「忌み地」と言われると、人の来ないうっそうと草木の茂る場所(滋賀で見た「シガイの森」はその典型)を思い描くかもしれないが、そうではないケースもままある。
例えば都会の道路の真ん中に祠や塚が鎮座しており、むしろ道路がそれを回避するように建設されている場合が典型だ(東京大手町にある将門塚はその好例)。それはあまりの異質さにかえって異形性が全身から放たれていて、注意を喚起されるまでもなく、むしろそこに巨大な感心を向けざるをえない、あたかも「都市内のブラックホール」がごとき存在と言える。
今回訪れた栃木は宇都宮の土堂原刑場跡もその類例で、かつて「士置き場」と呼ばれた江戸時代の宇都宮藩処刑場の跡地だ。当然のこととして、全国各地に江戸時代諸藩の士置き場が残されているが、しばしば川にほど近い住宅街の中に荒地がポツンと残されており、むしろ何か注意書きがあるよりも遥かに雄弁に、そこが不吉な場所であることを自己主張しているのである(一例として水戸藩の吉沼刑場跡を挙げることができる。まあその荒地にはゴミが大量投棄されていたりするのだが・・・)。
1枚目・2枚目写真でわかる通り、住宅街の中に突如ブロック塀の囲いがあって、しかしそれにもかかわらず、何かの用途に使わている気配がなく、ただ砂利とコンクリートの床があるだけだ。しかし居並ぶ地蔵と石碑から、おそらくここが何らかの忌み地であることを通行人に主張しているわけだが、
端に散在する彼岸花が、むしろその場の寒々しい雰囲気と、死者への弔い念を最もよく象徴していると言えるかもしれない。
ちなみに反対側に目を向けると、このような光景。納戸がついている小屋には首切り地蔵が安置されている。
先ほど私は士置き場の跡地について「荒地」という表現を用いたが、この様子からもわかる通り、こと土堂原刑場跡についてはかなり清掃が行き届いている印象が強い。そもそも、ただの荒地・更地ではなく、砂利が引かれていることからしても、おそらく雑草が繁茂することを避けるよう意を用いていることがわかるが、さらに掃除も欠かさず行っているものと予測される。
その点でこの刑場跡は、確かに住宅街の中で異彩を放つという点で他の士置き場跡地と類似の特徴を持っているが、しかし同時にそれが丁寧に手入れをされている点で、鎮魂・慰霊の場として共同体の中に今も組み込まれているのだろうという印象を受けた。
ちなみにこの刑場跡は、宇都宮藩主本多正純の命により、根来衆が処刑されたことでも有名な場所だ。根来衆と言えば、雑賀衆と同様の武装した僧兵で、戦国時代には傭兵としても活躍したが、むしろ「根来忍者」という表現の方がしっくりくる人が多いかもしれない。
「忍者」という言葉からは、さらに「伊賀忍者」「甲賀忍者」といった存在が連想されるかもしれないが、こちらは伊賀者・甲賀者などと呼ばれる一種アウトロー的存在で、有力者と契約を結んで諜報活動に従事したり、傭兵として戦に従事するなどした。
以上要するに、現代「忍者」という名称で認識される存在は、非正規の部隊を構成する集団が、創作物において出自の違いが捨象された上で、一括りに理解されるようになったものと言える(このあたりは平山優『戦国の忍』などを参照)。
そして武家からすればアウトサイダー的存在であった彼らのうち、根来衆は後に小牧・長久手の戦いなどを通じて家康に従うようになり、同心として正式に権力構造の中に組み込まれることになったのだが、江戸時代になり戦争が激減・消滅すると、当然他のお役目に従事するようになった。
しかしその中では命令(あるいは依頼?)を拒否することもあり、この刑場では、城の普請(堀の工土木事)を命じられた根来衆同心がそれを固辞し、激怒した藩主により処刑されたのだとか。
このあたり、処刑されたのは当時宇都宮藩にいた根来衆全員だとか、あるいはその中心的人物だけだとか諸説あるようだ。またそもそも、当時は戦争がなくなった世界でどう新しい社会秩序を作り、そこに武士や武装集団を組み込んでいくのかを試行錯誤しながら、はみ出した人間は容赦なく改易などを行う武断政治の時代でもあった。その中で、非正規の武装集団から正式な同心として権力に組み込まれた根来衆の扱い方の中で生じた軋轢が、お役目拒否と処刑という一幕であったのかもしれない・・・
と思ったりもするが、まあ将軍家お抱えの集団を宇都宮藩は預かっていただけなので、「我ら誇り高き自立の根来衆に土木工事をせよとは異なこと!」なんて話ではなく、多分「いや俺らの上司はアンタじゃないんで、そんな仕事引き受けられないっス」というのが多分拒否の理由だろう(・∀・)実際、この後で本多正純はこの処断とともにいくつかの行状を指摘され、改易・失脚となっているので(まあ改易の理由も史料により異動があって、この根来衆処刑の一件が確実に影響したと断言まではできないのだが)。
なんてことを考えつつ刑場跡を出ると、その外側はこんな情景になっている。
ここからもわかる通り、本当「町の一角に急遽現れる異空間」て感じなんだよなあ・・・
少し歩いて近くのスーパーに立ち寄る。
いかにも「地元の台所」というローカルな雰囲気が漂っているが、そこで
ちょっと珍しいハングルのチップスなんかがあったので、そちらを購入して駐車場代とさせていただいた(・∀・)
というわけで、昨日奥日光から宇都宮に直行する予定が果たせなかったため、朝から鹿沼→宇都宮に戻る形で刑場跡の見学を行った次第。
では、あとはひたすら南下して古河に戻るとしますかね。
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