自分本位

2008-12-30 23:09:20 | 抽象的話題
君が望むサバイバーズ・ギルト」の繋ぎとして。


「正月なのに雨なんて嫌だね」

という言葉に対し、ほんの一瞬考えた後答えた。

「本当そうだよね」


もちろん、「正月なんて人間が勝手に決めたものだから、自然に文句を言ってもしょうがないよ」なんて口に出したりはしなかった。仮にそう言ったなら、相手は一瞬ぎょっとした表情をし、次のように思うか言うかしただろう。すなわち、「確かにそうかもしれないけど、日常のちょっとした感想を述べただけなのに、そんな言い方をしなくてもいいじゃん。別に自然が人間の決めたものに従うべき、とか主張しているわけじゃないし」と。彼の反論はもっともだ。日常の感想にそのような堅苦しい横槍を入れられたらさすがにうんざりするに違いない(まあ言い方にもよるにせよ)。とはいえ、ここに問題が潜んでいるのは紛れもない事実なのだ。


この暦と天候に関する話によって私が言いたいのは、残念に思うこと自体が悪ということではなく、そういった言葉にはいかに私達が自分本位でものを考えてしまうかがよく表れている、ということに他ならない(ゆえに、もし彼が上記ような反論を考えていたのならば、問題はむしろ逆で、日常のちょっとした感想「だからこそ」事は重大なのである)。しかしながらそれを言葉にすれば、その過剰性ゆえに前述のような違和感、反感を生むだけでその意味は相手に伝わることはない。言葉にしてもなお伝えきれないのではない。言葉にしたことに「よって」、かえって伝わらなくなってしまうのである。



止まない雨はないが…」、「「共感」なる言葉の生み出す病理」、あるいはひぐらしの「環境要因と自由意思」などと関連。
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