たとえ同じものであっても、並べ方を変えてみれば違うもののように感じられることがある。さて、これらはどうだろうか?
<俺のハンバーグにて> →「たとえ人工授精でも」
娘がほしいと言ったら意外と言われた。頭撫でたい肩車したい。鼻血が…子供三人。家が必要。等々力?生活設計。管理職選考会。実家。相手はどうでもいい。試験官ベイビーでかまわない。女の思考、と言われた。え、どの辺が?すげー気になる。まあでも人格・性格が破綻してるので片親だと終わる。子供は愛玩動物じゃないし。
※
ちなみに言っておくと、オタクというものは父親になるということに強い執着を示すそうである(ここでは書いてないが、オタクの保守性は例えば最近の「かんなぎ」の話題などに見て取れる)。とするなら、うまくたき付ければ日本は安泰ではないのか。「娘属性は日本を救う」なーんてね……にやそ。
<T型人間> →「ABO=T型の提唱」
あの記事を見てハウスキーパーを連想した人がいるなら、おそらくそれは正しい。まあ明確にそう思っているわけじゃないけど。年上もそれ?さーてそこまで言えるかな。関連する話として、俺はA型だと話すとかなりの確率で意外と言われる。「どう考えてもO型」らしい。なるほど理解できる。ある人はいかにもA型と言う。母親A型と父親O型を受け継いでいるわけだね。そう言えばすごいマイペース。てことはB型でもある。ABO型…東西南北中央不敗っぽくて格好いい!じゃあT型でも提唱しますか(バイオ-タイラント)要は切り取り方によって何型にでも見える。血液型判断が好きなのはなぜ?
<自由からの逃走> 初出
自由という名の荒野に耐えきれなくなった人たちは、キャラ的人間理解や血液型判断などによって規定されることを自ら選ぶ。彼らは自由からの逃走を自ら望むのだ。牢獄への回帰。とはいえ、環境要因を考えれば実は自由などどれほどあるか疑わしいのだが。選べない…あるいはamazonのレコメンデーション機能などもまた(利便性はあるにせよ)このような欲望を満たす方向に動きうる。全体性への埋没とは違う方向。誤配の消滅。嗜癖行動。再帰的。
※
規定が存在しない、というのは他者との関係上ありえない(よくわからない人、というのもある種の規定なので)。そうではなく、その規定ができあいの型から選び出し、かつ規定される側もそのような形式を望みそれに合わせて行く、というような共犯関係が重要。もしそこに微調整というものが欠けていて、ある型から別の型へという極端な移行を見せるのであれば、あるいは藤田省三の「新品文化―ピカピカの所与」(『精神史的考察』)などを連想したりもするが…
<吸血鬼におねがい> →「吸血鬼にお願い」
娘さんをください!いやそうじゃなくて、かりんさんを俺の娘にいただきたいんです。え、船はやるけど娘はやらん?何ワケのわからないことを言っているんですか。はぐらかそうとするお気持ちはわかりますが…ええ、確かにDVD三巻までしか見てない俺は彼女のことをそれほど知っているわけじゃありません。でも、踏み込んだ話で恐縮ですが、あの娘はあなたがたの実子ではありませんよね?それは名前と彼女の特徴を見ればわかります。それに俺は、彼女を見ていると鼻血が止まらないんで、彼女が他人とはどうしても思えないんです。そう、魂の共鳴を感じるのです。
※
結局DVD第五巻を見てヘンリーが娘を譲ることはありえないと知り、作者はしばらく寝込んでしまったのだとかいうことだ。
<俺のハンバーグにて> →「たとえ人工授精でも」
娘がほしいと言ったら意外と言われた。頭撫でたい肩車したい。鼻血が…子供三人。家が必要。等々力?生活設計。管理職選考会。実家。相手はどうでもいい。試験官ベイビーでかまわない。女の思考、と言われた。え、どの辺が?すげー気になる。まあでも人格・性格が破綻してるので片親だと終わる。子供は愛玩動物じゃないし。
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ちなみに言っておくと、オタクというものは父親になるということに強い執着を示すそうである(ここでは書いてないが、オタクの保守性は例えば最近の「かんなぎ」の話題などに見て取れる)。とするなら、うまくたき付ければ日本は安泰ではないのか。「娘属性は日本を救う」なーんてね……にやそ。
<T型人間> →「ABO=T型の提唱」
あの記事を見てハウスキーパーを連想した人がいるなら、おそらくそれは正しい。まあ明確にそう思っているわけじゃないけど。年上もそれ?さーてそこまで言えるかな。関連する話として、俺はA型だと話すとかなりの確率で意外と言われる。「どう考えてもO型」らしい。なるほど理解できる。ある人はいかにもA型と言う。母親A型と父親O型を受け継いでいるわけだね。そう言えばすごいマイペース。てことはB型でもある。ABO型…東西南北中央不敗っぽくて格好いい!じゃあT型でも提唱しますか(バイオ-タイラント)要は切り取り方によって何型にでも見える。血液型判断が好きなのはなぜ?
<自由からの逃走> 初出
自由という名の荒野に耐えきれなくなった人たちは、キャラ的人間理解や血液型判断などによって規定されることを自ら選ぶ。彼らは自由からの逃走を自ら望むのだ。牢獄への回帰。とはいえ、環境要因を考えれば実は自由などどれほどあるか疑わしいのだが。選べない…あるいはamazonのレコメンデーション機能などもまた(利便性はあるにせよ)このような欲望を満たす方向に動きうる。全体性への埋没とは違う方向。誤配の消滅。嗜癖行動。再帰的。
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規定が存在しない、というのは他者との関係上ありえない(よくわからない人、というのもある種の規定なので)。そうではなく、その規定ができあいの型から選び出し、かつ規定される側もそのような形式を望みそれに合わせて行く、というような共犯関係が重要。もしそこに微調整というものが欠けていて、ある型から別の型へという極端な移行を見せるのであれば、あるいは藤田省三の「新品文化―ピカピカの所与」(『精神史的考察』)などを連想したりもするが…
<吸血鬼におねがい> →「吸血鬼にお願い」
娘さんをください!いやそうじゃなくて、かりんさんを俺の娘にいただきたいんです。え、船はやるけど娘はやらん?何ワケのわからないことを言っているんですか。はぐらかそうとするお気持ちはわかりますが…ええ、確かにDVD三巻までしか見てない俺は彼女のことをそれほど知っているわけじゃありません。でも、踏み込んだ話で恐縮ですが、あの娘はあなたがたの実子ではありませんよね?それは名前と彼女の特徴を見ればわかります。それに俺は、彼女を見ていると鼻血が止まらないんで、彼女が他人とはどうしても思えないんです。そう、魂の共鳴を感じるのです。
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結局DVD第五巻を見てヘンリーが娘を譲ることはありえないと知り、作者はしばらく寝込んでしまったのだとかいうことだ。
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