ねるねる的想像力・創造力の可能性

2019-03-07 12:22:02 | 抽象的話題

ピタゴラス「万物の根源は数。はっきりわかんだね」

高校生の時の私「ファ!??」

数学史について本を読んだり動画を見たりしてたら、そげな記憶が甦りました。え?お前が高校生だった頃(20年前)に淫夢はねーだろオーパーツ野郎がって??さてはランケだなオメー(・∀・)

 

・・・て感じの意味不明な導入で始めてみましたが、今ではピタゴラス教団がイタリア半島にあって、数の探求から弦の長さと音階の関係を探ってそれを体系化したり、あるいは三角関数が音楽に深く関係している(cf.フーリエ変換)なんてことを知ったりして、なるほど世界についてそういう分析の仕方もあるんやなあと思うに到ったわけであります(目に見えないものは数値化できないという思い込みは、それゆえ私たちの本来性に関わるものであるという幻想にも繋がったりします→後述)。

 

ちなみに、同教団が否定したイマジナリーナンバーを私は高2の時に習いましたが、当時は一体何の意味があるんやろ??と疑問しかありませんでした(ド・モアブルの定理とか習った記憶ないんやけど、それは実際そうなのか、それとも俺の頭が腐った饅頭レベルであるがゆえかは不明w)。しかし、社会人になって数年経った頃、暗号として携帯電話に利用されてると知り、オモローと思った記憶があります。

 

何が言いたいんかっちゅーと、自明のように、あるいは自動的に生きているこの世界の諸々の事物は、様々なものの体系で成り立っており、にもかかわらず、我々はそれを不要だと思っていたり、無関係だと思っていたりするってことです(まあそもそも、この世界の在り方=法則性を解明するために自然哲学が発達した部分もあるわけで、その意味では当然なんですが)。

 

というわけで、次の動画をご紹介します。

 

 

 

そんな当たり前のことを一々疑うなんて病気じゃん?とピピピッピみたいな突っ込みを入れたくなる御仁も少なくないでしょう。 確かに、これはおもしろい話をしてるんだけど、持って行き方が上手くないっちゅーか、もったいないという気がします。

 

たとえば、算数でつまずく人によく出てくる話として、りんごの2とみかんの3の足し算に数字以外の意味付けをして、結果的に5以外の数字を出したり、えらい考え込んだりしてしまう、なんてものがあります(ちなみに私の好きな『さんさん録』ってマンガに登場する主人公の孫娘は、「牛が3頭いて馬が2頭やってきたら足は何本になるか」っていう問いに対し、「牛と馬がケンカして一頭も残らないので0本」という答えを出したりしてました)。

 

で、こういった問題が関わる領域というのは、表題にある「数学の基礎」っていうより、記号論理学と呼んだ方がストレートでわかりやすいでしょう(その意味では足し算に終始するんじゃなくて、logとか出した方が伝わりやすいんじゃね?と思ったりした)。

 

あ?キゴウロンリガク??何じゃそりゃ?と思う方については筒井康隆の「一について」という短編小説をお勧めしますが、そこで書かれている内容が、「人物Aがわかりきったことに難癖つけてて、人物Bがそれに真面目に答えてるやり取りがおもしろい」ていうテイストなのが重要だと思います(ちなみに、真面目な対応・反応がどんどんズレてっておかしなことになる展開という意味では、彼の「ビタミン」とか「ホルモン」も好きで、読むたびに笑い過ぎて死にそうになりますw)。

 

なぜ「重要」かと言うと、先の動画みたいなのを聞いても大抵の人はなんか屁理屈みたいと感じるか、衒学的としか思わんわけです。「一々そんなこと考えんでもよくね?」「つか一体それが何の役に立つの?」って感じてしまうと。で、もしそう思ったら次に見てほしいのがこちら。

 

 

こちらでは新たな記号論について語られておりますが、要するに人工知能とその未来を考えていく上でも記号論(というかさらに言えば認知科学)とその再検討が極めて重要って話です。

 

この人工知能を念頭に置いた時に、さっきの動画で話題とされていた自明とされているものの再検討、具体的にはそれらがどうして自明なるものとして容易にルール化・運用されうるのか、という視点は非常に重要な問題意識となります(これは例えば、流動性の低いコミュニティにいた人が、流動性の高い都市に出たり、別の国に行ったりすることで自明視していたものを再検討し、世界観や社会観をリフレーミングせざるをえなくなるのと似ています)。

 

まあそんな視点で先の「数学の基礎」や「理解」の動画を改めて見ていただくとおもしろいんじゃないでしょうか。ちなみに、このブログで書いてることとどう関係するんじゃい!という話ですが、「共感の欺瞞と危険性」、「視覚情報の恣意性」、「アカシックレコード」など様々つながっております。

