向こうの方でまーちゃんが意味のわからない叫び声を上げている。多分虐待の夢にうなされているんだろう。あの娘の深淵に触れることは、溺れかけている人間に近づくのに等しい。光の届かない底に引きずり込まれ、二人とも戻ってこれない、というわけだ。だから僕は、それを無視して今にも終わりそうなハルヒを見続ける。次は何が僕をあの呪詛と僕自身から逃避させてくれるのか、と夢想しなら…………全部嘘だけど。 . . . 本文を読む
さて前回共感という幻想の危険性について書いた。この記事も覚書からまとめられたものだが、その過程で色々な要素を削ってあることは言うまでもない。しかし、それらが共感というものに対する概念やその虚構性を考える一助になる可能性を考え、早めに掲載することにした。何か参考になればと思う。
<そもそも共感の証拠はあるのか?>
→所詮は言葉や表情からの「解釈」にすぎない。「悲しい」はあまりに多様だ。だから私は . . . 本文を読む
共感が幻想であること、これを私は繰り返し述べてきた。なぜそう言えるのかは
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(sympathyの訳語)他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張などを、自分も全く同じように感じたり理解したりすること。同感。「―を覚える」「―を呼ぶ」⇒感情移入 (強調部分は筆者)
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はっきりと覚えていないが、おそらく小学5~6年生の頃に
織田信長は天国に行っている
という本(表題ではないが…)を見て、思わず考え込んだことを記憶している(※)。最初は「信長が天国だって?そんな馬鹿な!」という(おそらく一般的な)反応を示したが、その後で色々考えることになった。この出来事は、案外自分に大きな影響を与えているかもしれない。というのも、「なぜ人を殺してはいけないのか?」及び「神は善であ . . . 本文を読む
この辺の覚書はまだ全然まとめれていないなあと嘆きつつ、15番目のフラグメントを載せてみる。
<妖獣学園のふた忍者には無反応(※)>
フラグメントの「自分で言ってるから~」、はひぐらしの「惨劇に挑め」や「重ねて読め」のこと(人に整合性がないのは確かだが、自分で言っている以上鬼編ラストの整合性必然性の欠如は批判すべし)。(※2)エロゲーに処女性を求める=娼婦よ純潔たれ!と言うに等しい、[無関心な人々 . . . 本文を読む
久しぶりにフラグメントを上げるとしよう。
<[魅音が]自分で発案したから自罰だろう>
鬼隠し=視点への挑戦(幻想の仕掛けでもある)=視覚は絶対ではない。筒井くさり、さよならを教えて、沙耶の唄→私は耕治エンドがどうしてもハッピーエンドと思えない(常識への疑い、滅びの希求や狂気への傾倒も関係してるだろうが=狂人)、ホラーの具体例.綿編の最後…魅音が手を掴み顔の上半分だけ見てる、くらいはやらんと。血は . . . 本文を読む
この前、ミスチルの「車の中でかくれてキスをしよう」に再びハマっていると書いたが、実はthe brilliant greenの“Forever to me”にもマイブームが到来している。思い起こせばこの曲との出会いはかなり鮮烈であった。たぶん大学三年の始まり頃(2004年4月)、先輩の家で音楽番組を何とはなしに聞いていたら、薄気味の悪い映像とともに強烈な印象を与える伴奏が流れ . . . 本文を読む
虚構の人物に共感ないし「感情移入」できるという考えは、まったくのところ幻想である。
共感・「感情移入」という言葉への違和感は、難しい社会理論などからではなく、「君が望む永遠」に関する様々なレビューを見て生うまれた。そもそも、主人公の置かれた状況に「感情移入」とやらができないのは当然ではないか?せいぜい、おそらくこんなところだろうかと推測するのが限界ではないか?とすれば、「感情移入」という言葉を . . . 本文を読む
こないだひぐらし鬼編の再考を書いてから二週間以上が経過したが、祟殺し編に突入するまでやって一日も先に進んでいない。何とか今年中に終わらせるつもりだったが、明日にでも仕事を止めるくらいしない限り無理っぽい。しかも、あと二週間でアペンド版が出るし、アペンド版を入れるとデータの引継ぎができないらしいので今中途半端に頑張っても何の意味もない。
と、いうわけで年内は完全にひぐらしをシャットアウト。まあいち . . . 本文を読む