さて、今回のフラグメントは、「アナライズミー」に続くものである。と同時に、「AIが『不完全な神』であれ、他者という『ノイズ』を嫌う者はそこにコミットする」や「騎馬で芸術沼に突撃してみた」にもつながると言えば意外に思われるかもしれない(なぜ、風俗の対戦記録が、男の娘との会話がAIやら芸術の話と関係するのか)。
極めて単純化して言えば、「AI~」や「騎馬~」の記事は記号化やデータベース化の話をしており、「アナライズ~」や今回のフラグメントは固有性の話をしている。もしも前者に抗おうとするなら、その一つの方法は、生身の人間と相対し、人間の複雑性・固有性に改めて目を向けることだろう。ナイーブな話に聞こえるだろうが、カテゴライズ・レッテル貼りの限界と愚かしさを体感するためには、気付きを得ることが最も確実な方法だからだ(重要なこととして、カテゴライズ=絶対悪というわけではない。というのも、ある程度人の行動パターンを類型化しないと、コミュニケーションする際に全てゼロベースからの構築では効率が余りに悪いからだ。しかしその合理性と必然性ゆえに、掉さす機会を作らなければ、増え続ける情報量と複雑化する社会の中で、人は安易なレッテル貼りを決して自戒することはなく、前に挙げた需要供給曲線のように、人間観と対AI意識はやがて入れ替わる日がくるだろう)。
ちなみに「複雑性」ということで言うと、このブログ全体が一つの事例になるだろう。このブログには現在4500以上もの記事があるが、意図的に仕事のことは書いてこなかったし、一旦削除した記事も300程度存在する。もしそれらを記事化したなら、それだけで今の1.5倍~2倍程度(7000件~9000件)にはなるだろう。さらには、旅行、宗教、歴史、ゲーム、映画などの話で書けていないものもあるから、万単位になると予測される。
しかも、そこにあるのは一見ただの感想もあり、書評もあり、くだらない思い付きありと様々であるが、それらは時には矛盾し、時には思いもよらない所で連結したりする。また最初期に書いたものと現在とでは大きく変化している部分もある。「人間の複雑性」とは、まさしくこういうものではないか。もちろん、人間の性質とはこのブログのようなものである、と言うつもりはない。なぜなら、このような膨大な量のアウトプットをしていることについては、非常に特異であると考えるからだ(というか、定量的・客観的にそう判断できる)。
ともあれ、そこに表れたもの自体は人間の複雑性を端的に表すものと言えるだろう。例えば、私は可愛いものを愛でる話と、それを無批判に理想化する病理を同時に描いている。これを両方見た人間は、認知的不協和に流されるとどちらかを真、どちらかを偽として正当化するだろう。たとえば、「本当は可愛いものを愛でたいのに、恥ずかしいから理屈っぽいことも書いて誤魔化している。」、あるいは「理屈っぽいことを書くと反感を持たれる可能性があるので、可愛いものを愛でる話で読者に媚びている」といった具合に。
しかし、それはともに間違いだ。これらの記事は、その時の気分で書いている(時によって変わる)のでもなければ、バランスを取るために意図的に入れてるのでもない。繰り返すが、それらは同時であり、どちらも真なのだ(これがわからない人間は、たとえば「夜と霧」に出てくる「冷酷な刑務官が同時に善き父親・善き夫である」という事例の本質を理解しないし、ゆえに「凡庸な悪」の話も決して理解しえないだろう)。ちなみにこの具体例は、抽象的な領域の話でないことを示す意図もあって、「undertale」という作品のmuffetというキャラを取り上げる予定だ。
