今回の記事は、元々小学館が声明を発表したタイミング、すなわち日テレが契約書云々を言い出す前に書いたものだが、どうまとめるか思案している間に話が先に動いてしまったので時期を逃した状態になっている。まあこれを放置してもどんどん風化してくだけなんで、この機会に放出しておこうと思う次第である。
『セクシー田中さん』とそのドラマ化にまつわる問題がまだまだ続いているが、個人ではなく構造を分析すべき、セクショナリズム。個々人の思いを集合されても、究極的に無意味。「お気持ち表明」は最も意味がない行為。
解決のために、契約書の精密化・再検討は免れえない。じゃなきゃ、お互いがいつ火だるまになるかわからんから。
契約金から話がスタートしない。後で契約条項がわかる。そんなん揉めるに決まってるわ。
作家は、オルタナティブがあればそこに出すだけ。今やNetfrixとか色々出てきているし、国内メディアの凋落が目立つ。殿様商売やってるとそう遠くない将来に死ぬよ?あ、不動産業やるから別にいいのか(・∀・)
作家にもセットで教えるべき。もちろん専門知を学んでいる暇なんてないし、そういうのを嫌がる。
少なくとも、そういう手続きに際してどういう問題が起きやすいかの周知。
これは別に「アメリカのような契約社会を是とするマインドになったから」とか、そうなるべきだというのとは少し違う。というのも、そういう社会はそういう社会で、別の大変さがあるからだ(何度も言うが、ユートピアなんてものは字義通りこの世に存在しない)。
ではなぜ契約の締結やその厳密化が必要になるかと言うと、共通前提がどんどん崩壊した結果、暗黙の了解が通用しなくなり、かつSNSというツールを通じて(どの程度妥当性があるかはケースによりけりだが)告発合戦がしやすくなったからだ。
というか、2023年にジャニーズ問題、宝塚、ビッグモーター、ダイハツ、吉本興業と、閉鎖的組織の病理が次々と明るみに出て批判されているのに、なお今のままの形態でいけると思っている方がどうかしていると思うのは私だけだろうか?
まあ結局他人というか別の組織のことは声高に批判している割に、自分のところに及ぶやいなや旧来のシステムにしがみつく人間だらけなんで、だから「人が死なないと変わらない社会」なんて揶揄されるわけだけどね(これについては自殺未遂をしたセレン龍月に絡む短い記事で別途また書く予定)。
そう言えば、来年からの共通テストでは「実用的文章」なるものが出題されると聞く。
「成文化」という意味では古代ギリシアのドラコンによる成文法、古代ローマの十二表法といった紀元前6~5世紀の話であり、
類似の話として、セクハラ・パワハラの告発常態化。
いじめ問題の焦点化。韓国のタレントが後から告発されるケース。いじめをやりたきゃやってもいいけど、将来に渡ってリスクを背負うことになる。それはあなたが成功すればするほどに高まる。なぜならその方が成功者・著名人を叩けるということでニュースバリューがあるから。それでも、あなたは、いじめをやりますか?
あなたがたの善意とやらには別に期待しない。そういうマインドが強い者もいればそうでない者もいる。ただ、結果として規範の中で行動せざるをえない仕組みを作ればよいのである(オブライエン、リバタリアン・パターナリズム)。
ヤングサンデー。森川ジョージらの発言。
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