はろろーんJSです。今は3/15ながら、3/22のフラグメント63もすでに書き終え、再来週の記事に挑戦してやるぜ的な状態でございます。なんて言うといかにも悠々としている響きがありますが、さっき会社から帰る時に頭の中で「皆殺し編再考~アイロニーの完成として~」なんつー記事ができあがったりと、時間の制約を無視して構想だけは出てくるから、むしろ追われている感じしかしないんですね…まあそんなことを言っててもそれこそしょうがないので、とりあえず9/4と9/7のフラグメントでも上げときますか。
<始治:女で始め、汁で治まる> cf.「社会的規範、狂気、歴史性」、「土砂降りの二子玉川」
内容だけでなく、「全て」とかが狂人・パラノイア的だ(あるいは徹底した論理性もまた)。まあ敢えて極端な例を出したんだけど。そうやって客体化することで距離を持てているような感覚を持つかもしれないが、それは必ずしも対象を理解していることを意味しないし、ましてや乗り越えたことにはならない。むしろ、その感覚が直截な表明を妨げかねないという意味で、害悪にさえなりうるのだ(ただ、直接的に感情を表明すればそれで事足りるというのも短絡的だが)。それはまさに、アイロニーの隘路とでも呼ぶべきものだ。
<~と個人的に思う、と言え> cf.「真ー偽の二元論を超えて」、「宗教的帰属意識」
自殺する人間は「劣って」いると思う(華厳の滝にて自殺)→一般性-真理(客観)と個人的な願望(主観)をはっきりさせよ[客観の虚構性についても話が上がった]。そして願望を成立せしめているものを明らかにせよ。その中で、個人的な経験とともに様々な擬制が見えてくるだろう。しかし、そこで「所詮は虚構だ」として止まってしまうなら、それは思考停止である。その先にあるのは、なぜその虚構が成立しうるのかという疑問だ。ここから、「逗子にて断絶を思う」「歴史学の意義2」あるいは「共感の虚構性」へと繋がる(リアリズム、偽史、ナショナリズムetc)。擦れコミュ
<そこにある剰余を隠蔽するな>
そこまでくると、あらゆる人生は無意味だという言葉は傲慢だと納得できても、一方であらゆる人生に意味があるというもの言いが傲慢であるという話に対する違和感、その剰余を解釈する余地が生まれる→意味を求める、パスカルの宗教に関する発言。ところで、最初から無意味が当たり前なら、無意味だとわかったところで自殺などするものだろうか?少なくとも俺は、空が飛べないことに絶望して自殺したという話を聞いたことがない(母と子の問題)。サプリメンタルな効果。俺は基本的にそういう話をしている。しかしその前には虚構性に気付かないといけない。
<根府川駅っているの?> cf.「神の罰」、「オカルトと合理」、「この道、わが旅…」
人間は無から有を作り出す天才(神など)、一般論なるものは存在するか?ルソーの「一般意志」について、高貴な野蛮人と近代人のコミュニケーション、直接性と間接性(0ケルビン)、アトモスフィア…シミュラークル可する世界、偶有性、
<ユーノ結リンガーに電話プレイヤー> cf.「YU-NOエンディング批評」(ネタバレ)
歴史話の内容(一般的価値を安易に否定する愚かさはない)、システムと世界観の一体化という性質、収斂としての価値→世界の果てに到ること事態は絶対に必要。あえて日常を選択させる。たくやの人間像(声あり=距離)、永遠の否定。マスをかくのとブログを書くのに忙しくてミクシーをやる暇がない。秋葉原から浦安へ。海沿いを走ってると「初代くにお」を思い出す(大阪港)オダキューとかデンエントシとかイノガシラって何すか?ケイオー線って慶応?タミの話…トラウマによる嗜好(?)を超えて。その人そのものを愛する(今までの属性に関する話を考慮に入れろ)。
<始治:女で始め、汁で治まる> cf.「社会的規範、狂気、歴史性」、「土砂降りの二子玉川」
内容だけでなく、「全て」とかが狂人・パラノイア的だ(あるいは徹底した論理性もまた)。まあ敢えて極端な例を出したんだけど。そうやって客体化することで距離を持てているような感覚を持つかもしれないが、それは必ずしも対象を理解していることを意味しないし、ましてや乗り越えたことにはならない。むしろ、その感覚が直截な表明を妨げかねないという意味で、害悪にさえなりうるのだ(ただ、直接的に感情を表明すればそれで事足りるというのも短絡的だが)。それはまさに、アイロニーの隘路とでも呼ぶべきものだ。
<~と個人的に思う、と言え> cf.「真ー偽の二元論を超えて」、「宗教的帰属意識」
自殺する人間は「劣って」いると思う(華厳の滝にて自殺)→一般性-真理(客観)と個人的な願望(主観)をはっきりさせよ[客観の虚構性についても話が上がった]。そして願望を成立せしめているものを明らかにせよ。その中で、個人的な経験とともに様々な擬制が見えてくるだろう。しかし、そこで「所詮は虚構だ」として止まってしまうなら、それは思考停止である。その先にあるのは、なぜその虚構が成立しうるのかという疑問だ。ここから、「逗子にて断絶を思う」「歴史学の意義2」あるいは「共感の虚構性」へと繋がる(リアリズム、偽史、ナショナリズムetc)。擦れコミュ
<そこにある剰余を隠蔽するな>
そこまでくると、あらゆる人生は無意味だという言葉は傲慢だと納得できても、一方であらゆる人生に意味があるというもの言いが傲慢であるという話に対する違和感、その剰余を解釈する余地が生まれる→意味を求める、パスカルの宗教に関する発言。ところで、最初から無意味が当たり前なら、無意味だとわかったところで自殺などするものだろうか?少なくとも俺は、空が飛べないことに絶望して自殺したという話を聞いたことがない(母と子の問題)。サプリメンタルな効果。俺は基本的にそういう話をしている。しかしその前には虚構性に気付かないといけない。
<根府川駅っているの?> cf.「神の罰」、「オカルトと合理」、「この道、わが旅…」
人間は無から有を作り出す天才(神など)、一般論なるものは存在するか?ルソーの「一般意志」について、高貴な野蛮人と近代人のコミュニケーション、直接性と間接性(0ケルビン)、アトモスフィア…シミュラークル可する世界、偶有性、
<ユーノ結リンガーに電話プレイヤー> cf.「YU-NOエンディング批評」(ネタバレ)
歴史話の内容(一般的価値を安易に否定する愚かさはない)、システムと世界観の一体化という性質、収斂としての価値→世界の果てに到ること事態は絶対に必要。あえて日常を選択させる。たくやの人間像(声あり=距離)、永遠の否定。マスをかくのとブログを書くのに忙しくてミクシーをやる暇がない。秋葉原から浦安へ。海沿いを走ってると「初代くにお」を思い出す(大阪港)オダキューとかデンエントシとかイノガシラって何すか?ケイオー線って慶応?タミの話…トラウマによる嗜好(?)を超えて。その人そのものを愛する(今までの属性に関する話を考慮に入れろ)。
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