AIへの傾斜に掉さすための人間の複雑性に目を向けると言った時に、一つ誤解をされそうなことがあるので注記しておく。自己の全てを理解しようとするのも、されることを期待するのもとんだお門違いだ(そもそも、人を殺した経験、殺されかけた経験、重病にかかって九死に一生を得た経験、といったものに遍く立ち会ったこともないのに、どうして自分がその時どうなるかなどわかるのだろうか?と考えればわかるが、「己の全体性」など決して知りえないものである。ことほどさように、己の全体性を把握しているとか、それが理解されると思い込んでいる人間は、およそ承認欲求と自己顕示欲に取りつかれた亡者のようなものだ、と言っていい)。そしてこれは、他者についても同じである。
話を戻そう。今述べたような人間の複雑性という現実に向き合うことなくパターン化とノイズ排除を求めるなら、その人たちにはAIが人間の代わりをすることになるだろう。これに関して、たとえば「介護はロボットじゃなく人間がいい」という意見がある。しかし、落合陽一のウォッシュレット発言ではないが、いずれはこれもロボットに取って代わられるだろうと私は考える。というのも、老人にしばしば見られる中身のない反復される話の相手には、複雑な反応(その話はもう聞きましたよ!)よりもむしろ、壁打ちのようなbot的反応(あら~、そんなことかあったんですか~、大変でしたね~)が求められるからだ。また、介護ロボットならば、「権力者」と化した要介護者にも、従順にかしづく存在として重宝されることだろう。
要するに、今述べたような複雑な他者を必要としない人間にとっては、対象が人間からAIに取って代わられる日はそう遠くない、ということである。
(原文)
早稲田。105分。一時間空き。文庫本。劔。いもや。坂元精肉。外で待ち。菜摘読む。来た。女の子の声。会話弾まない。実は会ってその場のノリで決まる。オートロックマンション。お茶くれる。山の手止まる。乳首弱点、タバコ、でも努力してるならまあいいや。音楽の仕事。福岡や九州だとないので紹介もあって東京へ。代官山。今は池袋渋谷でバイトのポジション。アシスタント。超安月給。adやアニメのセル画と同じ。好きな事やってるならいいでしょ的な搾取と周囲の無理解。年功序列と歩合。先輩がいい仕事ばっかり持っていく。大変な仕事の例。要望が曖昧。宇宙の壮大さって何よ。今までの音楽とかで例えてくれ。しかしそれはオリジナリティがないと嫌がるらしい。福岡出身、熊本。抗男ホル剤。女ホルだと体つきが変わって周りに注目されるからやめてほしいと。この話はあんまり盛り上がらず。台湾、アメリカ。中国語というか北京語を嫌がる。歴史的経緯。明日店休日。ドアの立て付けと水回りの関係。柔らかい雰囲気を演出した部屋。乳首刺激しながらしごく。乳首は掌で包み込むようにしたり、掌で先っぽに少し触れるような状態で円を描く。
高速でシコシコ。根元のコリコリを弱めにつまむ。これがええんやな。出ちゃった。慌ててたけど余裕っち、と右手を舐め舐め。慣れた味だしねwベッド汚しちゃったのはスンマソン。男ホル出るようなことしちゃったは余計。瞳がおっきい。真正面から見れない。すべて見透かされているようで(マンガの黒ジト目を使う)。ただそれがなんかコミュニケーションしづらいと感じさせた原因かもかも。あるいは突っ込むネタ間違えた?写真を見る限り常に決めポーズ的なもので写ってるから(山本梓かよ!wと思わず突っ込む)。相当警戒心が強い?あるいは音楽系とかは、興味持って質問しても「ちょっとでも突っ込んだ話になるとこの人わかんないんだろーなあ」っていうう諦めがあってやる気が起きんのかもしれん。思えば大学院いた時はそういう反応をよく見たしね。自分のスタジオもってアシスタント雇って来年末には移り、安定したらタイで性転換。日本は超絶めんどくさい。二人の精神科医。五人の医師。さらにできる場所が全国に五カ所くらいしかない。タイだとーなんとかよい。ねだっも100万と聞く。事後に問題が生じると厄介なのでアフターケアのために一か月ぐらい残れたほうが良い。日本では対応できないので。そういえば、佐織っちは三年前に金貯めてヤルって言っていたが、もう成し遂げたんか。美人過ぎて緊張した珍しい体験。
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