東京医科大学の入試操作が様々な議論を呼んでいる。それを見て改めて思うのは、これがまさしく日本社会の「ホンネとタテマエ」を体現しているということだ。
具体的に言えば、
男女平等理念に基づく「機会の平等の達成」というタテマエ
医療現場の実態に基づいて女性医師の割合増加抑制に動くというホンネ
という構造になっている。だからタテマエがある以上点数調整を公表しなかったし、一方それを批判しても「いやそもそも実態がそうなんだから」と擁護する意見が出てくるわけだ(誤解を恐れずに言えば、必ずしも「私利私欲のため」ではないし抜け駆け的なものでもない、ということ)。
このように考えてみると、今回の件はひとり医療の世界だけでなく、広く我々の社会全体で起こっている(行われている)ことだと気づく。
たとえば私の会社に関して。社会的には、女性の管理職の少なさが問題視されている。そして私の会社の女性管理職は実際極めて少ない。上層部(役員レベル)はそのことを気にしているし、また改善に取り組んでいる風にも見える(まあパフォーマンスの部分もあるだろうが)。しかし私が入社して10年以上経っても、女性管理職の増加は微々たるものでしかない。その理由を考えてみるに、自身10年近く管理職をやっているが、恐るべき勤務日数の多さ(本社は休んでいないことに注意を促してくるものの、繁忙期は20連勤とか30連勤とか普通にありえる)、有休取得率の低さは相当なもので、この中で育児休暇を取ったり、休職して復帰したりというのは極めて難しい(皆無ではないが)。というわけで、いずれ長期離脱したり管理職を止めるなら、継続性のある(リスクの少ない)男性を取りたいと思うのが合理的となる(育成のコストも馬鹿にならないし)。それを変えようと思ったら勤務体系やシステムを変えないと無理で、そもそも管理職を志願する人間が少ないままであろう。
このような事例を考えると、女性医師抑制の話自体は希望部署の偏りや産休の影響という背景から理解できる話だ。逆にこのような「我がこと」感覚なしに批判しても、本質的には芸能人の炎上と変わるところがない(まあ批判の燃料は、嫉妬というよりも自分の中にある「競争における平等の幻想」が否定されたことへの怒りに基づいているように見え、その見立てが正しいなら安易に一緒くたにすべきではないが)。先ほど私は女性管理職の話をしたが、言いたいことを繰り返すと今回の件は医療業界の腐敗というよりはむしろ、「ホンネとタテマエ」という日本社会の縮図なのである。
では、東京医大は環境に最適化しただけであって批判されるのは不当だろうか?私は全くそう思わない。点数調整という実態を見る限り、女性の社会進出を支援してると言えないことに、恐らく誰も異論はあるまい。では、それにもかかわらず、女性の社会進出支援に絡む助成金をもらっているとはどういうわけか?これは明らかな欺瞞である。また、ほとんど全ての医大が男女の割合が不均等というなら話はわかるが、金沢医大のように均等のケースもある。その背景と現場にもたらす結果を分析・議論もせずに医療の現場は大変だから東京医大のやったことは仕方がない、と述べるのは思考停止にすぎるように思われる、ということも指摘しつつ、この稿を終えたい。
補足
早速他国から驚きというか批判の声が出ているが、そこに「お前たちの社会だって~じゃないか」と反発するのは容易い。しかし忘れてはならないのは、理念とは現実との耐えざる格闘である、という意識を我々が持っているかだ。でなければ、いつまで経ってもお題目(タテマエ)に対する現場(ホンネ)の面従腹背という構造が変わることはありえない。そこには、社会をどのようにしていきたいのかという理念も、それを実現しようとする真摯さにも欠けている。その状況こそ批判されていることに(実態への適応を説明してるようで、その実現状肯定と固定化に荷担している人たちも)気づいた方がいい、と思う次第である。
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