ハラリの『サピエンス全史』は非常に刺激的な論考ではあるが、たとえどれだけ実例を積み重ねてもそれは「実証」とまでは言えず、あくまで「興味深い文明論の一つ」にとどまる嫌いがあった。
しかし『言語の本質』で描き出されるアブダクション推論や対称性推論の構造とその特殊性を知った時、発達言語学や認知科学という全く別の側面から人類の「誇大妄想」と「共同幻想」の構造が照射されることで、サピエンス全史という一文明論に人類学としての説得力が付与されたと感じ、大変感銘を受けた次第(もちろん「証明」という領域は遥か彼方にあるのだが)。
そしてもう一つ興味深かったのは、人間の乳児が対称性推論(例えば「△⇒黄色い積み木」という組み合わせを見せられたら、「黄色い積み木⇒△」という逆の結びつきを推論・認識できること)を当然のように行うのに対してチンパンジーはそれができないのだが、チンパンジーの中にもごくわずかだが対称性推論をできる「クロエ」と名付けられた個体が存在したことだ(これがどの程度の割合存在するのかは実験規模を拡張するなどしてサンプル数を増やさないと何とも言えない所だが)。
というのも、サピエンスの誕生は一種の突然変異の可能性が高いと言われているが、このクロエの現象はそれを伺わせるものであり、このような変異の拡張と深化の度合いの差異が、例えば後のネアンデルタール人とクロマニョン人(サピエンス)の違いなどを生み、身体能力で勝る前者がなぜ生存競争に敗れてこの世から消えたのかを考えるヒントとなるかもしれない。
というわけで、私もまた『言語の本質』で書かれる一種の飛躍(『サピエンス全史』の文明論との結びつき)を連想し、そこに強いロマンと今後の可能性を感じた次第である。
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