北陸遠征の記録:白川郷再訪

2021-06-28 11:22:22 | 中部・東海旅行

 

五箇山菅沼を周った後で、旅館に戻って朝食(ちなみにこの段階でまだ朝の8時前)。

 

 

一人暮らしをしているとこういうバランスの取れた食事をする機会が少ないので、ありがたいことである。

 

その後、腹ごなしに周辺を歩いてみる。

 

 

 

この透明な扉は雪が入り込むのを防ぐためかな、かな?まあ仮に雪が積もって階段を使えなくなったのなら、滑り台の容量でこの上を滑走すればよいだけのことである(基地guy)。

 

では、満を持して白川郷に向いますよと・・・

 

 

一時間程度で駐車場まで到着。紅葉は美しいが、今回メインの目的でないのと二回目なのとでそこまで感慨は大きくないな・・・

 

 

まあしかし、数年は行く機会がないと思っていたら、意外と早く再訪することになったものだなあ。

 

 

 

 

 

特に焦ることもないので、ゆっくり歩きながら写真撮影。

 

 

ぬう、これは・・・古手神社か(`・∀・´)!?という茶番は置いといて、これは真宗大谷派の明善寺である。五箇山の時も書いたように、そもそも北陸は「真宗篤信地帯」と呼ばれ、浄土真宗が盛んな地域として有名なのだが、日本の無宗教について興味を持ちあれこれ調べたりはしている自分にとって、最近特に気になっているのが「地域性がどの程度あるか」という視点だ。

 

例えば明治維新の際に政府の発表した神仏分離令を受けて廃仏希釈が行われたことは前に言及したが、これについてもかなり地域性があって、前回の白川郷訪問の際にレンタカーを借りた長野県松本市(もちろん当時の地域区分は現在と異なる)、島根県隠岐島、鹿児島県などは特に烈しかった。またこれについての抵抗も様々で、大名の墓さえ打ち捨てられたような地域もあれば、地域の仏僧や住民が嘆願を行ったり、身体を張って寺院などを守ったケースもあったという(このあたりは古典的な研究だが安丸良夫『神々の明治維新』が特に参照しやすい)。

 

今でこそ、近代化や都市化が進んだことで「一億総中流化」幻想が醸成され、あたかも日本人は大方同じような精神基盤を持っているものとの共同幻想が漠然と世を覆っているように思えるが、実際のところアメリカのバイブルベルトほどではないにしても、宗教的土壌には違いがあるのであって、これがどの程度地域住民の宗教的帰属意識に影響しているのか否か、ということも私にとって非常に興味深い点なのである。

 

その理由は、日本人の無宗教=特定宗教・宗派への帰属意識の剥落(こう定義するのが最も齟齬が少ない)が、おそらく戦後の都市化・核家族化・高学歴化を要因としている(なお、その前段階として江戸時代~戦前までの間に宗教の儀礼化・形式化が進み、人々の帰属意識が薄まっていた)という仮説を持っており、それが実態と合うかの検証には、今述べた地域性という視点が有用だと思うからだ。

 

ちなみに、今述べたのは伝統宗教のことだが、たとえば新宗教として著名な創価学会は、都市部で教勢を伸ばしたことでも有名だ。ここには、出稼ぎなどで伝統的共同体から切り離され、根無し草的状態となった人々の「精神的基盤」として同宗教が機能したとの指摘がなされており、こういった動向は、宗教的空白を会社共同体が擬似的に埋め合わせした(cf.企業墓)のではないかという仮説と合わせて、機会があれば検証していきたいところである(そして会社共同体への帰属意識も希薄になった頃に空白を代替したものの一つが、「作る会」的なナショナリズムではないかとも考えている。なお、同じ新宗教でも立正佼成会などはその逆で、姑との関係性に悩む嫁の苦労を信徒たちで共有する場を設けるなどして、むしろ伝統的共同体との軋轢に苦しむ人々のニーズに応えて教勢を伸ばした部分があるらしい。そのため、そういった共同体が解体に向かっている今日では、かなり信徒数の獲得については苦労しているんだそうな)。

 

おっと、つい色々考え込んでしまったわい。それじゃあ次の場所に移動しようかね・・・


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