したのはなぜか17巻で止まっていて、とある飯屋で18巻を読んだ際に残りを揃えようとまた集め始めたのがつい最近(ちなみにアニメも1期で視聴が止まっている。ちなみにこれは興味を失くしたとか嫌いになったとかではなく、単に日常生活で処理すべきことが追っつかなくなっただけだ)。
で、冒頭の『BEAST COMPLEX Ⅱ』も読んだのだが、こうして集約された形で見るとよりテーマがわかりやすいと感じた。その典型は表紙にも出てくる「カラスとカンガルー」だろう。
動物による擬人化を用いた表現ゆえに、むしろどこまででもストレートに伝わってくる「ノイズ排除の病理」は、『SANDA』含めた板垣作品に通底するテーマであるが、それをここまで端的に表現できることに驚きを禁じえなかった(もちろん、だからと言って己の本能をただ解き放つことを肯定するのは、共生を目指す以上できようはずもないという事も繰り返し描かれており、その複雑さの象徴が『BEASTARS』における「裏市」であったわけだが)。
物理的暴力というものが徹底的に抑制されているのに(作中でそれを行使するのはオリオンと0地区外の住人だけだ)、そうして作り出された社会にも、それを維持するための構造にも吐き気を催す・・・という様相に全体主義や監視社会、ムラ的共同体を連想することは容易い。しかし同時に、「ポリコレ」と呼ばれるものに人が倦む理由、そしてキャンセルカルチャーの病理といったものを理解する一助にもまたなるだろうと感じた次第である(もちろん、これは差別的言動を肯定するということでは全くない。重要なのは、差別的状況を解消すべしと始まったはずのポリコレが、むしろ「何でも同じ」にしないと許容できない病理へと変貌し、むしろ抑圧として機能している場面が見られるということであり、その様に中世ヨーロッパ的な異端審問や近世の魔女狩りがダブって見えるのは私だけだろうか?)。
とここまで書いたところで、過去記事を検索してたら『チャンピオン』でタイムリーに読んだ「カラスとカンガルー」の感想を2021年1月27日に書いていたことが判明し、OMG!となった次第(。∀゜)つまり、2年経ってワイは何も成長しなかったというワケやな(。∀゜)
いや違う、違うぞ!これは「カラスとカンガルー」がそれだけ優れた作品であることを示すのであって、ワイの記憶力の無さは関係無いねん!なーんてね(・∀・)ともあれ、これを機会に、ビースターズのアニメⅡ期も(原作とどう改変されているかにも注目しながら)見てみるとしよう。
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