 

詳細に話すと長くなるんで、簡単に触れておくとこんな感じです。 

 

〇「共感」
人や社会の流動性が低い時に通用しやすい幻想。というのも、変化に乏しければ状況や感情の予測が比較的容易になり、外れる可能性も低いため、結果的にその幻想が強化・温存されるからだ。このような言い方で日本のムラ社会や「以心伝心」を連想する人もいるだろうが、そこから例えば第二次大戦のような総力戦で日本の外に広く人が展開した時、セクショナリズムの連発で以心伝心どころじゃなかったことを連想すると、問題点がクリアになりやすい(資源における問題点・限界点は常に指摘されてきたが、組織論的にも大きな問題を抱えていたということである)。ちなみに「災害ユートピア」もこれと同様に論じれる可能性があるが、それはまた別の機会に譲りたい。

 

〇「視覚情報」
飛蚊症の私は、目を閉じていても細長い糸が動くのが見える。とするなら、一体「見えている」とは何なのか?私達は目で見えるものを「現実」と捉え、目を開かずに見えるというのは「超現実」と捉えることが多いが(ココロの眼でとらえるのじゃwww)、とすれば目を閉じていても入ってくるこの情報をどう位置付ければいいのだろうか?と問うてみる(まあ目を閉じてても明暗の情報ならわかるんだけど、その時に明確な輪郭は見えないため、多くの人はそれを意識する機会がないのだろうが)。

あと、スマホで撮影とかしてると、信号機を構成する電球の一つ一つが明確に見えておもしろい(肉眼でも意識すれば見えるのだが、大抵それは小さきものの集合ではなく、始めから総体として認知されている)。また、鍾乳洞などで撮影しようとすると、冷やされた空気とその流れが肉眼とは違って明確に可視化される。このように、私たちの肉眼と同様な見え方のはずのスマートフォン越しの世界が、ある時直接的に見た世界のそれと明確に異なって見える際、私たちの見ている世界もまたone of themでしかないこと、すなわち「客観」でも何でもないことを改めて私たちに教えてくれる(というのが理屈ではなく体感されること=身体性に直結している点に注意を喚起したい。この身体性については、「BEASTARS」のレビューで再三触れることになるだろう)。

 

〇「アカシックレコード」

を題名に含む記事を書いたことがあるが、これは半分ネタで要するにパターン認識の話だ。例えば私は今度ドイツ旅行に行く予定だが、かの国にはアウクスブルク、ハンブルク、ローテンブルクなど「ブルク」とつく町が多い。それはブルクが「城」を指すからで、たとえばアウクスブルクなら「アウグストゥス」+「ブルク」ということになる。ではスコットランドの「エディンバラ」はどうだろうか?一見語尾が違うから無関係に見えるかもしれないが、アルファベットではEdinburghであり、そこからEdin(エドウィン)+「ブルク」であることが理解され、実はアウクスブルクなどと同じ成り立ちであることがわかる(言い換えると、カタカナ化がパターン認識、ないしは本質的理解の妨げになっている、とも表現できる)。

とはいえ、このようなパターン認識が一般的に有用性を持つと考えられるのは、それが突如ルール変更されるなどという事態を予期しないからである(これは「共感」幻想とも深く関連する)。今述べたルールを知ると、他のものも予測ができるから役に立つが、極端な例として明日から毎日都市の名前が変更されるなんて事態が生じたら、由来がどうこうなんてただのお遊び以上の何物でもなくなるだろう。

・・・え、何でいきなりそんな話してんのかって?こんな疑問を追求したのが、実は最初の動画のコメント欄にも出てくるヴィトゲンシュタインという変わり者のオッサンなのである(まあ同系統の人として、すでにその200年前にはヒュームがいたけども)。端的に言うと、「何で人は明日も同じように世界があると思っているのだろうか?」って疑問で、これだけ聞くといかにもクレイGだが、こういう問題意識から言語ゲームの話とかも出てくるわけである(まあこの問いは自分の身代わりになるホムンクルスが出てきたり、電脳化するなどによって身体を喪う作品に出てくる、「私が明日も同じ私であることは、どのように担保されるのか」といった問いに置き換えた方が身近に感じるかもねー)。

 

ってここまでで結局ムタクソ長くなったんで、切り上げて次回また関連する話題を取り上げたいと思います(こういう話題を長々書いてると、対話篇って有用な表現法だなーって改めて思ったり)。それでは、さいなら、さいなら、さいなら・・・


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