我が子がかわいいとか、困った時に助けてあげたい、といった感情について何ら否定する気はない。
しかしながら、将来にわたって自分の手元に置いておこうとするのは、庇護欲ではなくもはや「コントロール欲」・「支配欲」であり、それはもっとはっきり言えば、「自分の思い通りに相手が行動してもらわないと気が済まない」というエゴイズム(自己愛)の発露である。
このことがよくわからないなら、「子供には家から通える学校や会社、結婚生活しか認めない」というのを、「東大以外は大学ではない」、「大卒じゃない人間との結婚は認めない」といったカテゴリーに置き換えてみるとよい(というわけで、少し古いが親からのプレッシャーや受験鬱に関する動画も掲載してみる)。
そのような縛りがどのように子どもに影響を与えるのか、違った角度で考えてみれば、その「善意」がいかに相手を蝕みうるか、ということに多少は理解が及びやすくなるだろう(というか、「失敗してもあなたには帰る場所があるよ。だから安心して挑戦しなさい(でも情報とかはちゃんと調べなさいね)」とはなぜならないのか?そこを深く考えてみた方がよいのではないか)。
以前に処女崇拝を「ピュア」と評価する向きについて、「心の底からIしてる」という記事を書いたがことがあるが、ここでは「親→子」というベクトルでそのような精神性が発露していると述べることができるのではないだろうか。
なお、「飲みの場だからネタとして言ったのでは?」というコメントも若干見られたが、だとしたら相手(動画主)がやんわりたしなめても同じ主張を何度も繰り返すのは奇妙だし、それでネタだと思っているのならセンスもモラルも欠落した残念な人と評すべきだろう(仕事ができることは人格と必ずしもイコールではないしね。なお、今回は母親目線の話なので、わかりやすい逆の事例で言うなら、妻や子供に対するモラハラ的発言を飲み会で延々としている夫がどう見えるかを想像してみるといい。おそらく、「そういう発言をすると自分がどのように見えるのかが理解できないメタ認知能力の欠落した人間」とみなすのではないだろうか。つまり、ここで語られる母親も同類ということである)。
さて、(久々に受験関連の動画を掲載してまで)なぜこの話を取り上げたかと言うと、「だからアンマッチと少子化は起こり続ける」で述べたパラサイトシングル→「子供部屋おじさん・おばさん」の話とリンクするからだ(さらに言えば、いわゆる「80・50問題」なども無関係ではない)。
そこには収入が低いがゆえの経済的合理性だけでなく、いわば母子癒着的な側面も関わっていて、「子離れできない親」「親離れできない子」という一種の共犯関係が背後にあると思われる(大学の入学式はもちろん、入社式にすら親が同伴するケースが増えてきているというニュースを見たことがある人もいるだろう)。
冒頭の動画で述べられたような「レールを敷きたがる親」というものは昔から存在してはいたが、日本の経済衰退や暗い未来予測などもあり傾向としてはそれが強まっており、それが子どもにも伝播してリスクヘッジに汲々とする「ゼロリスク世代」を生み出し、ますます閉塞の拡大再生産(まさに「貧すれば鈍する」)がなされているのではないか、とも思う次第である。
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