「自分のことは理解できている」かのように話す人は少なからずいるが、それ本気で言ってるの?と私は聞いていて思う。
大抵の人は、殺人を犯したこともなければ、死が目の前に迫った状況でどのような判断を下すか苦悩したこともない(当然、判断もできず立ち尽くしたり、思わず逃げ出すケースもあるわけだが)。
そういった非日常を想定しなくても、今現在の嗜好の背景や体調不良の要因でさえ、明確な理由がわかってないことも少なくない(そもそも疾病のリスクなど含めた自分の遺伝情報すらロクに知らない人も多いのでは?)。
ましてや、将来いかなる形で死に至るかなど知りもしないし(たとえば認知症になるか否か、なったとして自分がどんな行動をするのか等)、まだ見ぬものに対して自分がどんな反応をするかは想定の埒外である(何となれば、今愛着を持っているものさえ、時間が経てば厭わしく思うことだってあるのだから)。
ことほどさように、膨大な未知の領域で占められているにもかかわらず、「自分のことは理解できている」などと考えるのは、無知と思考停止ゆえの妄言だと言わざるをえない(「理性への懐疑的態度」・「独断と偏見による日本無宗教論」なども参照)。
私達に言いうるのは、せいぜい「平静の状態であれば、自分がどのように考えたり行動したりするかある程度予測でき、ゆえに多少は自分をコントロールすることができる」という程度に過ぎないのである。
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