「据え膳食わぬは男の恥」って、確かにネタというか、内々の猥談やエロ漫画のようなレベルなら理解できなくもないが、昨今の状況を考えれば、むしろ「据え膳食えば一生の傷?」とリスクマネジメントに配慮するのは(ちゃんと考えている人間なら)当然のことだろう。
というのも、仮に動画にあるような相手が泥酔のシチュエーションでヤったとしよう。仮にこの後で「そんなつもりはなかったのに、意識がない間に犯された」と相手から糾弾されたら、どう申し開きをするつもりなのだろうか?
言い換えれば、相手の合意確認をするのが困難な状況で手を出した場合、そこに瑕疵があったと指摘されたなら、その反駁は容易ではないということである。
もちろん、「普段の関係性から無理やりではないことを周囲も証言してくれる」といったケースもあるといった反論は可能だが、それならそもそも冒頭の「持ち帰り(据え膳~)」の状況とは異なるから、前提が間違っていると言える。また、両者の関係性が熟している、またはそこに近い状態なら、泥酔という状況の力を借りる必要もない訳で、ある種非現実的なシチュエーションだとも言えるかもしれない。
ちなみに、これをもって「行為の際は同意書をいちいち取る必要がある」と考えるのは、少なくとも今の段階では現実味がないし、いかにも神経症的だ。
しかし、関係性が十分に構築できていない状態で、相手の状況的に「ヤれそう」とか、または「役得」のような発想で据え膳に手を出せば、それはわざわざ火中の栗を拾うような行為となり、一生の傷とすらなりえる社会情勢が作られ始めているのである(もちろん、そのようにして成り立ってきた搾取・抑圧の構造が昨今どんどん暴露されてきている訳で、そのこと自体は大変望ましいことだと私は考えている)。
あえて「男性」と限定して言えば、これは彼らが内面から紳士的になるということではないし、またそんな期待もすべきではない(結局個人差の問題であり、一般化不可能なため)。
そうではなく、自分の身を守るためにも、今述べたリスクヘッジ的振る舞いが一般に要求されるようになっていく、ということなのである(そしてそれができない人間は、自慰はもちろん風俗で自らの欲望をコントロールすることさえできない、頭と下半身が直結した愚昧な輩ということになるだろう)。
ちなみにそういう行為をしているとどんな事態に陥るかの実例がこちら。いや無罪判決出てるやんけ!と思われるかもしれないが、すでに地裁で有罪が確定した者もいるし、無罪になった二人についてはすでに上告が行われている。あくまで推定無罪(疑わしきは被告人の有利に)の原則と、検察の証拠集めに問題があったという話で、この裁判に関して複数によるハメ撮り行為は一般的でないとしても、酒をどんどん飲ませた状況での行為がリスクであると理解する一助にはなるだろう。
つまり、こういった知見や判例が蓄積されていけば、チャンスのありそうな状態に飛び付けば大きな社会的不利益を被りうると弱いオツムでもわかりそうなものであり、よほど愚昧な人間が世に量産されない限りは、「据え膳食わぬは~」などという言葉とは真逆の回避的行動が習慣化していくのは、当然のことではないだろうか。
これから価値観の多様化・複雑化により、共生とそのためのコミュニケーションの難易度が上がっていくことは、ほぼ確実である(言葉こそ通じるが、共通前提が違うため。ここにおいてなお「空気読み」を求めるなら、それはもはや地雷探しと類似の行為で、あまりに地雷が多数かつ不可視化してどこに埋まっているかわからなければ、人は立ち尽くすしかなくなるというわけだ)。
その中において、「据え膳食わぬは男の恥」などという発想はリスクマネジメントなき愚の骨頂そのものということになり、むしろ「据え膳食えば一生の傷?」として石橋を叩くか、あるいは叩いて渡らないか、橋そのものを叩こうとすらしない、といった行動様式が増えていくのではないかと考える次第である。
ちなみにこれと平行して娯楽の範囲拡張やAIの発達によってオルタナティブも充実した結果、「そんな面倒なことをするコストやメリットより、別のものに力を投下した方が合理的」というマインド・行動が増えるという話であり、いわゆる「恋愛のコスパ化」としてすでに現出している傾向が、さらに著しくなっていくことだろう。
以上。
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